第3話 1991年 オタクのために
【1991年】
「よくよく考えてみたところ」
春のある日。
俺は隣を歩く俺の顔――蓮向ナルトという名を奪った悪魔に、ここ最近の結論を告げた。
「つまり俺は幼女という器に入ったおっさんの魂というわけで、ただのリ美肉だと考えたら、女に生まれ変わったことにも折り合いがついてきた」
「りびにくって何さ」
「リアル美少女受肉の略だが?」
「はあ。というか、折り合いがまだついてなかったのかい?」
悪魔は呆れた顔で言う。うわ、クソムカつく顔だな。
「あんな大立ち回りをしたんだから、とっくに気持ちに決着がついているものだと思ったよ」
「……アクションシーンなんてなかったぞ?」
「物理的な話じゃない! 初日のことだよ! 両親相手に!」
「ああ」
なんだ。あんなことか。
「必要なことをしただけだぞ」
◇ ◇ ◇
「俺の名はテルネ、地球は狙われている!」
「ブフォ!」
俺たち双子の寝室から出て、テーブルで朝食を食べている両親を見つけた瞬間、俺はそう挨拶した。父さんが噴き出す。
「お、おはようテルネ。か、変わった挨拶だね、どこで覚えたんだ?」
「お父さん、汚いから」
母さんが父さんに布巾を渡す。……二人とも若いな。
「それに、俺って……」
「む……」
そうか、女の子だった。別にオレ娘もボク娘も好きだけど、面倒だな。将来Vtuberとして活動したときに素が出て一人称が貫通するとマズい。今のうちに慣れておくか。
「私の名はテルネ!」
「う、うん」
「まあそれはともかく」
「流すんだ、それで」
うるさいぞ悪魔。小声だけど。
「父さんと母さんに話がある――ます」
口調に悩むな。おっさんが幼女を演じきるなんて正気の沙汰じゃない。かといって、いつもの口調で喋ったらそれはそれで周りは気持ち悪いだろう。
……よし、設定した。
「私は未来から来たあなたたちの娘です」
「ちょ!?」
「う、うん?」
両親は『子どもが何か面白いことを言い始めたぞ』という顔をしている。悪魔は慌てているが、知らん。
「例えば父さんがけっこうなオタクだということを知っています。休日に友達の家に行っているのは、アニメの観賞会です」
「えぁ!?」
「青ざめなくても大丈夫、母さんもこれはこれで押入れの奥に耽美な少女マンガを隠してます」
「えっ!?」
「未来ではこれが判明するのは私が成人してからなので、そうとう面倒くさいことになってました。お見合い結婚とはいえ、お互いもう少し知り合う努力をしてほしいと思いましたね」
両親は目を白黒させてお互いの顔を見合わせている。まあどちらもお見合いでは親にけっこう設定を盛られて、それを嫌われまいと守ってたらしいからなあ。バレた後の仲の良さを見て、さっさと結婚しろと思ったものだ。
「さて私が未来から戻ってきたとご理解いただいたところで、お願いがあります」
「な、何? お願い?」
「はい」
計画に狂いが生じている。手を早く打たなければ。
「明日からの幼稚園に通うのは、取り止めさせてください」
俺がそう言うと――両親は少し落ち着きを取り戻した。苦笑して、なだめにかかってくる。
「いや、テルネ。どこで知ったのか知らないけど、いや僕がオタクかどうかは置いておいて、幼稚園に行きたくないからそんなことを言い出したんだね?」
「そうですね。私は未来のテルネの成人した精神が入っている状態ですから、幼稚園なんてとても低レベルでやってられません」
「いやいや、わがままはいけないよテルネ。お母さんも仕事の復帰が決まってるし、幼稚園に行かなかったら長い間家でお留守番になってしまうよ?」
子どものワガママと理解して自分を納得させたか。妙な設定を持ち出して幼稚園に行かないようにしようとしている幼女。なるほど現実的な現実逃避だな。だが許さん。
「未来から来たという証明をしましょう」
「ほう、どんな?」
「今年、ソビエト連邦は崩壊します」
「ちょっ!?」
うるさいぞ悪魔。この二人に教えたところで、その羽ばたきがソ連の崩壊を防げるわけがないだろ。
「ははは、面白い冗談だ。誰に聞いたんだい?」
む……あまり現実味がないか?
「8月にクーデターが起きて、その流れで崩壊に至るのです」
「へえー、いつ?」
「12月です」
「なら12月になったら考えようね」
先送りにされた。いかんな、そんなに待ってられない。
幼女離れした知能をみせるか? いや、何らかのズルとかが疑われるか。……仕方ない。
「母さん」
「はいはい、何のお話?」
オタクというのは作り話ということにしたいのか。まあまだ、この時代じゃBLに理解はないからなあ。
「母さんは私たちの名前の、真の由来を知りませんね?」
「えっ……?」
「父さんからは響きがどうこう、とか建前の理由を聞かされているはずです。なんとなく、大した理由はない、響きがよかった、ラーメン食べてきた、などなど」
「……そうね」
「納得できなくてずっと疑問だったはずです。未来で知ったときは父さんを半殺しにしていました。……くだらない真の由来を知ったら、私が未来人だと信じてくれますか? いえ、それを信じてくれなくても、せめて協力をしてほしいのです」
「えぇ……半殺して」
悪魔は引いている。事実だから仕方ない。
「……つまり、お母さんが怒るような理由なのね?」
「ええ」
「あなた、そうなの?」
「い、いやあ、響きで決めたのがわるかったなら謝るけど、子どもの名前にあまり意味をもたせたくないって言ったし、それは賛成したろ?」
「……テルネ。教えてくれる? ナルトってどう考えてもラーメンの具の名前を書いてすっとぼけた理由が分かるなら、知りたい」
「いいでしょう」
無理のある言い訳を前の世界では30年以上通していたが、今回はそうはいかない。
「名付けの真の理由は、言葉遊びです」
「言葉……?」
「父さんルールに従えば、私たちの名前は正しくは『テリユネ』『ナリユト』です」
笑顔を貼りつかせて事態を見守っていた父さんの顔色が、青くなる。
「はすむかいてりゆね。はすむかいなりゆと。何か気づきませんか?」
「……うーん?」
「ローマ字で一文字ずつだとわかりやすいかもしれません。この文字の子音に重複がないことが分かるでしょう」
母さんは文字を思い浮かべ……目を剥く。
「そう。父さんは『はすむかい』に五十音表でいうところの行かぶりがないことに気づいて、残りの行、た、な、や、らの行の組み合わせで名前を作る言葉遊びをしたのです」
空気が、冷える。
「――あなた」
「い、いやっ、誤解、偶然!」
「子どもの名前で遊ぶなッ!」
「ッてェ!?」
先制攻撃はいい音のする平手打ちから。一方的な展開が始まった。
いやあ、すごいな。若い母さんの攻撃力。まあ、父さんも若いから防御力あるだろう。
「えぇ……そんなに怒ること?」
「キラキラネームのブームも、悪魔ちゃん命名騒動も今後の話だぞ」
一生モノの名前で遊んだことを、前世でも母さんはいたく怒っていた。
「……君、これどうすんのさ」
悪魔が呆れ顔で聞いてくる。
「うまくいったと思うんだが?」
◇ ◇ ◇
「落ち着いたところで話を聞いてください」
「聞くわ。あなたも聞くわよね?」
「ふぁい」
頬が腫れて喋りづらそうだな。まあ一生ものの名前で遊んだ罰だ。俺もけっこう根に持ってるし。
「私とナルトは未来から戻ってきました」
「そうなの、ナルト?」
「……まあ、うん」
悪魔はしぶしぶ頷いた。
「そう。で、その目的は?」
ちょっと、Vtuberの親分になりに。
なんて、この時代じゃどこから説明したものかわからない。インターネットすら普及してないしな。
しかし目的を達成するためには両親の協力は不可欠だ。何をするにも金は必要で、現状頼りになる出資元は二人しかいないのだから。
だから――カバーストーリーが必要だ。
「父さんを救うためです」
「えっ?」
「未来での父さんは……私たちを残して……」
「えっ、まさか……し、死?」
俺が無言で頷くと、父さんの顔色はよりひどいことになった。
「ど、どうしてだ!?」
「詳細を伝えると未来にどんな影響があるかわかりません。だから詳しいことは言えないのです」
悪魔が隣で「どの口が」と呟いているが無視。
「幸いにも時間はたくさんあります。だから、その時に備えて準備がしたい。父さんを救えるように。その為に協力をしてほしいんです」
「それが……幼稚園に行かない理由? 行かないでどうするの?」
「勉強をします」
両親は顔を見合わせた。
「父さんを助けるためには多様な知識と、複雑な条件が必要なのです。そのためには今から勉強をしないと間に合わない」
「未来から来て、大人の心を持っているのに、勉強?」
「一回の人生では足りない研鑽が必要なのです」
実際、足りない。これからの計画のためのスキルが、何もかも。
「必ず父さんを助け、二人を幸せにしてみせます。だから――私に投資してください」
◇ ◇ ◇
という説得を経て、俺の幼稚園送りは回避された。
「本当は小学校と中学校もパスしたかったんだが……」
「一般人にその発想は無理だろうね」
小学校も中学校も、義務教育だが登校は義務ではない。芸能活動をしている子どもが参考になるだろう。だがネットもいまだ整備されていない世の中ではGoogleもWikipediaもなく、周囲から得た常識で判断するしかない。
「次善の策を取るしかないな。小学校は受験していいとこの私立にいこう」
「それって、なんでだい?」
「前回と同じ、この校区の小学校に通うとイジメを受ける」
割と早い段階から。そしてそれはずっとついて回るのだ。中学、高校……おかげでずっとぼっちだった。そんな環境でまともなコミュ能力が身につくはずもなく、気づけばコミュ障おじさんの出来上がりというわけだ。
「まあ大人の精神を持ってすれば耐えられないものじゃない。対処法だっていくらでも思いつくし、そもそも子どものやることと思えば腹も立たん。だから予定ならそのまま通うつもりだったんだが……」
「なんで変更を?」
「女になっただろ?」
お前の余計な「察し」で。
「女のイジメは経験したことがないからわからん。伝え聞くところによると男のやるものより陰湿だとか凄惨だとか。そんな未知の恐怖に耐えられるわけがない」
「イジメられるのは前提なんだね……」
「噂では本当にいいとこの学校はイジメなんてないらしい。だから受験しようと思う」
「君、それどこ情報なの?」
「ネットだが?」
悪魔は空を見上げてため息を吐く。……俺の顔でキザな動作をするとキモいし苛立ちがハンパないな。これはイジメられる顔ですわ。
「それで、勉強ね……」
「ん?」
「つまりこれって受験対策なんだろう?」
「は? 違うが?」
「えっ?」
常識のない悪魔だな。
「小学校受験のテストが大人に通過できないレベルのわけないだろ。せいぜい対策が必要なのは面接ぐらいだ、まったく──」
呆れた奴め。
「――英語と中国語とフランス語がテストに出てくる小学校がどこにあるっていうんだ?」
「知らないよ! じゃあなんなんだよ!? この幼児とは思えないハードスケジュールは!?」
「ハードって。まだたったの3カ国語しか教室に通ってないぞ」
ちなみに今日は英語教室だ。二人で歩いていける場所にあって助かる。
「それも英語はある程度下積みのある状態なのに、どこがハードだと?」
「ハードだよ!? 受験じゃなきゃなんのために通うのさ!?」
「もちろん、Vtuber活動のためだが?」
父さんを救うというのはまあ半分ぐらいは本当だが、あくまで今生の俺の目的はVtuberの親分になることだ。
「アイドル活動になんで言語が必要なのさ……?」
「Vtuberに国境はない。ネットがあればどこからでも見ることができるのがVtuberだ。そして、どこのファンとでも触れ合うことができる――言語の問題を除いて。そう、俺はファンと……Vtuberのオタクと話すために、その国の言葉を習得する」
字幕に翻訳をつけてもらう、通訳に立ってもらう。あるいはAIの発展後はリアルタイム自動翻訳という手もある。だが――推しが自分のわかる言葉で話しかけてくれたら、それに勝る喜びはないだろう?
待ってろよ、オタク。Vtuberの親分はお前とお前の使う言葉で話してやるからな。喜びに打ち震えるがいい……自分でやろうとしておいてなんだが、うらやましいなオイ! 俺と代われ! 代われないが!
「英語圏は当然として、中国でもVtuberは受け入れられるからな。人口も多いし、学んでおいて損はない。まずは北京語。できれば広東語もカバーしたいな」
「……フランス語は?」
「日本オタクの多い国だし、教室が見つかったから選んだ。今両親から期待できる投資はこの程度だ。資金力的にも」
前世と違って母さんも仕事に復帰するらしい。おそらく出費が一人分増えたためか……少し話し合ったところ、これまでの覚醒前の段階でも前世知識の影響か、手間がまったくかからない双子だったらしいので、その余裕もあるだろう。
「子どもの吸収力というチートがあれば、言語習得もなんとかなるだろう。あとは、絶対音感もチャレンジしてみたいから、夏以降は音楽教室も通わないと」
「……なんで夏?」
「ソ連のクーデターの予言が成就するからな。信憑性が増すだろう。増資の要求が通るだろう」
他の言語でいうと、韓国語も抑えておきたい。あとはカッコよさ的にもドイツ語。アニメ関係ではイタリア語、スペイン語、ポルトガル語……タガログ語とインドネシア語もか? 時代的に教材が容易に手に入らない言語もありそうだし、俺がどこまでやれるのかわからない。
最低限、英語と北京語。あとは可能な限り、チート吸収力のあるうちに急いでやらないと。
「そんなにやるなら言語の才能を願えばよかったのに」
「優先順位的に考えた結果だ」
芸術センスとプログラミングスキル以下はどれも一律、似たようなものだからな。最悪、なくてもなんとかなる。
「子どもらしく遊んで過ごしたいとかないの?」
「ないが?」
だって中身おじさんだし。まだネットないし。アニメ二周目とかダメな人間だし。この時代に現代――未来人を誘惑するような娯楽はないのだ。
「え、もしかしてお前は遊びたいのか? 悪魔のくせに?」
「遊びたいよ! せっかく人間の体が手に入ったっていうのに、なんで僕まで勉強しないといけないのさ!?」
「双子だからワンセットで扱われているんだろうな。まあ、嫌ならやらなくてもいいんだぞ」
だがやらざるを得ないだろうな。
「俺の隣に並び立てなきゃ、物語を楽しむことはできないだろうけどな」
「……この、悪魔!」
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