第28話 彼女と彼の話-6
それから私たちは社会人1年目と2年目としてお互いに頑張っていた。
洋ちゃんは実家を出て会社の近くに一人暮らし。
私は実家からでも通える距離なので相変わらず実家に暮らしていた。
学生の頃からそんなに頻繁に連絡を取ったりデートをするタイプではなかったので、学生カップルにありがちな社会人になったら生活リズムのすれ違いなどで喧嘩が増えるとか、会う時間が取れなくて別れるとか、そういうあるあるは私たちには無縁だった。むしろ私が仕事に熱中しすぎて連絡を返さず、心配した彼が「生きてる?」と連絡してくるぐらいだ。でもそれで喧嘩になったり不穏な空気になることはなかった。
お互い仕事が大好きだったので、恋愛よりもまずは一人前になることを優先していた。
特に1年目の苦労を知っている彼は常に私を応援してくれた。
もちろん会えた時は存分に楽しむことにしている。
極力仕事の連絡を見ない、とか。
約束をしたわけではないけど、お互いがお互いを思って取った行動が今の関係に繋がっているんだと思う。
そのおかげなのか、大きな喧嘩などもなく気づいたら10年が経とうとしていた。
私たちが平和な分、周りではちょこちょこ事件が起こっていたりしたけれど。
社会人2年目には大学卒業とともに当時のイケメン彼と別れ、入社して早々に彼氏を社内に作り結婚すると言いだした優花。まぁ、優花の場合は4人の中で一番結婚が早いだろうと誰もが思っていたので特別驚きはしなかったが、びっくりしたのは愛未だ。愛未も年内は入籍をすると言って優花とタイミングがなんとか言って盛り上がっていた。社会人2年目でまだ24歳。
私には全然想像がつかなかった。
洋ちゃんともそんな話したことないし、もともと結婚願望がないせいもあって、わざわざ結婚する意味がわからなかった。
そして、その日みんなで行ったパスタ屋の店長と文那がいい感じになっていたこと。
これには本当にびっくりしたというか若干腹が立ったのを覚えてる。
もともとパスタが好きな文那のために口コミがいいお店をチョイスした。
だからその後1人で通ったりするのは全然理解できるしむしろ嬉しかった。
でもそこでその店の店長といい感じなって私に話があると連絡してきた時にはもうすでに付き合ってる状態だった。
器の小さい私は相談も何もなしで事後報告なのかと寂しさと苛立ちを感じてしまったのだ。
好きな人ができたら相談するねって言ってくれたのに。
学生時代に言ったこととはいえ、私はそれを勝手に約束のように捉えてしまっていたから勝手に裏切られた気持ちになっていた。
それにその店のアルバイトのイケメンまで出てきて私1人だけアウェイな感じで。
居た堪れなくなって翌朝仕事が早いと嘘をつき洋ちゃんの家にタクシーで向かった。
普段連絡をせずに家に行くことがなかったので相当驚いていたが事情を話すと中に入れてくれた。
部屋でその日あったことを話し、聞いてもらう。
文那に彼氏ができたこと。それはとても嬉しい。
だけど付き合う前に相談というか話を聞きたかった。
私も洋ちゃんとのことで色々助けてもらったからそのお返しがしたかった。
なのにもうすでに2人はイケメンのアシストで付き合ってて、完全にアウェイだった。
その場に耐えきれず明日早いと嘘をついてここに来たと。
「かなちゃんらしいね。文那ちゃんが自分から離れて行っちゃいそうで怖かったんでしょ?」
こういう時、この大きな身体に包まれながら気持ちを落ち着かせる。
仕事でミスした時も、同期と喧嘩した時も、後輩が私の悪口言っている場にたまたま居合わせてしまって地味に凹んだ時も。最近やっと少しづつだけど甘えることができるようになった。
改めて彼の存在の大きさを痛感する。
「文那ちゃんに彼氏ができたって、それはかなちゃんから離れるってことにはならないと思うよ?君は世話焼きだから文那ちゃんを心配してるのはわかる。でも彼女ももう大人。社会に出て働いている1人の女性なんだよ。それにかなちゃんの大事な大好きな友達でしょ?」
大事な友達だからこそ、大好きな友達だからこそうまく言えなかったんだ。
「かなちゃんが今すべきことは、文那ちゃんの恋を応援することだと思うな。それでもし、文那ちゃんがかなちゃんに助けを求めた時。その時は全力で助けてあげたらいいと思う。だからそれまでは、見守ってあげたらいいんじゃないかなと思うけど、かなちゃんはどう思う?」
社会人になった今でもこうやって必ず私の意見を聞いてくれる。
すぐに考えがまとまらなくても、話すまでずっと。
どれだけ時間がかかっても、ちゃんとそこで待っててくれる。
私もこういう人間になれたらもっとうまく生きられるのだろうか。
「文那が頼ってきたときは絶対助ける。それまでは静かにしてる」
そう言い終わると、
「俺もそれがいいと思うよ。かなちゃんみたいな友達を持って文那ちゃんがうらやましいよ。きっと心強いだろうね」と言われた。
「洋ちゃんの方がクマさんみたいで強そうじゃん」と言うと、
「だからクマさんじゃないの!そんなこと言う子はもうお家に帰してあげませーん」と言ってさらに強く私を抱きしめてくれた。
それからは少し落ち着いていた気がする。
優花の結婚式があったり、愛未の入籍報告があったり。
そこで文那にも会って彼と順調ということも聞いていた。
文那が幸せならそれでいい、なんかあったら相談乗るよとそれだけ伝えると
「いい報告ができるように頑張るね」と笑った。
ただ、このあとがひどかった。
人に殺意を抱いたのは人生で初めてだった。
数ヶ月が経ったある日、文那から1通のメールが届いた。
《裕太さんと別れました。応援してくれてたのにごめんね》
そのメールを読んだ瞬間電話をかけたが繋がらない。
一気に心臓が跳ねる。
絶対に、なんかある。
上司に体調が悪いと伝え、タクシーを拾い文那の家へ向かう。
移動中もずっと電話をかけ続けたが一向に繋がる気配がない。
電話が繋がる前に家に到着したのでそのまま部屋に向かった。
インターホンを押すが、反応がない。
「文那~?いる~?私、佳奈子だけど。もしいるなら開けてくれない?」
あまり威圧的にならないよう、落ち着いた声色で問いかける。
すると何かが動く音がしてガチャ、と鍵が開く。
すぐさま扉を開くと泣き疲れた顔の文那がそこに立っていた。
「佳奈子・・・ごめんね、心配させちゃって」
こんな状態になってもなお、他人のことを心配するなんて。
もっと自分のことを心配してよ。
色々言いたいことがあったが、まずは文那が生きてたのでいろいろ言うのは後にしよう。
そのまま部屋に上がり話を聞く。
聞き終わったあと、そのまま殴りこんでやろうと思ったがさすがに文那に止められた。
「そんなことする価値、あの人にはないよ」
だからここにいて、と服の裾を掴まれた。
ついこの間まで、あんなに幸せそうに笑ってたのに。
その時の顔がまさに恋する女の子の象徴のような顔だったから今でもはっきり覚えてる。
でも今は、そんな感情はまるでない。
それ以外の感情も、彼女のなかには何もなかった。
「文那、ご飯は食べた?食欲湧かないと思うけど、何か軽いものでも口にしないと」
昔から細い文那がより細くなっているような気がして心配だった。
会社からそのまま来ちゃったけど、何か買って来たらよかったかな。
「ご飯・・あんま食べる気なくて。作る気力も買いに行く気力もないの」
1人で食べるのも寂しくて、と虚ろげな目で話す。
「じゃあ今日は私と一緒に食べない?文那の食べたいものでいいよ。外行ってもいいし文那の家でもいいし。どう?少しは食べられそう?」
ベッドに座ったまま話す文那が本当に文那が消えちゃいそうで、思わず手を掴んだ。
「佳奈子が一緒なら、少しは食べれるかもしれない。外に出る元気はないから家でもいい?」
私の手をか弱い力で握り返す。
どうしよう、私が泣いてしまいそうだ。
「もちろん!じゃあ文那の部屋で食べよう。何が食べたい?私作るの苦手だから買ってくるよ!」
財布をバッグから取り出そうと立ち上がった時、文那が私の服を掴んだ。
今度はさっきよりも強い力で。
「文那、どうした?財布を出そうとしただけだよ」
子供をなだめるように、私の服を掴んだままの手を上から撫でる。
「行かないで・・欲しい」
「え?」
「帰ってこない気がして・・・だから、ここに、いてほしい」
私を掴む手が震えている。
私はそっと財布を置き文那を抱きしめた。
「大丈夫、私はずっとここにいるよ。でも私、文那にご飯は食べて欲しいんだ。というか一緒に食べたいの。でも今家には何もないでしょ?」
文那は私に抱きしめられたまま頷く。
「だから買いに行こうと思ったんだけど、今私が家から出るのは嫌なんだよね?」
先ほどと同じように頷く。
「となると、誰かにご飯を持って来てもらわないといけないんだけど、それでもいい?」
文那が頷かない。
あれ、何か嫌なのかな。すると小さい声で
「知らない人が来るのは・・いや」とつぶやいた。
元々私が受け取るつもりだったから文那は会わなくていいんだけどな。
しかし今は文那の気持ちを最優先にしないといけない。
となると宅配サービスは利用できなくなった。
私も、当然文那も家から出れない。家に食料はない。
さて、どうしたものか。
しばらく考え、ある人が頭をよぎる。
「文那、知ってる人がご飯持って来るのは大丈夫?もちろん私が見えないところで受け取るから顔を合わせることはないよ」
今思いつくのはこの方法しかなかった。
これも成功するかわからないけど。
すると文那がゆっくり頷いた。
そして、「それなら、大丈夫」と私から離れた。
「じゃあその人に電話してみるから、ちょっとここを離れてもいい?」
「うん、声が聞こえれば大丈夫」と少し笑って見せた。
そんな顔見たくてここに来たんじゃないのに。
ひとまず携帯を手に取り玄関まで離れる。
相手が洋平だとわからない方が文那もいいだろう。
仕事中だとなかなか繋がらないので、祈りながら発信ボタンを押す。
「はいはい、かなちゃんどうしたの?」
奇跡的に2コールで繋がった。
「あ、洋ちゃん?今どこ?」
「今?得意先と打ち合わせしてたから外だけど」
「外ってどこ?!」
聞くと文那の家から30分も離れていないところにいた。
「緊急のお願いなの。洋ちゃんにしか頼めなくて」
簡単に事情を説明する。
途中話し声から怒りを感じたけど今はそれをなだめている時間はない。
「だから適当に3、4日分くらいの食料を買って来て欲しいの」
「わかった。今先輩と一緒だからなんとか都合つけてそっちに向かうようにする。かなちゃんこの後も電話は出られるの?」
「うん、電話は大丈夫」
「じゃあそっち着く前にまた電話する。住所だけメールで送っておいて。適当に食料買って行くから」
そう言って電話が切れた。
仕事中なのに、本当に申し訳ない。
自分で助けると豪語しておきながら結局人の手を借りることになるなんて。
洋ちゃんから連絡が来るまで、他愛もない話をした。
彼のことに触れていいのかわからなかったから、仕事の話とか学生時代の話とか。
とにかく恋愛ネタにならないように気をつけながら雑談した。
少しずつ笑うようになった文那を見て安心していると、到着を知らせる電話がかかって来た。
最初の電話から30分ちょっとしか経っていない。本当に助かった。
「文那、ご飯が届いたから私外で受け取って来るね。文那が見えないようにドアを閉めるから私の姿が少しだけ見えなくなるけど、大丈夫?」
「うん、大丈夫。なんか色々迷惑かけちゃってごめんね」
先ほどまでしていた雑談で少し気持ちが落ち着いたのか、普段通りに近い話し方に戻っていた。
よかった。ひとまずホッとする。
玄関に向かい、ドアを開ける。
すると目の前には誰の姿もなかった。
あれ?到着したって連絡来たのに。
不思議に思い靴を履いて外に出てみる。
すると少し離れたところからこちらを見ている人影が見えた。
「洋ちゃん!」
そう声をかけるとその影はこちらに向かって歩き出した。
「びっくりしたよ、そんな離れなくてもいいのに」
気を遣って玄関から離れたところで待っていた彼の両手には1週間分くらいの食料がぶら下がっていた。
この任務は洋ちゃんが適任だったかもしれない。
「いや、俺の声とか姿とか見えない方がいいのかなって思って万が一文那ちゃんが出てきてもいいように少し離れてた」
そこまで配慮してくれるなんて、彼に頼んで正解だったな。
「重いし量あるから、文那ちゃん出てこないなら玄関前まで運ぶよ。かなちゃんは2つくらいずつ家の中に運んで」
そう言って玄関の前まで荷物を運び、私が運び切るまでその場にいてくれた。
「俺、買い過ぎちゃったかな?」今更な心配をする洋ちゃん。
「でもしばらくは外に出られなさそうだからちょうどいいくらいかもしれない。仕事中に突然ごめんね。でも本当に助かった」
ありがとう、と頭を下げる。
「お礼なんかいらないよ。かなちゃんが俺を必要としてくれたのが嬉しいんだから。もしこの後も何かできることがあったらすぐ連絡して。今日はこの後オフィスで作業するだけだから割と動けると思うし。かなちゃんは文那ちゃんのそばにいてあげて」
そう言い終わるとじゃあね、と足早に帰って行った。
私を早く文那の元に戻すためだろう。
文那もいつか洋平のような優しい人に出会えたらいいな。
そう願いながら部屋へ戻った。
ご飯を食べ終え、片付けをする。
さっきの買い物の荷物は文那が片付けてくれていた。
冷蔵や冷凍がたくさんあったそうで、入らなかったらどうしようと心配するほどの量だったらしい。
外もすっかり暗くなり、そろそろ帰ろうかと考える。
でもこの状況の文那を1人にしていいものなのか。
ご飯は美味しそうに食べていたし、量も1人前をしっかり食べられていた。
冷蔵庫にはパンパンに食料があるからしばらく外に出なくても大丈夫だろう。
そんなことを考えていたら、文那が急に立ち上がった。
そして私の手を掴み立ち上がらせる。
「え、文那、何、どうしたの?」
掴まれていた手が離され、目の前の文那が話し出す。
「今日は来てくれて本当にありがとう。仕事中だったのにも関わらず心配して飛んで来てくれたんでしょ?それに食料まであんなにたくさん。佳奈子が来てくれるまでは少し、いやだいぶ沈んでたけど、佳奈子の顔見たら少し落ち着いた。久々に一緒にご飯食べられたし、今はもう大丈夫だよ。それにあの冷蔵庫の中身を腐らせないためにも食べなきゃいけなくなったし」と笑う。
「だからもう佳奈子は家に帰ってゆっくり休んで?明日も仕事でしょ?」
私の荷物を手に取り、背中を押して玄関に向かわせる。
「で、でも、文那1人で大丈夫?」
少し表情が明るくなったとはいえ、やっぱり心配だ。
「大丈夫!もし不安になったり寂しくなったらすぐに佳奈子に電話するから」
「絶対?絶対だよ?ちょっとでも何かあったら時間気にせずすぐに私に電話ししてね?」
「佳奈子ってそんなお母さんみたいなキャラだったっけ?」と首を傾げながら笑う文那を心配しつつも、本人の言葉を信じてその日は帰ることにした。
電車で帰れる時間だが、混雑した電車に乗る体力がなかったのでタクシーを拾って帰ることにした。タクシーの車内でひとまず帰ることをメールで送るとすぐに電話がかかって来た。
「洋ちゃん、電話して大丈夫なの?」
「事務作業片付けてるだけだから大丈夫だよ。それより文那ちゃん大丈夫だった?」
「とりあえず買って来てくれたご飯は1人前ちゃんと食べてたから大丈夫だと思う。本当は泊まろうかとも思ったんだけど文那に帰れって言われちゃって」
「そっか。でもご飯食べられたなら少し安心だね。今どこ?もう仕事終わるから迎えに行くよ?」
「今タクシー乗ってるから大丈夫だよ」
「じゃあ俺の家に向かってよ。かなちゃんも大変だったから少しお疲れでしょ?文那ちゃんも心配だけど、俺はかなちゃんも心配です」
「洋ちゃんも疲れてるでしょ?私大丈夫だから」
「だめ。なら俺がかなちゃん家行くよ?」
こうやっていつも甘やかされている。
もう彼無しじゃ生きていけない身体になっていると思う。
「じゃあ、お言葉に甘えてそっち行かせてもらうね。ご飯はどうする?なんか用意しておこうか?」
「いや俺らもデリバリーかなんかで済まそうよ。かなちゃんは部屋で休んでて」
そう言って電話が切れたので、運転手さんに行き先変更をお願いした。
もらっていた合鍵で部屋に入る。
彼の匂いのする空間に入るだけで全身の力が抜けていった。
さっきまでピンと張っていた緊張の糸がプツンと音を立てて切れて、その瞬間膝から崩れ落ちた。
文那から連絡をもらってからずっと緊張していたのだろう。
仕事の時以上に頭を回転させていた気がする。
そのまましばらく立ち上がることができなかった。
そして過度な緊張状態から解放されたからか急に眠気が襲ってきた。
しかしどうにも身体を動かすことができずそのまま倒れるように眠ってしまった。
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