十五、サマーライブ

第36話

 今日もまたアラームが鳴る前に目を覚ますと、カーテンの隙間から夜明け色がもれて、部屋を薄く照らしていた。


 ベッドから降りてカーテンを開けると雲ひとつない空が広がっている。


 七月一週目の土曜日。心穏やかにライブ本番の朝を迎えた。スマホのアラームを消し、平日と同じように制服に着替えて部屋を出る。


 私たちは高校生ゲストという名目で呼ばれているため、ステージでも制服を着用する。


 着慣れているという点では安心感があるし、校章さえ外してしまえば白地に紺のセーラー服というありふれた格好になるので学校の特定もされにくいだろう。


 もちろん腰に土井ちゃんからもらったお守りを下げるのを忘れない。


 家族はまだ寝ている時間だ。朝一番のリハーサルの時間を考えて、今のうちに適当にトーストでも食べておこう。


 食べた直後に歌うと上手く声が乗らないことがあるのだ。


 音を立てないように階段を下りると、ふわりとみそ汁のいい香りが漂ってきた。


 夜が明けたばかりなのに、キッチンの明かりがついている。


 そっとキッチンへと続く扉を開けると、そこにはエプロンを着た母が背を向けて料理をしている姿があった。


「おはよう」


 戸惑いつつあいさつをすると、母は首だけ振り返り朝食が並ぶダイニングテーブルを顎で示した。


「おはよう、今日早いんでしょう。ちゃんと朝ごはん食べて行きなさい」


「あ、ありがとう……」


 促されるままに席に着き、いただきますを言って目玉焼きに箸を入れる。


 母が食器を洗う音だけが響くのが虚しくて、私は思わず呟いていた。


「今日来てくれる?」


「……ええ」


 それを聞いて満足した私は、ご飯をかきこんで食器を下げる。例え母がどんな気持ちだろうと、見に来てくれることに意味があるのだと信じたいのだ。


「ごちそうさま!」


「もう行くの?」


「準備したらすぐに出るよ」


 これから沢里の家に行って、sawaさんの車に乗せてもらい会場へ移動する。それから本番までは忙しくなるだろう。


「あなたたち二人は、きっとどうしてもそうなんでしょうね」


 母のこぼした言葉に首を傾げる。


 二人とはどの二人のことだろう。


 急にライブに出ると言い出した私と沢里のことかもしれないし、音楽から逃れられない私と柾輝くんのことのようにも聞こえる。


 最近母はピアノを弾いていても文句を言わなくなった。


 物言いにも以前のような棘がない気がする。


 今日もライブに行く私のために早起きをしてご飯を用意してくれていた。


 私が沢里のおかげで変われたように、母も少しずつ変わっているのかもしれない。


「いってらっしゃい」


 穏やかな朝。思わぬ母の後押しを受けて、私は出発する。


「いってきます」


 きっと今日は私の人生で一番あつい日になるだろう。


 すでに太陽が待ちきれないとでも言うように輝き始めていた。



 ▽


「会場着いたら即発声練習、からのリハーサル。それが終わったら出番まで控え室で待機。予定では俺らの出番はまっ昼間の炎天下だから、熱中症には注意な!」


「分かった!」


「あとはスタッフさんや他の出演者の皆さんには元気よくあいさつすること!」


「オッケー!」


 車での移動中、テキパキと段取りを説明する沢里はやけにいさんでいるように見える。緊張しているわけでもなさそうだが、体力がもつのか心配だ。


「沢里、力抜こう。まだ会場にも着いてないよ」


「あー悪い、でもすげーワクワクしてどうしようもない」


「心がつよいな」


「二人とも特訓の成果を見せてくれよ」


「はい!」


「もちろん!」


 ハンドルを握るsawaさんの言葉に二人で大きく返事をする。


「しかしまあ、息もれ娘が本当に歌えるようになるとはねえ」


「分かっててライブに出したんだろ」


「あくまで予想は予想さ。それに、本当に息もれを克服したか、その結果はステージで見せてもらおう」


「はい、全力で頑張ります!」


「かたいかたい。さあ着いたよ」


 窓の外を見ると大きな広場にライブ会場が設営されているのが見えた。カラフルなメインステージが目を惹き、あそこに立つと思うだけで武者震いしてしまう。


「会場のすぐ近くに更衣室と控え室が設置されてるから、基本的にはその辺りにいるようにしてくれ。ライブの最後に出演者全員であいさつをするから、自分の出番が終わってもそのまま控え室で待機すること」


 車から降りるとsawaさんはそう言ってさっさと打ち合わせに入ってしまった。プロデューサーの忙しさは私たちとは桁違いのようだ。沢里に連れられて受付を済ませ、すぐに発声練習とリハーサルへと向かう。



「よろしくお願いします!」


 忙しなく動いているスタッフさんにあいさつし、指示どおりの場所で声を出す。


 私も沢里も普段と同じ声を出せている。このまま楽器と合わせることができれば大丈夫だ。指は散々車の中で動かしてきたので温まっている。


 そうこうしているうちにリハーサルを始めると言われ、私たちはすぐに舞台裏に移動した。


「緊張してる?」


「考えてる暇ないかも」


「当日ってこんなに忙しいんだな」


 薄暗い舞台裏に着いてすぐに入場と退場の段取りを教わり、すぐにマイクテストが始まる。


 二人縦に並んで、合図とともにステージへと駆け上がった。


 ぱっと開けた視界には、どこまでも青い空が映る。観客のいないだだっ広い空間には、数人のライブスタッフが話し合いながらこちらを確認していた。


 本番はこの会場いっぱいの人に見られながら歌うのだ。


 思わず沢里の方を見ると、妙に硬い表情をしているものだからこちらも焦ってしまう。


「じゃあ二人とも音出してー」


 その指示に従ってギターとキーボードを鳴らす。


 屋外では音の聞こえ方がいつもと異なる。このリハーサルでそれを把握して、本番に繋げなければならない。


 私たちは楽器の確認をしながら無事に一曲歌い、リハーサルを終えた。


「よし、歌えるな!」


「うん。大丈夫そう、調子いいよ。沢里は?」


「バッチリ問題ない。指も動くし」


 あっという間のリハーサルだったが、とりあえず今のところ主だった問題はなさそうだ。硬かった沢里の表情も歌い終わると和らいだ。自分の調子がいいと分かって安心したのかもしれない。


 ひとまず安堵し控え室の扉を開けると、他の出演者たちが集まり始めていた。中にはテレビで見たことのあるグループもいて、私はごくりと息を飲む。


 やけに注目を集めているのは制服のせいかもしれない。どう考えてもこの中に高校生は私たちしかいない。

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