第24話
「ちょっと!?」
「ゴミ出し行くんだろ? 持つから案内して。俺まだゴミ出し場の場所知らないんだよな。場所が分からないって言うと、誰かが代わってくれてさ」
「ヒトの話を――」
「聞いてる」
能天気な話をつづける沢里だったが、不意にその目が真剣なものに変わる。そして集積所までもう少しというところで沢里は足を止めた。
「リンカが絡まれるのは俺のせいなんだからかばって当然だ」
「それを望んでないって言ってるの」
「それはなんでだ?」
「だから、私が沢里に釣り合わないから! 沢里が私をかばうと余計に反感買うし、沢里だって悪く思われるかもしれないじゃん!」
一から十まで説明しないと分からないなんて鈍い男だ。それでも沢里はわけが分からないという表情で見降ろしてくる。
そんな顔をしたって私だってこんなことを言いたくて言っているのではない。
ただもう私の知らないところで私を守ろうとするのを止めたいし、今日の昼のように表立ってもしてほしくないのだ。
「そ、それが分からないならもう動画に出さないから!」
分かってもらえないのならもはや最終手段である。新曲が上手くいったことは確かに沢里の力を借りたからで、もちろん感謝している。
これは心にもないただの脅かしだ。文脈から私の嫌がり具合が伝わればいいと思っての言葉でしかない。
これで少しは私の言うことに耳を傾けてくれるだろうと思っていた。
その大きく見開かれた両目から、ぼろりと涙が零れ落ちるまでは。
「え!?!?!?」
今度は私の目玉が飛び出る番だった。驚きすぎて声も出ない。あの沢里が泣いている。本人もなにが起こったか分からないような表情で、自分の目から流れる涙を不思議そうに指で拭っていた。
「さささ、沢里!?!?!?」
「あー……悪ぃ」
思考回路が壊れてしまったかのようになにも言葉が浮かんでこない。ただ沢里がぐっと上を向くのを見守るしかできなかった。一拍後、微かな声がその場にぽつりと落ちる。
「やっぱり俺じゃあだめなのか」
「あ、い、いや、ちがくて、その……ご、ごめ」
ぽすりと音を立てて、ゴミ袋が集積所に投げ入れられる。
とんでもないことをしてしまった。
沢里が「悪かった」と言って素早く静かにその場を去るのを、罪悪感で震える私の足は追いかけることができなかった。
▽
ふんわりとした生地に、厚切りのバナナ。生クリームには瑞々しいラズベリーとブルーベリーが半分埋まって、可愛らしさを演出している。
おしゃれな平皿に盛りつけられたパンケーキを前にして、土井ちゃんが化け物でも見るかのような目でこちらを見ていることに気が付いた。
「凛夏それお手拭き!」
「え?」
「なにを食べようとしてるのあんたは」
どうやら私がナイフとフォークで切ろうとしていたのはパンケーキではなくお手拭きだったようだ。
土井ちゃんが慌てて私の手を止めるのを黙って見つめていると、語気荒く捲し立てられる。
「一体私が図書室に行った数分でなにがあったのさ!?」
「ええと、」
「パンケーキはこっち! はい食べて!」
「もぐもぐ」
「食べた? で、なにがあったの!」
「沢里をなかせてしまいました」
「はい!?!?!?」
唖然とする土井ちゃんを見つめながら口に放り込まれた甘いバナナを二、三度咀嚼する。大好きな駅ナカのパンケーキのはずなのに、いつもよりおいしくない気がする。むしろ噛むのが億劫なほどだ。
沢里の涙で頭がいっぱいになってしまっている。
私はなんとかバナナを飲みこみ、土井ちゃんに話せる部分だけを説明することにした。
「美奈に、沢里と釣り合っていないって言われて」
「うん」
「沢里が私のために先輩たちを怒ってくれて」
「うん」
「沢里と釣り合ってないのは本当のことだし、これ以上沢里に迷惑かけたくなくて」
「うんうん」
「もうかばわないでって言って」
「はいはい」
「それができないならもう動――ええと、仲よくできないって言ったの」
「それだ!」
パンケーキを口に運びながら相槌を打っていた土井ちゃんは、私の最後の一言に名探偵ばりに指を差した。
「沢里クンは凛夏になついてるの。実感ないかもしれないけど周りから見るとそれはもう顕著よ。ゴールデンレトリバーだって凛夏が言ったんじゃない。主人に見捨てられたらそりゃあ泣くわよ」
「そ、そんなに? な、泣くほどかなあ」
私の分のパンケーキも味見しながら土井ちゃんはうんうん頷く。
やはり私は沢里を傷つけてしまったのだ。心にもない軽はずみな言葉で。
沢里と釣り合わないと言われてイライラしていた。美奈に言われなくても分かっていたのに、改めて思い知らされて気持ちがもやもやとしていた。
その苛立ちを丁度沢里にぶつけることになってしまうなんて。ぐるぐると後悔の渦に沈み込む。なぜ私はこんなにも短絡的なのか。透流さんの件で反省したはずだったのに。
「謝らなきゃ」
「そうだね。ま、凛夏の気持ちも分かるよ。沢里クンはちょっと極端すぎるっていうか」
「極端?」
「一度懐に入れたら甘いというか行き過ぎてるというか」
「土井ちゃんから見ても行き過ぎてると思う?」
土井ちゃんは頷き「そういうあんたはどうなのよ」と言う。首を傾げると怪訝そうな顔でこちらを見た。
「沢里クンのことどう思ってるの?」
カラン、とアイスティーのグラスの中で氷が音を立てた。一言では言い表せない感情が喉に引っかかり、私は口を開きかけてまた閉じる。
誰に気を使うこともない。今ここには私と土井ちゃんしかいないのだから。
私は意を決して、土井ちゃんに向き直る。
「信じられないと思うけど、沢里には不思議な力があるの。人の背中を押したり、涙を止めたりする不思議な力。私はそれに救われてる」
常日頃思っていることだ。沢里は私に歌を続けさせるために神様が出会わせてくれた存在だと。一体何度救われたか分からない。
そう考えると、今回沢里を傷つけて泣かせてしまったことが心に重くのしかかる。私は最低なことをした。
自己嫌悪に陥っていると、向かいの土井ちゃんは頭を抱えていた。きっと私は土井ちゃんの手にも負えないほどの大馬鹿者なのだろう。
もう春が終わる。今日食べたパンケーキはバナナの味しかしなかった。
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