第18話 2014年 伸びない世界
【2014年12月】
「もうひと伸びがない……」
俺は暖房の効いたダイニングでテーブルに突っ伏しつつボヤいた。
「そうかい? 大躍進じゃないか」
対面の悪魔がカップアイスを舐めながら言う。スプーンを舐めるな汚いぞ。
「チャンネル登録者数も5桁の大台に乗ったし、収益化もできただろう? 君の金で食べるアイスはおいしいねえ」
「それは暖房の効いた部屋で食べるアイスが美味いだけだ。俺にもよこせ」
「これで最後だね」
悪魔め。いずれ1個100円もしないやつじゃなくてハーゲンダッツを目の前で食ってやる。
「で、何が不満なんだい?」
「……登録者数が増えたのが、テレビで紹介された時だけなんだ」
「ん?」
悪魔は首をひねる。
「いやいや、そんなことないでしょ? あれでようやく4桁になって……それで今、5桁なんだから」
「テレビで紹介されてバズった後の増加は、海外の視聴者が大半なんだよ。それにTwitterのフォロワー数も伸びてないし」
ギリギリ4桁というところだ。
「投稿している動画の再生数も、通常で3桁いくかどうかだ」
再生数がなければ、パートナーシッププログラムで得られる広告収入も少ない。
「伸びてるのもあるじゃないか」
「『The 倉庫スタッフ』のプレイ動画シリーズだけな。なんかコレだけ海外でウケて未だに伸びているんだ」
前の世界にはなかったゲーム会社、ガブガブゲームスの作った『The 倉庫スタッフ』。このゲーム、どうも日本ではあまりウケなかったが、海外で人気が出ているらしい。おかげで彩羽根トーカのチャンネルにも流動があるのだろう。
「毎日投稿している90秒動画の枠じゃなく、別に30分程度の動画シリーズにした甲斐があったというものだが……この状況は健全じゃない」
「何が健全じゃないのさ?」
「新作動画の一日の再生数より、シリーズの再生数の方が多いんだよ。新規が伸びないのは健全じゃないだろ」
「海外にウケてるなら、いっそターゲットを海外にしたらいいんじゃない?」
……そういう考え方もあるか。確かに……字幕は各国語つけているが、彩羽根トーカが喋っているのは日本語だからな……いや、しかし。
「……俺は例え言葉が全部わからなくたって、海外Vtuberも推していた。だがやはり……Vtuber文化は日本で花開いてこそだと思う。まずは日本にしっかりと軸足を置くべきだ」
海外のファンには申し訳ない気持ちもあるが……いやでもあいつら大半、俺の変なリアクションとかを切り抜いて宇宙猫的な扱いしてるんだよな……うん。
「日本ねえ。それなら、ナントカとかいう事務所から所属しないかってお誘い、断らない方が良かったんじゃない?」
「マルチチャンネルネットワークな。YouTuberを集めて広告を請け負うタイプのやつ。まあ誘われたのはテレビで紹介された瞬間だけだし、リアルYouTuberなんて陽キャの集団に混じれるわけないから断ったが……そういうことじゃない」
少し状況を整理してみるか。ちょっと自信ないが……。
「伸びないのは……客層の問題かもしれない」
「おっ、ファンの否定かい?」
「そうじゃない。今ついてるファンは、バズに至る客層じゃないんじゃないか? というだけだ。日本からの登録者はさっきも言った通り、だいたいテレビ報道の時の人たち……朝の報道番組のYouTuber特集を見ていた人たちなんだが……」
SNSでも多少は拡散されたが、全く別の客層にリーチするには至らなかった。
「YouTuberを見る客層はリアルの人間に興味を持つ人たちだ。人間が表に出てきてやるから面白いんであって、キャラクターが出てくることには興味はない。またどちらかというと消費者気質で、二次創作、再生産に動く人は少ない……という印象がある」
「つまり?」
「あのバズで獲得した登録者の大多数は、物珍しかったから登録しただけで、その後は放置してるんじゃないか? リアルの人間じゃないトーカには興味がないから、拡散やファン活動にも熱心じゃない」
もちろんSNSでファンアートを描いてくれるありがたい人もいるのだが……トーカの知名度と相まって、伸びないのだな。で、反応が少ないので次が描かれない。当然だ。
「私は、バーチャルYouTuberのファンというのは……リアルの人間を重要視しないオタク気質の人間が、そのキャラクターに触れて、次第に魂の輝きを知って形成されていった層だと考えている。架空の内面ではなく実在の内面に興味をもつようになった新しい種類のオタクだと。つまり、原動力はどうしたってオタクなんだ。オタクに響かないと意味がない」
「じゃあ今のところオタクに響いていないってこと?」
「そうだ。実際オタクには全く流行っていないと思う。……上っ面が陽キャ文化のYouTuberだからな。いくら彩羽根トーカの顔が良くても、敬遠されているんだろう。魂の輝きを知るに至るまで追ってはくれない」
俺の魂が輝いているかどうかという問題もあるが……あ、やばいな、そこ結構自信ないぞ? ……とりあえず棚上げしておこう。
「ゴホン。まあそういうわけで、今のところ彩羽根トーカのファン層はバズにつながらないというのが私の見解だ」
「ふーん、難しいもんだねえ」
悪魔は空になったアイスカップをゴミ箱に放り投げて言う。
「それで? 問題が分かってるなら、次はどうするんだい? 現状でも企業案件が入ってくるようになって、金銭面では少し楽になってきたけど」
「だいたいソシャゲの宣伝だけどな」
すぐに終わりそうな……というか流行らないのを知ってるソシャゲばかりで気が滅入るが、おかげで部屋に暖房をつけられるようになったし、まともな飯も食えるようになってきたが。
「どうするか……というと、続けるしかないと思う」
「バズらせる方法は?」
「分かっててバズらせられたら苦労しない。『The 倉庫スタッフ』の実況動画が伸びているからって、他のゲームをやっても全然反応なかったし……」
ガブガブゲームスの次の新作が待ち遠しい。伸びるにしろ伸びないにしろ、新作をプレイできるのは嬉しいことだ。
「あれはどうなの? 生放送とかいうやつ」
「YouTube Liveな。申請は通ってるからできることはできる」
トーカが活動を開始した直後は登録者数が一定以上ないと生放送できなかったのだが、今は申請し認証さえされれば誰でもできる。
「生放送をやることはもちろん考えた。ファンとコメントを介してリアルタイムにやり取りができるし、放送後はアーカイブを公開するだけで動画が一本出来上がりだ。90秒の動画の編集よりはるかに時間がかからない。YouTube Live以前でもニコ生とか、それこそいろいろ方法はあったが」
「メリットしかなさそうだね。なんでやらないんだい?」
「初配信ってのは一大イベントなんだよ」
若者には分からないかもしれない。初めて推しと会うのが配信、というのが普通になった世代には。しかしやはり……初配信のワクワク感、推しのリアルな反応がもらえる新鮮さというのは、もっと大勢の人に味わってもらいたいと思う。
「トーカは未だ、その域に到達していない。おそらく配信したって登録者数の500分の1さえ集まらないだろうし……」
そんな寂しい初配信に、ファンの時間を割かせるのは親分らしくない。
「初配信っていうのは、もっと記念すべき状況でやるべきだ」
「そういうものかなあ?」
「……時間がない、というのもある」
YouTubeから収益が得られるようになったとはいえ、未だにバイトを辞めて暮らしていけるようなレベルではない。光熱費と食費が賄える程度だ。
バイト、生活、動画撮影。ここから生放送の時間を捻出するには……まだ、余裕がない。せっかくやるならいろいろ仕込みもしたいし。
「貧乏暇無しだね。そんなことで親分になれるのかい?」
「……継続は力なりだ」
そうだと信じて。
「信じて続けて、『次』の機会を待つしかない」
◇ ◇ ◇
【2014年12月 ニコライ・ダニーロヴィッチ・ポロンスキーの記録】
東京都内のボロアパートの一室を改装したセーフハウスで、ニコライは端末に表示された部下からの報告を見てため息を吐いた。
終わった。これでこのくだらない計画もおしまいだ。これを将軍に報告すればチームは帰国を命じられるだろう。せっかくオタクの国、日本に来たというのにとんぼ返りとは。
ため息。頭を抱えて丸くなる。その背中に――
「何ごと、ニコライ」
天使の声がかかった。
「報告を」
「はいっ」
落ち込んでいた気分は一気に吹き飛んだ。ニコライは軽やかに返事をして振り向き、『天使』を視界に収める。
天使。青い目、金色の髪。年齢を感じないきめ細かい肌。小さい顔に反してスラリと伸びた背丈、手足。そしてなにより、ニコライの鼓膜をくすぐる中性的な声。
「報告します」
同性であることを忘れてしまう美貌の天使に、ニコライは高揚する気持ちを抑えながら口を開いた。
「ルサールカ作戦におけるメインオペレーターのナターリャですが、先程、入国管理局に拘束されたと報告がありました」
「なぜ」
「パスポートの偽造が発覚したとのことです。近いうちに本国に送還されます」
「……そう」
天使は悩ましい顔をする。ニコライは作戦失敗を嘆くべき立場にもかかわらず、その表情の美しさを神に感謝した。
「代わりの人員は」
「いません。てんし――少佐もご存知でしょう。我々のような非合法な組織にナターリャのような若い女は二人といません」
ナターリャが特殊なケースだったのだ。確か将軍――と自分を呼称する気の触れた老人……天使の祖父に、無実の罪で投獄されるところを救われたとか。本当かどうか知らないが、あの狂人の理論に言いくるめられて部隊に入り、今日までやってきたのだから変わり者であることには変わりない。
それを言ったらニコライも似たようなものだ。ちょっと集めていたものがアレだったからといって逮捕して実刑まで食らわせる祖国はやりすぎだと考えている。施設への収容間際に将軍に助け出されなければ、今頃はシベリアの大地をベッドにしていただろう。
この狭いセーフハウスに詰め込まれたチーム全員、誰もが似たような境遇で、本国に合法な居場所はない。隅の方で、誰かの深い溜息が聞こえた。
「……それは、そう」
例外はこの天使――将軍の孫ぐらいなものだろう。彼だけは偽造していない正規のパスポートで入国している。
「困った」
ニコライは天使が気の毒になる。
将軍を自称する気の触れた老人は、無駄に財力と人脈を有しており、ニコライをはじめとする脛に傷のある者たちを集めて私設の、非合法の特殊部隊を擁していた。そして祖国のためと言っては、わけのわからない作戦に駆り出すのだ。
そして作戦の中心にはかならず天使が据えられ、彼は健気にも祖父に応えるため作戦を遂行する。今も祖父の期待に応えられないことに心を痛めて――
「日本に来たのに」
「は?」
「作戦は失敗。でも帰りたくない。日本がいい」
天使のワガママを聞いて、ニコライは――
「なるほど、承知しました」
あっさり天使への認識を変えた。彼は祖父に無理矢理従わされていただけで、遠く離れた地に来た今こそ自由を感じているのだと。であればニコライも天使の希望をかなえるのにやぶさかではない。将軍よりも天使が大事に決まってる。このチームの人間は皆そうだ。
「しかし、将軍から与えられた任務はルサールカ作戦です」
正確には、祖国の情報部からよくわからない伝手で将軍に依頼された任務だった。この手の作戦を実行させるのに、部隊の合法も非合法もあったものではないらしい。
「この作戦を継続できなければ、本国に帰るしかありません」
「……日本人の、協力者を」
「確かに東京には腐るほど女子高校生がいるし、ナターリャより美人なのは星の数ほどいます」
天使よりかわいい人間はいなかったが、とニコライは胸中でつぶやく。
「しかしこの作戦において必要なのは、ロシア語を喋る日本人ではありません。日本語を喋るロシア人でなければ」
ルサールカ作戦。祖国の情報部が立て、老人が請け負ったその作戦は気の長いものであった。内容を正確に表せば、「偶像による日本懐柔作戦」。具体的に言うと――
親日派ロシア人美少女アイドルにオタクたちを沼らせてロシアに対する好感度を爆アゲし、ひいては北方領土どころか北海道の半分ぐらい占領しても歓迎される状況を作っちゃおう作戦――だ。
ナターリャはそのためのメインオペレーターだったが……やはり、あの容姿で17歳というパスポートは不審しかなかったのだろう。だからサバを読むのをやめろと言っておいたのに。
「では、どうしたら」
どうするか。
「この作戦であれば、遠隔地からナターリャに参加してもらうのも手ではありますが……通信の問題を考えると日本でチームが動いているのが望ましい。やはりナターリャは使えません。であれば……将軍への報告を偽装……いや……」
アイドル活動をするということは目立つということだ。隠密行動ではないから、表に見える実績を示さなければいけない。ウソをついても将軍にはすぐにバレてしまう。活動はしなければいけない。だが誰が……いや?
「少佐。一つだけ手があります」
ニコライは閃いた。自分が天才だと思った。そして、必ずやり遂げるという意志に包まれた。
「あなたが美少女アイドルになるのです、少佐」
天使は、固まり……ぽつんと応じる。
「……ぼくは男」
「あなたはナターリャの日本語教育係だ。もちろん日本語はネイティブレベルで扱える。親日派ロシア人を装うのは簡単です。いやむしろ、ナターリャより適任と言ってもいい」
「ぼくは男で……背が高い」
「それこそ何の障害にもなりません!」
ニコライは胸を張って言った。もちろん自分は天使の性別を気にしていないが、そういうことではない。
「ご存じですか、少佐。この作戦で取り扱うアイドル――」
この実に遠回しでくだらない、いや最高なルサールカ作戦の中心。
「バーチャルYouTuberという存在を!」
「バーチャル……?」
「トーカちゃんという第二の天使を!」
「トーカ……第二?」
バーチャルYouTuber。3Dモデルの体を使ってアニメ的表現をする技術。作戦の参考資料として掲載されていた「彩羽根トーカ」の動画を見たニコライは、技術屋として強い興味を惹かれていた。ロシア語字幕もあったので視聴には苦労しなかった。そしていつの間にか推していた。
「本来はナターリャを美少女アバターでアイドルにする予定でした。しかし、バーチャルなんですよ、少佐。我々は思考を縛られていた。そう、リアルじゃなくていいんです! 皆も聞いてくれ!」
ここぞとばかりにニコライは、部隊のメンバーを説得にかかる。バーチャルYouTuberならば、可能性がある。天使をアイドルにすることができる!
「てん――少佐の声は美しい。我々の作る美少女モデルと合わせても違和感の一つもないでしょう。性別、外見、身長? そこはアバターを使う以上、いくらでもカモフラージュできます! バーチャルなんですから!」
「けど……」
「作戦の継続のためにはこれしかありません。お心苦しいでしょうが、少佐」
ニコライは天使の手をとった。柔らかく暖かい子供のような手だ。
「アイドルに――美少女になってはいただけませんか」
「ぼくが……女の子に」
「そうです! なあ皆、文句はないだろう!?」
ニコライはセーフハウス内の他のメンバーに呼びかける。誰もがすぐにうなずいた。彼らの目は言っている。天使のアイドル姿が見たいと。
「……わかった」
そして、天使は――ルカ・ウラジミルヴィッチ・スミルノフは、頷いたのだった。
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