第29話 彼女と彼の話-7
目を覚ますと、見覚えのあるベッドの上にいた。
あれ、いつの間にこの部屋に来たんだろう。
玄関に入ってからの記憶がぼんやりしている。
すると寝室の扉が開き、洋平がこちらを見て安堵の表情を浮かべる。
「かなちゃん、今後玄関で寝るの禁止ね。俺、心臓止まったから」
ベッドの横に腰掛け、私を抱き寄せる。
玄関で寝る?
あ、もしかして。
「もしかして私、玄関であのまま寝てたの?」
「うん。寝てたというか倒れてたというか。とにかく心臓に悪すぎて死ぬかと思ったというか多分一瞬俺死んだからもう絶対にやめてください」
私の存在を確認するかのように、いろんなところに触れる洋平。
髪の毛、頰、唇、肩、背中。そしてまた大きな身体であったかく包み込む。
そっか、私あのまま玄関で寝ちゃってたんだ。
大きな身体に手を回し、背中を撫でる。
「ごめんね。帰ってきたら緊張とけて安心したのか急に眠気が襲ってきて。でも足が動かなくてそのまま寝ちゃったみたい。びっくりさせてごめんなさい」と謝る。
「わがまま言って俺の家に帰らせてよかった」そう言って私の頭を撫でる。
「かなちゃんお腹は?適当に頼んでおいたから。風呂も沸かしてあるから入ってからでもいいよ。部屋着持ってきたから着替えたらリビングおいで。俺あっちで待ってるね」
そう言って私の部屋着を置いて部屋を出る。
変な緊張感で汗をじんわりかいていたしメイクも落としたかったのでご飯の前にお風呂に入ることにした。
お風呂から上がり、リビングへ向かう。
すると彼がご飯を温め直してくれていた。
「かなちゃんビール飲む?今日はやめとく?」
「んー。今日、洋ちゃん家泊まっていい?」
ご飯を食べたらもうそのまま眠りたかった。
それになんとなく今日は1人になりたくなかった。
「もちろん。前に来た時の着替えも洗ってあるから明日はそれ着たら?」
じゃあビールだね、と冷蔵庫から冷えたビールを取り出した。
テーブルの上にご飯を並べて乾杯する。
乾杯、という気分ではないけれど。
「文那ちゃんから急に連絡が来たってこと?優花ちゃんだっけ?その子の結婚式の時はそんなことなかったよね?」
テーブルの料理を取り分けながら話す洋平。
「そう。その時は幸せそうだったというか『いい報告ができるように頑張るね』なんて言ってたんだけど」
ビールを飲みながら取り分けてくれたご飯をつまむ。
「そうなんだ。なんでそうなっちゃったのか、かなちゃんは聞けたの?」
「うん。ざっくりだけど話してくれた。1度しか会ったことないけど、息の根を止めてやりたいって思ったのは初めて」
そんな人とわかってたら、文那がこんなに傷つく前に止められたのに。
「普段優しいかなちゃんがそこまで思うってことは相当なことがあったんだね」
ビールを飲み、頷く。
「でも文那ちゃんもかなちゃんが駆けつけてくれて少しは安心できたんじゃないかな?元気になるまでは多少時間がかかるかもしれないけど、ちょっとずつでも立ち直ってくれたらいいね」
あのメールを見た時のことを思い出すだけで、まだ背筋がゾッとする。
話しながらもあまり箸の進まない私を見て、
「無理して食べなくていいよ?あまり気分じゃないもの選んじゃったかな」
不安そうに私の顔を覗き込む。
「いや違うよ!ただあまり食欲がなくて。文那からメールもらった時本当にびっくりして。上司に適当な嘘ついて急いで家に向かったんだよね。途中何度も電話したんだけど繋がらないし、なんか最悪なことばかり頭に浮かんじゃってさ」
一緒に思い出される恐怖をビールと一緒に流し込む。
「家に着いて顔見たらもうなんか、泣きそうになっちゃって。元々色白で華奢なんだけどさらに痩せちゃったような気がして。学生時代から自分のことあまり話す子じゃなかったし、恋愛興味あります!ってタイプではなかったから浮いた話も聞いたことがなかったの。だから初めて彼を紹介された時はあまりに動揺して嫌な態度取ったりしちゃったんだけど・・」
その時の幸せそうな文那の顔を見て胸が苦しくなる。
そんな私に気づいたのか、ビールを持って私の隣に座る彼。
「でも、結果こうなっちゃった、というか。なんとか仕事は行ってるみたいだけどきっと周りにも気づかれてるんじゃないかな、プライベートで何かあったこと」
あんな文那を見たことがなかったから、どうしてあげるのが一番いいのかわからなかった。
慰めるべきなのか、そばにいてあげるべきなのか、一緒に悪口を言うべきだったのか。
今までたくさん支えてもらってたくせに肝心な時に何もしてあげられない自分に腹が立つ。
隣に座った彼が、そっと私の手を握る。
そしてソファに座るよう誘導する。
「あれ?ご飯は?」
「もうかなちゃんお腹いっぱいかなって思って。明日また食べようよ」
俺もなんだか眠いし、と言ってビール片手に私の隣に座った。
「今日はたくさんのことがあって気持ちとか頭の整理がつかないと思うけど、俺はかなちゃんが今日したことによって文那ちゃんはすごく安心したと思うよ。かなちゃんは何もしてあげられてないってよく言うけど、相手からしたらその場に一緒にいてくれただけで十分、ってこともあるんだよ。勝手に同情されてありきたりな慰めを言われるよりもね。それよりも連絡をしたらすぐに駆けつけてくれてただ側にいてくれる。こちらが話したらただそれを聞いてくれて存分に甘やかしてくれる。そういう存在の方が心に響いたりするものだと、俺は思うな」
そっと私の肩を抱き寄せ、自分の肩に私の頭を引き寄せる。
「文那ちゃんが元気になるまで、俺らが見守ってあげようよ。かなちゃんのお友達だもん、きっと乗り越えられるよ」
その間、ずっと私の手を握る。
私もこの人が私にしてくれるように、文那をそっと支えてあげよう。
本人が助けを求めるまでは、近くで見守ってあげよう。
「かなちゃんが元気ないと俺も元気なくなっちゃうから、そのためにも今日は早く寝て充電しなきゃね」
「なにそれ」
よくわからないけど、私は元気じゃないとダメらしい。
「はい、今日はもうビールはおしまい。良い子は寝る時間です」
まだ残っていたビールが没収された。
時計を見るとすでに23時を回っている。もうちょっと飲みたかったのに。
「そんな顔してる人は強制的にベッドに連れて行きます~」と言われ、その瞬間身体がふわっと宙に浮いた。
「え、ちょなに!?なにしてんの!」
急な出来事にびっくりして空中でジタバタする。
「そんなに暴れると落としちゃうから。大人しくしててください」
諦めて、腕の中で大人しくすることにした。
寝室の扉を開け、ベッドに私を優しく下ろす。
最近気づいたことだけど私はこのベッドだとすぐに寝ちゃうらしい。
前に洋ちゃんにベッドに入って本当に3秒で寝てたよ、と言われた。
普段自宅では寝つきが悪いので、同じシーツや枕にしてみたがあまり変わらなかった。
今はマットレスも同じにしようか悩んでいるところだ。
「一応、かなちゃんの携帯枕元に置いておくね。文那ちゃんからの連絡あるかもしれないし、近くにあった方が安心でしょ」
リビングに戻っていた彼が私の携帯を持って寝室に戻ってきた。
電気を消して、一緒のベッドに横になる。
「かなちゃん、あと2秒で寝ると思うから言っておくけど」
隣で彼がなんか言ってるけど、あんまりはっきり聞こえない。
瞼が重くて目を置けることさえままならない。
「かなちゃんがうちで良く寝れるのは、マットレスとかじゃなくて俺の匂いがついているからだと思うんだけど、いつになったら気づいてくれるかな〜・・・」
当然その言葉を聞くことはなく、深い深い眠りに落ちた。
翌日、いつも通りオフィスで仕事をしていると携帯が鳴った。
画面には文那からのメールを受信したことを知らせる文字が。
昨日とほぼ変わらない時間に来る連絡に少し怯えながらメールを開くと、
《昨日は来てくれてありがとう。あのあとちゃんと寝れたから安心してください。仕事にもちゃんと行ってます。昨日買って来てくれたものが消費できるか心配ですが、頑張って食べるね(笑)》という文章とともに、お昼ご飯の写真が送られて来た。
ちゃんと食べている、と信用させるためだろうか。
でもその様子に安心した。
私に心配させまいとこういう文章を書いていると思うけど、昨日とは文面から伝わってくる感情が全く違う。
洋ちゃんの言っていた通り、少しづつ乗り越えてくれたらいいな。
そう思いながら、私もいつも通り文面で返信をした。
《ご飯食べられたようでよかった。あんまり無理しないで。何かあったらすぐ連絡して》
それに対し、《ありがとう》と返信が届いたので、このやり取りを洋平にメールで報告しておいた。
それから数年。
途中プロジェクトチームが解散したり突然部署移動を命じられたりと大変なことはあったけど、なんとか乗り越えてこれた。
しかし今、業務が忙しいにも関わらずチームで欠員が出たのだ。
その人の人生だから退職を止めようとは思わないが、時期を少し考えて欲しいとは思った。
今彼女が抜けたら業務が滞ってしまうところが発生してしまうのだ。
早めに人員補充をして欲しいと上司にも掛け合っているが、なかなかうまく行かないらしい。
そして、周りにもしいい人がいたら紹介して欲しいとメンバー全員に話していた。
そんな時、珍しく愛未から連絡が入った。
「もしもし?愛未?」
「突然ごめんね!佳奈子、元気してる?」
しばらく連絡を取っていなかったので、突然の連絡に驚いた。
「うん、まあなんとか。愛未は?身体大丈夫なの?」
愛未は結婚式を挙げなかった。自分たちが目立つのは好きじゃないらしい。
そして今、愛未のお腹には新しい命がきてくれたのだ。
「お腹も結構大きくなってきて、動くのにも一苦労。でも旦那が色々やってくれるから助かってる」
「そっか、ならよかった。で、何か私に用?」
「そうそう!実はさ、文那結構前に仕事辞めてたらしいの」
「え?!」
思わず職場ということを忘れ大声を出してしまった。
「その感じだと佳奈子も知らなかったんだね。理由はわかんないんだけどさ。私の友達が平日の昼間に私服の文那を見かけたんだって。声をかけようと思ったらしいんだけど、雰囲気があまりにも暗くてかけられなかったって。そんな時間に出歩けるってことはもしかして仕事してないんじゃないかなって。ま、あくまで憶測ではあるんだけど」
確か文那の職場は土日が休みの一般的な企業だ。
たまたま何かの理由で休みだったのか、それとも本当に会社を辞めているのか。
「なんとなく心配でさ。でも私身重だから動けないし、一番文那と連絡取ってるの佳奈子かなって思って」
確かに、この様子だと文那の事情を一番知っているのは私だろう。
それに退職の原因もなんとなくわかる。
でも、また相談してもらえなかった。
側で支えるって決めていたし、何かあったら連絡してって言ったのに。
「わかった。とりあえず文那に連絡してみる。何か詳しいことわかったら連絡するよ」
そう言って電話を切った。
そうは言ってはみたものの、出てくれるだろうか。
退職の噂を愛未から聞いたとは言わない方がいい気がする。
なんとなく風の噂ということにしておくか。
その日は仕事が立て込んでいたので、家に帰ってから連絡をすることにした。
家に帰ると、先に洋平が帰っていた。
「かなちゃんおかえり!遅かったね、忙しかった?」
ご飯できてるよーと迎えてくれた。
あれから私たちは一緒の家に住むことになった。
私の仕事が急に忙しくなり、日付が変わってから帰宅するのが当たり前になっていたとき。洋平が提案してくれたのだ。
「忙しいのはいいことだけど、身体が心配。仕事をやめろとは言わないよ。かなちゃんが今の仕事が好きっていうのもわかってる。だからこれはあくまで提案なんだけど」と一緒に住むことを提案されたのだ。
正直最近の私は家に着替えに帰ってるだけだったから、その提案は魅力的だった。
部屋で着替え、リビングに行くと夕飯が用意されていた。
「洋ちゃん仕事は平気?そんなに頑張ってご飯作ってくれなくても大丈夫だよ?」
同棲したからといって、仕事が減るわけではない。
今は私の方が忙しいかもしれないけど、洋平だって会社に勤めているわけだし、当然疲れている日もあるだろう。それなのに、こうしてほぼ毎日ご飯を用意して待っててくれるのだ。
「俺はいいの。今ちょうど落ち着いてるし。それにかなちゃんには美味しいご飯をたくさん食べさせたいの!ご飯食べて、たくさん寝て。また明日から仕事を頑張って欲しいんです」
冷めちゃうから早くたべよ!と早く座るよう促される。
本人は気づいていないかもしれないが、回を重ねるごとに料理の腕が上がっている。
絶対私のより美味しい。
でもそれを言うと、「かなちゃんへの愛情がなんちゃらで~」とか言い出して面倒なので、言わないようにしている。
「そういえば、欠員補充の話はどう?俺も周りで探してはみてるけどなかなかいなくてさー」
大きい体にエプロンを着けたまま、ご飯を食べているクマさん。
「まだいないみたい。このタイミングだとイチからちゃんと教えてあげられるか微妙だからある程度の経験がある人がいいんだけど、そんなわがままももう言ってられないかもしれない」
「そうだよな~。新卒みたいな人が来ても教える時間すらまともに作ってあげられないもんね。それだと入ってきた人も可哀想だし」
「そう。だから数年でも社会人経験積んでる人の方が良くて・・・あ」
我ながらいいことを思いついてしまったかもしれない。
「どうしたー?なんかいいこと思いついたの?」
「うん!もしかしたらいいことになるかも」
今日はもう遅いので、明日連絡をしてみることにした。
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