十二、ヘッドオンゲーム

第30話

「姿勢が悪いのかもしれない」


「姿勢?」


「そう、あと腹筋」


「腹筋……」


 透流さんの言葉にそういえば最近筋トレを怠っていることを思い出す。


 息もれについて透流さんなりに調べてくれている。ありがたいと思いながらも音楽のことで透流さんの協力を得られるとはなんとも不思議な気分である。


 夕食を取りながら面と向かってひとつのことについて話すなんて以前までは考えられなかった光景だ。


 お互いが歩み寄った、と言えばいいのか自然にその形に収まったのか。とにかく透流さんと息もれについて話し合う時間は苦ではない。


 その代わり、母とは気まずくなってしまった。大きな喧嘩をしたわけではない。私が柾輝くんと会っていることを知られてからなんとなく空気が重いのだ。私が勝手に後ろめたいと思っているだけかもしれない。最近は柾輝くんと連絡を取っていないので堂々としていればいいのだが、見えない壁に阻まれている。


 おとうさんと透流さんと少しだけ仲よくなれたのに、今度は母と柾輝くんが遠のいてしまった。家族は難しい。私の永遠の課題かもしれない。


「あ、父さん帰ってきたよ」


「おとうさん!!」


 食事の途中にも関わらず私はリビングを飛び出し、帰宅したばかりの義父に突撃した。義父は「驚いた」と言いながらもにこにこしている。


「おとうさんちょっといい?」


「はいはい」


 内緒話をするように声を潜める。


「もし、私が、音楽の、ライブに出たいって言ったら、賛成してくれますか」


「うん」


「やった! ありがとう」


 当たり前のように肯定する義父に礼を言う。ぴょんぴょんと玄関を跳ねていると「ライブに出たいの?」と聞かれた。私はまた小声になって説明する。


「そうなの。それでね、保護者の同意が必要なんだけど、お母さんに知られたくなくて……」


「おーいお母さん、凛夏ちゃんが音楽のライブに出たいって」


「うわー!! おとうさんの裏切り者―!」


 義父の呼びかけに応え、母がこちらに向かってくる。私はさっと義父の背中に隠れるが、いつまでたっても母の怒鳴り声は聞こえてこない。


「好きにしなさい」


「え?」


 それだけ言って母はキッチンに戻ってしまう。私が呆気にとられていると義父が「よかったね」と声をかけてくる。


「お母さんどうしたのかな」


「凛夏ちゃんの一言が予想以上に効いたみたいだよ」


「私の一言?」


 なにか特別なことを言っただろうか? 首を傾げると義父は笑っていた。


 無事に保護者の同意も得られ、サワソニに出演することが決定した。sawaさんに返事をするとさっそくライブのゲスト出演枠に入れてもらえることになったとのことだ。


 ライブについての細かいやり取りは沢里に任せきりにしてしまっているのが申し訳ないが、私にはなによりも優先すべきことがある。


 それは当然、息もれ対策トレーニングだ。


 一人の時はひたすらブレスの練習と筋トレに励み、放課後になると沢里と一緒に練習室で【linK】の曲を歌う。家では各自ピアノとギターの練習に励むことにした。


 サワソニはアーティストが生演奏することが前提のライブなので、私たちはキーボードとギターで新曲を披露することになる。それもまた緊張をあおる要素であった。


 sawaさんに教えてもらった、お互いに向かい合って呼吸を合わせて歌う方法を続けると、徐々に歌える時間が伸びていくのが分かった。Aメロからサビ、サビからBメロへ。呼吸が続くことがこんなに嬉しいと思ったことはない。時折調子が悪くなることもあるが、その頻度も減っている。最初は遠慮がちだった沢里ももうなりふり構わず歌に集中するようになった。


 そうやっているとまるで二人で舞台に立っているようだ。沢里と歌う時はそんなイメージをするようにしている。大勢の観客の前で沢里と一緒にステージに立つ。沢里はギター、私はキーボードを弾きながら歌う。そんな想像をしていると、少しずつ嫌な妄想から逃れられることに気が付いた。


 私を責め立てる声が、想像の中の歓声でかき消される。冷たく刺さる視線は、熱狂的な視線へと変わる。


 もう少し、というところまではいくようになった。


 トレーニングは順調だ。まだ一曲まるまるは歌えないけれど、確実に結果が出ている。


 ライブまでのひと月を歌に費やす。そのつもりで日々取り組んでいた。


 しかし思わぬ邪魔が入ってしまい、私たちは盛大に頭を抱えることになる。


「赤点……!!」


「はは、まあ勉強してなかったからな!」


「笑いごとじゃないよ!」


 そう、慌ただしく過ぎる時間の中で迎えた中間試験で、私は古文漢文の、沢里は数学の赤点を取ってしまったのだ。


 貴重な放課後の練習時間を削り、図書室で泣く泣く参考書を開く。


 透流さんに教えてもらった科目は問題なかった。英語、数学、物理化学。しかし国語、特に漢文はノータッチだったのだ。母と透流さんの鬼の形相が目に浮かぶ。私は机に顔を突っ伏して現実逃避に励むことにした。


 一方沢里は転校後初の試験ということもあり、授業の進み具合やカリキュラムの差がある中で健闘した方だと思う。文系科目に至っては私よりもはるかに点が高い。


 バックコーラスの練習もして私のトレーニングにも付き合ってくれていたというのに一体いつ勉強していたのか。


 沢里の影の努力に私は焦る。前にも思ったが、音楽でもすぐに置いていかれてしまいそうなのに勉強でも敵わないとなると激しく劣等感を抱いてしまう。


「やばいやばいマジでやばい」


「再テストまで特訓はお預けだな」


「うん……」


 週明けの再テストまで猛勉強しなければ、母の気が変わってライブに出るなと言われかねない。


 sawaさんも赤点を取ってまで特訓しろとは言っていないのだし、勉強を疎かにして白い目で見られたらたまらない。


「学生の本分は!」


「学業!」


 その言葉を合図に、二人でただがむしゃらに机に向かった。


 

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