第12話 彼と彼の話-1
彼のことを思い出すのはどれくらいぶりだろう。
綺麗な思い出のままにしておきたかったから、忘れようとした。
ただ、もしもう1回会えるのなら、1つだけ聞きたいことがある。
どうして突然、姿を消したんですか?
僕が生まれ育ったのは、この都会から遠く離れた海の見えるのどかな田舎の港町だった。
どれくらい田舎かというと、友達同士で話していた好きな子の話題を、その日家に帰ると母親が知っていた、というくらい。
それくらい狭い世界に僕は母と2人で暮らしていた。
母が言うには、父は僕が小学校へ上がる前に家を出て行ったらしい。
酒癖が悪く、他所に何人も女の人がいたという最悪な男だったらしい。
基本的に家に帰らない人だったので、正直あまり記憶がないし、大人になるにつれて顔さえも思い出せなくなっていた。前に一度だけ父親がどんな顔だったか知りたくて写真がないか探したことがあったが母親に見つかってこっぴどく叱られた。
母はとにかく真っ直ぐな人でとにかく厳しかった。
学校の成績をどうこう言われる厳しさではなく、”人として”の在り方に厳しかった。
人には優しくする。
友達は大切にする。
一度決めたことを簡単に諦めてはいけない、など学校の先生より母の方が怖かった。
でも、僕はそんな母が好きだった。
厳しかったけど、誰よりも僕を愛してくれていたから。
ずっと僕の味方で居てくれたから。
中学2年の夏。
周りは進路や部活の引退、夏休みをどう過ごすかなどの話題で盛り上がっていた。
部活に入っておらず将来の夢ややりたい職業などが具体的になかった僕はとりあえず入れる高校へ進学するつもりだった。そのまま高校を卒業して、そのまま就職して。これから先、僕の人生が大きく波打つことはないと思っていた。
ある日、いつものように学校へ行くと女子生徒たちが群をなして騒いでいた。
この町は毎日同じ時間が流れているから、ちょっとしたことが大ニュースとなる。
今回もきっと大したことではないのだろう、そう思いながら群の隙間を泳いだ。
その日の昼休み、給食を食べながらクラスメイトの1人が朝のことを話題にした。
「なぁ、今朝女子が集まってたの、なんでか知ってるか?」
情報を知っているだけで英雄になれてしまう小さな世界。
子供ながらに滑稽に思う。
「いや知らない。芸能人でも来てたの?」
この町は割と有名な港町で、映画やドラマの撮影で使われることが多く、その出演者を見かけたと大騒ぎになることがある。まぁ、こんな古い中学校になんか来るはずはないけど、的外れな答えを言っておいた方が小さな英雄も喜ぶだろう。
案の定、そんなんじゃあねぇよと誇らしげに首を左右に振っている。
「転校生、1つ上の学年に来たんだって」と目をキラキラさせて話す。
転校生。
そんなの別に騒ぐほどのものじゃないだろ。
その感情が表情にも現れてたようで、お前興味ないのかよ、とため息をつかれた。
いや、当たり前だろ。
たかが転校生。それも1つ学年が上なんて滅多に関わることがない。
「だって1つ上の先輩じゃ関わりないでしょ?同級生だったらまだわかるけど。女子が騒いでるってことはきっと男なんでしょ?」
給食から視線を外すことなく会話を続けた。
すると今度は英雄の横に座っていた女子が参戦してきた。
「そうなんよ!うちも朝見たんだけど、とんでもなくかっこいいの!かっこいいというか綺麗な感じかな。背が高くてスポーツもできそうな雰囲気なんよ。もう同じクラスの先輩が本当羨ましい〜」と英雄の肩を揺さぶっていた。
おいやめろよ、なんて言う英雄の頰が紅く染まっていたのはきっと僕しか知らないだろう。
背が高くて綺麗な人。
全然想像がつかない。
それにそんな人がなぜこんな田舎に来たんだろう。
親御さんの仕事の都合とかかな。
中3で転校って。
いろんなことを考えてみたけど、やっぱりその”綺麗な先輩”に興味は湧かなかった。
会うこともないだろうし、今後関わることもないだろう。
もしかしたら校内ですれ違うかな、くらいにしか思ってなかった。
最後のホームルームが終わり、各々部活のために教室を出ていく。
僕もその波に乗って教室を出るが向かう先は体育館でもグラウンドでも音楽室でもない。
1人だけ校門をくぐり、いつもの場所へ向かって自転車を漕ぐ。
15分ほど漕ぎ続けると小さな神社が見えてくる。
自転車をそこで降りて、参道を進む。
すると本殿が見えてくるのだが、目的は本殿ではない。
両手を合わせ挨拶を済ませたら裏側へ回る。
この本殿の裏側には小さな獣道があり、その中を歩いて行く。
手入れをされていない自然のままの木々たちをかき分けて進むと急に目が眩むほどの光が差し込む。
その光に目が慣れると今度は一面海で覆われた絶景が飛び込んでくる。
水面が太陽光を反射させキラキラと宝石のように輝き、その穏やかな波はちっぽけな自分をそっと優しく包んでくれた。
あの獣道を進んで来る人はいないので、僕にとっては秘密基地のような場所だった。
この場所を見つけてから、ほぼ毎日ここへ足を運ぶようになった。
そういや今日話題になってた転校生、その人もこの町に馴染むの大変だろうな、なんて人の心配をしている間に日が暮れて来た。ここから見る夕日は油断すると涙が溢れてしまうくらい綺麗だ。この町のことは嫌いだけど、ここから見るこの景色は僕がここに残る数少ない理由になっているだろう。
参道まで戻り自転車に乗る。
いつも通りの帰り道を走っていると、防波堤に人影が見えた。
あんなとこ普段誰も居ないのに。
波はさほど高くないが日が暮れるとみんな近付かないのだ。
そんなところに来るなんて、この町に馴染めてない人間しかいない。
僕はそっとその影に近付く。
同じ学校の制服が見えた。
予想は当たったようだ。
「こんなところで何してるんですか?そこ、危ないっすよ」
少し遠くから話しかけた。
すると、声に反応し顔だけがこちらを向いた。
この暗がりでもわかるくらい、綺麗な顔だった。
だけど、口元が動く様子がない。
聞こえなかったのかな、今度はもう少し近付いて声をかける。
「ここ、灯台が古いから暗くて危ないんすよ。今はまだそんなに波高くないけど、事故とかゼロじゃないから離れた方がいいっすよ」
するとやっと声が届いたようで、返事は聞こえなかったけど、荷物を持ってこちらに向かって歩いてきた。
「なんか探し物でもしてたんすか?」
こんな時間に何してたのか気になった。
「いや海見てただけ」
と、そっけない返事が返ってきた。
そして僕の服装を見て「あれ、同じ学校?」と聞いてきた。
「2年です。
「あ、後輩なんだ。俺、
この顔にぴったりな名前だな。
色が白くて雑誌とかに載ってそうな髪型をしてる。
とりあえず挨拶も終えたしそのまま自転車に乗って帰ろうとしたとき、
「お前家どこなの?」と聞かれた。
「この道真っ直ぐ進んだつきあたりです。先輩は?」
別に興味はないけど流れで聞いてしまった。
すると、「俺、あっち」と神社の方向を指差しながら律儀に教えてくれた。
実は数年前からあの辺りは土地開発が進んでいてマンションなどが建ち並び始めているのだ。
「そうなんすね。じゃあ僕こっちなんで。失礼します」
頭を下げて自転車に跨る。
先輩の「ん」という返事を合図に帰路についた。
翌日、転校生の話題は盛り上がる一方だった。
教室の窓から先輩の体育の授業の様子を見ている女子たち。
それに戸惑う男子たち。
僕はどちらにも興味が湧かなかった。
そのまま淡々と授業をこなし今日も無事に放課後を迎えられた。
部活へ向かう生徒の波に流されながら自転車置き場に向かう。
今日も天気がいいから秘密基地で時間を潰すか。
そんな呑気なことを考えながら歩いていると自分の自転車の前に人が立っていた。
「南先輩、何してるんですか?」
その人物はこちらに顔を向け挨拶代わりに右手を挙げた。
「誰か待ってるんですか?」
先輩が自転車から離れたので鍵をつけてカゴにカバンを入れる。
「お前待ってた」と進行方向に棒立する先輩。
そして僕に許可も取らず僕のカバンの上に自分のカバンを入れて後ろにまたがった。いわゆるニケツの状態。
「いや全然意味わかんないんすけど」
言葉通り、本当に意味がわからない。
幸い駐輪場には僕と先輩しかいなかった。
話題の人とこんなことしてたら明日僕が何を言われるかわからない。
注目されるのは嫌なのでそれだけは避けたかった。
しかし、先輩は一向に降りようとしない。
「家まで送っていけということですか?」
無意識にため息が出る。
さっきからずっと黙ったままの先輩にだんだんイライラしてきて、
「ただ後輩からかってるだけならやめてもらえません?」と言ってしまった。
さすがにこの言い方はダメだったか、と少し反省したとき。
運動部の掛け声にかき消されそうな小さな声で、
「お前と話したかったから」と言われた。
僕の自転車のカゴにはバッグが2つ。
自転車を押して歩く僕とその前を歩く先輩。
校門を出てから特に会話はない。
この距離が縮まることもなければ先輩が後ろを振り返ることもない。
ただこの絶妙な距離感を保ったまま、僕は先輩の背中を見つめた。
しばらく歩くと、先輩が神社の方へ向かっていると気づいた。
やっぱり家まで送れってことだったのか。
なんだこいつ。
たいして親しくない後輩パシッて家まで送らせるなんて。
家についたらやっぱり一言文句言ってやろうと心に決めた。
しかし、マンションの入り口を通り過ぎ、先輩は神社の参道の方へ向かって歩く。
思わず僕は声をかけた。
「え、俺に送らせたかったんじゃないんですか?そっち、神社っすけど」
すると、「俺、そんなこと一言も言ってねぇよ」となぜか僕が怒られた。
そうこうしてる間に参道入り口に着いた。
と、同時に先輩がこちらに向かってくる。
そして何も言わずに自分のカバンを取って、
「自転車、その辺止めてこいよ」などと吐かした。
ここが神社じゃなかったら大声出してるとこだぞ。
お前よりこの神社のこと知ってんだよ。
不本意だけど言われた通り自転車を止め、参道を歩く先輩の背中を追いかける。
ただ、一定の距離は保ったまま。
これ以上近づいたら蹴りでも食らわせてしまいそうだった。
2人で本殿で挨拶して、近くのベンチに腰掛けた。
僕と話したいとか言ってたけどなんだろう。
この時代に“カツアゲ”とかされちゃうのかな。
しかしどれだけ待っても一向に先輩は口を開こうとしない。
え、自分から誘ったのに?
半ば強制的にここに連れて来たのに?
でも、僕もこの人に聞きたいことがあった。
「昨日、なんで防波堤なんかにいたんですか?」
昨夜からあの姿が気になって仕方なかった。
すると先輩は、「1人になりたくて」とやっと口を開いた。
その瞬間、僕は先輩の手を引っ張って走り出していた。
本殿の裏へ行き獣道を進み、目的地に着く目前で先輩から手を離す。
そして先輩の後ろに回り、両目を隠す。
1年先輩だが、身長は僕の方が高いので先輩も特に抵抗はしなかった。
「このまま真っ直ぐ進んでください。僕が手を離すまで目開けちゃダメですよ」
僕の腕の中で先輩が小さく頷いた。
そのまましばらく進み、僕は先輩から手を離し「目開けていいですよ」と声をかけた。
何度か瞬きを繰り返した先輩が、小さな声で「ぅわ、」と言ったのを僕が聞き逃さなかった。
僕の秘密基地。
僕も1人になりたい時にここを見つけた。
先輩のさっきの言葉を聞いて、有無を言わさず手を引いてきてしまったけど、これでよかったのだろうか。
何も考えずに行動したことを後悔しながら、先輩の背中を見つめる。
先輩も、僕と同じなのかもしれない。
なんて、あり得ないことを考えてしまったから。
優しい風が先輩の綺麗な髪を揺らす。
先輩は静かにこちらを振り返り、「ありがとう」と初めて笑顔を魅せた。
そこから日が暮れるまで、僕と先輩との間に会話はなかった。
僕はいつものように定位置に寝そべり空を見る。先輩がそれを真似る。
そのままゆっくりと流れる時間を全身で感じた。
ここで深呼吸すると身体の中の悪いものが一掃される気がする。
ふと隣を見ると僕と同じように目を瞑っている。
しばらく観察すると、腹の上に置いてある手が一定のリズムで上下している。
・・・こいつ、寝てる。
名前ぐらいしか知らない後輩に手を引かれ連れてこられた場所で堂々と寝ている。
綺麗な顔で寝ているのがまた腹立たしい。
自分の感情を一番に優先し、感情の赴くまま生きている先輩のことをまだそんなに知らないけど、変な人ということはわかった。
でも、名前ぐらいしか知らない先輩に自分の秘密基地をあっさりバラすなんて僕も大概変な人なんだろう。
いつも通り、好きな小説を読んでいたけど夕方の少し冷たい風に起こされる。
そのまま僕も眠ってしまったようだった。
隣を見ると、1ミリも体を動かさず入眠時と同じ体制で眠り続けているお姫様のような王子様のような顔の人。
「先輩、いい加減起きてください。帰りますよ」
目をこすりながら身体を起こし辺りを見回す先輩。
「いい時間だから帰りますよ」と再度催促する。
するとまだ半分夢の中にいる先輩が「・・・ん」と自分の両手を僕に差し出した。
え?立たせろってこと?・・・いやほんと、何この人。
でもこの人に文句を言ったところで何も変わらないと知ったので、言われるがままその手を取り引っ張る。
駄々こねたりしたらマジで1回蹴ろうと決めていたけど、意外にも先輩は素直に立ち上がった。
そして、「ありがとう」と純度100%の真顔で僕にお礼を言った。
しかし、距離が近い。
何度も目を合わせて話していたはずなのに、改めて真剣に、しかもこの距離で見つめられどうしていいかわからなくなった。
動揺してることを悟られないように背中を向け、「帰りますよ」と早足で自転車まで戻った。
顔が、すごく熱かった。
先輩のマンションとは方向が違うので、ここで解散。
友人だったらここで「バイバイ」とか「また明日学校でね〜」みたいな定型文で挨拶をするのだろうけど、僕らの場合はどうしたらいいんだろう。
先輩後輩間の良くある挨拶をすればいいのだろうか。
シンプルに考えればいいのに無理やり複雑に考えようとしてしまう。
「帰らないの?」
先輩が先に口を開いた。
自転車に跨った状態で動かない僕を見たらそう疑問に思うのも無理はないと思う。
「いや帰りますけど。なんて挨拶していいのか、考えてたんです」
「あいさつ?んー・・・バイバイとかでよくね?」
僕が真剣に悩んでいると思ったのか、先輩も真剣に普通のことを返してきた。
「そう思ったんですけど、一応先輩じゃないですか。タメ口聞いて学校で面倒事になるのとか僕絶対嫌なんで」
「真山と俺は友達じゃないの?」
さらっととんでもないことを言い出した。やっぱりこの人おかしい。
僕とあなたがいつ友達になったんですか。
しかもちょっと寂しそうな目で僕を見るのやめてもらっていいですか。
「秘密基地教えたくらいで友達になるんですか?」と聞くと、「友達じゃない人に秘密基地教えるの?」と返され何も言えなくなる僕。
「それは先輩が1人になりたいときにここを使えたらいいかなと思って教えたんです。防波堤だと危ないし。ここだったら僕以外は来ないから」
なぜ自分でこんなに焦っているのかわからなかった。
「それに、なんとなく先輩は町の人と違う気がするから」
僕と、先輩。
直感だけど、同じようなものを感じたから。
「だから教えたんです。絶対誰にも言わないでくださいね」
じゃあまた明日、と先輩に背を向け自転車を漕ぎ出す。
しかし踏み込んだ直後に「真山」と呼ばれ急いでブレーキをかける。
ハンドルが肋に当たって地味に痛い。
「なんですか?」と振り返ると、痛そうにしている僕を見て笑う。
そして「バイバイ」と手を振った。
痛みが一瞬で吹き飛んだ。また、顔が熱くなった。
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