第16話 彼と彼の話-5



そして大晦日。



「じゃあ行って来るね」と母に声をかける。

「行ってらっしゃい、気をつけるのよ」と見送ってくれた。


待ち合わせは学校。

神社でもよかったのだが、人が多いし家を出たら僕は連絡が取れなくなるので合流が難しい。




いつも通り自転車で学校へ向かった。

今日は雪も降らず、すっきりとした冬晴れだった。

母と午前中から洗濯をしたり普段できない所の掃除などができたのでいい年を迎えられそうだ。




そんなことを考えていたら先輩がやって来た。

今日はいつにも増して防寒対策バッチリだな。




「防寒対策すごいっすね。受験生だから?」


「母親がこれ着ろってうるさくて。体調崩すのも嫌だけど厚着するのも嫌」




体調を崩さないためには多少の厚着は仕方ないのでは・・・。


僕はずっとこの町で育っているから寒さに強いけど、先輩は見るからに弱そうだからお母さんが心配するのは当然だ。



「でも寒いよりいいよ。初詣は基本的にずっと外だし。モコモコであったかそう」



先輩の顔周りにあるふわふわしているものを触る。

すると触んな、と睨まれた。

でも言われただけで離れたり手を払われることはなかった。






神社へ向かうとすでに参道には人の列。

本殿まで1時間くらいかかりそうだった。

でも今日はその方がありがたい。


時間がかかればかかるだけ先輩と一緒に居れるのだから。

寒さなんて全く気にならなかった。


「毎年ここに初詣来てんの?」


先輩がポケットからカイロを取り出した。

そんな厚着してるのにカイロまで準備してたんだ。



「はい。僕は生まれも育ちもずっとこの町なんです。僕の名前の湊も“みなとまち”で生まれたからって聞きました。でもそのまま“みなと”って読ませたくなくて“そう”にしたって」




息を吐くたびに白くなる。

1年の中で冬が一番好きだ。


「確かにお前の名前普通だったら“みなと”って読むことが多いよな」


「はい。正直どっちでもいいんですけどね」


”みなと”も”そう”もどっちの響きも好きだから。

僕を呼んでくれるなら、悪い気はしない。



「じゃあ俺が“みなと”って呼んでも?」先輩がいたずらに言う。


「先輩が僕を“みなと”って呼ぶなら僕は先輩を“こうたろう”じゃなくて“たろう”って呼びます」


たまには言い返そうとしたがうまく言い返せなくて、「それなんか違くない?」と笑われてしまった。


「でも僕はこの街の空気とか景色は好きなので、それを感じられるこの名前でよかったなって思ってます」




それに先輩がたまに呼んでくれるから。

でもこれは言わないでおく。



「こうたろうの由来は?お父さんも太郎がつくとか?」


「いや、父親はつかない。でも兄に太郎がつく。“柊太郎”《しゅうたろう》」


「先輩兄弟居たんですね。お兄さんは何歳?高校生?」


家族について今まで聞いたことなかったから新鮮だった。


「俺の4つ上」


先輩の4つ上ということは大学生?それとももう社会人として働いてるのかな。


「お兄さんは大学生?東京とかにいるんですか?」


先輩のお兄さんってどんな人なんだろう。

かっこいいのはまず間違い無いだろうな。











「もういない」













先輩は白い息とともにボソッと呟く。












「もうこの世にいない。俺が生まれる前に死んだらしい」


だから会ったことない。と続けた。




「そ・・うなんだ」




そんなこととは思わず、ズケズケといろんなことを聞いてしまった。

気まずそうな僕を無視して先輩は話を続ける。



「俺が生まれる前に事故で死んだらしい。んですげーショック受けてる時に俺の妊娠がわかったらしくて。精神的に参ってた母親は兄の魂が戻って来たんだって喜んだんだって。だから兄のことをいつでも思い出せるよう俺の名前にも“たろう”をつけた。当然周りは母親の異常には気づいてたけど、何も言えなかったんだって。おもちゃも洋服も靴も何もかも全部兄ちゃんのやつ。といっても4歳までのだけど。でも名前書いてるやつもそのまま着させられた。保育園とか持ち物に全部名前書くだろ?あれ、俺は全部柊太郎の名前が書かれたやつだった。さすがに先生たちは俺のことを航太郎くんって呼んでくれたけど、母親の前では柊太郎って呼んでた。俺もそれが当たり前だったから何も思わなかったし、柊太郎って聞くと母親は機嫌が良くなったから俺も大人に合わせてた」






言葉にならなかった。


そんなに小さい時からこんなに大きな心の傷を負ってたなんて。


僕は、真っ直ぐだけど軽口を叩く、でもとても頭が良くて優しい先輩しか知らなかった。


でも先輩は自分の人生を生きながらもお兄さんの役割も果たさなければいけなかった。


しかもそれはお母さんのために。


先輩の気持ちを考えただけで心が張り裂けそうだ。




「でも問題はこっから。精神がおかしくなった母親を父親は受け入れられなかった。ちなみに俺のことを航太郎と呼んでくれるのは親族の中で父親だけ。もちろん俺と父親の2人きりの時だけだけど。だけど1回、母親の前で俺を航太郎って呼んだ時があった。あれがわざとかどうかは今になってもわからないけど」




さっき出店で買った甘酒を冷ましながら話す。




「そん時の母親の錯乱状態は今でも忘れない。ほんと強烈だった。俺も父親も何もできなかった。一通り暴れて落ち着いたと思ったら俺を抱きしめて柊太郎って泣くんだよね。柊太郎、どこにも行かないで、お母さんを見捨てないで、1人にしないでって。俺も父親もなんか色々悟った。これはもう限界まできてるなって。しばらくしたら母親は父親が用意した病院に入院した」




甘酒を飲みながら感情を乱さず淡々と話す先輩を見て、彼の中ではもう消化できている出来事なんだというのは理解できた。


同情も慰めも求めてない。


今僕に求められていることは、先輩の話を黙って聞くこと。



「それから両親は離婚して、俺は父親と一緒に暮らしてた。関係性は良好だったと思う。父親は俺を俺として扱ってくれたし、生活が変わらないよう必死に仕事してくれてた。俺もそんな父親にこれ以上苦労させたくなくて必死に勉強した。ま、勉強ぐらいしかやることなかったってのもあるけど。でもある日、父親が恋人を連れてきた」




先輩が北高を目指せるほどの学力があるのはこのころからずっと勉強をしてきたからなのか。


これ以上大変な思いをお父さんにさせないために。


だから理由を聞いても濁したりしたんだ。


ほんと、つくづく他人にばかり、優しくする人。




「その人と結婚するんだろうなって思った。その予想は当たって俺には新しい母親ができた。すげーいい人。昔のことには一切触れず、俺と1から関係を築こうとしてくれてたし。このままずっと3人で平和に暮らすんだろうなって思ってた。だけどある日、母親が退院するってなったんだ」




あ、俺あれ食べたいとわたあめを買ってきた。


こんな重い話してるのにこの世で1、2位を争うふわふわした食べ物を選ぶ先輩。



「母親の症状が落ち着いたから退院が決まったって父親に連絡があったらしい。でも、当然父親は離婚した母親を受け入れる気はないし、実家にでも帰ると思ってたらしいんだけど、母親の両親が拒否したらしい。ま、全員から見放されたんだよ。ちょうどその時、新しい母親の妊娠が発覚したんだ。で、俺は決めた」




手についたわたあめを舐めながら話を続ける。


その姿になぜかドキッとして咄嗟に買ったチョコバナナに意識を向けた。






「俺が母親と暮らす、って」





思わず、え?と声を漏らしてしまった。


だってお母さんは先輩を航太郎って呼んだことないのに。


なんで周りの大人だけ幸せになって子供がその責任を背負わなきゃいけないの?


全然関係ない僕は、勝手にすごく腹が立った。




「これは誰かに何か言われたとかじゃなく、俺自身が決めた。俺が母親と2人で暮らせばみんなが幸せに暮らせる。父親も今の母親との間に子供ができた。多分そのまま俺がいても4人で仲良くやれたとは思うけど、それは新しい母親も生まれてくる子供も父親も俺も、全員が何かしらの我慢や遠慮をして生きていくことになるんじゃないかって思った。俺は父親も新しい母親も好きだ。だからこそ、今度は幸せに過ごしてほしかった。だから父親に俺が母親と一緒に暮らすと提案した。当然最初は怒られたけど」




そりゃそうだよ。親なら普通反対するよ。

自分の子供の名前をちゃんと呼べない母親の元に返すなんて正気じゃない。




「ただ、それ以外の解決策がなかったのもまた事実。結局俺が母親と暮らすことに全員が納得したんだ。それでも父親は最後まで反対してた。お前が責任を感じることない、お前が全部背負わなくていいって。でも俺、別に責任感じてるとか母親背負ってるとかそんなかっこいいこと考えてなかったんだよね。ただ、俺に関わった人全員が幸せになるにはこれしかなかった、ただそれだけ。そんな俺に責任を感じて、父親は今のマンションを用意した。さすがに自分の家の近くには住まわせたくなかったんだろうな。転校しなきゃいけなかったのは予想外だったけど。でも、おかげで何不自由なく生活ができてる。住むところも生活費も全て父親が用意してくれてる。携帯もそう。何かあったらすぐ逃げてこいって渡された」



だからあの日、防波堤で1人で海を見てたんだ。




「父親とは今も会っているし、新しい母親とも話すよ。可愛い妹も。母親もこっちに住みだしてから落ち着いてる。俺のことを柊太郎とは呼ぶけど、暴れることもなくなったし。こんなに普通に母親と過ごせる日が来るなんて思ってなかったから今はこれで良かったんだって思えてる」




清々しい顔で笑う横顔がとても綺麗だった。









「だから、僕に下の名前を呼んでって言ったの・・・?」











お母さんが先輩のことを今でもお兄さんの名前で呼んでいるなら、先輩を本当の名前で呼ぶ人はこの町に何人いるんだろう。


お父さんは呼んでくれると言っていたけど、今は遠くに離れているし、きっと同級生だって苗字で呼ぶくらいの仲だろう。僕だってクライスメイトから下の名前で呼ばれることなんかまずない。




自分から聞いておいてものすごく怖くなった。




「いやそんなんじゃねぇよ。それは単純にずっと苗字でしか呼ばねえのかなって思って言った。お前のリアクションも面白かったし」




いつも通りに僕をからかうけど、どことなくいつもの感じと違った。

きっと僕の勘は当たっている。






「先輩」






思い切り息を吸った。

鼻の奥がツンと痛む。






「僕、新年から先輩のことを航太郎くんって呼ぶ。拒否されても無視されても絶対。慣れるまではたまに先輩って言っちゃうかもしれないけど・・でも絶対、航太郎くんって呼ぶ。今決めたんで」




そうだ、僕が呼べばいいんだ。


周りの大人がみんな呼ばなくても、この町で僕だけでもいいから先輩を航太郎くんと呼べばいい。


そうすれば今までの先輩が少しは報われる気がする。




すると先輩は驚いたような、でもどことなく泣きそうな表情で、「ありがとう」と言ってくれた。


僕が名前を呼ぶことでこの笑顔が守れるなら、僕は何回でも呼べる。

不思議な力が湧いてくるのがわかった。


















その笑顔とほぼ同時にカウントダウンが始まった。







今年は本当にいろんなことがあった。


何より先輩に出会えてことが一番大きかった。


自分の気持ちや相手の気持ちに戸惑うこともあったけど、きっと先輩とならこれからも2人のペースで進むことができると思う。

来年も変わらず一緒に笑って過ごせるように。


そう願いながら先輩の隣で新年を迎えた。


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