第2話 1991年 おじさんのおじさん、無くなる
【1991年】
意識がうすぼんやりと覚醒する。
天井……天井だ。なんだろう、懐かしいな。……思い出した、実家の天井だ。
「もどってきたか」
むくりと体を起こす。小さな手。小さな体。子供用のパジャマ。子供用の布団。口から出る甲高い声。
悪魔は4歳と言っていたっけ。確かにそれぐらいに見えるが……。
「今は何年何月だ?」
「1991年3月31日の日曜日」
そうするとギリギリ4歳じゃないな。まあ誤差の範囲……ん? 俺今何も言ってなかったはずだが?
「やあ」
隣を見ると、俺がいた。
「……お前、悪魔か」
「ご明察」
小さい頃の俺の顔をしたやつがニコリと笑う。いやあ、憎たらしいな。
「なんだか理不尽な感想を受けている気がするんだけど」
「なんでお前が俺になっているんだ?」
「ん? ああ、違う違う。君のそばで物語を見守るのに一番都合がいい方法を選んだんだよ。つまり、僕と君が双子として生まれることにしたのさ」
双子……なるほど。生まれる瞬間の干渉と言っていたが、受精のタイミングのことならそれも可能か。
「ところでさ」
「にじり寄るな気持ち悪い」
「えぇ……君の自己愛の低さには驚かされるよ。それはともかくとして」
お前もたいがいメンタル強いな。まあ悪魔だしそういうものか。
「早速、君の計画について聞かせてよ!」
「ん?」
「これから面白い物語を作ってくれるんだろう? それの協力をする僕には、何をするか教えてくれたっていいじゃないか」
なるほど。確かに協力は必要だし、目的は明かしておいた方がお互いのためか。
「わかった、いいだろう。だが他の人間には絶対に言うなよ」
「もちろんさ」
「では目的だが」
俺はニマニマしている悪魔に告げる。
「目指すは──アイドルだ」
「ふふ、やっぱりね。そうだと思ったよ」
「なんだ、気づいていたのか。なら話は早い」
余計な説明をする手間が省けるしな。
「それじゃあ早速行動するぞ。世界初のバーチャルYouTuberを目指して!」
「うん」
悪魔は頷いて──
「……うん? うん? なんて?」
首をひねった。
「アイドルじゃないの?」
「アイドルだが?」
「うん。君が死ぬ間際に観覧していたのもアイドルだよね」
「そうだぞ」
「ああいうアイドルを目指すんじゃないの?」
「そうだぞ?」
「え?」
「いや、俺が見ていたのはバーチャルYouTuberのライブだっただろうが?」
雷雲の近づく会場。サイリウムを持ち声援を上げる観客。そのステージに立っていたのは実在する人間ではない。
3Dモデルの体を持ち、人の魂を宿したアイドル──バーチャルYouTuber、略してVtuberだ。
「待って待って。検索する」
悪魔はそう言うと腕を組んで目をつぶる。
「……うん。うん。あー……なるほどね? あれって人間じゃなかったんだ」
「まあ技術レベルもあがったし、CGだと言われなければ気づかないような自然さを売りにしたVtuberだったからな。なんといっても顔がいい。衣装もな、これまでの活動履歴を振り返るとエモみが増すというよさでとてもよいんだ。ほんとマジでエモいんだよ、よくあそこから立ち直ってくれて野外のフェスに招待されるまでになってくれてそれでも努力を忘れないでだから俺あの子すきで推し」
「ごめん、語彙力を取り戻してくれる?」
おっと。
「バーチャル……Vtuberね。世界初のVtuberを目指す、と?」
「そうだ。……正直、Vtuber界に与える影響は蝶の羽ばたき以上になるだろう。俺の推しはこの世界では出現しないかもしれない……」
やばい泣きそう。落ち着け落ち着け。子供の体って御しがたいな。
「それでも俺は──新しいVtuberの世界が見たいんだ。もっとたくさんの、星のきらめきのようなVtuberたちを」
「ううん。それがどうして君が世界初のVtuberを目指す理由に?」
「……元の世界では、Vtuberの世界には閉塞が訪れていた」
理由はいろいろある。荒波にもまれながらも発展を続けていったVtuber業界。しかし『魂』を無視した企業の炎上、ファン同士の争いによる断絶、分断……そしてそれ以上のある破滅的な事件が起きた後は、完全に終わったコンテンツになってしまった。俺みたいなVのオタクはほんのわずかに残ったVtuberにしがみつくようにして生きていた……。かつて何万何千人といた綺羅星は消え、暗い空の中で目を凝らすように。
「新しいVtuberを見るには、流れを変えるしかない。それも根本から。正直つらい。めちゃくちゃつらい」
本当につらい。あのVtuberも、このVtuberも、この世界では二度と見ることができないのだ。
たとえその先に破滅が待っているとしても、もう一度その輝きを追体験したっていいじゃないか。またコラボ配信でファンの交流をしよう。遊園地や動物園に出向いてARで写真を撮ろう。ライブで推しの色のサイリウムを振ろう。VRで、リアルで、輝きを追い続けようじゃないか。そう思う。思うが──
「だが……新しい、今までに見たことのないVtuberのために」
俺はこぶしを握って宣言する。
「Vtuberの親分に、俺はなる!」
ドン!
……いかん、まだこのマンガ始まってないな。
「そう……Vtuber。まあ、アイドル、だよね? えっと……親分になるってことは、前の世界にいた『キズナアイ』っていう子より先にデビューするということかい?」
「は? 何言ってんだニワカが」
「えぇ」
「世界初のVtuberと言ったら、『Ami Yamato』ちゃんだろうが!」
「え……えぇ? 待って検索するから」
悪魔はまた腕組みをして目をつぶる。何のどこを検索してるんだか。
「……この子は……ビデオブロガーと名乗ってるらしいけど?」
「架空の人物がYouTuberやってたら、Vtuberと名乗ってなくてもそれがVtuberだ。確かに厳密には違うが……一点の曇りもなくVtuberの元祖、親分を名乗るためには、Ami Yamatoちゃんよりも先にデビューしなきゃならん」
「ああ、そう……」
「そしてそのために必要な道筋は見えているし、道具も揃っている」
願いの使い道はすべてはそのためだ。
「プログラミング技術。Vtuberをやるにはなにより技術が必要だ。それもAmi Yamato以前ともなれば手さぐりに近い。動画制作環境から自分で用意する必要がある」
「えっと、確かに才能は与えたけど、革新的な技術が生み出せるほどの才能かと言われるとね?」
「なにも全部一人でやろうとは考えていない」
記憶と考えが確かなら、あの時点で技術的に問題ないはずだ。
「そして芸術のスキル。理想のVtuberの親分たる器を作る、デザイン、モデリング技術。そしてVtuberと言えば歌と踊りなどの芸能スキルだ。動画のネタ的にも欠かせない」
「世界は取れない程度の技術だよ?」
「それでいいと言っているだろう」
特化するよりはネタを広げる方が大事だからな。
「そして最後に……Vtuberには謎が必要だ」
「謎」
「中の人は誰なのか? 魂とは? ああ、気になるだろう。人間として当然だ。だが──謎というヴェールを剥がされたとき、Vtuberは輝きを失う」
炎上、引退、過去のあら捜し。何もかもが不毛だ。
「だからこそ、謎を謎のままに活動をするために必要な最後のピースこそが」
俺は胸に手を当てて宣言する。
「完璧な女声だ」
「へ、へえ」
「待てなんだ今の間は」
「いや、気にしないで続けて! なんで女声が必要なの!? 僕すごく知りたいな!」
ふむ。まあいいか。
「やはりVtuberの親分といえば女性であってほしい。だから俺は──バ美肉する」
「ば?」
「バーチャル美少女受肉の略だ。俺はネットの海でバーチャル美少女を演じる。完璧な女声でな」
誰もが疑いを持たないほどの完璧な女声。誰もが正体は女性だろうと思うはずだ。
「Vtuberも活動の場を広げれば、他人との交渉事が増えるだろう。しかし、それを他人に任せては謎のヴェールが剥がされかねない。だから、俺がやる。俺がリアルの交渉の場に出よう。本来の性別の男として」
親分のマネージャーです、とでも名乗ればいい。そうすれば俺はもう、バーチャル美少女とは結び付けられない。最強のカモフラージュの完成だ。
「見せてやろう、悪魔よ。俺が最初にして完全に謎に包まれたバーチャルYouTuberとして、Vtuber界を率い、盛り上げるさまを、特等席でな!」
「あぁ……うん」
悪魔は──なぜか口ごもった。
「何だ、どうした?」
「いや。いやいや。予想以上だったよ。君を選んでよかった。少なくても、平凡な話にはならなさそうだ。うん、そう……予想をすごく裏切られたよ。うん……」
「……隠していることがあるなら今すぐ言え」
「うん。そうだね。信頼のために」
悪魔は頷いて……ニコリと気持ち悪く笑った。
「ごめん、アイドルがしたいんだと思ってさ。まあアイドルだったわけだけど。うん。本人がやりたいんだと思って。それで『完璧な女声』なんていう迂遠な表現をしたんだと思ってね。いやもちろん注文は完璧に応えたつもりだよ」
「……つまり?」
「すまない──
──君は今生、女の子として生まれた」
「ウソだろオイ。えっ? まさか。ヘェ! ない!? えっ? 俺のおじさんはどこに!?」
「ちなみに僕は男だよ」
「なんでだよ、悪魔のくせに!?」
「いや、僕のパーソナリティは男が近いからさ」
えぇ……えぇぇえ?
「ちなみに僕の名前が、
俺の顔をした悪魔は気持ち悪く笑う。
「君の名前は蓮向テルネ。蓮向家の長女だよ」
ちょうじょ。
「さて内緒話の時間もおしまいだ。両親が待っているよ」
悪魔は俺の手を引いて部屋の入り口に向かう。
「感動の再会といこうじゃないか」
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