第31話

 幸いにも私は理系科目が得意で、沢里は文系科目が得意。つまり互いの苦手な部分を教え合うことができる。


 そうしているうちに西日が手元を照らし、やがて暮れていく。


 いつから沢里と音楽以外のことでもこうして当たり前に一緒にいるようになったのだろう。


 私はふと向かいに座る沢里を盗み見る。伏せられた目に長いまつ毛が影を作っている。その長さを少しでもいいから分けてほしいとぼんやり思っていると、不意に目と目が合った。


「こら、集中」


「はい」


 結局図書室が閉まるギリギリまで勉強し、私たちは帰路に着いた。


 集中して勉強すると糖分がほしくなる。コンビニで買ったアイスモナカにかぶりついていると、沢里が思い出したように言う。


「そういえば、これ。サワソニのチケットな」


「チケット?」


 十枚綴りの紙を手渡される。チラシと同じカラフルなイラストが目を惹いた。


「そ、家族とか友達に配りたいだろ?」


「え?」


「えってまさかリンカ、誰も呼ばないつもりか?」


 失念していたという顔を隠せていなかったらしい。沢里の突っ込みに私は考え込む。


 義父はもしかしたら観たいと言うかもしれない。しかし母は? 透流さんは?


 未だに返信がない柾輝くんは、果たして来てくれるだろうか。


 そもそも私はちゃんと【linK】として歌うべきなのか。


 声でバレる可能性はあるものの、名乗らなければ誤魔化せるかもしれない。


「ねえ沢里、私って【linK】を名乗った方がいいと思う?」


「んー?」


 答えが分かりきった問いだ。沢里は【linK】と歌いたいだろう。しかし返ってきたのは予想と違う答えだった。


「どっちでもいいよ」


「へ?」


「どっちも同じリンカだから」


 それは聞いたことのある言葉だった。私ははっとして沢里を見る。


 どっちも私。どちらかが偽者じゃない。歌うと決めたのは私で、その私は【linK】でもある。


 目を閉じると【linK】として歌う私と、その隣に立つ沢里の姿が想像できた。想像できることはつまり実現できるということに等しいのだと、どこかで聞いたことがあった。


 前に柾輝くんに言われたことが、ようやくすとんと胸に落ちる。


「今回は【linK】でいく。【linK】として、私の姿を見せるよ」


「いいんだな? 土井や他の皆にも、【linK】ってバレるんだぞ」


「うん」


 私はチケットを胸の前で抱き、土井ちゃんを想う。【linK】のことをとても大切にしてくれる大好きな親友。


「私、土井ちゃんをライブに呼びたい。怒られてもいい、根に持たれてもいい。【linK】を隠してたこと謝って、私の全力を見てほしい」


 黙っていたことを仕方がなかったと言うつもりはない。ただ、土井ちゃんの情熱に支えられて【linK】は歌ってきたのだということを伝えたい。私が私の姿でちゃんと。


「ああ、そうだな」


 だからチケットの一枚は必ず土井ちゃんに渡す。そして言うのだ。私の歌を聴いてほしいと。


 手元で家族の分、土井ちゃんの分とチケットを数えていてふと思い立つ。


「ねえ、前の学校の人ってライブに呼ぶ?」


 きょとんとする沢里につられて私も口をつぐむ。


「んーいや、さすがにこのチケットは仲いい友達に配るよ。他の出演者も豪華だし、観たいやついると思うからさ」


「でもそれじゃあ沢里の実力を分からせられないよ」


「リンカの気持ちはありがたいけど、俺は別にそのことに固執してないしな。sawaの息子だってこと隠して歌えればそれでいい。それに、リンカと一緒にステージに立てるだけで胸いっぱいだよ。そう言うリンカは中学のやつら呼ぶのか? 俺的には呼んでほしいんだけど」


「そうするとチケット足りないしいいや」


「そっか。まあ当日中継も入るから、それで目に入るだろ」


「中継!?」


 聞くとライブは最初から最後までネット中継されるらしい。初耳の事実にあんぐり口を開ける。私たちの初ステージは予想以上の大舞台だった。ぶるりと身を震わせる私に対し「緊張してきたか?」とどこか余裕の沢里。


 当然だ。一曲通して生演奏するのは配信でもなかなかしない。


 ネット中継されるのならば、沢里の言うように中学の同期たちに見られる可能性は高いだろう。


 あとひと月で歌えなければ醜態を晒すことになる。


 あのステージ上で歌えなくなる悪夢を繰り返すことだけはしたくない。


 ごくりと息を飲む私の背を沢里がばしりと叩いた。


「大丈夫だって! 俺がいるだろ」


「う、うん」


「でもまずは勉強だ。土日は図書館にでもこもるかなー。な、リンカも来いよ」


「ん。気が向いたら」


 溶けかけたアイスモナカを口に押し込み、私は高まる緊張に知らんぷりを決め込んだ。



 ▽


 土曜日、沢里に連絡をして街の図書館にいることを確認した。


 私は意を決して重厚な扉の前に立ち、沢里と書かれた表札の下にあるインターホンを押す。


 沢里に謝らなければならない。チケットが足りないなんて嘘だ。家族と土井ちゃんに渡しても五枚余る。


 しかし私はその余りを別の使い道に回したかった。そのためには沢里が家にいない隙にやらなければならないことがある。


「あの、突然すみません。五十嵐凛夏です。少しご相談したいことが……」


「あら凛夏ちゃん? どうぞ入って」


 沢里のお母さんに招き入れられる。まず最初に言うべきは、これから話すことは沢里には内緒にしてほしいということだ。


 勝手な行動を許してほしい。

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