第27話

「も、もしかしてシンガーソングライターのsawa サワさん、ですか?」


「はいはい」


「親父、こっちは前に言ったクラスメイトの五十嵐さんな」


「ははん、例の息もれ娘ね」


「息もれ娘……そうです。あの、今日はよろしくお願いします。これお土産……」


「お、サンキュー! 気がきくねー」


「親父!」


 手土産のアップルパイを渡すとにこにこする沢里のお父さん――sawaさんを私はまじまじと見つめてしまう。


 世界的に有名なアーティスト、sawa。その幅広い音楽活動で国民的楽曲を多く生み出していて、テレビで彼の曲が流れない日はないほどだ。最近はプロデュース側に回ることが多く、数々の実力派アーティストを世に送り出している。


 予想どおりとんでもない人だった。その場で棒立ちになっていると、sawaさんが顎でクイッとマイクを示す。


「じゃ始めようか」


 時間が惜しいと言うようにsawaさんはそこら辺の紙束を私にまとめて手渡す。見ると誰もが知っているような童謡の楽譜だった。私は頷き急いでマイクの前に立つ。


「軽く発声から」


「はい!」


 sawaさんのキーボードに合わせて声を出す。オクターブ、スタッカート、そしてブレス。「い」の口でリズムに合わせて息だけを吐く。適度な負荷がかかり肺の準備運動にもなる。sawaさんは私を注意深く見てから、うんと頷く。


「じゃあ次『さくらさくら』」


 sawaさんは次に童謡の『さくらさくら』を歌うように指示する。さすがはプロのミュージシャン、そのスピーディーさに付いていくので精一杯だ。沢里は幼い頃からこんな指導を受けて育ったのかと思うと尊敬すら抱く。


 キーボードに合わせ、私は楽譜どおりに主旋律を歌った。さくらさくらはゆったりとした歌いやすい曲だが、sawaさんはなぜかよりゆっくりとキーボードを弾いているように思った。


 どれだけ息が続くか見られている。そのためにわざとゆったりとした歌を歌わせている。


 sawaさんの意図に気付きどきりとするが、そもそも息もれについて相談しに来たのだから呼吸を観察されるのは当然だ。むしろちゃんと見てくれていることに感謝しないといけない。


 無事に歌い終えると今度はsawaさんの指示が沢里に飛ぶ。沢里はひとつ頷いて私の横に並んだ。


「じゃあ次ユニゾンで」


 来た。私は思わず身構えた。ユニゾンとは同じメロディーを複数人で歌うこと。沢里と一緒に声を合わせるということだ。


「大丈夫、気を楽にな」


「うん」


 沢里とでなければ素直に頷けないだろう。私は息もれを克服したい。そしていつか沢里と歌ってみたいのだ。【linK】の曲を丸々一曲、止まることなく。


 前奏が流れる。私は強い気持ちを持って声を出した。




「ブレスの位置が狭まってる」


 sawaさんの言葉に私はガクリとうなだれる。沢里と一緒にさくらさくらを歌った結果、一番が終わるころに力尽きた。声を出そうとすればするほど、息のみが勝手に吐き出される。気持ちを強く持っても体が付いてこない。


 持って来たペットボトルの水を一口飲み、喉の動きを確かめる。なにが悪いのか自分では分からない。


「一人で歌っているときはのびのびとしていてとてもよかった。音程も正確だし、息も続く。でも二人で歌うと途端ににブレスがおかしくなるんだ」


 ブレスの位置。二人で歌っている時は迫りくる妄想を払いのけるのに必死で考えられない。楽譜に息を吸う位置を書き込んでも、息が続かなくて結局そこまで我慢できずに吸ってしまう。


「……ふむ。じゃ、はる。ピアノ」


 なにかを考える素振りを見せた後、sawaさんはキーボードを沢里に託し私の前に立った。


 真正面にくるsawaさんの派手なアロハシャツ。思わず横にずれようとすると、がしりと両肩を掴まれる。


「娘よ、次は僕のブレスに合わせて歌うんだ」


「へ?」


「ワン、ツー」


 突然の合図に目を白黒させていると、沢里が前奏を弾き始める。


 肩を掴まれたまま、sawaさんの顔を見るしかない状況で歌い始める。sawaさんはわざと呼吸が分かりやすいように歌い、それにつられて私も同じ場所で息をする。


 がっちりと合された視線を外すことができない。


 今私はsawaさんの不思議な力で歌わされている。


 気が付くとさくらさくらを全て歌い終えていた。息もれすることなく、呼吸に喘ぐこともなく、他人と一曲歌いきったのだ。


 呆然とする私にsawaさんが言い放った。


「んー実に単純! 余計なことを考えずに誰かの呼吸に合わせればよし!」


「あ……」


 その時私は歌っている最中はsawaさんの濃すぎる顔面しか見ていなかったことに気付く。その強烈なインパクトに、悪い妄想が吹き飛ばされていたのだ。


「マジ?」


 これには沢里も唖然としている。


「一緒に歌う相手をよく見るんだ。なるべく正面から。言葉のとおり呼吸を合わせて歌う。ユニゾンができたら徐々に別パートを歌えるように訓練する。理解できたかい?」


「は、はい!」


「春、娘と歌う時ブレスはなるべく大げさに。呼吸を促すような指揮があるとなお良し」


「ち、ちょっと待ってくれ。それってリンカが歌えるかどうかは俺にかかってるってことか?」


 私はそれを聞いてはっとする。sawaさんは当たり前のことのように私を歌わせた。けれどそれはsawaさんだから簡単にやっているように見えるのであって、実際に一緒に歌う沢里には荷が重いのではないか。


 沢里もプレッシャーに感じるに違いない。


「ヘイヘイ! まさかできないとでも? 彼女の息もれを治したいとあれだけしつこく頼みこんできたのは嘘だったと?」


「えっ」


「ば、親父!」


 どたばたと沢里がsawaさんをスタジオの隅に押しやってしまう。


 私がここでsawaさんに見てもらえたのは、沢里が必死に頼んでくれたから。


 私のために無理を言ってくれたのだ。沢里の心遣いに胸がぎゅっと締め付けられる。


 

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