第35話


 ▽


 今日は七月の第一金曜日。ライブ本番はとうとう明日にまで迫っていた。


 心は落ち着いている。楽観視はしていないが緊張しすぎるのもパフォーマンスに影響が出るのでよくない。ほどよく体の力を抜いて過ごすつもりだ。


 と思っていたら、登校するやいなや土井ちゃんに可愛らしい包みをもらった。


 頰を少し染めた土井ちゃんに促されて開封すると、フェルトで作ったお守りが現れる。


「甲子園の番組とかでよく見るじゃん、マネージャーの手作りお守り。真似して作ってみた!」


 照れ臭そうに言う土井ちゃんに何度もありがとうを言い、私はかわいいお守りを胸に抱いた。


「明日、凛夏をずっと見てる。もしどうしても緊張したら凛夏もステージから私を探して。とびきりの変顔するから!」


「もう、土井ちゃんたら。ありがとう! 頼りにしてるよ」


 ちなみに沢里の分のお守りは間に合わなかったので念を送るとのことだ。土井ちゃんの念は効きそうだ。


 授業を受けながら窓の外に広がる青空を眺め、リハーサルが行われているであろう会場を思い浮かべる。


 天気予報は快晴。暑さに負けないようにしっかりと準備しよう。


 ここ数日、緊張は刻一刻と高まっていったが、沢里と追い込み練習をする間は不思議と心が凪いでいた。


 ピアノとギターは問題なく弾けそうだ。今日は万全を期して放課後に何回か曲全体を合わせて、歌の調子がいいならそのままの状態で明日を迎えたい。


 それに沢里に話しておきたいこともある。


 穏やかに過ぎる時間が長く感じる。早く明日が来ればいいのに。そんなことを思うのは私が成長できたからだろうか。それとも早く皆に沢里の歌う姿をお披露目したいから?


 ぼんやりと他愛のないことを考えていると教科書の音読を当てられた。焦って立ち上がるとその拍子に椅子を盛大に倒してしまう。


 斜め後ろから沢里の笑い声が聞こえてきた。


 緊張感のないやつだ。向こうも私のことをそう思っているかもしれないけれど。



 ▽


「いよいよ明日だね」


「なんか長かったような短かったような」


「密度は濃かったよね。絶対に無理だと思ってたのに、沢里と一緒に歌えるようになったんだから」


「それなー」


 放課後の練習室。沢里と二人で根詰めて歌うのもこれで最後かもしれない。感慨にふけりながら明日への意気込みを口にして気合いを入れる。


「私、腹くくった。本番なにがあっても歌い切る。沢里は?」


「俺ももちろん、全力を尽くす。リンカの隣で歌うのにリンカに恥かかせるわけにいかないからな」


「まだそんなこと言ってるの? もし失敗しても恥なんて思わないし、カバーし合えばいいんだよ」


「そうだなあ」


 沢里はそう言って目を閉じ、しばらく黙ってしまう。集中しているのかもしれないと思い見守っていると、ふと声をかけられる。


「なあリンカ、腹くくったんだよな?」


「ん? うん」


「なにがあっても歌い切るんだよな?」


「うん。なによ急に」


 目を開けた沢里はやけに真剣な表情でこちらを見つめる。私もつられて口を引き結ぶ。


「なら、今のうちに言っておく。明日のライブ、お前の中学時代の部活仲間にチケット渡してある」


「え……」


 ぱんっと両手を合わせて頭を下げる沢里。


「勝手なことして悪かった! でも、どうしても今のリンカの姿を見てほしかったんだ。お前は呼ばないって言うから、俺が――」


「ち、ちょっと待って! チケット渡したって、一体どうやって!?」


 突然のことに頭が追いつかない。沢里が私の中学時代の同級生と簡単に接触できるとは思えないからだ。


「リンカのお父さんに手伝ってもらって……」


「お、おとうさんに?」


 聞くと串カツを食べに行ったあの日、ちゃっかりSNSのIDを交換していたらしい。


 義父の協力の下、中学の部活の顧問を通してチケットを渡してもらったのだと言う。


 開いた口が塞がらないとはこのことだ。悪いことをした時の犬みたいに身を縮こませている沢里を見て、私は急におかしくなって笑ってしまった。


 偶然にも、お互い考えることは同じだったのだ。


「ふ、あはははっ」


 急に笑い出した私を怪訝な目で見る沢里に、息も切れ切れに説明する。


「あーおかしい! だって私たち、同じことしてるんだもん。私も沢里の前の学校の人ライブに呼んじゃった! 勝手にごめん!!」


「ええっ!?!?」


 今度は沢里が目を白黒させる番だ。


 それは沢里がいない隙を狙って、沢里のお母さんに会いに行った日。


 沢里には内緒で前の学校の音楽コースの人に連絡を取れないか相談したのだ。


 すると沢里のお母さんが音楽コースの先生に連絡を取ってくれて、無事にチケットを五枚送ることに成功した。


「マジ?」


「マジ。どうしても沢里の姿を見てもらいたくて。だからおあいこだね」


 私たちは顔を見合わせて、同時に吹き出した。


 二人で涙が出るほどけらけら笑って、笑いすぎて苦しくなって、練習室の床に転がった。


「はー、まあチケット渡したってだけで、本当に来てくれるかは分からないけど」


「ああ、それはこっちもそうだ。いや、でも、なんだよもー! 絶対怒られると思ってたからギリギリまで黙ってたのに!」


「私も今日言おうと思ってたんだよ。これだけ一緒に歌ってたら考えることも似てくるのかな」


「じゃあ俺が今考えてること分かる?」


 沢里はむくりと上半身を起こして問う。


「んー、ライブが終わった後のこと考えてる」


「あたり」


 降参とでも言うようにお手上げする沢里。明日のライブを終えたら。気が早いとは思うが私も考えている。


 もう【linK】として顔を出して歌うことにためらいはない。あれほど中学の時の仲間に【linK】であることを知られたくなかったのに、もうどうでもよくなってしまった。


 毎日のように罪悪感に苛まれ、誰かと歌うことすらできなかった自分はもういない。


 沢里の隣で歌うことが私のなにより大切なこと。


 明日が終わって一緒に歌う理由がなくなっても、きっと歌が私たちを繋ぐ。


「なにも心配いらないよ。一緒に歌おう」


「――リンカは不思議だな」


「え?」


「俺を歌わせるために、神さまが出会わせてくれたみたいだ」


 それはこちらの台詞だ。きっと私の方が先に沢里のことをそう思っていた。


 沢里の幸せそうな笑顔を見ていると、自分の気持ちが分からなくなる。


 明日が早く来てほしいのに、まだもう少しだけ、このままでいたいと思うなんて。


「ライブが終わったら俺たちどうしてるんだろう」


「さあ、どうせ歌ってるよ。だって私たちだもん」

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