第18話 彼と彼の話-7
3学期が始まり、先輩は受験に集中した。
僕もそれを応援するため先輩との連絡を絶った。
先輩には言ってないけど、何度も神社にお参りした。
先輩から連絡が来たのは、しばらく経ってからだった。
その日も普通に学校生活を送り、特に大きな出来事などなく家へ帰る。
玄関の鍵を開けようとしたとき、1枚の紙がドアに挟まっていた。
何かのチラシだろうか、そう思いながら紙を開く。
【待ってる】
僕は急いで自転車に乗り、差出人が待っているであろう場所へ急いだ。
「
先輩が秘密の場所に座って僕を待っていた。
「そんなに急いで来なくても・・。途中で帰ったりしねぇよ」
冬なのに汗だくの僕を見て笑った。
「航太郎くん、今日合格発表の日でしょ・・・」
どうしよう。緊張で呼吸がなかなか整わない。
不合格だとはこれっぽっちも思ってないけどいざ聞くとなると怖くなってきた。
すると先輩はおもむろに鞄から大きめの封筒を取り出し、それを僕に差し出す。
その封筒には、【入学手続きにつきまして】と書かれていた。
入学、手続き・・・?
「航太郎くん、これって・・・」
もうすでに僕の涙腺は決壊している。
「だからなんでいつもお前が俺より先に泣くんだよ」と言いつつ、
「北高、受かったよ。お前の応援のおかげだな」
優しい手で僕の頭をぽん、と撫でてくれた。
北高、受かったんだ。
先輩の努力が実ったんだ。
どうしよう、本当に嬉しい。
僕は顔がぐしゃぐしゃのまま勢いで飛びつき、
「航太郎くん、合格おめでとう!」と伝えた。
航太郎くんはびっくりしつつもしっかりと僕を受け止め、いつも通り「ん」と頷いた。
4月。
僕は3年生になった。
誰がどの高校を受けるのか、〇〇先輩がその高校受かったらしいとか。
最初からずっとこの話題だった。
ホームルームで早速志望校のアンケートが配られた。
今はまだそんなに難しく考えなくていいから行きたいと思う学校名をいくつか書きなさい、と言われたけど。
とはいえ、どう足掻いたって行けないレベルのところを書いたら現実を見なさいと怒られるのは目に見えてる。
提出までに時間がありそうなのでゆっくり考えてみることにした。
放課後、なんとなく真っ直ぐ家に帰りたくなくて、そのまま神社へ向かった。
少しずつ暖かくなってきたからか、辺りの木々も春を帯び始めていた。
「行きたい高校かー・・・」
「お前はどこ行きたいとか考えた事ないの?」と独り言に返事が来た。
振り返るとそこには北高の制服に身を包んだ航太郎くんが立っていた。
「航太郎くん!もしかして・・それ北高の制服?」
「そう」
明るい茶色のブレザーに深い緑のチェックのズボン。
ベージュと青のストライプ柄のネクタイ。
北高の制服は可愛いと人気なのは知っていたけど、こんなに似合う人は初めて見た。
「めちゃくちゃ似合ってますね!なんかいつもよりおしゃれに見えますよ」
素直にそう伝えると照れ臭そうにどういう意味だよ、急に敬語だしと言って笑った。
「そういえばお前、今高校がどうとかって言ってなかった?」
新しい制服なのにいつものようにそのまま地面に座る。
「うん。今日学校で進路のアンケートみたいなもの配られて。まだ難しく考えなくていいから行きたいところ書けって」
配られたプリントを鞄から取り出し先輩へ渡す。
「難しく考えるなって言われてもある程度は現実的に書かないといけないだろうし、いきなり将来って言われてもなんも思いつかないし・・」
将来についてそこまで真剣に考えたことなかったから、少し焦っているのもあると思う。
すると先輩が、
「行きたいと思うきっかけはなんでもいいと思うけどな。明確な夢や目的があって進路を決めるのももちろんいいけど、そうじゃないやつも大勢いる。とりあえず高校に行ってそこから将来を考えるやつだっているし。それだって全然いいと俺は思ってる。だけど、いざ自分にやりたいことが出来たとき、それを叶えられる最低限の力が備わってるかどうかだと思う。例えば、南高のやつと北高の俺が東大を目指すとする。きっと俺は今までよりちょっと多めに勉強すれば結果は別としても可能性はあると思う。だけど、南高のやつが同じような可能性を生み出すには考えられないくらいの努力をしないと追いつけない。そもそも南高に行くくらいなんだから勉強するという習慣がない人間がほとんど。それを起きている時間は全て勉強に費やすくらいしないと無理なんだからかなり壁は高い。不可能とは言わないけど、可能性はゼロに等しいと俺は思う。だから北高に来いというつもりはないけど、まだ自分の将来が明確になっていないなら、将来の自分のためにも今頑張れることをしたほうがいい」
ま、俺はたまたまだけど。といつもの余計な一言を付け足す。
でも、先輩の言葉はスッと腑に落ちた。
南高というのは治安があまりよろしくないことで有名な高校だ。
僕も何度か町で南高の人を見かけたけど、近寄りがたい雰囲気だったのを覚えてる。
全員が全員そうとは限らないけど、高い割合を占めているのは確かだろう。
そんな南高の人と北高の人はまず土台が違う。
当然スタートラインも違うわけだから同じペースで進めても追いつくのは難しいだろう。
そう考えると将来の自分のために今できることをしておくというのは賢明な判断かもしれない。
「ま、今急いで決める必要もないんだからゆっくり考えてみたら?」
いつでも相談乗るし、と先輩は言ってくれた。
1度ゆっくり考えてみよう。
お母さんにも相談しないとだし。
「ありがとう。ちゃんと考えてみます」と伝えた。
次の日から僕は自分の進路について少しずつ考えるようになった。
進路指導室という今まで無縁だった教室にも足を運んでみた。
教室内にはいろんな学校の情報が貼られており、そこには北高の資料もあった。
偏差値や倍率、大学進学率なども書かれてあった。
その日の夕食の時さらっと母に高校のことを話すと、
「あんたが行きたいところに行きなさい。お金の心配とかはしなくていいから」と言ってくれた。
元々学費の高い私立は考えていなかったけど、その気持ちが嬉しかった。
先輩の助言もあって、夏前から先生に相談できた結果、ちゃんと考えた上で志望校を決めることができた。
努力したらここが狙える、今の学力ではここ、滑り止めとして考えるならここ。
3年生で一番先に相談しに来た生徒だったこともあり前のめりで相談に乗ってくれた。
たくさんの候補から絞り、そこを目指すことを決めた。
母に志望校を伝えると、しばらく黙り込むくらいには驚いていた。
ただ、どうしてそこを選んだのか、万が一の滑り止めの話など先生と話したことをきちんと説明すると母は安心したのか、
「あんたが自ら行動するなんて、お母さんびっくりしちゃった」と嬉しそうだった。
確かに僕が僕の人生に対して真剣に向き合ったのは生まれて初めてかもしれない。
ましてや自分の気持ちや考えていることを母に言うなんて。
成長した我が子を見て少し目が潤んでいる気もした。
もちろん、それには触れないけど。
志望校を決めてから、僕の集中力は自分でもびっくりするくらいだった。
学校で勉強、家に帰ってからも起きている時間はひたすら勉強。
たまにわからないところは先輩に教えてもらっていた。
でも志望校はなんとなく秘密にしておきたかった。
先輩もそれをわかってくれたのか聞かないでいてくれた。
夏休みに入り、部屋で勉強をする毎日。
去年は率先して手伝っていた家事も今年は受験という理由でお休みさせてもらった。
母は、夏期講習とか短期の塾とかを提案してくれたのだが、これ以上お金をかけさせるのは気が引けた。
それに僕には先輩という最強の家庭教師がついているから(僕が勝手に呼んでるだけだけど)安心して、と伝えると母はなんだが申し訳なさそうな困ったような顔を見せた。
なので僕は月に2回、チーズケーキを作ってくれとお願いした。
息子のために何かしたいという親心を無下にはしたくなかったのだ。
子供の頃から母の作るチーズケーキが大好きで、大人になったらワンホール食べるのが夢だった。
すると母はとても嬉しそうにもちろん、と笑った。
母のチーズケーキを食べながら、教科書と向き合う。
幸い勉強が嫌いなわけではなかったので成績は右肩上がりで伸びていった。
最初はあまりいい顔をしなかった先生もこの調子なら大丈夫かもしれないと応援してくれた。
その頃、先輩は近くのファミレスでアルバイトを始めた。
自転車で行ける距離なので様子を見に行きたいと言ったら、来たら一生口聞かないと小学生みたいなことを言い出したのでやめた。彼なら本当にそうしかねない。
それでも忙しい合間を縫って僕の勉強を見てくれた。
ちなみに先輩もチーズケーキが好きらしく、母のチーズケーキをとても気に入ってくれた。
母もそれが嬉しかったようで、最初はワンホールだったのに最近は2ホール、しかも1つはノーマルでもう1つは少し味の違うものを作り出した。
先輩もそれを毎回喜んで食べていた。そして余ったケーキは持ち帰る。
もはや僕の家に勉強を教えに来てるのか、チーズケーキを食べに来てるのかわからなくなっていた。
夏休みも終わり、あと数ヶ月で年が明け、年が明けたらすぐに受験。
志望校を早めに決められたおかげでしっかりと対策ができたので、あの時色々言ってくれた先輩には本当に頭が上がらない。
だから絶対、先輩にはいい報告をしたいんだ。
先輩が今日まで支えてくれたからだよって。
ありがとう、ってちゃんと言えるように。
大晦日。今年はお互いに家で過ごすことにした。
チーズケーキのこともあり母が先輩を気に入っているのでうちに招待することも考えたが、先輩のお母さんの体調を鑑みて今回は見送った。
一緒に年越しできないのは寂しいけど、母と2人、それはそれで楽しみだった。
テレビを見ながら一緒にカウントダウンをして新年の挨拶をする。
普段お酒を飲まない母だが大晦日だからと珍しく呑んでいたせいで新年早々に寝てしまった。
母を寝室まで連れて行き、テーブルの上を片付ける。
ふと、去年も同じだったと思い出し1人で笑ってしまった。
そのまま僕も自分の部屋へ向かおうと思ったのだが、電話機が目に入った。
少しだけ、声聞きたいな。
時計を見ると深夜1時を回っていた。
もう寝ているだろうか。
確か昨日までシフトをたくさん入れたと言っていた気がする。
一瞬受話器に手をかけるが、番号を押す勇気が出なかった。
いつもなら何も気にせずかけられるのに。
その瞬間、電話の液晶部分が光った。
僕はすぐに受話器を取り、「も、もしもし」と問いかけた。
「え、コール鳴る前に出たんだけど・・」
「今、僕も航太郎くんに電話しようと思って電話の前にいたから」
状況を説明する。
すると先輩はうわー、とため息をついて
「なんだよ、湊からかかってくるとかレアじゃん。待ってりゃよかったー」と電話越しで騒いでいた。
そんなにレアでもないと思うけど。
「でもなんか躊躇しちゃって。寝てるかなとか思ったら番号押せなかった」
僕の声色でいつもと違う雰囲気を感じ取ったのか、
「じゃあやっぱ、俺がかけて正解だったな」と言ってくれた。
新年の挨拶をして、お互いの近況報告をして。
しばらく話して電話を切った。
部屋に戻りカーテンを開ける。
まだ時間が早いからあのオレンジ色は見れないけど、寝る前に声が聞けてよかった。
大したことを話してないのに声が聞けただけですごく安心する。
僕はその安心感を離さないように、枕を抱きしめて眠りについた。
そしてついに。
ほぼ1年間をかけた僕の受験がやっと終わった。
試験からの帰り道、僕は解放感に浸っていた。
やれるだけのことはやった。後悔はない。
あとは結果を待つだけだ。
心地よい疲労感を感じながら母の待つ家に帰った。
それから1週間。ついに合格発表。
泣いても笑ってもこれが現実。
発表には1人で行くつもりだったが母が仕事の休みを取っていたらしく一緒に行くことになった。
学校に到着し発表を待っていると、掲示板の前がざわつき始めた。
僕は受験番号が書いてある紙を鞄から取り出し、確認する。
母はここに着いてからずっと両手を組んで祈っている。
しばらくすると、遠くからいろんな悲鳴が聞こえてきた。いよいよだ。
ここからだと番号がよく見えないので母に「確認してくるね」と声をかけその場を離れる。
1歩1歩、掲示板に近づく。
番号があった人の歓声、なかった人の叫び泣き。
母の前では落ち着いた素振りを見せていたけど、受験番号の紙は手汗でぐちゃぐちゃになっている。
深い深呼吸を1回して番号が見えるとこまで進む。
そして、もう一度深呼吸をして番号を確認した。
来た道を戻ると、そこには母と先輩の姿があった。
急いで駆け寄り声を掛ける。
「おはよう!在校生は今日普通に授業あるんだ」
僕があまりにも普通に話すので、「そんな事よりお前!」と報告を急かされた。
そんな2人に正面から向き合い、
「僕、4月からこの北高に通えることになりました。航太郎くんの後輩になります」と報告をした。
同じ制服を着て、同じ電車に乗り、同じ通学路を歩く。
こんな夢みたいなことがあるんだと、毎日感動していた。
中学と違い、校内ではあまり会えなくなったけど携帯電話を手に入れた僕は、先輩と好きな時に連絡が取れるようになっていた。友人にも恵まれ、家の近くでアルバイトも始めて。
今までとは180度世界が変わった。毎日がとても充実していた。
でもそれは僕だけではなかった。世界が変わったのは先輩も一緒だった。
僕が3年生に上がる前、卒業を目前に先輩は高校を辞めた。
僕に何も言わず、突然姿を消した。
決まっていた東京の大学にも、彼の姿はなかった。
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