第6話 1997年 おじさんと男の娘

【1997年 ルカ・ウラジミルヴィッチ・スミルノフの記録】


「わたしが学年主任のムラマツだ。よろしく」


 皺と染みだらけの肌に、総白髪。定年間近の年老いた男性教諭に挨拶され、ルカは口元を引き締めて小さく頷いた。


「日本語の日常会話のリスニングは問題ないと聞いているが、わたしの話は理解できるかね?」


 ルカは再び頷く……今度は自信少なげに。


 日本語の訓練に問題はなかった。話す方にも自信があった。しかし、あえて日本語のスキルが低いと誤解させるような態度を取る。


 ――その方が油断を誘えるからだ。


「そうか。うむ……君のご両親も大変だろうが……学校では心安らかに過ごしてもらいたいと思っているよ」


 ルカは再び頷く。不況のあおりで祖国で居場所を失い、日本に亡命してきた……というカバーストーリーに沿った、不幸な子どもを演じる。


 そう、カバーストーリーだ。日本の拠点に住む男女はルカの両親ではないし、亡命してきた元貴族でも何でもない。


 日本に住み着いて内部から工作を行う諜報員。それがルカとその部隊の正体だ。


 狂信的な愛国主義者の祖父に率いられた、祖国からも非合法な反政府組織と指定されている工作部隊。それは孫であるルカにさえ過酷な訓練を施し、敵地へ送り込む。


「これからの学校生活に不安はあるかね?」

「ない」


 ルカは厳しい訓練で身につけた演技力で、微笑んでみせた。誰もが安心するような健気な笑顔だ。


「ふむ……そうだね。やはり祖国から離れた土地で不安になる気持ちは察するよ」

「………」


 ルカは笑顔を引っ込めた。なぜ勘違いされたのか考え、この教師の老眼を疑った。己の表情筋がびくともしていない、という事実にはまったく思い至らない。何故なら祖父にはこの笑顔がとても好評だったので。


「そこでだ。君が学校生活をつつがなく過ごせるよう、同級生をひとり紹介しようと思う。君とは別のクラスだが、優秀な生徒でね。君の力になってくれるだろう」


 ルカは事前に記憶していた学年の名簿を脳裏に浮かべる。部隊の工作員が入手した成績表と照らし合わせれば、数名の候補が浮かび上がってきた。さらに家族構成や家柄を考慮すれば予想は一人に絞られる。薬品メーカーの一人息子で――


「……ああ、ちょうど来たね。入ってきなさい、ハスムカイさん」

「失礼します」


 ――予想は外れ、ルカはわずかに動揺した。


 職員室に入ってきたのは、一人ではなく二人だった。男女の双子。ハスムカイ……確か一般庶民の出で、成績も並。部隊の調査でも特に警戒する必要のない、無害な人間と評価されている。


 それが、なぜ?


「ハスムカイさん。こちらは今日からこの学校に通うルカさんだ。ロシアから日本に来たばかりでね。君に面倒を見てほしいんだ」

「……なんで私なんですか」


 少女は不機嫌そうに顔をしかめて言う。教師を前に物怖じしない性格らしい。


「君ほどに大人びている小学生をわたしは知らないよ。それに」


 老教師はいたずらめいた笑みを浮かべる。


「ハスムカイさんの秘密を守っているんだ。少しぐらいお願いを聞いてくれてもいいだろう?」

「……っ、ジジィ……」


 少女は小さく悪態をつき、それから諦めたようにため息を吐く。


「わかりました。次の授業まで時間もないことだし、さっそく教室まで案内します」

「うむ、頼むよ」

「こっちだよ、ついておいで」


 双子の男の方が言い、くるりと背を向ける。ルカは、警戒しながら二人の後をついていった。


 職員質近くの静かな廊下を、階段に向かって歩く。その間ルカは先ほどの会話の意味を考えていた。


 どうやら少女はあの老教師に弱みを握られているらしい。おそらく大きな秘密なのだろう。不正か背信か……あるいはジャパニーズ・マフィアと繋がっている可能性もあるかもしれない。部隊と連絡を取って改めて調査させなければ。


「ああ、そうだ。忘れてた」


 くるり、と。


 階段の前に来て、少女が振り返る――そして。


Здравствуйтеズドラーストビィチェ(こんにちは)」


 流暢なロシア語で、言う。


「私の名前はハスムカイテルネ。こっちのは弟のナルト。ようこそ日本へ、ルーニャ」


 ルカはその瞬間、理解した。


 ハスムカイテルネは、祖国が差し向けた工作員だ、と。


 ネイティブな発音のロシア語。ルーニャというあだ名。そして教師から脅迫されるほどの秘密……すべてハスムカイテルネが工作員であると考えれば説明がつく。そしてルカの知る符号を使わない工作員は、すべて敵だ。


 始末しなければいけない。早急に。すでに敵にイニシアチブを握られている。


 ルカはプランを検討する。ルカが最も得意とし、成功率も高いのは狙撃だった。しかしさすがにこの学校もセキュリティが高く、銃は持ち込めていない。それに時間がかかりすぎる。


 今、ここで。敵が油断しているうちにやらなければいけない。


 ――思考は一秒にも満たなかった。ルカはまず双子の姉を階段から突き落とすことにする。それから弟を処理し、それぞれとどめをさせばいい。


 格闘には自信があった。部隊内の訓練でも同年代に負けたことはないし、不意打ちすれば大人さえ制圧できる。だから、双子の姉が伸ばしてきた手を狙って、訓練どおりに動き出し――


「何すんだよ!?」

「っ!?」


 視界が二転三転して、ルカは廊下に組み伏せられた。理解が追いつかず、思わず硬直してしまう。


 床から見上げた少女の顔は、鋭く、眩しい。


「おやおや、転校生にいきなり暴力を振るうなんて野蛮だね」

「うっさい。お前も分かっただろ。こいつ、私を殺す気で来てたぞ」

「まあ……ぼんやりとは」


 双子の弟――ナルトが肩をすくめる。


「いやいや、分かりやすかっただろうが」

「君ほど真面目に道場に通ってないんでね」

「真面目にやれよ。お前が手を抜くからその分、師匠が私に構って来るんだろうが。……っと、ともかく」


 双子の姉、テルネはルカの拘束を少し緩めると、ロシア語で話し始めた。


「おい、お前。なんだって急に殺意を向けてきたんだ。私が変な道場に通ってなかったら前科持ちになるところだったぞ」

「……ロシア語」


 尋問に口を割る気はなかったが、完膚なきまでに負けたショックで、ルカはつい言葉が漏れてしまう。


「ロシア語、話す……お前たち、ロシアのスパイ」

「……は?」

「亡命した……ぼくを殺す」


 ルカは死を覚悟していた。失敗は死だと部隊でも何度も身をもって教え込まれた。そして明らかに自分よりも強い敵、2対1の状況。もはや後はいかに部隊の秘密を守り通して死ぬか――


「バカバカしい」

「!?」


 次の瞬間、ルカには理解できないことが起きた。テルネが拘束を解いたのだ。ついさっき命を狙った相手をあっさりと。だから――


「って危ないな!?」

「ッ……」


 隙をついて急所を攻撃しようとして、再び取り押さえられる。


「2度も殺しにかかってくるやつがあるかよ。ああびっくりした」

「………」

「いいか、ルーニャちゃん。私はロシアのスパイなんかじゃない。ただのロシア語を勉強しているだけの一般人だ。そっちの事情は知らないし興味もない。それより問題を起こしたくないんだよ……だから、襲いかかってきたことは不問にしてやる」


 嘘だ、とルカは思った。部隊で訓練を受けた自分の不意打ちを2度も防ぐ一般人がいるわけがない。


「お前を解放するのは……お前が弱くて、お前なんかに私は殺せないと分かっているからだ」

「………」

「よし、分かったらゆっくり立ち上がれ」


 拘束を解かれたルカは……言われた通りゆっくりと立ち上がった。今、この場でハスムカイテルネには何をしても勝てそうになかった。


「……信用、できない」

「そう言われてもな。ま、別に好きにしろよ」


 そうしよう、とルカは考えた。この失態を部隊に知られるわけにはいかない。これは自分一人で解決しなければならない問題だ。誰の手も借りずテルネを始末しなければ。


「あーあー、授業が始まっちまう……急ぐぞ、ルーニャちゃん」

「分かった」


 背を向けるテルネの後を追う。無防備に見えるが、この背中に手を出せば無事では済まないだろうとルカは思う。いや、しかし、3度目なら――


「ああ、そうだ」


 くるりとテルネが振り返り……ルカは動かしかけた手を引っ込めた。


「自己紹介の途中だったな。私たちは名乗ったんだから、そっちも名乗れよ」


 確かにそうだった、とルカは気づく。相手にだけ名乗らせておいて自分は名乗らない……なんて情けない。そんな小さな所でさえ、この少女に負けるわけにはいかない。


「ルカ……ルカ・ウラジミルヴィッチ・スミルノフ」

「そうか、ま、これからよろしくな。ロシア語を実践する相手も欲しかったところだし……ん? ルカ?」


 ルカの名を聞いたテルネは少し考え込み……ジロジロとルカの全身を見る。


「……ほにゃららヴィッチ、って、ほにゃららの息子って意味だよな……え……お前……男……?」

「何を今更。ルカって男性名だし、そもそも彼は男子の制服を着てるじゃないか」

「え、いやでも、ええ」


 ナルトに指摘され、テルネは挙動不審になる。ルカは、空き教室の窓ガラスに映る自分の姿を見た。


 薄い金色の髪、青い瞳、白い肌、背が低く細い身体。部隊の誰もがこの外見でルカを侮り、そして思い知らされてきた。


「こんなの……男の娘じゃん……」


 ルカはそんな自分の容姿が嫌いではない。


「嘘だろ……ええ……こんなん実在するのか」

「……ふ」


 何故かショックを受けているテルネを見て、ルカは失った自信が回復していくのを感じるのだった。



 ◇ ◇ ◇



【1997年】


 テルネとして迎えた2回目の小学四年生。


 これぐらいの年になるとだいぶ周囲の女子も女子女子してくる。化粧の話をするだけでなく、実際にしてくるやつとか……俺は中身がおじさんなのでまったくついていけないのだが。


 だが、今日の様子を外から見ると、俺も色気づいてきた女子に見えるのかもしれない。


 俺はこの放課後、大きな鏡のある特別教室で、ヴァレリーをその前に座らせてその髪をいじっていた。


「うーん、ボリュームのある髪は難しいか……?」

「……何をしてるんだい?」


 俺がああでもないこうでもないとやっていると、悪魔は不審人物を見る目をする。


「見てわからないか?」

「ヴァレリーの髪型をいじっているのは分かるけど……何? ついに君もファッションに目覚めたのかい?」

「そんなわけあるか」


 繰り返して言うが、俺の中身はおっさんだ。髪型だって常に男子レベルのショートカットだ。……おかげさまで悪魔とお揃いになっているが……まあ双子だし、気にしなくていいだろう。


「ならなんで急に髪なんかいじってるのさ?」

「いや、どういう髪型がいいか考えていてな。実際に手元で作ったほうがイメージが湧くかと思って」

「それであたしがテルネに協力してあげてるのよ!」


 俺に頭をこねくり回されているヴァレリーが得意げに言う。


「ナルトももう少し、女の子の気持ちを理解するべきね!」

「ああ……うん……」


 ヴァレリーはどうも俺が俺自身の髪型を模索していて、それを恥ずかしがっているのだと考えているらしい。


 惜しいな。俺の髪型じゃないんだ。バーチャルな俺の体の方なんだな。まあヴァレリーには計画を教えていないし、勘違いしてるなら別にそれでいいが。


 時は1997年。


 そろそろネット上での活動をしていく必要がある。2011年を予定しているバーチャルYouTuberデビューを前に、まずはバーチャルネットアイドルとして存在する必要があり、そのためにはキャラクター……後の俺のアバターのイラストが必要だ。


 そのためキャラクターデザインを早急に固めないといけないわけで、こうしてヴァレリーの髪をトルネードして思案している。


「で、髪型の何を悩んでいるのさ?」

「大事なのはシルエットだ。個性的なキャラクターというのは、シルエットだけでそれだと分かる必要がある。まあ、安易にトゲを生やしたりすればすぐ見分けはつくが……やはり『最初』は普通の女の子であるべきだ」


 バーチャルYouTuberの親分、始祖の存在を目指すのであれば、奇抜な格好は好ましくない。そういうのは後続の役目だ。むしろ目指すところは普通の女の子。どんなメディアでも取り上げられやすい姿形。


「そしてシルエットのなかでも、バストアップが特に重要になる。人物を紹介するのに、わざわざ紙面を割いて全身を載せてくれるメディアは少ない。ワイプ表示が主流になる今後の動画環境ではバストアップのシルエットにこそ力を注ぐべきだ」

「なるほどね。それで髪型?」

「そうだ。ついでに言うと、髪型が特徴的だとデフォルメされるときも有利だろうな。目や鼻、顔がまともに描けない絵心の人間でも、髪型の輪郭は描くことができる。髪型さえなんとか描ければキャラクターとして認識できる……というのは、絵が下手な人間にとってとてもありがたい」


 今は悪魔からもらった才能と、教室に通った経験があるから顔もしっかり描けるが、前世では目鼻口は全部「・」でしか表現できなかった。そのレベルの絵心でもキャラクターが認識できれば、ファンアートを描くモチベーションにもなるだろう。


「それで特徴的な髪型を作ろうとしているわけだね」

「ああ。髪が長ければバリエーションは増える。めちゃくちゃに長いツインテールとかな。ただ……長いのはやはり難しいか」

「なんでさ? 長いだけだろ?」

「バストアップに収まらない場合、それ以降の部分は簡単な想像で補えるようにしないといけない。クソ長ツインテの先っぽにオーブをつける、とかしてもバストアップからは見えないだろう? 人間の記憶は曖昧だから、一度全体を見たことがある人でさえ、オーブの数やら色やらを間違えてもおかしくない。ましてや初見では装飾の有無など」


 描き分けしやすくはあるんだがな。


「うーむ。やはり長い髪は難しいな。……ところでヴァレリーは髪をいつまで伸ばすつもりなんだ? 手入れが大変だろ」

「えっ。き、切ったほうがいい?」

「いや? 好きにしたらいい。聞いてみただけだ」

「そ、そう。ならこのままにするわ。だって、綺麗な髪でしょ?」


 自分で言うかこいつ。確かに日本人離れしたブルネットは美しいし、小さい頃にそれを褒めたことも一度ぐらいあったのは認めるが、ずいぶんナルシストに育ったものだな。


「しかし、ショートヘアを研究することはできないな。やはり別のモデルを使うしかないか」

「別って誰だい? 僕はお断りだよ?」

「誰がお前に頼むか気持ち悪い。そんなことより適任がいるだろ」


 俺は教室の入り口の方を向く。開きっぱなしの扉……一見誰もいないように見えるが。


「おい、いるのは分かってるんだぞ」


 気配がする。


「出てこいよ、ルーニャ」


 しばらくして――姿を現したのは、妖精のような子どもだった。はらはらと揺れる金の髪の間で、青い目が悔しそうに歪む。


「うわ、びっくりした。いたのかい、ルーニャ」

「……危険人物、監視してる」


 ルーニャは細い身体を半分以上扉に隠しながら鈴の音のような声で言った。……まだ俺は危険人物扱いらしい。


 そりゃあさ、祖国から亡命してきて転校初日、ピリピリしてるとこにロシア語で挨拶……は警戒されても仕方ないかもしれない。そう思って攻撃してきたことは不問にしたよ。


 でもルーニャの方はより警戒心を強めて……あれからずっと監視される日々だ。


「立場がいつの間にか逆だよね」

「こっちが見守る側のはずだったよな」


 ルーニャの面倒を見てやれ、と依頼されたはずが、こうなるとはなあ。まあ常に近くにいるから、面倒を見る、という目的は結果的に達成できているし、手間がはぶけたんだと思うようにしているが。


「監視はバレバレだぞルーニャ。おとなしくヴァレリーと交代して私の前に座れ」

「捕虜交換……仕方なし」


 ルーニャを椅子に座らせると、ヴァレリーから借りた道具箱に手を突っ込む。


「暗殺道具」

「違う。短めの髪型でシルエットを出すなら装飾が必要だから、それを試すんだ」

「なるほどね。単純な形ならイラストにもしやすい?」

「ああ。ぴょこぴょこやアホ毛は偉大だ。シルエットとして完璧だからな。髪以外の装飾を使えば簡単に特徴を出すことができる……が、ひとつだけ気をつけないといけないことがある」

「何をさ?」

「左右対称であることだ」


 それは親分的な存在を目指すなら必須の条件。


「左右非対称だと、どうしても『集合時』に真ん中に配置しづらい。真ん中、センターを目指すなら、左右対称であるべきなんだ」

「ええ……考えすぎじゃない……?」

「ただシルエットでは左右対称でも、その内側では左右の区別がつくのが好ましい。そうなると……ふむ」


 ルーニャの髪の片側を一部だけ編んでみる。耳の前に三つ編みが揺れた。うん、いい感じだな。


「装飾はやはりリボンか? 金髪にデカイ赤リボンは正義だが……」

「セーラーヴィーナスの話!?」

「特定のキャラの話じゃあない」


 ヴァレリーが食いついてくる。


「というかセーラームーンは冬に放送終わったんじゃなかったか?」

「ヴィーナスはかわいいのよ! ヴィーナスについて話しましょ!」


 この学校、イイトコのお子様が通うだけあってアニメを見てるって公言するやつが少ないんだよな。そのせいですっかりアニメオタクになってしまったヴァレリーは話相手に飢えていて……で、俺にかまってくる。


「アニメの話なら、前にGHOST IN THE SHELLを見ろって言ったのはどうなったんだ? もうレンタル開始してるぞ」

「ホラーは嫌よ」

「幽霊って意味じゃないんだ」


 VRの歴史を考えるに、攻殻機動隊は重要なアニメだ。エヴァもいいけど、VR的にはまずこっちを見ろだ。


「とにかくリボンを試そう。……ってこのリボン、デカイな」

「ヴィーナス!」

「分かった分かった。……ふむ、直立しないな」


 当たり前だが、現実で頭の上に立つリボンを再現するには針金が必要そうだな。これじゃどちらかというとタレ耳のウサギだ。いや待てよ……。


「あまり頭の上のスペースを使うのもなんだしな。むしろ下ろして……いやむしろめり込んでも……ふむ」


 リボンを垂らして、髪をその後ろに持ってきてみる。


「いいな。髪の量が少ないから、前から見るとインナーカラーって感じだ」

「いい?」

「ああ、かわいくできた」


 ルーニャに答えると黙られた。まあ、髪をいじられて気分がいいわけもないか。こんなに良く似合ってるが男だし、かわいいなんて言われて喜ぶわけもない。


「ホントだ! ルーニャ、かわいい!」

「ヴァレリー粛清する」

「なんでぇ!?」


 ほら。男にかわいいなんて言ったらそりゃそうなるよ。


「なるほど。つまりテルネはこういう髪型の子が好みなんだ?」

「違うが?」

「ええ……?」


 この悪魔はまったくもって分かっていない。


 Vtuberの器は魂の性癖の発露だ。モデラーは誰しもこだわりの部位に力をかける。その性癖がニッチであればあるほど、深く刺さる人がいるというものだ。


 だが、最初のVtuberが俺の性癖全開というわけにはいかない。


 目指すところはあくまでも親分なのだ。万人受けが必要なのだ。でなきゃ髪型の模索などしない。


「ふう……」


 小さなため息。


「なんだ? ……やっぱり嫌だったか、ルーニャ?」


 聞き逃さなかった俺は、恐る恐る尋ねた。無表情で分かりにくいし、あまり意見を言わないルーニャだから気にせず便利に扱ってしまったが……こいつ、男の娘たけど男だもんな。髪なんていじられて本気で嫌だったのかもしれん。


「……そうじゃない」

「いいんだぞ、気を使わなくて」

「……これは、楽しい。でも」


 ルーニャはぽつりぽつりと言う。


「こんなことしていて良いのかと、思って。ぼくには……やらないといけないことが」

「子供にやらなきゃいけないことも何もないだろ」


 重大な使命を抱えた子供なんて、フィクションでもあるまいし。


「楽しいなら素直に喜んでおけよ」

「……でも、認められない……」

「認めさせりゃいいんだよ。お前には素質があるぞ、うん」


 男の娘の才能が。髪をいじられて楽しいなら、そりゃもう。


「やりたいことをして認めてもらうのが一番だし、そうなるように努力した方がいい」


 先人も言っているからな。『好きなことで生きていく』……と。そう、あの綺羅星のようなVtuberたちだって。


「よし。何はともあれ、髪型の方向性は見えてきたな。ヴァレリー、ルーニャ、協力してくれてありがとう」

「いいのよ、親友でしょ!」

「監視の一環」


 ヴァレリーには、いつの間にか親友にされていた。……まあ、自分のクラスではけっこう浮いているらしいし、友達設定ぐらいでどうこう言うのはよしてやろう。ルーニャはいい加減、スパイ疑惑を解除してくれ。


 バーチャルYouTuberの日の出は遠い。YouTubeはまだ影も形もない。しかし時間は確実に進み、その時は着実に近づいてきている。


 1997年。バーチャルネットアイドルとして、今年中には存在を主張する。まずはそこからだ。

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