第38話


 ▽


「さあ今年も夏を迎えるためのステージが始まります! Sawa Sonicここに開幕―!」


 司会者のスタート宣言にわっと歓声が上がる。私たちは控え室に残ってスマホで中継を観ながら、会場の人の多さに圧倒されていた。


「すごい……! こんなに人が集まるんだね」


「ああ、いよいよ始まりだ!」


 司会者のあいさつもそこそこに、早速一番目の演奏者が舞台に上がる。


 ハイテンポな曲が響き渡り、ただひたすらに会場の熱気が伝わってきた。


 控え室で待機するアーティストたちもどこかテンションが上がっている気がする。


 もう一度スマホに目を落とし、客席を注視する。チケットを渡した人たちは、前の方の招待席に座っているはずだ。残念ながら中継では確認できないが、誘った全員がそこに座っていることを信じたい。


 祈るように手を合わせ、その時を待つ。沢里はイヤホンをしてひたすらに音を確認している。名前を呼ばれるまで心を平静に保つのは難しいし、その方法は人それぞれだ。


 時々体が固まらないように肩をたたき合ったり、軽くストレッチをする。


 合唱部の仲間とも本番前によくやっていた。思い出すのは全国の舞台、悪夢の始まりの日。


「リンカ? 顔怖いぞ」


 沢里に突っ込まれ、私は慌てて顔を揉む。


 今は昔とは違う、沢里が居てくれるのだから。いくらあの時を思い出そうが、絶好調の私たちはもう止まらない。


「大丈夫か?」


「驚くほど大丈夫」


 悪夢の終わりはあっけない。自分でも醒めたことに気が付かないくらいに。いつの間にか悪夢は沢里と一緒に見る夢にかき消されてしまった。


「長い夢だったな」


 私の呟きに沢里は首を傾げていた。


 何組かが歌い終えた頃、太陽は真上に位置してさんさんと光を降らせていた。私と沢里は目と目を合わせて頷く。


「【linK & haru.】、スタンバイお願いします」


 スタッフの声に返事をして、舞台裏へと向かう。


 その際に柾輝くんがそっと席を外すのが見えた。きっと客席側から見守ってくれるのだろう。


「よし、行こう」


「ああ!」


 沢里と拳を合わせて、静かに息を吸う。


 ついにここまで来た。


 絶対にできないと思っていた。


 もう二人なら何も怖くない。



「続いては今回の目玉! 高校生ゲスト【linK & haru.】!」


 わっと沸き上がる歓声に引っ張られるようにステージに上がる。まず目に入ったのは、目の前に広がる人の海。思わず呼吸を忘れるくらいに熱く盛り上がっている。


 暑い、熱い。腹の底に響くような観客の声と、突き刺さる視線が心地よい。隣に立つ沢里を見ると、頬を染め早くも感極まった表情をしていた。


 招待席を見ると、タオルを振り回す義父とカメラを構える透流さん、そしてじっとこちらを見つめている母の姿を見ることができた。


 そして中学時代の部活の同期の姿も視界に入る。途中まで仲のよかった五人だ。その表情はどこか硬く、無意識に私の体も緊張で軋む。


「凛夏ーーー!!」


 そんな時に聞こえてしまった大絶叫。ふとそちらを見ると顔を真っ赤にした土井ちゃんが宣言どおりとびきりの変顔をしてくれている。


 危ない、この場でなかったら爆笑しているところだった。


 そしていい感じに緊張が解けた私は、沢里に目配せをしてマイクを取った。


 【linK】として、そして私として初めて、観客に、そしてリスナーに語りかける。


「皆さんはじめまして。【linK & haru.】です。


 いつもネットで応援してくれてありがとうございます。


 今日初めて皆さんの前に姿を見せたのは、私たちがどんなに音楽を愛していて、


 どんなに歌うことが好きかを知ってもらいたいと思ったからです。


 今から歌う曲は、初めて【haru.】と一緒に歌った曲で、私にとって特別な歌です。


 それでは聴いてください。


『本当の自分』」


 沢里のギターの音で、会場が静まり返る。コードに歌を乗せて、今、私たちは本当の自分に戻る。


 音楽が好き。


 歌が好き。


 誰にどんな目で見られようとも、自分の気持ちを抑えられない。


『【linK】が本当の私なんだと思う』


『どっちも同じリンカだから』


 キーボードは軽やかに鳴り響き、ギターも楽しげに弾んだ音を出していた。


 確かに演奏しているのに、時間が止まってしまったかのような気分になる。


 本番の最中なのに、まるで練習室で二人きりで歌っているよう。


 沢里と二人、ただ声を合わせる。沢里の視線と呼吸を感じながら歌う。


 脳裏に浮かぶのは今日までの思い出たち。


 そのほとんどが沢里に埋めつくされている。


 沢里の声をずっと聴いていたい。


『一緒に歌いたい』


『私と一緒に歌ってほしい』


 このまま時間が止まればいいのに。






「がんばれ、凛夏!」





 どこかから、懐かしい父の声が聞こえた気がした。



 ▽


 爆発が起こったような大歓声に、私ははっと我に返った。


 鳴り止まない拍手と声援に、曲を歌い終えてしまったことに気付く。


 頭が真っ白でなにも考えられない。


 ただ分かることは、観客の放つとてつもない熱と、隣で沢里がボロボロと涙を零していることだけだった。


 また泣いてる。そう言おうとした瞬間、沢里にがしりと肩を組まれ、そのまま一緒にお辞儀をさせられた。


 そうだ、歌い終わったなら舞台からはけなければ。


「リンカーーー!!」


「ハルーーー!!」


 名残を惜しむかのような呼びかけにゆるゆると手を振って、私たちは舞台裏へと下がった。


「ちゃんと、歌えた、よね?」


 ぽつりと自分自身に問いかける。しまったと思った。途中から周りが見えていなかった。沢里だけを頼りに歌っていた。でもミスはなかったはずだ、そう無理やり納得する。


 体が熱い。終わってしまった。息苦しい。最後まで歌えた。


 沢里と一緒に。


 ぐるぐると巡る思考とともに目頭が熱くなってくる。


 沢里は腰に手を当て上を向きながらまだ泣いている。


 さすがに泣きすぎではないかと思い顔を覗き込むと、そのままその大きな体に抱き込まれてしまった。沢里の体も熱い。全力疾走した後のように心臓が跳ねているのが分かる。


「ありがとうリンカ、俺と歌ってくれて。リンカがいるから俺は本当の自分でいられる。ただの沢里初春として歌えるんだ」


 熱い体と穏やかな声に包まれて、とうとう私の両目からも涙が流れた。


「こちらこそありがとう。私に、人と歌う幸せを思い出させてくれて」


 沢里の大きな体をぎゅっと抱きしめ返す。暑くて仕方がないけれど、どうしようもない多幸感にただ身を任せる。


 二人で馬鹿みたいに泣いて、しばらくして恥ずかしくなって、肩を並べて舞台裏から逃げるように立ち去った。


 私たちは歌い切った。全力で。


 後悔はない。


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