下準備

第4話 1991年、1993年 この頃のおじさん

【1991年 ヴァレリー・ローズ・ムグラリスの記録】


 ヴァレリーが日本にやってきたのは三歳の誕生日の翌日だった。よく分からぬままに飛行機に乗り連れてこられた異国の地。知らない言葉で話す人たち。ヴァレリーは恐れと怒りから家から出たがらなくなった。

 しかし春を迎えると幼稚園に通わされることになり、ヴァレリーは絶望した。誰とも言葉が通じない。ヴァレリーは仕方なく日本語を学んだが、クラスでは語彙の足りなさから赤ちゃん扱いを受けて幼いプライドを傷つけられていた。


 そんなヴァレリーが不思議な双子に出会ったのは夏休みの初日だった。今日から早起きしなくていいと言われたっぷりと睡眠をとっていると、家から知らない人の声がする。フランス語だ。フランスの子どもがやってきたのだろうか?


 そう思って一階のリビングに行くと、そこには同じ顔をした子どもが二人、しかも一人は自分の席に座っている。反射的に言葉が出た。


「誰? それ、あたしの椅子よ」

「え? だ、誰だ?」

「先生の娘じゃないの?」

「ああ、そういえば……あー、失礼」


 ヴァレリーは目を丸くした。フランス語が返ってきたからだ。

 そうして驚いている間に、子ども二人はひょいと椅子を降りて挨拶してくる。


「えーと……おはよう。私はテルネ。あなたのお母さんが開いているフランス語教室の生徒だ。あなたは、先生の娘の、ヴァレリー?」


 ヴァレリーは絶句した。自分の名前を完璧に発音する日本人なんて初めて会ったからだ。他の日本人は、大人だって、何度教えても発音が変だったというのに。


「申し訳ない。椅子は借りている。嫌ならすぐに返そう」


 ヴァレリーが何も言えないでいると、テルネは同じ顔の隣の子の耳に口を寄せた。


「何か失敗したか?」

「彼女はまだ三歳だろ? うまく喋れないだけじゃない? ペラペラ喋ってる君が異常なんだ」

「喋れるわよ! 赤ちゃん扱いしないで!」


 ヴァレリーが怒りの声をあげると、テルネは「喋れるってよ」と言い、もう一人は肩をすくめた。


「それは悪かったね。僕はナルトだ」

「なんで家にいるの? ここはあたしの家よ!」

「聞いていなかったのかい?」

「ヴァレリー、君の母さんはここでフランス語の教室を開いている。私たちはその生徒だ」


 ヴァレリーは母が働いていることはなんとなく知っていたが、それが自宅を使ったフランス語教室とは知らなかった。ましてや、同年代の生徒がいるなんて。


「あなた、幼稚園は行かなくていいの?」

「行かない。その代わりにいろいろな教室に通っているんだ。ここはそのうちの一つだ」

「ママ!」


 ヴァレリーは駆け出し、トイレから出てきた母に突進した。腹に頭突きを食らわせ、「ヴッ」と息をつまらせてやってから、輝くような笑顔で母を見上げる。


「あたしも今日から幼稚園の代わりにママの教室に通うわ!」



 ◇ ◇ ◇



【1993年 ヴァレリー・ローズ・ムグラリスの記録】


 果たしてヴァレリーが幼稚園を免除されることはなかったが、風邪をひいた日や長い休みでは、この不思議な双子と一緒に過ごすことが多くなった。

 初めは警戒心の塊であったヴァレリーも、同じ言葉を喋る唯一の同年代との触れ合いに、次第に気を許すようになっていく。


 そうして2年が過ぎ、再びの夏休み。


「あなたたち、もっと家に来たらいいのに」


 いつものとおり教室にやってきた双子に、おやつタイムになって母が席を外すとヴァレリーはそう言った。

 さすがに2年も経てばヴァレリーも日本語がネイティブと変わらないぐらい上達していたが、この二人は頑として――特にテルネがフランス語を話したがったので、フランス語で会話している。


「ヴァレリーがいない間にもっと来ているが?」

「それじゃ意味がないのよ!」


 テルネはナルトの方を向く。目で「どういうことだ?」と聞いているのだろう、ナルトは呆れた目を返していた。


「もっと、土曜とか日曜に来なさいよ。友達でしょ!」

「は? ……いやその……そう言われても」


 テルネは目をそらして頭を掻く。


「……他の教室に通っているから無理だ」

「他って、何をやっているの?」

「英語、北京語、広東語、ピアノ、絵画、バレエ、あと……道場とか、体操とか、いろいろ」


 ヴァレリーは――普通なら「いいな」とか「楽しそう」と子どもらしい感想を持つところを、その量に圧倒された。


「バレエに道場……?」

「子ども用のダンススクールが見つからなくてな、バレエしかなかった。まあ基礎を習うつもりでとりあえずやっている。流行はそのうち変わるし。道場はやはり型だな。アクションのモーションを出すならやはりある程度は格闘がサマになっていないと」

「テルネはそんなに教室に通って何がしたいの? 遊ぶ時間もないんじゃない?」


 尋ねると、テルネは少し言葉に詰まった。


「……いい学校に行きたいんだ。小学校を受験するためだな」

「え? 小学校は来年行くでしょ?」


 幼稚園で「来年から小学生」とことあるごとに言われていた。特にテストがあるという話は聞いていないし、せいぜい校区の話がおませな子達の間でされて騒ぎになったぐらいだ。


「テルネとあたしの家は同じ校区でしょ?」

「そうだけど、その学校には行かない。別の学校を受験して行く」

「え……ナルトも?」

「うん」


 ヴァレリーは衝撃を受けた。


 そもそもの話、ヴァレリーが日本に住むことに納得し始めたのは双子の存在があったからだ。同じ言葉で話し合える、もしかしたら自分よりかしこい子ども。その二人がいるから、フランスに帰りたいなんて言わなくなったし、両親も腰を落ち着ける気になったようなのだが……。

 そんな二人が、小学生からは会う機会も増えると思っていたのが、違う学校に行く。


「どうしてよ!?」

「あー……レベルの高い教育を受けたいんだ。ここの小学校じゃ英語さえ学べないし」


 勉強がしたい、という子供らしからぬ理由は、しかしテルネに限って言えば納得できるものだった。母とのフランス語教室でさえ、ものすごい集中力で真剣に受けているのだから。


「……ナルトは?」

「テルネについていくよ。放っておけないだろ?」


 うそぶくナルトに、テルネは顔をしかめる。しかしヴァレリーはナルトも本気であることがよくわかった。格好つけているが、ナルトはテルネにべったりのお姉ちゃんっ子(最近双子のどちらが姉か知った。というか、テルネが女の子であることのほうが驚きだったが)なので。


 二人は本気だとヴァレリーは知り――


「ずるい」


 ポツリと言葉を漏らした。


「それならあたしも二人とおなじ学校に行く! 受験する!」

「簡単に言うがご両親の都合も――」

「行くの!」


 ヴァレリーの目から涙がこぼれる。カッとなって二人がずるいこと、一緒にいられないのがずるいことを訴える。


「……わかった、わかったよヴァレリー」


 嗚咽とともに掴みかかってくるヴァレリーに、テルネは疲れたような諦めたような――何か企むような声で請け負った。


「私からもヴァレリーのご両親に頼んであげるし……ヴァレリーの勉強も手伝ってあげるから」



 ◇ ◇ ◇



「それで? なんでヴァレリーを受験させることにしたんだい?」

「言語は反復学習が必要だ。今後も私とお前で日ごとに言語を変えて話すつもりだったが、小学校じゃ他の人間が理解できない言葉で話すなとイチャモンをつけられるかもしれない。その点、ヴァレリーがいれば堂々とフランス語を喋れると思わないか?」

「ああ、うん……君、本当にそんな理由でいいのかい?」

「何がだ?」

「別に。君がそうだというならそれでもいいんじゃない」



 ◇ ◇ ◇



【1993年 ステラ・リーの記録】


 ステラ・リーはいわれのない中傷に苦しんでいた。


 ステラは女性ではあるが、だからといって批判に黙るようなことはしない。自分に間違いがないと分かっていれば、どんな強面の男性にだって反論しにいく。そのせいでこの日本人社会で多少立場を悪くしたところで、知ったことではない。


 だが相手が子ども、それも特別な子どもだったときはどうしたらいいのかわからなかった。


 きっかけは自分の一言であった。


「二人とも、秋にあるピアノコンクールに出ませんか?」


 ステラが日本で始めたピアノ教室に、この不思議な双子がやってきたのは一昨年の秋のことだった。

 はじめての挨拶で、二人は北京語で自己紹介してきた。驚き、自分も北京語で挨拶を返す。だが双子はわずかな違和感から首を傾げた。


「二人の話したのは北京語ですね。私は香港の生まれです。香港の人は広東語を使います。私は北京語は少しわかります」


 すると双子の女の子のほうが目を輝かせて言った。


「それはちょうどよかったです」

「え?」

「月謝は割増でお支払いしますので、広東語のレッスンも同時にお願いできませんか?」


 何を言ってるんだと思ったが双子の女の子のほう――テルネは本気だった。親に確認したが問題ないという。

 まあ、割増料金をとれるなら。そう考えて了承し、以降この双子とは広東語でコミュニケーションをとっている。


「コンクールですか?」

「そうです」


 はっきり言ってこの二人の才能は非凡なものがある、とステラは考えていた。


 ピアノを習いに来る未就学児は教室に何人かいるが、大抵親に通わされているだけの子どもで、レッスンなんてまじめに10分もできていない。

 それがこの二人は家が近いとはいえ二人だけで歩いて自主的に教室を訪れ、幼児とは思えない集中力と根気強さでレッスンを受ける。この年齢においてはそれだけで輝かんばかりの才能といえた。期待からステラ自身も、一日のレッスン時間をこの二人のために長く確保するようになっていた。


 弟のナルトの方はやややる気に欠けるが、それもテルネと比較してのことだ。耳コピや作曲にまで興味を示すテルネがやや異常なだけで、二人ともコンクールで十分な結果を残せる見込みがある。いや、間違いなく賞が取れるはずだ。それもぶっちぎりで。


 だから水を向けたのだが――


「出たくないです」

「へ?」


 テルネにキッパリと断られるのは予想外だった。


「え……ええ? こんなにピアノが好きなのに? あ、それとも人前に出るのが恥ずかしい? 客席はそんなに見えないと思うよ?」


 だから出てみない? と問いかけると――テルネは困った顔でナルトを見る。


「参ったな。どう断ればいい?」

「出ればいいんじゃない? スケジュールぐらい調整しなよ」

「目的のためにもそれはだめだ。……なんで先生は私をコンクールに出したいんだろう?」

「そりゃあ」


 そして、いわれのない中傷が始まる。


「名誉のために決まってるじゃないか。教室を開いて優秀な生徒を集めて、コンクールに送り込む。生徒が優秀な成績をおさめれば指導者の実績になるわけで」

「なるほど。そうすればより生徒が集まって資金が集まるな」

「生徒が国際的に成功でもしてごらんよ。私が育てましたって大きな顔ができるようになる。国際的な音楽家の仲間入りだね。自分が賞を取れなくたって、そうやって身を立てる方法はあるものさ」

「つまり先生は金と名誉が欲しいわけか」


 何を言い出すんだこの子たちは。


 自分がコンクールを勧めたのは生徒のためを思ってだ。自分の実力を知るのは成長の糧になるし、自覚すれば本気で音楽の道を選ぶきっかけになるかもしれない。そうすればさらに先の道へ進みやがて世界的なピアニストになって、そうなれば経歴も調査されて嫌でも私の音楽教室の名前が、あれ?


 完全に否定できず、ステラは固まる。金や名誉は主目的ではないのだが、だからといっていらないわけじゃないし。


「先生」


 ステラが己と戦っている間に結論が出たのか、テルネが申し訳なさそうな顔で話しかけてくる。


「もしコンクールに出場することが必須なら、この教室は今日限りやめさせていただきます。残念ですが……」

「ええ!? そこまで!?」

「はい」


 いやまさか、と思ったが、テルネに限ってはありえそうだった。他の子は嫌だと言っても親が通わせるだろうが、テルネは自主的に通っているし、広東語の件を考えてもかなりの決定権を持っていると(子どもなのに!?)考えられる。コンクールを強要すれば、迷いなくやめるだろう。


「……わかりました」


 結局、ステラはコンクールを諦めた。この双子を手放すよりは、割増料金をもらうほうが(よく考えるとレッスン時間を伸ばしたせいでトントンなのだが)得だし、何より。


 デキる子の教育は楽しいのだ。


 なに、いつか気が変わることもあるだろうし、ここで機嫌を損ねて他の教室に行かれてからそうなったら育て損じゃないか。


「お、悪いこと考えてる顔だよ、あれは」

「お前が言うか?」

「……君が言う?」


 結局、ステラ音楽教室から才能ある双子の噂が世に出ることはなかった。



 ◇ ◇ ◇



【1993年 縄倉大心の記録】


「ナワクラ先生、最近調子がよさそうですね」

「む、そうかな」


 弟子に問われ、縄倉なわくら大心だいしんはとぼけて見せた。


「はて、心当たりがないが」

「いやいや、分かりますよ。例の子供たちでしょう? ご執心だと聞いていますよ」

「むう」


 ナワクラは伸ばした白髭を撫でる。否定はできない話だった。週一度しか来ないこの弟子にも話が伝わっているとは思ってもいなかったが。


「ついに後継者が見つかったわけですね」

「後継は考えておらん」


 縄倉流の保存を望む声は多い。弟子の中に適任が見つからず、近年になってナワクラが看板を下ろすことを口にし始めると、親戚筋から年端も行かない男子を送り込んでくるほどには。

 あきらかに周囲に強制させられているのに、それを隠して健気に修行する大甥を見ていると胃が痛む毎日だった。しかし、それが最近になって事情が変わった。


「もはや武の時代ではない。望まれれば技を教えはするが、肝心の奥義の継承はこの時代の人間には不可能であろう」

「でも、あの子たちなら可能性があるのでは?」


 それは、親も連れずに門戸を叩いた小さな双子。


「……確かにあの子に才能はある。しかし、あれにあるのは武の才能ではない」

「では何の?」

「心の才能よ。あの年で己の目標を定め、貫ける者はそうはいない。世が世なら大成しよう」


 ナワクラはあの日の子供の目を思い浮かべる。幼さを感じさせない鋭い目。厳しい修行にも文句を言わずに自分から挑む、意志の強い目。


「あれは、より大きなものを見据えておるのよ。ここの看板程度では釣り合うまい」

「そんなこと言って、本当は後継にしたいんじゃないんですか?」

「ふん」


 ナワクラは答えない。ただ道着の裾の中で腕を組み、さて今日は何の技術を伝えようかと、黙して考え始めるのだった。



 ◇ ◇ ◇



「今日限りで道場をやめさせていただきます。今までありが──」

「なぜじゃあ!?」


 己の腰ほどの高さもない背丈の幼女に言われて、ナワクラは情けない声をあげた。そんなナワクラの姿に、道場の中の弟子たちは──いや、こちらも動揺していて師の姿を気にも留めていなかった。


「どうしてだい、テルネちゃん!」

「おじさんと組手する約束だったじゃないか!」

「いや俺が先約だが!?」

「……えぇと」


 幼女──隣にうり二つの容姿をした弟を引き連れた蓮向テルネは、大人たちの取り乱しように少し引きながら、ゆっくりと語る。


「うちの経済状況が悪くなって、月謝が払えなくなりまして」

「お主なら月謝はいらん! 親御さんにもワシから話して聞かせよう!」


 ナワクラは即答した。テルネは引いた。


「……うーん、どうしたものか」

「素直に言ったらどう?」


 テルネの隣の弟──蓮向ナルトがキザったらしく肩をすくめる。


「君の行動原理はちゃんと話さないとわからないでしょ」

「……まあ、それもそうか」


 テルネは頷いて、ナワクラをまっすぐに見る。


「学びたい技術は学べたので、これ以上はもういいかなと」

「なん、じゃと……」


 確かにテルネは優秀だった。子供ならではの吸収力、そして折れない心で食らいつき技術を身につけてきた。しかし。


「いや、テルネよ、それは思い上がりじゃ。お主にまだまだ教えることはある。縄倉流は実戦にこそ重きを置いておる。お主はまだ基本の型を習得したにすぎぬ。そんな生兵法では、暴漢に襲われた時ですら対処できぬぞ」

「護身術を学びに来たわけじゃないので、別にそういうのは……」

「ご、護身術ですらない?」


 道場の宣伝では実戦的な武術を宣伝している。ここに来るものは『強くなりたい』だの『身を守りたい』だの『喧嘩に勝ちたい』だのを理由にしているものがほとんどだ。この双子の姉弟も、そういうものだと考えていたのだが……。


「では何が理由なんじゃ?」

「言っていいのかな……」

「聞かせてもらおう。でないと道場をやめる許可は出せぬ」


 やめるのに許可なんて必要ないのだが、ナワクラは意地を張った。テルネはぽりぽりと頭を掻く。


「あー……本当は空手か中国武術の道場を探していたんですよ。でもこの辺にそういうのってなくて。それで、武道っぽいことをやってるこの道場に来ただけで……」

「空手を学びたいなら指導しよう。そういうものも一通り収めておる。ワシならより実践的に発展させた――」

「いや、私が学びたいのは型だけなので」

「型だけ……? なぜじゃ?」

「……聞いても怒りません?」

「理由あってのことならば」


 テルネは、ふう、と大きく息を吐く。


「私は変身ポーズとか、アクションシーンをやりたいだけなんですよ」

「……へん、しん?」

「つまり」


 テルネはスゥ、と息を吸うと──カッと目を見開き、叫んだ。


「気力・転身! オーラチェンジャー!」


 何かを刺す動きをして。


「リュウレンジャー! 天火星・亮!」


 中国拳法っぽい動きでポーズを決めて名乗りを上げる。続けて四人分。


「……こういうことです」


 やりきったテルネがドヤ顔で言うと、ぽかんとする一同から一人だけ拍手をするものが現れた。


「すごいすごい、完璧だ!」

「……フジキ君。君は、あれが何かわかるのかね」

「ダイレンジャーですよ! 今放送してる戦隊モノの!」

「放送……テレビ番組か?」

「あー、子供向けのアクション番組です。いやでも子供向けと言ってもですね二作前のジェットマンなんかはストーリーが大人にも好評で──」

「つまり」


 ナワクラは何とか自分が理解できるところに持っていく。


「テルネは、アクション俳優になりたいと」

「……まあ、似たようなものです。だから実戦は必要ありません。その分の時間を他の技術の習得に費やしたいんです」

「他の技術、というと」

「そもそも、自分には武術の才能はないですし、これ以上伸びる気がしません。でも芸術の才能ならある──と自負しています。だからえーと……次は、ダンスとか、舞踊とかを習うつもりです。他にもいろいろ、楽器とか……とにかくたくさん」

「……なるほど」


 ナワクラは幼い少女の意図を理解して、頷く。テルネはホッと息を吐いた。


「わかってもらえましたか。そういうわけで、もうここで学ぶことは──」

「理解した。そのうえで──来週、いや」


 少女を納得させるためにはそれでは足りない。


「明日。もう一度道場に来てほしい。お主にワシから学ぶことがまだまだあると理解してもらおう」



 ◇ ◇ ◇



 強情な少女をなんとか説き伏せて。

 双子が道場から消えていくと、弟子たちがナワクラに詰め寄った。


「先生、どうされるんですか」

「テルネちゃんが道場をやめるなんて嫌ですよ!」

「ワシに考えがある。それにはお主らの協力が必要だ」


 弟子たちは頷く。心はすでに一つだった。


 道場の小さなアイドルを失わないために!


「フジキ君、そのダイレンジャーとかいう番組のビデオは手に入るか?」

「ええ。毎週録画してますので」

「ではすぐに持ってくるのだ。他のものは道場にテレビとビデオデッキを」

「はいっ!」

「フン、テルネよ……」


 動き出す弟子たちを見守りながら、ナワクラは目を血走らせながら言う。


「何をもって己の才能を見限っているかは知らぬが……それならそれでやりようもあるというものよ」



 ◇ ◇ ◇



 次の日。道場でテルネを待ち構えていたのは、平然と立つナワクラと、寝不足でやや調子の悪そうな弟子たちだった。


「約束だから来ましたけど……何をしてくれるんですか?」

「お主に本物を見せてやろうと思ってな」


 ナワクラが言うと、弟子たちが配置につく。ナワクラの左に2人、右に2人。

 遠くから別の弟子が、身振りで合図をした次の瞬間──


「「「「「気力・転身!」」」」」


 ポーズをとる。


「「「「「オーラチェンジャー!」」」」」


 フジキが背後でラジカセからBGMを再生する。


「リュウレンジャー!」


 ナワクラが名乗りを上げる。


「天火星・亮!」


 迫真の演技であった。残る四人も誰一人笑わず、真剣に、ポーズを決める。


「「「「「五星戦隊! ダイレンジャー!」」」」」


「おおぉぉぉ!」


 拍手が上がる──テルネから。


「す、すごい……」

「そうかい?」

「お前これを見て感動しないのかよ。見ただろ? あの完コピを。いや、本物よりキレのあるあの動きを。これを、一晩で……?」

「テルネよ。これがお主に必要なものじゃ」


 ナワクラはゆっくりと落ち着いた声で説く。


「お主は芸術の才能しか持ち合わせていないと言った。では、ワシはその芸事の基礎となる技術を教えよう」

「基礎となる技術……?」

「テルネは先ほどの一連の動作、どれぐらいの時間で習得した? 一日や二日ではなかろう。しかし」


 ナワクラはニィ、と笑う。


「ワシは一回じゃ。一回見ただけで、一回動いただけでこれを再現した」

「は!? いやいや、え……一回?」


 テルネは信じられないものを見た顔をし──しかし、弟子たちが頷くのを見て固まる。


「弟子たちも多少は練習したが似たようなものじゃ」


 しれっと過大報告しておく。全員ができるようになったのは今朝がたのことだ。修行が足りない。


「これを成した技術。それは繩倉流の奥義を支える技術がひとつ『身体の完全な把握と操作』じゃ」

「完全な把握と操作……」

「一般人の体というものは思ったようには動かぬ。頭ではこうと考えていても、実際に動かせば大きくずれる。それはたとえ一流のスポーツ選手でもじゃ。何百、何千と素振りをした野球選手でさえ、微細まで完璧な動きで球を打つことは叶わぬ。じゃがこの技術を身に着ければ、己の体を完全に思い通りに動かすことができる」


 それこそが縄倉流の秘奥、竜を断つ秘剣を成すための技術。


「そしてこれはのう、芸術の基礎でもある」

「……は? 芸術の?」

「舞踊は指先一つまで完璧な動きが求められる。精微な絵を描くときは思い通りに筆を動かさねばならぬ。楽器を演奏するならばなおのこと、指、唇、息の吐き方などが重要になるじゃろう」


 テルネは考え込んでいる。ナワクラは言葉を重ねた。


「テルネは様々な芸術の技術を身に着けたいのじゃろう? 確かに何百、何千と同じ動作を繰り返せば身にはつく。しかしそれは一つの道にすべてを捧げる者のやりかたよ。たくさんの物事を身に着けたいのなら『身体の完全な把握と操作』が必要だとは思わぬか?」


 テルネは……ふと、顔を上げた。そして、あの日と同じ目で見つめてくる。


「……私に、できますか? 武術の才能は、ないんですけど」

「ワシがお主に教えるのは、武術ではない。武芸じゃ」


 ナワクラは全力でうそぶく。


「もはやこの時代に個人の武力は必要ない。これからワシが教えるのは武器としての武術ではなく、芸事としての武芸。極めた武は美しい。武芸者と呼ばれるのもそのためよ」

「えぇ……それは無理があるでしょ……」


 ぼそり、とナルトが呟き。


「なるほど!」


 テルネは力強く頷いた。


「私って意外と型の習得も早いなと思っていたんだが……そうか、他者に力を振るわないなら、それは芸術なのか。だから芸術の才能の補正が乗ったんだな?」

「えぇ……?」

「それを置いても、『身体の完全な把握と操作』の技術は今後の活動に役に立つはずだ」


 隣で弟が「正気か」という顔をするのにも関わらず、テルネは目を輝かせる。


「わかりました、師匠。道場をやめるのは取り消します」

「おぉ……」


 ホッ、とした空気が道場に流れる。一部の弟子たちは涙を流していた。


「あ、でも月謝を払わなくていい、って言ったのは取り消さないでくださいよ。こっちも活動資金には限りがあるので」

「う、ウム」


 ナワクラはちょっと泣きたくなった。道場の運営は厳しい。


 ……仕方ない、自分の孫が道場に通っているようなものだと思おう。この小さなアイドルを目的に入門者が増えるかもしれないし。


 そう、孫になら。秘奥のすべてを、己の培った技のすべてを伝授してもいい。


「……道は険しいぞ」

「やってみせます」


 ──たとえその道がどんなに苦難にあふれていようとだ。

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