第5話 1994年 おじさんは小学生
【1994年】
「いつも思うんだが、並び順を変えないか?」
左肩の重さに耐えながら右へ問いかけると、俺の顔をした悪魔はニマニマと気持ち悪く笑った。
「嫌だよ。朝から体力を使いたくないし。それに──ヴァレリーは君の隣を譲らないだろうし」
「……ヴァレリーを真ん中にすれば」
「君の右肩が犠牲になるだけだと思うね」
想像に難しくない。俺は小学生らしからぬ溜息を吐いた。
1994年。俺と悪魔、そしてフランス語教室の娘のヴァレリーは、いいとこ──大学付属の小学校を受験して無事合格し、通い始めていた。家から都心までは遠いので、電車通学になる。ほぼ始発駅なので毎日座って通学できるのだが……朝に弱いヴァレリーは『フランス語の日』を除いてほぼ毎日、俺の肩を枕にして寝ている。
まあヴァレリーに分からん言語でしゃべる俺たちが悪いといえば悪いのだが、それなら手すりを枕にしてほしいと思う。せっかく端に座らせているのに。
「かわいい女の子に肩を借りられるなんて、元おじさんの君からしたらごほうびじゃないの?」
「それは思うんだが」
「あ、思うんだ……」
「しかしヴァレリーにはそういう気が起きないな」
たしかにこのブルネットの少女はかわいい。誰かと毎日一緒に電車通学、なんて前の世界でしたことはなかったし……得難い体験だとは思う。
が、それはそれとして、俺の感覚からするとヴァレリーは横暴で生意気な子ども、という印象の方が強かった。いや、この時期の子どもはみんなそういうものなんだが……精神年齢の違う俺と対等に付き合ってこようとされると結構つらい。子ども同士なら気にならないと思うが。
「そういう気が起きないってことは、そろそろ精神が肉体にひっぱられて女の子になって来たんじゃない?」
「気持ち悪いことを言うな。私はいつまでも心はおじさんだ」
今のところトイレぐらいしか前世と変化ないし、女の子と言われてもな。双子だからか両親が買ってくる子ども服はユニセックスなものが多いし。おかげでヴァレリーとか、ずいぶん長いこと俺たちのこと男の双子だと思っていたらしい。
ともかく、自分が女の子って気はしていない。制服がスカートなのにもいまだに抵抗があるし。
「……まあ、君の性を自覚させるようなイベントもなかったけどさ。忙しくて」
「忙しかったか?」
「忙しいよ! 最終的に毎日休みなしで習い事に連れまわされてさ……小学校に行っている、この通学時間の方が余裕があって落ち着くよ」
「ああ。移動時間が長くなってしまったのが悩みの種だな」
一番遠い教室でさえ電車で2駅ぐらいだったのに、都心まで行くとなると長い。
「時間は有効活用しないといけない」
「そういえばそのノートはなんだい? 毎日書いてるけど」
「動画のネタ帳だ。今のうちにネタ出しをしておかないと」
ちなみにノートは数カ国語で書いているので、これを見られたところで全容を解読できる人間はほとんどいないはずだ。
「えぇ……意識高いというか、早すぎない? Ami Yamatoより少し前のデビューを目指すんだろう?」
「来年、Windows95が発売されるだろう」
「急に何の話?」
「まあ聞け。95の発売からようやくインターネット人口も増え始める。噂のインターネット老人会がリアルタイムで楽しめるぞと楽しみにしていたわけだ」
両親のオタクカミングアウトを済ませているので、前世にはなかったオタク用品が家に置かれるようになっている。Windows95の発売を機に、家にもパソコンを導入する予定だった。
「だがインターネット老人会で思い出したんだ。悠長にしている時間はないと」
「その老人会がいったいなんだっていうのさ」
「インターネット老人会といえば、テキストサイト。そのテキストサイトに、バーチャルYouTuberの歴史的に無視できない存在がある」
そう。歴史を紐解けばAmi Yamatoよりも早い存在。
「バーチャルネットアイドルちゆ12歳だ」
「は? なんて?」
「知らんのか、バーチャルネットアイドルちゆ12歳を」
「それ12歳までが名前なの? 待って、検索する」
悪魔は腕組みをして目をつむる。……今やこいつのこの怪しげな検索能力だけが、俺の逆行転生を証明している気がするな。ちなみに他の力はすべて失ったらしい。
「……なるほど。架空のアイドルを名乗って活動する、というのは、確かに君の目指すVtuberと繋がるものがあるのかな?」
「実際にブームに乗ってVtuber化もしたしな。とにかく……Vtuberの親分を、インターネット上のバーチャルなアイドルの始祖を名乗るなら、ちゆ12歳より先に存在している必要があるんだが……」
「……なんだい?」
「バーチャルアイドルの始祖を名乗るなら、真に追い抜かないといけない存在がもうひとつある」
先日本屋に行った時、気づいてしまったのだ。アニメ雑誌の表紙を見て。
「シャロン・アップルだ」
「シャロン……誰?」
「この夏にリリースされるOVA、マクロスプラスの登場人物で、コンピューター上の架空の歌姫、まさにバーチャルアイドルだ。危ういところだった。今からならまだ何とか、正式発表日では先に立てるはずだ。WindowsNT3.1を導入してインターネットに接続してホームページを――」
「……アニメ、バーチャルアイドルで検索したらメガゾーン23って作品に
「クソッ、負けた!?」
生まれてないもんよ、1985年!
「ああ、3DCGのバーチャルアイドルも何例か、すでに存在しているようだね」
「今の時代の3D制作ってソフトの価格だけでも100万ぐらいするのに、そいつら何考えてるんだ」
「似たようなことしようとしている君に言われたくないと思う」
「……まあ、いい。アニメのバーチャルアイドルも、3DCGのバーチャルアイドルも、俺の目指すVtuberとは方向性が違う。そこで争うのはやめよう。ただ、バーチャルネットアイドルは近いからこれは始祖を名乗れるようにしたい。ちゆ12歳は2001年から活動しているはずだが――」
新世紀からの活動じゃ面白くない。
「前の世界で起きたVtuberの大流行は2017年。この年を活動20周年にできたら個人的にエモい。なので3年後、1997年にはバーチャルネットアイドルとして存在を確立するぞ」
「はあ……できるの?」
「インターネット老人会御用達ジオシティーズは1997年には日本でサービスを開始しているはずだ。場所については問題ない。維持費は無料だ」
しかし問題は他にもある。
「取り急ぎ、キャラクターデザインを固める必要がある。バーチャルネットアイドルを名乗る以上、その外見は示さなければならない。そして示すからには、クオリティは高くなければならん……もっと絵の研鑽を積まなければ」
「別にいきなり完成形じゃなくてもいいんじゃない? 最初はプロトタイプってことで発表して」
「初代モデルとか超重要だろうが! 途中で変更でもしてみろ、どんなにそれの出来がよくても、初代のモデルのほうがよかった、とかいう懐古厨が湧いて出てくるんだぞ! 最低限、時代に合わせたリファイン程度で済むようにしないといかん!」
「えぇ……何かの実体験?」
「うるさい」
ファン同士の醜い争いなんて、無いほうがいいに決まっているのだ。
「とにかく、悠長にしている時間はないんだ。子ども吸収力チートがあるうちに、スキルを効率的に身につけていかないと」
「はあ、またいろいろ連れ回されるのか……しかし、意外だね」
「何がだ?」
「そういうことなら真っ先に、小学校は無駄だから退学しよう、とか言い出すと思ったんだけど、最近まじめにノートを取っているようだし」
「ああ。それに関しては大きな発見があったんだ。それまでは時間の無駄だし、お前を双子入れ替えトリックで身代わりにして抜け出そうと考えていたんだが」
「考えてたんだ……」
だって俺中身おじさんだし。さすがに小学生レベルはね?
それに後々のことを考えて数学と物理はずいぶん先まで自習しているしな。しかし――
「気づいたんだよ。小学校の授業って、コンテンツとして面白いって」
「……は? 何?」
「いいところの小学校だからかもしれんがな、おじさんの精神を持って授業を受けてみると、いろいろ工夫されているのが発見できて面白いんだ。そして気づいてしまったのだよ――大人は、小学校の授業を受けたいに違いない、と!」
「大人じゃなくて駄目人間の間違いじゃないの?」
「Vtuberの教える小学校の授業! 現役小学生にも大人にも楽しめる優良コンテンツの気配がする。だから詳しくメモをとってコツをモノにし、動画にできるようにしているというわけだ」
実際、YouTuberの解説系の動画って人気ジャンルだったしな。
「時間は本当に足りない」
「君の理想が高すぎるだけでは?」
「そして実をいうと、金も足りない」
「ああ、うん……僕らの授業料の他に、両親とも趣味にお金を使うようになったからね」
そのとおり。両親には心置きなくオタカツを楽しんでほしいと思っているのだが、先立つものは金だ。
「俺も早いうちに3DCGを作る環境を整えないといけないんだが、スペックのいいマシンはこの時代本当に高価だからな……いつまでも投資してもらうわけにもいかないから、食い扶持を稼がないといかん」
「お、新展開だね。どうやって稼ぐつもり? やっぱり未来の知識を活かして株? それとも堅実に懸賞金つきのコンテストとかかな?」
「株は犯罪だろ。未来の知識を使うとか、インサイダー取引になるぞ」
「それを証明することは不可能だよ? 証明できなければ犯罪じゃないんだよ?」
「久しぶりに悪魔みたいなこと言うな。だが完全犯罪だとしても却下だ。それこそバタフライエフェクトの影響が避けられないだろう」
Vtuberとしてデビューするまで、未来を変えることは極力したくない。予定が狂っては困るからだ。
「同じ理由で懸賞金つきのコンテストも却下だ。そもそも専業じゃないんだから勝てるわけないだろ」
「うーん……それもそうかな? ひとつの技術に専念していないから、僕の与えた才能的にも世界は取れないだろうし」
「な。それに懸賞金が取れるとしても、コンテストは駄目だ、絶対に」
「ずっとそう言って断ってきたよね。大会とかコンテストとか。これまで理由を聞いてなかったけど、なんでさ? 資金のためなら少しの時間ぐらい」
「経歴が残るからだ」
人の記憶にも残るだろう。そして――
「そうするとVtuberデビューしたあと、身バレするかもしれない」
「身バレ」
「Vtuberの中の人がバレたら興ざめだろうが。そういうスタイルの人ならともかく、親分だぞ。神秘のヴェールを剥がすわけにはいかない」
あれこいつXX年に○○してた蓮向テルネじゃね? なんて――まったくおもしろくない。
「はあ。じゃあどうするのさ」
「個人の色の出ない方法で金を稼ぐ。ネット上で翻訳サービスをやるつもりだ」
ニューラルネットワークを使った翻訳サービスが出てくるまで、自動翻訳のレベルはひどいものだったからな。需要はある。子ども吸収力チートのおかげか、かなり語学力もついてきたしいけるだろう。
「名義は親で実働が私たちだ。家庭内なら児童労働で摘発されることもあるまい」
「……僕も?」
「協力しないなら今後何も教えないが?」
「はあ……やるよ。まったく契約を盾にするなんて悪魔みたいだね? けど、ふふ、分かっちゃったよ」
「ん? 何がだ?」
「君がバーチャルネットアイドルを急ぐ理由さ」
悪魔は気味悪いしたり顔をする。
「そのキャラクターを翻訳サービスの看板にして集客するつもりなんだろう? なるほど、一石二鳥――」
「しないが?」
「……ええ?」
「そんなことしたらVtuberとしてデビューしても、企業勢だと思われるだろうが。バリバリ企業色のある親分とか、私は嫌だぞ」
企業が広告塔としてVtuberを持つことも悪くないが、最初のVtuberがそれでは俺の見たいVtuberの世界は生まれない。
「バーチャルネットアイドルはやる。それとは全く別に資金稼ぎもする」
「非効率的じゃない?」
「今の段階でバーチャルネットアイドルとして有名になる必要はない。せいぜいネットの片隅に存在を主張できれば十分だ」
本格的に活動するための環境は、何もかも足りない。
「時間も金も足りないが――」
乗り換え駅が近づく。俺はヴァレリーを起こしながら、悪魔に言ってやった。
「Vtuber活動を始めたらもっと忙しくなるはずだ。もしかしたら今が一番、余裕のある期間かもしれないぞ」
「え、これで!?」
◇ ◇ ◇
「ねーねー、先週の『ちゃちゃ』見た? 面白かったよね!」
電車から降り、大人の波をかき分けながら駅から出ると、ようやく目が覚めたのかヴァレリーが顔を輝かせて聞いてくる。
「見てない」
「えー! また? テルネが面白いって教えてくれたのに!」
俺たちの通う小学校はかなりイイトコの子供が通う――が、車での送迎は禁じられている。なので駅から小学校に向かう同じ制服の子どもの数は多い。
まあ、日本語とフランス語をちゃんぽんにしてオタク話に興じているようなやつは他にいないのでかなり目を引いている気はするが……慣れたな、うん。
「私はサブタイトルと内容聞けば思い出せるからいいんだよ。ほら、説明してみろ」
「えー。しょうがないなあ。えっとねえ……――」
ヴァレリーがアニメのストーリーを身振り手振りを添え、セリフをマネて話し始める。そうすると人の記憶というものは不思議なもので、「ああ、聞いたことあるな」とか「次はこうだったな」とか思い出すものだ。
そういう人間の記憶の仕組みがあるから、俺はアニメ二周目が無理なタイプだ。前の世界でオタクしている間に、興味のある昔のアニメはすべて見終わっているし……その時点で興味のないアニメは興味がないわけで……未来の作品クオリティを知っていると、結局今の世界に娯楽はない。
「って感じで! アローが効かなくって!」
「ああ~、そうか、そろそろ次のアイテムの販促か……」
「はんそく……?」
「不死鳥の剣を探しに行くんだろ」
「あ、そうそう! すごそうだよね、不死鳥! 来週も楽しみ〜!」
脳天気な笑顔でヴァレリーが言い、テンションを上げて下駄箱に突進していった。
「落ち着きのないやつだな、まったく」
「でも楽しそうだね?」
「……別にそんなことはないが? フランス語の訓練のためとはいえ、おしゃべりに付き合うのも大変だぞ」
「でも止めないじゃないか」
まあ……小学生女子から懐かしいアニメのリアタイの感想を聞くというのは、なかなか得難い体験だとは思うが……別に、それだけだ。
「幼馴染とオタク話をしながら登校、なんて、以前の君が聞いたらどう思うだろうね?」
「私は私だ。なんとも思ってない……さっさと教室に行くぞ」
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