十三、レイニーデイ

第32話

「返信くらいしてよ」


 怒っているつもりが存外気弱な声になってしまった。私はスマホから口を少し離して小さくため息をつく。ゴホゴホと咳き込む音の後に、しゃがれた声が続く。


「だから悪かったって言ってるだろ」


「体調崩してたならそう言ってくれればよかったのに! 余計な心配したんだからね!」


 ようやく柾輝くんと連絡がついたと思ったら、盛大に風邪を引いていたらしい。しかも一度治って無茶をしたらすぐにぶり返したとか。鼻声の「あーうるせー」が聞こえてきて、私は気を揉みながらも柾輝くんの声が聞けたことに安堵していた。


「ファミレスではごめんね。透流さ……新しいお兄さんにはちゃんと柾輝くんのこと説明したから」


「別に気にしてねー」


「ちゃんと謝らせて。私、あの時お母さんのことが頭によぎっちゃって、柾輝くんが兄だって言えなかったから……」


「分かってる。連絡しなかったのはマジでこっちも忙しかったんだよ。ライブもあるわイベントもあるわ」


「そうだったんだ」


 ライブ。その単語にそわっとしてしまう。なにを隠そう柾輝くんに電話したのはそのことを話すためだった。


「柾輝くん、あのね。いきなりなんだけど、私ライブに出ることになったの」


「は?」


「【linK】としてステージに立つことにした」


 柾輝くんはそれを聞いてしばらく黙った後、小さく「そうか」とだけ呟く。


「だから観に来てくれないかな? 来月の第一土曜日!」


「あー」


 柾輝くんは再度咳き込み、小さな声で言った。


「悪い、その日は俺もライブだわ」


「あ……。そう、なんだ。そっか、忙しいんだもんね」


 人生初の晴れ舞台を柾輝くんに観てもらえないなんて。仕方がないとはいえショックを隠せず私は放心する。


 珍しく重ねて謝ってくる柾輝くんに、私は慌ててわざと明るい声で話題を変えた。


「し、新曲聴いてくれた?」


「ああ、あれな。よかったと思う。新しいコーラスもいいんじゃないか」


「本当? よかったあ」


 柾輝くんのお墨付きをもらえれば沢里も安心するだろう。


「しかしよく顔出しする気になったな」


 そのひとり言のような呟きがじんと胸に染みる。柾輝くんは今まで【linK】を支え続けてくれた分、顔出しを拒否する私のこともよく知っている。突然顔出しする気になったと言ったら疑問に思って当然だ。


 私は小さく息を吸い、ゆっくりと話を始める。


「うん。柾輝くん、前に言ったでしょ。【linK】も私もどっちも私なんだって。ようやくそれが分かったの。私ね、音楽を続けてるつもりでいて、結局逃げてた。昔の自分からは目を背けて、新しい家族と上手くやれないのも私にはどうしようもないことだって思ってた。けどもうそういうのやめる。一回全部捨てて、歌ってみようと思う」


 柾輝くんはゆっくりと相槌を打って聞いてくれた。そしてまたぽつりと言う。


「【haru.】のおかげだな」


「え? なんで分かるの?」


「分かるっつーの。俺にできなかったことをできるとしたらそいつしかいない」


 柾輝くんにできなかったこと。それがなんなのかを考えるがすぐには思いつかない。柾輝くんはたくさんのことを私に教えてくれたのになぜそんなことを言うのだろう。


「ようやくお前には俺が必要なくなったんだって思ったよ」


「そ、そんなことない! なに言ってるの?」


 今日の柾輝くんは様子がおかしい。体調が悪くてアンニュイな気分になっているのかもしれない。

 そういえば昔から具合が悪いとよくしゃべる性質たちだったことを思い出す。


「好きに歌え。俺も好きに歌うから。じゃあな」


「うん……」


 ライブを控えているのだから無理をさせるわけにはいかない。私は浮かない気持ちで通話を終えた。


 私の音楽に柾輝くんが必要ないなんてことはありえない。今までもこれからも。柾輝くんと作った【linK】という存在こそがその証明であるというのに。


「ライブに来てほしかったな……。まあ後でアーカイブ見てもらえばいいか」


 柾輝くんの忙しさは今に始まったことではない。ライブの後にダメ出しをされないように全力を尽くすのみ。


 そして、私が足を踏み出した姿をきちんと見せたい。そしてもう心配ないよと伝えたいのだ。柾輝くんは私の大切な家族だから。



 ▽


 雨に濡れたアスファルトの匂いが漂う通学路を、傘をさしながらぼんやりと歩く。薄雲から零れる雨粒とともに清涼な音が降っていた。


 様々な出来事が立て続けに起こった高二の春は終わり、梅雨に入った。ぱっと思い出す記憶は全て沢里と過ごした時間だ。

 

 これから楽しい夏を迎えようというのに、私の気持ちはざわついていた。


 視界に入った淡い色の傘に、私は気合を入れて話しかける。


「おはよう土井ちゃん!」


「おはよー凛夏。雨だねえ」


 まだ眠たそうにしている土井ちゃんは私に気付いてイヤホンを外した。


「あのさ、この日って空いてる?」


 スマホのカレンダーを示して尋ねると、土井ちゃんは同じくスマホでスケジュールを確認して指で丸を作る。


「空いてるよ! え、なになに? 遊びに行く?」


「ええと、その……。んーとりあえず空けておいてほしい!」


「オッケー!」


 上手く説明ができずに誤魔化す。土井ちゃんがあっけらかんとしているのが救いだ。


 土井ちゃんに【linK】であることを明かし、ライブに誘う。その一連の行動を私は躊躇していた。今日こそはと意気込んで土井ちゃんに話しかけるのはいいものの、笑顔を向けられると途端に言い出せなくなってしまう。


 この笑顔を怒りに染めてしまうかもしれない。


 嫌われるかもしれない。


 そんな悪い想像に支配されしまうのだ。


 また今朝も言えなかった。


 私は土井ちゃんの横に並び、傘に流れる雨の筋を黙って見つめた。


「どうしたー?」


「ううん、なんでもないよ」


 私はどうしようもなく臆病者だ。

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