第6話 彼と彼女の話-3
「とりあえず、せっかくなんで裕太さんが良ければ一緒にどこか出かけませんか?」
自分でも驚くほど自然に言葉が出た。
なんのためらいも、緊張も、遠慮もなく。
ただ純粋にこの人のことをもっと知りたいと思った。
それに気付いてくれたのか、彼は優しく頷いてくれた。
それから私たちはお互いのことをたくさん話した。
学生時代のこと、仕事のこと、子供の頃の夢とか。
ありきたりな話題かもしれないけど、彼のことを知るには十分すぎるくらいだった。
年齢差があるから、音楽の話とかは流行っていた曲などが違ってたけどそれもまた楽しかった。
ただ、恋愛の話になるとそれまで饒舌だった彼が途端に喋らなくなった。
喋らないというより、触れないでほしいという空気を全身から放っていた。
まぁ、誰にだって触れて欲しくない過去の1つや2つはあるよね。年も離れてるし。
気にはなったけどそういう空気を読むことで優しくて理解ある女性と思われる気がして踏み込まなかった。
いや、踏み込めなかった。
午前中から一緒にいたのに、気付けば日が沈んでいた。
そんなに遅くないから1人で帰れると断ったが、心配だからと最寄駅まで送ってくれた。裕太さんの最寄り駅もここからそんなに遠くないということも知った。
「今日はありがとうございました。せっかくのお休みだったのに急に誘っちゃってすみませんでした」
「いや全然。俺もお店では全然話せなかったから今日たくさん話せて楽しかったし、文那ちゃんのこと知れた気がした。付き合ってくれてありがとう」
「次湊くんに会ったら、何か言われますかね?」
今日のきっかけをつくってくれた湊くんには本当に感謝をしなくちゃ。
「あの、そのことなんだけど」
先ほどとは違う面持ちで話し始める彼。
見たことない表情に妙にドキッとした。
うまく目が合わせらずに下を向いてしまう。
「今度俺から誘ってもデートしてくれますか?」
驚いて顔を上げてしまった。
当然目が合って、やっぱり恥ずかしくてすぐにでも逸らしたかったけど、動かし方がわからなくなった。
こんな時、どんな顔していいかもわからない。
本当になんにもわからなくなってしまった。
今の私は多分IQ3くらい。
いやこんなこと考えてる場合じゃない。
「いきなり変なこと言ってごめん。ただ、今日湊くんの名前が結構出てたから、文那ちゃん本当は湊くんとデートしたかったのかなって思っちゃって・・」
「それは違います」
「え・・・?」
明らかに困惑してますという顔。
そうやって表情がコロコロ変わるところも好きなんだよな。
「最初は本当に湊くんと出かけると思ってました。何も疑わず渋谷に行きました。でも、そこにたまたま裕太さんがいて。その時点でなんとなく湊くんが来ない気がしてました。すごく悩んだけど、でも、せっかくのチャンスだと思って私から誘いました。裕太さんのこと、もっと知りたかったから。だから今日たくさん話していろんな裕太さんを知ることができて、とっても楽しかったです。私は、裕太さんだから誘ったんです。私が裕太さんとデートしたかったんです」
勝手に決めつけられたことが嫌だったのか、今まで溜めていた思いを言い出したら止まらず、
「だから次は裕太さんが私をデートに誘ってください」
とまで言ってしまった。
まずい、さすがに勢いに任せすぎた。
どんどん表情が暗くなっていくのがわかった。本当に何やってるんだ私は。
「あ、いや、その・・」
なんて言おう。
冗談ですよー!とか笑うべきか。
でも、裕太さんの言葉を待ちたい気持ちが大きかった。
「ありがとう」
あ。またあの顔だ。
私が好きになったあの笑顔。ここでそれはずるい。
「俺も文那ちゃんとデートできて楽しかったし、誘ってもらえて・・って言っていいのかな。とにかく・・うん。本当に嬉しかった。次は俺が文那ちゃんをデートに誘うね。・・・いや、なんか違うな」
おでこに横シワを作りながらうんうんと悩み始める。
表情の引き出し多いなぁ。
しばらくしてその表情が落ち着いた時、
「文那ちゃん」
改めて名前を呼ばれた。
なんですか、そう返事をしようとした時だった。
顔は見えないけど、背中に強引さと少しの遠慮を感じる。
耳元に今日何度目かの謝罪の言葉が届いた。
震えてる声や同時に漏れる吐息に胸が苦しくなり、同じように背中に腕を回し胸に鼻を押し当て彼を吸い込んだ。
私の腕を背中に感じて安心したのか、カールが取れかかった髪を撫でながら、
「文那ちゃん、多分、いやこれは今確信したことなんだけど、俺は湊くんに嫉妬してた。というか、してる。仲良いのは知ってたけど、連絡先交換してたのは知らなかったし。しかもデートするって聞いて。俺じゃなくて湊くんなんだって・・。湊くんかっこいいし文那ちゃんとも歳近いしさ。そりゃ俺よりお似合いだと思う。でも、やっぱ嫌なんだよね。
この状態で話をされても、息を吸って吐くという当たり前のことをすることに精一杯だった。
同時にこれ以上彼の匂いを身体に取り込んだら死んじゃう気がする。
でも、ちょっと死んでみたいかもしれないと思った。
私が腕の中でまだ生きていることを確認したのか、彼はそのまま話を続けた。
「だから、ものすごく勝手だけど、俺以外見ないでほしい。俺のことだけ見ててほしい。だから、俺と付き合ってもらえませんか?」
あの優しい味のパスタを作ってる人とは思えない、強引で、真っ直ぐで、不器用で、でもその裏に恐怖と不安を感じる。
それは惹かれることを躊躇ってしまうほどの大きな闇のようだった。
でも、怖いほどに安心感のあるこの闇に私はすでに堕ちていた。
この人とならこの闇の中でも光を見つけられるのではないか。
むしろ、この人の闇を照らす光に私がなれるのではないかとまで思ってしまう。
一瞬彼の匂いを吸っただけ、たったそれだけなのに身体の隅々まで彼に侵食されていた。
恐ろしい。
でも、さらに恐ろしいのがその恐ろしさまでも愛おしいと思っている自分自身だ。
突然ふっと温もりが離れる。
すでにこの感じが怖い。
いやだ。反抗するように私は縦に首を振ることしかできなかった。
お願い、離れないでと願って。
すると彼は照れ臭そうに、
「ありがとう」と言ってまた私に温もりをくれた。
今度はさっきと違って、唇にも。
「じゃあまた連絡するね。今日はありがとう、おやすみ」
そう言って右手で私の頭を撫でて去って行った。
こんなに心地良い脳震盪は初めてだった。
翌朝、気がつくとベットの上だった。
メイクも落とさず上着も脱がず、帰宅して靴を脱いだままここに身を委ねたらしい。
見渡す限り、前日の朝の準備がいかに大変だったかを物語っていた。
少しくらい片付ければよかったかな。
いやその前にせめてメイクくらい落とさないと肌がすごいことになる。
・・・いや、まずあんな状況から家に帰ってこれた自分を褒めてあげよう。
思い出すだけで口角が上がっちゃう。
ひとまずトイレに行こうと洗面台の前を通ると衝撃の顔が鏡に映った。
昨日のメイクが乗っかったままの顔。
全部が全部ちゃんとヨレていておまけに口角が上がっちゃってる。
怖すぎる。
完全に脳が覚醒したので急いでトイレ経由でシャワーへ向かった。
シャワーを終え、部屋を片付け終わったタイミングで携帯が鳴った。
策士からだった。
《昨日のデートはどうだった?随分楽しかったみたいだけど》
え?もしかして見てたの?
いや、修繕の立会いがあるって言ってたからそれはないはず。
そんなに暇じゃないだろうし。
でももしかしたらと思い、《見てたの?》と返した。
《そんなに暇じゃないんですけど》と即レスだったので見てはなさそうだ。
じゃあなんでそんなことを思うんだろう。
お酒飲んでないから酔って電話しちゃった・・なんてことはしてないんだけど。
発信履歴にも湊くんの名前はない。
色々考えていると追加でメッセージが届く。
《店長、ご機嫌麗しゅうございます》と。そっちか。
そんなにわかりやすい人なんだ。まぁ、その感じは容易に想像つくかも。
昨日のことが理由なら嬉しいな。私もご機嫌麗しゅうございます。
でも、自惚れてると思われたくなくて《そうなんだ(笑)》と返した。
いやこれでも結構自惚れてる感出てるかも。
そう思った時には、《何その感じ、もう彼女にでもなったの?》ときた。
“彼女”と言うフレーズに全身がカッと熱くなる。
本当に近々死んじゃうのかしら。
病院に行って治るもの?何科に受診するべき?
なんてIQがいつも通り低下したところで別のメッセージを受信した。
《昨日はありがとう。あのあとちゃんと帰れたかな?最後まで送れなくてごめんね》
噂の麗しゅう方からだった。
顔はニヤけるわ体は熱いわで色々忙しい。
先に身体の熱さから処理しよう。
《そうともいうかも》
そして、次はニヤケ顔の対処。
《こちらこそありがとうございました。そんなに遅い時間じゃなかったので気にしないでください。ちゃんとお家に帰れましたので!》と。
今この2人が同じ空間にいることを考えるとなんか笑えるな。
湊くんは色々突っ込んで聞くタイプではない感じだし、かといって裕太さんが自発的に喋る感じもしないし。
男性は女性と違って大々的に恋愛の話をしてるイメージもないし。
でも、湊くんはきっかけを作ってくれた人だから報告してもいいよね。
きっかけと言ったらこのお店を教えてくれた佳奈子にもかな。
まだ裕太さんの話はしてないけど、1回はちゃんと紹介したいし。
こういう時だけポジティブになるのって私だけじゃないよね?
そんななか、2人から返信が届いていた。
《おめでとう、どうせニヤケてるくせに。誰のおかげかよく考えてね》
《今度話聞いてあげる、お姉さんの奢りで♡》と、
《無事に帰れたみたいでよかった。次の休み決まったら連絡します》
《今日やけに湊くんと目が合うんだよね・・怒ってるのかな?》でした。
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