第10話 彼と彼女の話-7
「文那さん・・・!」
3年経っても相変わらず端整な顔だな、なんて呑気なことを考えていた。
手をあげて存在を示すと顔色を変えず一直線でこちらに向かって歩いて来る。
そして何も言わず私を抱きしめた。
どうしたの?と問いかけても何も言葉を発しようとしない。
そんな状況に恥ずかしさが先行して腕を解こうとしたとき。
大きな身体がほんの少しだけ震えているのがわかった。
まるでもう会えない人に会えたかのように。
「大丈夫だよ、私ちゃんと生きてるよ」
震えている細いが程よく筋肉のある背中を安心させるように撫でた。
近くのカフェに入り、少し様子が落ち着いたようだった。
でも、どうもまだ疑っているようで私の髪や手に触れてくる。
その行動にどうリアクションしていいかわからず、目の前のコーヒーを流し込むしかなかった。
そして彼は改めて、
「文那さん・・あの時は本当にごめんなさい。僕、本当にひどいことしたよね」と頭を下げた。
「なんで湊そうくんが謝るの?」
彼がなぜ未だに私に対して罪悪感を抱いているのか。
その理由はなんとなくわかるような気がしている。
だけど、それはあくまで私の想像にすぎない。
今までのモヤモヤを全て消し去るため、今は真実が知りたかった。
すると彼はそっと顔を上げ、彼の犯した罪を話し始めた。
「今から話すことに嘘は1つもないから全て信じてほしい。でも、途中で文那さんが聞きたくないと思ったらすぐに話すのをやめる。こういう言葉が合ってるのかわからないけど、無理はしないでね」
あくまで私の気持ちを気遣っているアピール。
自分の犯した罪から逃げたいという気持ちが混ざっているようにしか聞こえなかった。
「文那さんが初めてうちのお店に来てくれた日、滅多に頼まれないケチャップのパスタを選んだからすごい印象に残ってたんだよ。その日の終わりに店長と『何年ぶりのケチャップ味のオーダーだろうね』って。で、それから1人でも来てくれるようになって、しかも毎回ケチャップ味頼むし。僕と店長の中では有名人だったんだよね。で、ある日店長が『次来てくれた時にお礼言わないとだよな〜』って言い出して。それがコーヒー出したときね。覚えてるかわからないけど・・」
一言一言、言葉を選び紡ぐ彼。
私の顔色の変化を見逃すまいと、視線を一切外さない。
「いや覚えてるよ。でも、そこから話すのかと思ってびっくりしただけ。湊くんが言いたいのは、もっと先の話でしょ?」
正直、聞きたいのはそこじゃないし、そんな思い出話は今は求めていない。
やましいことがある人ってこういう思い出を先に話がちだ。
そもそもそこじゃないし、それを話されたところで結果は変わらないのに。
彼は、一瞬顔を強張らせたが、そうだよね、と言って話の中心に触れ始めた。
「店長が結婚してたこと、僕は知ってた。文那さんに会う前から」
急に心臓が痛くなった。
途端に呼吸が浅くなる。
覚悟はしてたはずなのに。
動揺を見つからないように空のコーヒーカップに口付けた。
「でもね、多分誤解してることが1つあるんだ。それは、店長が現在進行形で結婚をしているわけではなく、離婚調停中だったってこと。今はもう成立したから“していた”という表現が正しいかな。あの頃はまだ調停中だったから籍は入ったままだったけど・・・」
離婚、調停中。
籍は入ったまま。
ということは、私は彼女だと思っていたけど世間からしたら“不倫相手”という存在だったのか。
やっぱり、真実ほど残酷なものはないな。
もう大丈夫だと思ってたけど、悔しくて涙が止まらない。
「僕は、文那さんに全部話してると思ったんだ。結婚してること、でももう離婚すること、とか。だから改めて店長に聞くこともしなかった。文那さんから結婚の相談されたときも、知ってると思って返事してた。でも、そこで僕が聞けばよかったよね。店長のこと、ちゃんと聞いてる?って」
私の涙を気にすることなく、話し続ける。
実際、あの時に湊くんにそう聞かれたとしても私はこうやって泣いただろう。
好きになったこと、秘密にされていたことをひどく悲しんだはずだ。
それに、別れ話は裕太さんからだったのだ。
どちらにせよ、いずれ終わりが来ていたことは間違いないだろう。
「店長から別れたって聞いて、なんでだろうって疑問だったんだ。僕から見た2人はいつも仲が良かったし、喧嘩をしたとかも聞かなかったから。でも・・・」
今日、彼が初めて言葉を詰まらせた。
「理由聞いて、驚いた。結婚してること黙ってたら怒ってた、って言ってたから」
怒ってた?
「さすがにありえないと思ったよ、同じ男でも。でもそれと同時に、そんな男と付き合うことを勧めたのは自分だって気づいてすぐ文那さんに連絡したんだ」
出てもらえないのはわかってたけど、とまたこちらの顔色を伺う。
多分今の私は魂が抜けたような、感情も色もない顔をしているだろう。
彼が話すのを辞めてコーヒーのお代わりを注文した。
結婚してることを黙ってた。
それは認識しているんだ。
しかし感情的になったのは私だけだと。
確かに表情を1つも変えず別れ話を突然始め、私が尋ねても目も合わせずに知らんぷり。
最後出て行く時もピクリとも動かなかったからそれは正しい認識なのかもしれない。
じゃあ逆にあの時の感情に任せて泣き喚いていたら何か変わったのか。
さらに惨めになってたことなんて誰でも容易に想像がつくじゃない。
そんなの、私が可哀想すぎる。
3年間、私はあの人と同じ時間、同じ道を進んでると思っていたけど、どうやらそれは私の大きな勘違いだったようだ。
この長い道を2人で進んでいけば、きっと明るい未来が待っている。
そう願っていたのも私だけ。
この3年間を大切にしていたのは私だけだったのだ。
なんだか可笑しくなってきた。
「湊くん、話してくれてありがとね。なんか、スッキリできたよ」
今日、初めて自分から彼の目を見た。
「あの人と別れてから、しばらくは何もできなかったの。仕事も最初はなんとか行けてたんだけど、どうも身体がついてこれなくなっちゃって。心のバランス取れなくなちゃったの。で、つい最近まで無職だったんだ。お恥ずかしい話なんだけど」
コーヒーで満たされたカップに口をつける。
温かさが気持ちを落ち着かせる。
「でもね、ずっとくよくよしててもしょうがないと思って。そう思ってる時に佳奈子が仕事に誘ってくれたの。あ、佳奈子覚えてる?挨拶する時に来てた女の人。その人の職場で欠員が出たみたいで私に紹介してくれたんだ。で、来週から働くことが決まったの」
私が自分の話をするのが嬉しいのか、彼は優しい眼差しを向けてゆっくりを頷く。
「でね、新しいスタートをするにあたって、スッキリさせたかったんだ。裕太さんのこと、湊くんともちゃんと向き合わなきゃって思ってたから。ずっと連絡もらってたのに、返事できなくてごめんなさい。そして、今日全部話してくれてありがとう。ちゃんと信じてるから安心して?」
目を合わせて笑みを返す。
一瞬、彼の瞳が潤んでいるように見えたがそこには触れずに話を続けた。
「あのお店に行くことはもうないけど湊くんとはこれからも仲良くしたいなって思ったから。あんなことあったけど、湊くんは大事な友達だから」
大きな目を見開いてこちらを見ていた。
いつもは年上のような落ち着きを放っている彼だけど、今日はなんだか弟のようだった。
思わずふわふわの髪の毛を撫でた。少しだけ肩が揺れた。
「でも、湊くんが色々考えちゃうとかだったら無理しなくていいよ。あくまでこれは私の感情だから」
無理だけはしてほしくなかった。
きっと彼はこの件で少なからず私に負い目を感じているであろう。
そんな彼を縛ることはしたくない。
私は純粋に真山湊との交友関係を再度築き直したいと思っているのだ。
すると、彼はそっと自分の髪を撫でていた私の手を取り自分の手を絡めた。そして、
「ありがとう、文那さん。僕、文那さんと友達になりたいです」と絡めた手に力を込めた。
その様子が子供の頃に読んだ少女漫画の1コマみたいで思わず笑ってしまった。
彼は白い肌をほんのり紅く染めて、「もう、雰囲気ぶち壊さないでよ」とまた可愛い顔で笑った。少しだけ唇を尖らせながら。
そのあと、湊くんはバイトがあるからと言って駅まで送ってくれた。
あのことがあってからあの店は辞めたらしい。
そこまでする必要なかったでしょと言ったけど、彼は真剣な顔で、
「あんな人と一緒に働きたくないって僕が思っただけだよ。文那さんのせいとかじゃないし、ちょうど友達にバイト誘われてたし」と言われた。
「じゃあ僕こっちだから。今日は会ってくれてありがとう。また連絡していい?」
わざわざ連絡をしていいか聞くなんてまだ完全に友達に戻ったわけではない様子だ。
そんなに気にしていたんだな、あの時のこと。
「友達なのに、連絡しちゃダメとかルールある?」と笑ってみたけど、
「だって文那さん、連絡返してくれなかったじゃん・・・」と小言を言われた。
「それはごめんって。もう大丈夫、ちゃんと返すよ」
約束する、と小指を差し出すとそれに自分の指を絡め、
「今度無視したら、僕絶対許さないからね?」と耳元で呟く。
友達ってそんな厳しい関係性だっけ?と思ったがすでに彼は私から離れじゃあね〜とを手振っていた。
3年経ってやっと向き合えたこと。
どうしても向き合いたかったこと。
向き合わなければならなかったこと。
あの日から今日まで絶えず連絡をし続けてくれた彼には本当に感謝してる。
彼からの連絡が途絶えていたら私は大事な友人を1人失くしていたし、心のモヤモヤを晴らすことはできなかった。
やはり真実は残酷ではあったけど、それを乗り越えた今の私は3年前より絶対に強くなっている。
あの時に負ったたくさんの傷を癒すためにかかった3年間という長い月日も無駄ではなかったと今なら自信を持って言える。
そう思わせてくれたのは私を想ってくれていた湊くんや佳奈子がいたから。
当たり前に思ってしまいがちの他人からの優しさに気付けたのは、裕太さんが唯一私にくれた”プレゼント”のように思う。
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