第41話

 沢里が前の学校に戻る?


 そんなことは考えてもいなかった。しかし彼らの言い分も分かる。音楽の道を志すならその専門コースにいた方がいい。


 沢里がいなくなってしまうかもしれない。


 一人で不安になっていると沢里は私の頭に手を置いて穏やかな笑みを浮かべた。


「俺はもう戻らない。お前らも頑張れよ」


「そ、そうか」


 沢里の答えにほっとしたが、本当にこれでよかったのだろうか。


 ただ、彼らに沢里の実力を見てもらえたことで沢里の心が少しでも晴れていればいいし、沢里の笑顔を見ると、きっと意味があったのだと思えてくる。


「あのー【linK】」


 ふと彼らに呼ばれたと思ったら、目の前に色紙が差し出される。


「サインください!」「俺も!」「シャツに書いて!」


「わ、わ」


「あー! お前らもう散れ!」


 ぐいぐいくる男子たちに気圧されていると沢里が追い払ってくれた。


 多分悪い人たちではないのだと思う。少しずつ歯車がかみ合わなくなって、沢里と上手くいかなかっただけで。そうなってしまうのはよく分かる。


「沢里、よかったの?」


 色々な意味を込めて沢里に問う。沢里はどこかすっきりとした表情で空を見上げて言った。


「ああ、いいんだ」


 その答えに私は黙って頷く。


 一度外れた歯車が戻ることはないかもしれないけれど。


 違う歯車が連なっていったその結果、別の形でまた繋がることだってあるはずだから。



 次は沢里が通販番組の司会になる番だった。


「どうでしたかうちの【linK】! 作詞作曲ぜーんぶ一人でやってるしピアノも上手いし歌もよかったでしょ! SNSやってますか? すぐフォローしないと損あいたたた」


「はいはいはいちょっと黙っててね」


 沢里の大きな体を無理やり引っ張ると、隠れていた女子たちの姿がようやく見えた。


 全員私の中学時代の部活仲間だ。雰囲気が少し大人びているけれど、見間違えることはない。ともに合唱で全国を目指した同期たちだ。


「今日は来てくれてありがとう」


「凛夏……ほんとに凛夏なんだね」


「うん、久しぶり」


 なにもなかったようにあいさつをすると、彼女たちはぐっと耐えるような表情をする。


「凛夏が音楽続けててよかった」


「え?」


 なにを言われてもいいように心構えをしていたのに、予期せぬ言葉がかけられた。


「凛夏、もう歌うの嫌になっちゃったかと思ってた。だって、最後の舞台があんな風に……」


「私たちずっと、凛夏に謝りたくて。凛夏はなにも悪くなかったのに、部が上手くいかないのを凛夏のせいにして、だから……」


「ごめんっ!!」


 そんな風に思われていたとは知らなかった。今日、ここで会わなければ一生知らなかった。彼女たちはずっと恨んでいると思っていた。全国の舞台を台無しにした私のことを。


 次々に頭を下げる同期たちに、私は閉ざしていた気持ちを打ち明ける。


「当時は正直きつかった。誰も味方がいなくて、歌うのが辛かった……でもいいの、もう。苦しかったけど、私はもう別の場所で歌える。歌うのが好きだし、曲作るのも好きだから」


 それを聞いた彼女たちは少しだけ硬い表情を緩めた。


「あのさ、」と同期の一人が切り出す。


「あいつ――元部長ね、今はどこか遠くの高校に行ったって聞いたから、もう気にすることないと思う」


「一応教えとく」と言う彼女に無言で頷いた。



 もう声も思い出せないが、向こうはもしかしたらどこかで私の声を聞いているかもしれない。


 彼は自分の気持ちを伝えただけだった。


 私もまた、正直に自分の気持ちを言った。


 その時に限っては、どちらも悪くなかった。


 あんなに苦しめられたのに、今ならそう思える。あの頃は私も彼も周囲もピリピリしていて、異常だった。その中で潰し合う形になってしまったのは、誰のせいでもない。


 恨みも怒りも音楽に昇華する。そしてまた新しい音が生まれるから。


「もう大丈夫だよ」


 自分で言ったその言葉が、不思議な力を持っている気がした。


 ああ私はもう大丈夫なんだ。時間がかかってしまったが、ようやく納得できた。


 彼女たちと全国優勝したかった。その気持ちもまた本物だったのだから。


 元から【linK】のフォロワーだったらしい彼女たちは、今後も応援してくれるとのことだ。最後は笑って見送った。お互い歌い続ける限り、またどこかで会うことになるかもしれない。


 ぼんやりと遠くなる背中を見ていて、彼女たちと並んで歩いた中学時代を思い出す。


 毎日毎日飽きることなく朝練、昼練、午後練で顔を合わせ、声を合わせた。当たり前のように歌って、勝利を目指した。顧問の厳しい指導に耐え、完璧を追い求めて、不揃いな声を持つメンバーが弾かれてもなにも言わなかった。


 そういう世界だった。底の見えない崖にピンと張られた糸の上を、私たちは整列して歩いていた。そしてその結果、私は風に負けて落下した。


 もう思い出しても苦しくならない。


 あの頃の私たちは幼くて一生懸命だった。ただそれだけ。


「頑張ったな」


 そう沢里に言われて、私の目からひとつ涙が零れた。


 あの頃のことで泣くのはこれで最後だから、見逃してほしい。

 

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