十、ア・フュー・モア・タイム

第22話

「息もれ?」


「はい、いい治し方知りませんか?」


 朝食を食べながらニュース番組を見ていた透流さんに質問する。医大生だったら人間の体について詳しいのではという安易な考えのもと、相談に踏み切った。


 くわえていたたくあんを飲みこんだ透流さんは、私の顎に手を伸ばし、そのまま喉元を観察し始める。


「ぜんそくは?」


「ないです」


「気管支系の持病は?」


「ないです」


 医者の問診を受けている気分の中、時計を見て納豆ごはんをかきこむ。


 透流さんはふんと鼻を鳴らして「調べてみるよ」と一言残してテーブルを離れた。


「ありがとうございます!」


「別に構わないけど。登校時間大丈夫?」


「大丈夫じゃないです!」


「…………なんだか今日は嬉しそうだね」


 上手くやれているかはさておき、透流さんとの会話が少しだけ増えた今日この頃。


 私は浮かれた気分を押し殺しながら弾むように登校し、遅刻ギリギリで教室に滑り込んだ。


「あーもう凛夏おそいって! せっかく【linK】の新曲の話しようと思ってたのに!」


「ごめん土井ちゃん! 新曲どうだった?」


「もうサイッッコーだよ! 今回からコーラスの人変わったんだけど超いい感じ! ね、沢里クン!」


「お、おう……」


「ってなんで沢里クンが照れるのよ」


 そう、昨晩とうとう新曲をSNSで公開したのだ。


 録音した沢里のバックコーラスにメロディーの私の声をミックスさせたその曲は、一晩でSNSの注目ランキング入りを果たした。寄せられたコメントや、わざわざ宣伝してくれるファンたちに心から感謝をする。公開が遅れたこともあり、心待ちにしてくれていたファンが多いことに気付いた。


 今朝はそのチェックしていて遅くなってしまったのだ。


 変な態度を土井ちゃんに突っ込まれている沢里も、喜びを隠しきれていない。


 授業開始のチャイムが鳴っても、気分は上がって仕方がない。人気を得たくて音楽をやっているわけではないが、評価されると嬉しいものだ。なにより土井ちゃんの喜ぶ顔が見れてよかった。


 今回の動画のクレジットにはバックコーラスとして【haru.ハル】という名前が入っている。それはもちろん沢里のことだ。


 晴れて覆面SNSシンガーの仲間入りを果たしたわけだが、うっかり正体を明かしてしまわないように念を押している。沢里がバレたら芋づる式に私もバレてしまう危険があるからだ。


 沢里と歌いたい気持ちの反面、やはりまだ昔の仲間に【linK】のことを知られるのが怖い気持ちが残っている。


 自分たちのコンクールを台無しにした私を、部員たちはきっと許していないだろう。好きに歌っている私を憎むかもしれない。【linK】を叩くかもしれない。そう思うと顔を出せないのだ。


 しかしそれはそれ。これはこれ。【haru.】の初参加作品ともなった新曲の再生回数は休み時間に見る度伸びる。


 ほくほくとした気持ちで午前中を過ごし、ランチタイムに突入した時にそれは起こった。


「ちょっといい?」


「ええ……」


 土井ちゃんと中庭に行こうとすると、不意に腕を引っ張られる。振り向くとそこには険しい顔をした美奈が立っていた。


 私は露骨に嫌な顔をするが、構わずずるずると廊下の先のピロティにまで引きずり出されてしまう。


「嘘ついたでしょう」


「へ?」


「とぼけないでよ、沢里くんと友達じゃないって言ってたくせに! なんで沢里くんがあんたのことかばうのよ!?」


「かばう?」


 突然因縁を付けられ目を白黒させていると、美奈は真っ赤な唇を歪ませて吠える。


「先輩たちに言われたんだよ。沢里くんにキレられたって! あんたに近づくなって言われたって。おかげで私ハブられてんの!」


「か、かばうとかキレるとか知らないよそんなの。大体美奈が私のこと先輩たちに売ったからそうなったんじゃないの。あの先輩たちをけしかけたのって美奈でしょ?」


「うるさい!」


 肩を強く押される。前回の経験から私は足を踏ん張ってよろめく程度で済んだ。しかし美奈は構わず鬼の形相で体を寄せてくる。


「なんであんたばっかり! 全然釣り合ってないのにどうしてよ!?」


「ちょ、ちょっと揺さぶらないで」


 胸倉を掴まれて前後にぐわんぐわんと揺らされる。まるで子供の喧嘩だ。透流さんを殴り飛ばした私が言えることではないが。


 されるがままに目を回していると、ピロティにいた生徒のざわめく声が聞こえてきた。開けた場所で女子二人が言い争っているのだから目立つのは当然だ。


「り、凛夏!」


 どこかから土井ちゃんの声が聞こえたが、目が回っていてそれどころではない。するとぶれる視界の端で誰かが美奈の腕を掴んで止めてくれた。私は強い力から解放され、ぺちゃりと床にへたり込む。きっと土井ちゃんが助けてくれたのだ。


「あ、ありがと土井ちゃ」


 頭を押さえながら二人を見上げる。しかし見えたのは土井ちゃんの姿ではなく、私と美奈の間に立ち塞がる大きな背中だった。


「いい加減にしろよ」


「――!! さ、沢里くん」


 状況を理解する前に土井ちゃんに肩を支えられる。沢里が美奈の腕を掴んでそこに立っていた。美奈の顔はどんどん青ざめていき、とうとう沢里の腕を振り払って走り去ってしまった。

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