第11話 2006年 おじさん、備える

【2006年】


「寂しい卒業式だったねえ」


 2006年3月。卒業式を終えて帰宅すると、悪魔はあくびをしながら言う。


「ねえ、そう思わないかい?」

「別に、普通だったろ。欠席が多かったわけでもないし。それとも打ち上げに参加したかったんなら、今から行ってきたらいいんじゃないか?」

「それ本気で言ってる?」


 悪魔は眉をひそめる。


「あの一件以来、ヴァレリーとさえ半年間もギクシャクしてるのに、彼女たちのいる打ち上げに混ざれって?」

「………」

「そろそろ教えてくれてもいいんじゃない? ああやって彼女たちから遠ざかった理由をさ。しかも勝手に僕は法学部に行くことになってるし……」


 じっと、悪魔が目を見てくる。


「教えてくれないと、大学行くの辞めちゃうよ」

「分かったから見つめてくるな気持ち悪い」

「ええ……」

「あいつらにも言った通り、目標のためだよ。バーチャルYouTuberの親分になる……そのためだ」


 世界初のバーチャルYouTuberに。


「そのためにすべての時間を使ってきた。勉強、練習、鍛錬……自分のすべてを捧げてきた。だが……それでは足りてなかった」


 気づいた。いや、はっきりと自覚した。


「……師匠が死んだだろう。あの件は、私のせいだ」

「ええ? 別に殺したわけじゃないでしょ」

「私が関わったせいで師匠の運命が変わった」

「うん。以前の世界よりも長生きできたんだからよかっただろう?」

「だが、道場は潰れた」


 継承者がいなくなったから。


「前の世界では道場が続いていたなら……それを望む人間だっていたんだ。その方が幸せだった人間だっていたはずだ。だが、私が変えてしまった」


 スズキさんだって本当に道場を継がなくて幸せだったかどうかなんて分からない。苦労の中に喜びがあったかもしれない。道場が続いていればその技術に救われる人間だっていたかもしれない。だが、俺が変えた。


「バーチャルYouTuberの親分になるためならなんでもする気でいた。だけどちゃんと自覚していなかったんだ。私のせいで前の人生とは違う道を行くことになる人たちがいる、ということに……」


 俺が受験に合格したということは、本来合格する誰かが落ちたということ。俺が色々な教室に通うということは、枠の問題で通えない誰かがいるかもしれないこと。俺が見せたパフォーマンスで、己の才能を見限ってしまった誰かがいるかもしれないこと。


 薄っすらと分かっていた。しかし……理解していなかった。


「あいつらの人生も変えてしまった」

「案外、今の方が幸せかもしれないよ? 検索しようか――」

「絶対にやめてくれ」


 知りたくない。情けないことだが、聞いたら立ち直れなさそうだ。


「いいんだ。もうあいつらとは関わらない……これ以上干渉しなければ、あいつらもちゃんと自分の選んだ道を行くはずだ」

「今更だねえ」

「今更でもだ」


 分かっている。変えてしまったものは元には戻らない。でもせめて、今からでも俺の影響をなくせば……。


「……私はもう、何人もの人生を変えてきた。その罪は重い」

「そうかなぁ。別に君が何もしなくても、ある程度違った運命になっていたと思うけどね。前の世界と今の世界は別物だよ」

「私はそんな風に割り切れない」


 俺が関与していない部分は、前の世界のままなのだ。世に出るアニメもゲームも、前の世界と何ひとつ変わらない。


 俺の影響がなければ……元のままなんだ。


「――だからこそ、目標を諦めるわけにはいかない」


 絶対に。


「私は目標に向かって進まなければならない。私は初志貫徹しなければならない。そうしなければ運命を変えてきた奴らに胸を張れない」


 運命を変えられた奴らが槍を持って声をあげるなら、こう答えられなければならない。


「お前らの運命を犠牲にしてまで作りたかった未来はこれだ! 私がどうしても叶えたかった夢だ! 後悔なんて何一つない!」


 そう言い切る為に、やりきらなければいけないのだ。


「私はバーチャルYouTuberの親分になる。だったらあいつらに構っている場合じゃない。そうだろう?」

「まあ、そうかもしれないけど……寂しい展開だねえ」

「むしろ望むところだ。リア充の親分なんて、考えてみればありえない。現実に不満のない人間がバーチャルになって何が面白いんだ。現実でやれ現実で」


 そうだ、むしろ陰キャとしての感覚を取り戻す期間なんだ、これは。オタクを舐めるなよ、演じた陰キャなんてオタクには通じない。そう……陰の者同士に通じ合う何かを獲得するために、あいつらとは縁を切るんだ。


「せっかくできた友達なのに、いいのかい?」

「……私みたいなのがまともに友達付き合いなんてできるわけない。こうなったからには、向こうだって友達だなんて思ってないだろ。いや、そもそも友達だなんて言ったことないし……いいんだよ、もう」


 前の世界でも本当の友達なんていなかったし……友達ってよくわからん。確かにあいつらとはつるんではいたけど……それだけだ。そしてそれも終わったんだ。


「はあ。まあ、いいよ。それで? これからどうするんだい? 君がバーチャルYouTuberを始めるのが2011年だっけ? あと5年あるけど?」

「まずは住居問題を解決する」

「……家ならここにあるけど?」

「こんなところで配信活動ができるわけないだろ?」


 普通のマンションだぞ? 実家だぞ? 死ぬ気か?


「歌の収録とか、ホラーゲームの実況とか……Vtuber活動に騒音はつきものだ。近隣住民に迷惑をかけて炎上する親分なんて嫌だろうが」

「それはスタジオを借りればいいんじゃない?」

「そうすると特定に繋がるものが多すぎるから駄目だ。バーチャルYouTuber、彩羽根トーカの正体は絶対に秘密なんだ」

「考えすぎじゃない? じゃあどうするっていうのさ?」

「もちろん」


 決まってる。


「Vtuber、家を買う」

「なんて?」


 もちろん普通の家じゃ駄目だ。


「3Dのフルトラで動き回れる広さをもつスタジオ、絶対に外からの音も入らないような防音設備を備えた家を……建てる!」

「外からの音?」

「選挙カーの音が入ると最悪だからな」


 一発で住んでる場所がバレる。あとは救急車の音とか、電車の音とか……雷もだな。


「スタジオも一つじゃなくて複数欲しい。セッティングを切り替えるのにも、私たちだけじゃ時間かかるだろうし。あとは機材置き場……倉庫も必要だな。ネット回線はもちろん、電源もできる限り冗長化だ。地震や停電で地域がバレる……うん、やはり自家発電装置は必要だな」

「……なんか、聞いてるだけですごくお金がかかりそうだけど?」

「かかるだろうな」


 俺は頷いた。


「なので、翻訳事業を売却する」

「へえ。……え?」

「買い取ってくれるところを見つけてな。実はもう契約を進めてる」

「ええ……いいのかい? 今のところ唯一の収入源だろう? それなりにサービス名も売れてきてるのに」

「私がなるのはバーチャルYouTuberであって翻訳屋じゃない」


 デビューしたら翻訳の仕事なんてやってる暇はないし、売れるうちに売るのが賢いだろう。


「デビューまで5年……その間に真面目に依頼をこなすよりもいい値段で売れることになってな。それを家の初期費用にあてる」

「ええと、僕たちはその買い取った企業に勤めることになるわけ?」

「いや、ブランドだけ売った形だから、私たちはフリーになる。むしろ、今後20年間は競合サービスに従事できないぞ。競業避止義務……って言うらしい」

「ふうん」

「ふうん、じゃない、ふうん、じゃ」


 他人事じゃないんだぞ、悪魔め。


「今回は弁護士に依頼してやってもらったけどな。今後はお前がやるんだからな?」

「ああ、それだよ、それ!」


 急に悪魔は語気を荒げる。


「なんだって僕が法学部に行って、司法試験を受けないといけないんだい?」

「お前が弁護士になるからだが?」

「だからなんでさ!?」


 うるさいやつめ。頭をトゲトゲにしてから大声は出せ。


「いいか。俺はバーチャルYouTuberの親分になる。つまりとても有名で人気のある存在になるってことだ」

「そうなってくれないと面白くないね」

「しかし、どんなに人気で誰からも愛されるような存在になったとしても……必ずアンチという存在は生まれてくる」


 恨み妬みでアンチになるならまだ分かる。しかし中にはただ単にアンチ活動それ自体を生きる目的とする理外の存在もいる。有名になればなるほど、その数は増えていくのだ。


「トラブルは確実に生まれる。……それは、前の世界のVtuber界破滅の一端でもある。だからそれに対抗する力が必要だ。金さえあれば、その度に弁護士を雇ってもいいだろう。だが……」


 それは弁護士にバーチャルYouTuber彩羽根トーカの正体を知られることになる。もちろん、弁護士には守秘義務があり、それを守ってくれると信じているが……万が一がないとは言い切れない。


「そこで、お前だ。お前が弁護士になればそういうこと気にしなくていいしな。他にも色々便利そうだし」

「ふうん……資格が必要なんだ?」

「そうだな。ネットの書き込みの発信者情報開示請求とか、資格がないと出来ないはずだし」

「資格ねえ」


 悪魔は面倒くさそうな顔をして宙を見る。


「……2011年から予備試験っていう制度が始まるから、別に大学なんて行かなくていいんじゃない? 試験だけなら検索して満点取れるし、その後の研修なんてちょっと担当を脅せばやらなくてもいいでしょ。そうすれば資格なんて――」

「駄目だ」


 なんだこいつ、急に楽してズルしようとし始めたな。


「確かに試験だけならお前のその能力で突破できるだろう。でもその後に待ち受けるのは前の世界にはない未知の事件だ。対応するためにはちゃんと法律について勉強してないと無理だろ?」

「……うちの大学には飛び級制度があるから法学部で3年、法科大学院既修者コースで2年、それから研修で1年……計6年」


 悪魔は指折り数えて……鋭く目を細める。


「君のデビューに1年も間に合わない」

「そうなるな」

「冗談じゃないよ!」


 バン、と悪魔は机を叩く。びっくりした……こいつがキレるところ初めて見たぞ。


「いいかい、君の目的はバーチャルYouTuberの親分になることだ。でも僕の目的は……僕がここにいるのは、君の物語に参加しているのは、それを近くで見るためだ。なのに、6年も単独活動していろって!? 14年も待たされているのに!?」

「落ち着けよ」


 正確には4月で15年だな。


「なんでも協力するって言ったろ?」

「できる限り協力するって言ったんだよ」

「そうだったっけ」


 こういうことについては細かいやつだな。


「待たせてるのは分かっているが、計画を変更する気はない。どうせここから5年は新展開もないし、デビュー後の1年くらいは我慢してくれよ。弁護士の力は今後絶対必要になるんだ。私が資格を取ってもいいが、そうすると計画が遅延するぞ」

「……ッ」


 お前がやらないなら俺がやる――つまり新展開が1年遅れになると聞いて、悪魔は口元を歪めた。


「……条件があるよ」

「なんだよ?」

「僕はね、君の物語が見たいんだ。だからずっと隣りにいたし、手助けしてあげた。でもね、それにも限度ってものがある。……弁護士の資格が今後の展開にどうしても必要だっていうなら、いいよ、取ってあげる。でも」


 悪魔が俺の鼻先を指す。


「資格を取ったら……もうずっとのんびりさせてもらう。君の物語に関係ない弁護士業なんてやらない……仕事なんてしない。僕がやりたいと思わないことはしない。いいね?」

「わかった」


 ニートになりたいってことか。まあ、そういう時期ってあるよな。好きなときに動かせる弁護士が欲しかったし、基本は暇にしてもらってて構わないだろ。


「……なんか素直で釈然としないけど、まあいいや。それで? 君はこの5年、何をするのさ?」

「就職するに決まってるだろ」


 まったく世間知らずの悪魔だな。


「家ってのはな……金がかかるんだ。特に私が求めている内容は普通の住宅よりもっと金がかかる。だから土地代の安いところに建てるつもりだが……それでも、翻訳事業の売却益だけじゃとても足りない。だから、ローンを組む……銀行から金を借りる必要がある。そして」


 貸す側にだって事情はある。


「そのためには返済能力の証明が必要だ。無職やフリーターに住宅ローンは厳しい。だから会社に就職して、安定した収入があると証明する必要があるんだ」

「ふうん。なるほどねえ……」


 悪魔は腕を組んで頷く。


「……ところで、どこに就職するんだい? 君が就職活動をしてたのを見たことがないんだけど」

「明日面接に行ってくる」

「そうなんだ。……明日?」

「とんでもない会社だよな。この時期に『明日面接に来い』って言って、んでその場で『明日から仕事しろ』って言う会社なんてさ」

「まともじゃないね。どこなのさ?」

「前の世界で勤めてた会社だよ」

「……君がボロ雑巾みたいになっていった、あのブラック企業かい?」

「そうだ」


 受かるのは分かってる。今の俺は女だが、男でなくても結果は変わらんだろう。あの時の俺は就活がうまくいかなくてどうかしてたよなぁ……。


「ええ……なんでわざわざ? 今の君ならマトモな会社に入れるだろう?」

「あの会社でもローンの審査には問題ないし」


 ブラックだが、潰れないのは分かっている。上司が家を買ったとかローン組んだとかも聞いたことがあるし、クレカの審査に落ちたこともないから問題ないはずだ。それに。


「私が入らなきゃ、別の誰かが犠牲になるだけだろうからな……」


 俺が別の所に就職したら……本来そこに就職すべき人間が落ちてしまう。そういう運命を変えた責任を負う覚悟はしたが、バーチャルYouTuberの親分になるという本筋とは関係ない部分の変化は……なるべく無くしたい。


「はあ、なるほどね。気にしなくていいのに」


 悪魔はキザったらしく肩をすくめる。


「ま、方針はわかったよ。やれやれ、しばらく君の物語に動きはなし、か」

「いや。徐々に動いてはいるぞ?」


 インターネットの進歩は止まらない。すでにバーチャルYouTuberをやるのに必要なパーツは出始めている。


「去年はYouTubeがサービス開始したしな。サービス開始日がうろ覚えだったから初日にアカウント開設できるかヒヤヒヤしてたんだが、なんとかなってよかった。あとは今年の年末のニコニコ動画だな……ID一万台は確保しておきたい……いや4桁いけるか? あれって社員のみとか聞いたことあるけど、なんか方法があったような……」

「バーチャルYouTuberなのに、ニコニコ動画のアカウントを?」

「2017年のVtuberバズから、Vtuberという分野にニコニコは乗り出し始めるんだが……正直動画サービスとしては厳しい状況からの進出だった。それがもし6年早い2011年から流行り始めれば、もしかしたらニコニコが覇権を取る未来もあるかもしれないし」


 念のため確保しておこう。使い道はいろいろあるし。


「動画配信サイトはこれからだが、動画配信自体はすでに盛り上がってきているしな」

「配信サイトがないのに?」

「2003年ぐらいから配信はオタクのオモチャだったらしい。P2Pの技術を使ったPeerCastというオープンソースソフトウェアがあってな。それを使ってデータをバケツリレーみたいな感じで流す……互助によって音声や動画を配信、視聴することができる。そういうコミュニティがあるそうだ」


 導入の敷居が高いため、ある程度技術に明るいオタクでないと配信どころか視聴もできない仕様だった。


「へえ。それは使わないのかい?」

「前の世界では存在も知らなかったし、あまりVtuberとは関係ないからな。……でも、以前試しに一回だけ配信してみたぞ」

「ええ? なんで同席させてくれなかったのさ……って、一回だけ?」

「ああ」


 2004年末。高校2年の頃だな。


「この当時のPeerCastはコンテンツ――アニメの垂れ流しかネットラジオ、ゲーム実況が主流みたいだった。もちろんコンテンツを流すのは違法だから、私はゲーム実況をやってみたんだ。バーチャルYouTuberらしくアバターも、伺かってソフトを使って表示して。で、それごと画面を取り込んで」

「へえ、それで?」

「大不評だった」


 なんか女声ってことだけで叩かれた。この当時だと配信は『男の世界』って感じだと聞いたことはあったが、これほどとは思わなかった。せっかく高画質で、このコミュニティで流行のゲームを実況配信したつもりだったんだが。


「……で、しばらくしたらワラワラとセクハラの書き込みが続いてな……あまりに雰囲気が悪くなってしまったので終了して、それっきりだ」

「え……失敗ってこと? 大丈夫なのかい、それ?」


 悪魔は深刻な顔をする。


「君、そんなことで本当にバーチャルYouTuberの親分になれるのかい? あんまりにもつまらない結果に終わって、僕が支払った力さえ回収できなかったら許さないよ?」


 おっと、悪魔らしいセリフだな。よく考えたら失敗したら逆恨みで地獄行きとかもあるかもしれんのか。


「大丈夫だ。短時間の配信だったし、録画もわざわざ別のソフトを使わなきゃ残らない仕様だ。実況掲示板のログも保管庫行きで、今や誰も話題にしてない」

「そもそもさ、そういう経歴が残るのはやらないんじゃなかったの?」

「彩羽根トーカとしてならいいんだよ。ほら、9年前に作ったサイトと同じだ」


 あくまでVtuberとしてのデビューが2011年だからな。


「もし誰かが録画していたとしても、5年後のデビューには影響ない」

「そのデビューが心配なんだけど」

「心配性だな。いいか、Vtuberっていうのは光なんだよ。それをたっぷり浴びてきた私なら、バーチャルYouTuberの親分になるのは難しいことじゃない」


 必要なスキルは身につけた。あとは設備を整えるのみ。バーチャルの夜明けまでは秒読み段階だ。


「2011年からはすごく忙しくなるぞ。むしろたった5年しか準備期間がないと考えるべきだ」


 俺は握りこぶしを宙に突きだす。


「すべてはバーチャルYouTuberの親分になるために!  やるぞ、私は!」

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