第19話 2015年、2014年 おじさんの救い
【2015年1月8日】
「だっ、だから、店長を出せって言ってんの!」
「ですから何度もお話した通り」
唇を引きつらせて大声をあげる男に、俺は笑顔を貼り付けて対応する。
「お客様には返金させていただきますし、異物の混入されていた商品はこちらで製造元に問い合わせて対応いたします。これは私でも店長でも対応は変わりません」
「うっ、うるさい! 誠意の問題だっ!」
洗ってなさそうな油の浮いた髪、くたびれた服、小刻みに震える手。ひと目で関わり合いになりたくない人種だと分かる……コンビニ店員に対応を断るすべはないが。
「み、見ろっ! ゴキブリだぞ! ゴキブリが入ってたんだ!」
男は封を開けたカップ麺を目の前に突きつけてくる。確かに黒い物体がカップ麺の上にあった。だが……。
「も、問題だぞ! 本部にクレームいれてやる! い、嫌なら店長を出せっ!」
「……ハァ」
もう限界だ。何十分やらされるんだよ、これ。
「これが?」
俺は男が手を引っ込める隙も与えずに、カップ麺から黒い物体をつまみ取る。
「ふーん、確かにゴキブリだな。……おもちゃの」
「えっ……!? い、いつのまに……」
俺がゴキブリのおもちゃを掲げてみせると、男は顔を青ざめさせた。……この程度で俺がビビるとでも思ってたのか? 確かに店長なら悲鳴をあげて直視しないだろうが。
「……っ、あっ、悪質なイタズラだ! こ、こんなもの、店の商品に入れるなんて、う、訴えてやる!」
「逆だろ。イタズラで済ますなら訴えないでおいてやる」
俺は天井付近の監視カメラを指す。
「さっき電気ポットのところでゴソゴソやってたよな。監視カメラ、チェックしようか?」
「………!」
男が分かりやすく「しまった」という顔をし――
「く、くそっ! バカがっ! 死ねっ!」
顔を真っ赤にして語彙力少なく捲し立ててコンビニから出ていった。しばらくして車が駐車場から出ていくのが分かる。
「はぁ……」
早朝からなんだったんだ。いや、何だったのかは分かってる。アイツは――
「も、申し訳ございません〜!」
どたばた、と。バックヤードの扉を開け、マッチ棒みたいな小柄な女性がレジ裏に転がり込んでくる。いや、文字通り転んだ。なので、床に激突する前に支える。
「きゃっ!? ……あら」
「危ないですよ、店長」
「あぁ、テルネさん……大丈夫だった!?」
「私は平気です」
ちょっと疲れたぐらいだ。
「それより店長こそ、ちゃんと休んでくださいよ。まだ交代まで時間ありますよ」
「でも、さっきの人、わたしを出せって……」
「いちいち対応する必要はないですよ」
コンビニにはいろんな客が来る。こんな田舎のコンビニでも、顔を覚えてしまう迷惑な常連客は数人いた。さっきのはとにかく店長と話したいガリ男だ。法学部を目指す浪人生らしい……店長にそう自慢しているのを聞いた。いや浪人だからなんの自慢にもならんが。
「でもほら、わたしが相手をすれば丸く収まるから……」
……確かにそれはそうだ。最初に店長を出せと要求されたときに応じていれば、あんな小細工はしてこなかっただろう。俺がシフトの時はガンとして断り続けてきたので、今日はああいう手に出たんだろうが……。
「あまり問題にしたくないの。テルネさんに何かあっても困るし……ね? そんなに悪い人でもないのよ、お仕事の邪魔はしないから……」
確かにアイツは他の客のレジ対応中は黙っているが、品出しについてきて喋りかけてくるし普通に迷惑だろう。
「ね……?」
店長は目を見て首を傾げてくる。ちょっとドキッとした。この不思議な色気がああいうのを勘違いさせるんだろうな。
「いや、ああいうやつはキチンと誤解ないように分からせてやらないと、いずれ増長しますよ。店長が言いづらいなら、私から――」
「あの子は」
店長は静かに言う。
「このあたりの地主さんの子で……ここのコンビニもお借りしてる土地なの。だから……ね?」
「………」
初耳だった。
いや、コミュニティに溶け込んでいれば周知の事実だったのかもしれない。しかし、ただのバイトと割り切って付き合っていた俺はその事情を知らず……。
「気持ちは嬉しいのよ」
店長は微笑む。
「ほら、もうそろそろ交代でしょ? わたし、早起きしちゃったから、入るわね。ハスムカイさんは休んでて」
「……ゴミ出ししてから帰ります」
せめて負担を減らすべく、俺はゴミ出しの作業を始めた。
「……もっとうまいやり方があったかな……?」
あったはず、だ。結局前の世界と変わらずにコミュ障な俺は、気まぐれな善意で事態を悪化させることしかできない。……否定できない自己嫌悪が押し寄せてくる。
「……年が変わったっていうのに、良いことないな」
賑やかなのはコンビニに飾られた正月飾りぐらいだ。ゴミ箱に薄く積もった雪を払い、白いため息をつく。
「チャンネルの収益化はされた……新作のゲームもある……だけど、それだけだ」
この新しい人生を初めて、24年。
24年もの間、推しからの
綺羅星のようだったVtuberたちは、この世界にいない。まるでこの星1つない暗い空のようだ。
「はあ……」
ゴミ出しを終えて、座り込む。スマホを取り出してYouTubeアプリを起動する。
昔は……前の世界は、アプリを開けば推しの新着動画で埋め尽くされていた。だがここには何もない。あの破滅的な事件から閉塞が訪れた時代以上に、何も。
思わず……無意識に、推しの配信を脳内再生しようとしてしまって、そんな考えを振り払う。
「やめろやめろ。この世界にはもういない……いないんだ、私の推しは……」
俺がバーチャルYouTuberの親分になり、新たなVtuberを出現させる。新しい推しに出会う。そのためにここまで生きてきた。努力してきた。だが……うまくいかない。
「推しのいない世界なんて……」
生きてる意味あるのか? という言葉を吐くのをこらえる。噛み殺す。飲み込む……。
「……意味、あるのか……?」
……飲み込み切れず、こぼれた。首を振り、ため息をつき、スマホを目の前に持ってくる。
YouTubeアプリに入れた検索ワード、『バーチャルYouTuber』では、彩羽根トーカの動画しか出てこない。なんならYouTuberというところだけ拾って、普通のYouTuberをお出ししてくる。
やれやれ、YouTubeは分かってないな……と思いながら、無意識に検索結果を更新した。画面がリロードされる。何も変わらない画面。もう一度リロード。今度は並び順がちょっと変わった。はは、並びを変えたから何だって言う……――
「……ばっ」
思わず手が滑ってスマホを落としかけ、わちゃわちゃとお手玉してからなんとか両手で支える。
「ばっ」
俺の、彩羽根トーカの動画よりも新着になっている動画。タイトルは――
「バーチャルYouTuber始めました!?」
チャンネル名は、バーチャル美少女YouTuberミチノサキ。
『おはようございます!』
気がついたら再生していた。ボリューム最大で。バカでかい声が雪の積もった駐車場に流れる。だが、不思議と不快にならない声だった。
『そして、初めまして!』
画面の、白い空間の中にいたのは……金髪の少女。ツインテールを青い薔薇のシュシュで止め、服は……パンクロック風のファッションを、たくさんのベルトで締め付けている。どこもかしこもギュッと。唯一縛られていないのは――豊満な胸。
『あたしの名前は、ミチノサキです!』
「あ」
ずしゃ、と。
思わず、雪の積もった地面に膝を落としていた。
『あたしは、普通のYouTuberさんとはちょっと違うバーチャルなYouTuber、バーチャルYouTuberで』
「あ、あ……あああ……」
バーチャル、YouTuber……バーチャルYouTuber……!
『気軽にサキちゃん、って呼んでくれるとうれしいです!』
「ササササッサッササ、サキちゃん!」
スマホを天に掲げ、叫んだ。昇ったばかりの太陽が、スマホを輝かせた。
「はっ、はぁっ、ふぁ……! ぶっ、Vtuber……!」
でた。いる。
『このチャンネルでは、あたし、ミチノサキが』
新しいVtuberが――
『いろんな動画の撮影にチャレンジします!』
――いる。
『これからいろいろ投稿するので、応援してくださいね!』
「はいッ!」
叫んだ。響いた。どこかで鳥が飛んだ。俺はとにかくチャンネルを登録した。高評価を押した。通知をオンにした。概要欄からTwitterアカウントを見つけてフォローした。動画告知のツイートをふぁぼった。
そのひとつひとつの動作のたびに、脳が歓喜の悲鳴を上げた。24年ぶりの新たな供給が、乾ききった砂漠に落ちた一滴の雫のように、迅速に全身に染み渡った。
『それじゃあ、ミチノサキでした。またね~!』
「推します! いかないで!」
喉も裂けんばかりに宣言した。
推し。推しだ。推さないわけがない。
この世界の、初めての、彩羽根トーカに続くバーチャルYouTuber。俺の、推し!
「うおおおおおおおおおおおお!」
無駄じゃなかった。
意味があった。
俺の24年間は、今日この日のためにあったのだ。
新しいVtuber、新しい推し、新しい供給を得るために!
「やったぞおおおおおおぉぉぉ!」
推しだ! 推し活だ! 24年ぶりの推し活……! まずはこの動画の告知ツイートをバズりそうな時間にリツイートして……紹介……紹介動画か? ヤバい、前の世界では何の才能もないおじさんだったから紹介動画なんて作ったことないぞ? そもそも引用ってしていいのか? 話題に出すだけなら……いや、迷惑と思われないか? ど、どうする……?
「……あの……」
「はッ!?」
その日店長が見たのは、ゴミ箱の前で朝日の前にスマホを掲げて跪き、ブツブツとつぶやいているヤバいオタクだった。
「だ、大丈夫? ハスムカイさん……すごい声だったけど……」
「……へ、平気です……帰ります」
◇ ◇ ◇
【2014年11月 ミチノサキスタッフの記録】
まだこの会社名に「バーチャル美少女プロジェクト」とだけ銘打たれていた頃。スタッフは演者とそのマネージャーとの数回目の打ち合わせに臨んでいた。
「こちらがヴァレリーさんに演じていただくキャラクターデザイン案になります」
「どれどれ、見せて!」
机に広げた絵にヴァレリーが飛びつく。隣に座る声優事務所の男――西端タスクはその様子を見てこめかみをそっと抑えた。苦労していそうだな、とスタッフは同情する。
「うわー、かわいいしかっこいい! この青いのは!?」
「モチーフになる青い薔薇です。このプロジェクトの象徴とも言っていいですね。青い薔薇の花言葉は『夢かなう』です」
「ゆめかなう……いいね! まるであたしみたい!」
ヴァレリーの事情はタスクから説明されていた。といっても、デモテープを聞いてプロジェクトメンバー全員で「この子にしよう!」と決めた後なのでだまし討ち感があったが……本人には罪はないし、タスクもまだ引き返せる段階で明かしてくれている。なので。
「この子の名前は!?」
「まだ未定です」
受け入れた上でうまくやろう、とスタッフ全員で心得ていた。疑惑はあるかもしれないが、この子なら信じていいだろう、と。
「そうなんだ」
「いわばヴァレリーさんの第二の名前になるものですからね。慎重に決めないといけません。ヴァレリーさんが中の人であることが秘密、なのはもちろんですが……それよりも、この子はヴァレリーさんなんだと、そう思ってもらえると嬉しいですね。性格とかも設定する気はないですし」
「この子はあたし……」
熱を帯びた目で設定画をヴァレリーが見つめる。
「――あの」
このタイミングしかない、とスタッフは切り出した。
「実は設定画で一つ確認があるのですが」
「なになに?」
「その、ここなんですけど」
指で示したのは――ミチノサキの主張の大きい胸部。
「その……これぐらい大きくても問題ないでしょうか?」
思わずスタッフはヴァレリーの同部位を見て言う。
そこは――平坦であった。
現実とアバターに、あまりにギャップがありすぎる。怒るかもしれない。それをなんとか納得させてこい、というのがこのスタッフに与えられた使命だった。
ヴァレリーはこの子のいわば中に入って操縦をする。気を悪くしないだろうか? しかしこれは差別化というか先行キャラクターに追いつくためにも必要な武器で――
「おっぱい?」
………。
「おっぱいのこと?」
「ああ、ええ、そうです……」
「そうだなー」
ヴァレリーは腕を組み、険しい表情をする。スタッフはつばを飲み込んだ。
「……もっと大きくしよう!」
………。
「え?」
「おっきいおっぱいは正義! もうぶるんぶるん揺らしちゃおうよ! 男の子ってそういうの好きでしょ? あたしも好き! 大好き! ――あなたは?」
スタッフは立ち上がり、ヴァレリーの手をとった。そして心から叫ぶ。
「大好きです!」
「だよね! 大きいは正義!」
同志を得たヴァレリーは――隣に座るタスクに問いかける。
「シバタさんは? おっきいおっぱい好き?」
「……巻き込まないでほしいです」
「巨乳同盟ならずかー」
かくして、ミチノサキの胸部は強化された。より強調する衣装になり、ボーンが設定され、自然な揺れを求めてパラメータが調整された。
その努力が結実し、一人のVtuberオタクの目を奪うまで、あと2カ月。
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