第33話


 再テストになんとか合格し、私たちは再び特訓漬けの毎日に戻った。


 こうして放課後の全ての時間を費やしても、まだまだ時間が足りずに焦りが生まれる。


 沢里の声に合わせて、あと少しのところまできてはいるのに。


 ライブでも歌う【linK】の新曲は、SNSで公開したものを少しアレンジした。


 前半は沢里のコーラスに私がメロディーをのせる。そして後半は立場を逆にして、私がコーラス、沢里にメロディーを歌ってもらうことにした。


 最後のサビは壮大にユニゾンで決めたいのだが、問題は私がまだ最後のサビを歌いきれないことだ。


 最悪の場合、最後は沢里だけで歌ってもらうことになるかもしれない。けれどそれではsawaさんに言われた「二人で一曲歌い切る」ことにはならない。もう少しのところで行き詰ってしまった。


 酸素が足りずに肩を上下させる私の姿に、沢里が問いかける。


「なあ、なにか不安に思ってることはないか?」


「はあ、はあ、そりゃあ当日のことを考えるとめちゃくちゃ不安だよ」


「そうじゃなくってさ、ライブに出るにあたってもやもやしてること。そういうの解消したらもっと心が軽くなって、歌いやすくなるんじゃないか?」


 そう言われて私は納得する。私の息もれはどうやら精神的な部分が大きく影響しているらしい。やるべきことを後回しにして、心が晴れていないことが歌に表れているのではないか。


 不安の原因には心当たりがある。


 私は大切なことからまた逃げている。


「まずは気になってることを片付けて、もう後は歌うだけって状態まで持っていこうぜ!」


「分かった。ごめん、そしたら今日の特訓はここまでで!」


「おう!」


 沢里に頭を下げてから、私は練習室を後にしてすぐに土井ちゃんに電話をする。この時間土井ちゃんはもう家にいるはずだ。数コール後に明るい声が聞こえてきた。


「もしもーし、どした?」


「土井ちゃん! あの、今から会えないかな!?」


「今から? さっき家着いちゃったけど……」


「分かった! 今から土井ちゃんちの近くまで行くね!」


「ん? ちょっと凛夏?」


 そのまま通話を終えて、雨粒がびしびしと顔に当たるのも気にせず駅へと駆ける。土井ちゃんの家は駅前からバスに乗って十五分ほどの住宅街だ。


 土井ちゃんに正体を明かせずにもやもやしているのが歌に表れている。そのわだかまりはずっと胸の中にあった。これまでは一人で歌っていたから誤魔化せたけれど、沢里と歌うのに不安要素を抱えていられない。


 例え怒られても嫌われても、黙っているよりはマシだ。大勢の前で歌う覚悟をしたはずなのに、土井ちゃんの反応を思うと全身に緊張が走る。


 バスに揺られながら、私は必死に言葉を考える。まずは、謝らなければいけないことを伝える。黙っていたことがあると。そして、私は土井ちゃんのことを大切な親友だと思っていることは必ず言っておかないといけない。そして私が【linK】である、ということを伝える。家庭や過去のしがらみで正体を隠していたこと。沢里とライブに出るから観に来てほしいということ。


 考えれば考えるほど自分勝手な話で、私は額に手を当ててため息をつく。


 バスを降りると雨が少しだけ激しさを増して、傘を持っていないことに気が付く。頭の先と肩からじんわりと冷たさが広がる。


 土井ちゃんに連絡をしようとしたその時、雨音の向こう側から「凛夏!」と焦った声が聞こえた。


「ちょっとちょっと、びしょぬれじゃん! 水浴びにはまだ早いって!」


 冷えて震える唇を無理やり開く。駆け寄って傘に入れてくれる土井ちゃんの腕をぎゅうと握り、私は息を吐いた。


「私が【linK】なの」


 呆れるほどそのままの言葉が震える息にのる。


 伝えることとその順序を散々考えたというのに、現実は思うようにいかない。


「黙っててごめんなさい……」


 縋るように土井ちゃんの腕を掴み、顔を伏せる。濡れた髪から落ちる雫が頬を伝って、そのまま首元に消えた。土井ちゃんの傘が水を弾くリズムと地面を打つ雨音が踊る。


 いつまでそうしていただろう。長く感じるがほんの一瞬かもしれない。土井ちゃんはそんな空白の後にゆっくりと口を開いた。


「うん、知ってた」


「え……」


「そうじゃないかなと思ってた」


 予想だにしない返答に私は顔を上げて目を剥く。土井ちゃんは腕を掴む私の手を外し、そのまま私の小指のほくろをそっと撫でた。


「あ……」


「そうだったらいいなと思ってた」


 そう言って目尻を下げて笑う私の親友は、最初から全てお見通しだったのだ。ぶわりと視界がにじむ。


「怒らないの? ずっと黙ってて、土井ちゃんが【linK】のこと話してるのをニヤニヤしながら聞いてたんだよ?」


「【linK】のことが好きで、凛夏のことも大好きだから怒らないよ。でも私から【linK】なの? って聞くのはなんか違うなと思って。だから、言ってくれてありがとう」


「土井ちゃん……!!」


 涙が雨と混ざって頬を濡らす。困ったように笑う親友は片手を私の背に回す。


 一本の傘の下で、私たちは雨に濡れないようにぎゅっと抱きしめあった。



 すっかり濡れねずみになってしまった私は土井ちゃんの家で着替えを貸してもらい、暖かいココアまでごちそうになっている。土井ちゃんはスマホで【linK】の曲を流し、この歌詞がどうのここの音がどうのと語っていて、私は自分がどれだけ幸せ者であるかを噛みしめた。


 その後私はぽつりぽつりと【linK】のことと、家のこと、過去のことを語った。土井ちゃんはそれを黙って聞いてくれた。


 そして沢里のことを話すと急に天を仰いで頭を抱えてしまったのでドキリとする。


「あー悔しい! 沢里も気付いてたんだ! しかも沢里が【haru.】って……もしかして放課後二人でしょっちゅう消えてたのは曲作ってたから?」


「ご、ごめん」


「あーもう許す! だって、新曲めちゃくちゃよかったもん。でも急にどうして教えてくれる気になったの?」


「あっそうだった! あのね、今度ライブに出るの。土井ちゃんをどうしても呼びたくて、でもその前に黙ってたことを謝りたくて」


「ライブ?」


 サワソニのことを説明すると「毎年やってるフェスじゃん! すごいね!」と無邪気な笑顔で返される。私はまた泣きそうになって、ココアで温まった顔をカーディガンの袖で隠して誤魔化した。


 土井ちゃんには二枚のチケットを渡す。元々土井ちゃんの分として確保していたものと、柾輝くんの分だ。


「一人じゃ寂しいかもしれないから、誰か音楽好きな人がいたら一緒に来て」


「分かった!」


 土井ちゃんの笑顔に心がすっと軽くなったのを感じた。私はなにをためらっていたのだろう。土井ちゃんは中学時代の仲間とは違い、ちゃんと私の声を聞いてくれる人だと分かっていたのに。


「めっちゃ楽しみ! 応援してるからね」


「ありがとう。土井ちゃんは私の大切な親友だよ」


「へへっ。なにさ急に。私も凛夏が大切だよ」


 顔を見合わせて笑い合う。ふと窓の外を見ると、雨はもう上がっていた。

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