第19話

「沢里がちょっと行き過ぎたミーハーなのは前からじゃん」


「み、ミーハーって……え、もしかして前からキショいって思ってた? え?」


「別にキショくはないけど……」


「あーもうやめやめ! 俺傷つきそー」


 憧れすぎるとはどういった状態のことか。初めて言われた言葉にいまいちピンと来ない。


 けれど真剣な沢里の目に射抜かれて、どきりとした。


 ひとつだけ言えることは、誰かと楽しそうに歌う姿を見せることはないということ。


「まあ安心してよ。それだけはないから」


「――もう誰とも歌わないってやつ?」


「そう」


「でも俺とは歌ってくれた」


「んー少しだけどね」


 誤魔化すとまたむすっとしてしまう沢里に苦笑しながら電子ピアノを鳴らす。パソコンとマイクの接続を確認して、ヘッドホンを装着した沢里を促した。


「それじゃあ、よろしく」


 作曲を終えてからも録音、編集作業はそれなりの日数を要する。SNSに公開できるのはまだ先になるだろう。


 その間にきっと何度も録音した沢里の歌声を聴くことになる。納得のいくまで繰り返す必要がある作業だ。パソコン用のブルーライト対策眼鏡をかけて挑む。


 しばらくして録音は問題なく済んだ。コードに合わせて確認し、指でOKを出すと沢里はほっとしたような表情をする。



「緊張したー!」


 気の抜けた声とともにくったりと椅子にもたれかかる沢里。それをぼんやりと眺める私。


 自分の声と合わせたらどうなるか。沢里の出来のよさも相まって、早く確認したい気持ちが溢れてくる。


 パソコン上で合わせるよりも実際に今歌えばいい話だ。それは分かっている。作り手である以上、せめてサビのハモリだけでも確認したくなってしまうのは事実だった。


 不思議なことに、沢里は私に一歩踏み出させる力を持っている。


 沢里とならできるかもしれないと思わせてしまう。それが危険な賭けだったとしても。


「…………サビ合わせてみる?」


 なんの隔てもなくぽろりと零れ落ちた言葉に私自身驚いた。


 沢里を見るとキュピーンと音が出そうなほどに大きな目を輝かせている。


「やる! やります!!」


 喰い気味に迫られ引くに引けなくなってしまった。単なるひとり言だと言い訳もできない。私は今まさしく自分の意思で提案したのだ。作り手としての欲を自制できずに。


 ぎゅっと眉間を揉む。柾輝くんにコーラスを頼んでいた時はなんの疑いもなく送られてくる音源を使わせてもらっていた。互いに声をよく知っていたというのもあるが、沢里の声だってもう把握はしているはずだ。


 なぜこんなにも気持ちがはやるのか。自分自身のことが分からなくなってしまう。


 沢里の歌と勢いに引きずられている。そうとしか思えなかった。


 機嫌よくハミングする沢里を盗み見て、覚悟を決める。最悪なにかあっても、ここは自分の部屋だ。


「……じゃあ、やろうか」


 私はゆっくり細く息を吐き、鍵盤に指を乗せた。



 ▽


 音程、テンポ、リエゾン、ハーモニー。


 初めて合わせると思えないくらいどれもぴったりとはまる。声と声が重なり合い、新たな音を生み出していく。心地のいい一体感。


 沢里は角のない馴染む声を持っている。人間の声というのもは千差万別で、クセがないことはすなわち他人の声に合わせやすいとも言える。自分が好きなように歌うだけではそうはならない。誰かと合わせようとして出すその声が、大きな意味を持つ。


 合唱向きの声だ。


 そう思った瞬間、ぐらりと視界が揺れ、背筋がさあっと冷える。


 あるはずのないいくつもの目と口に責め立てられるような妄想が始まり、声がしぼんでいく。


 必死に歌おうとしても息だけが外にもれだして、どんどん酸素が足りなくなる。


 サビを歌い終わる頃にはもう、全力疾走した後のように肩を上下させていた。


「リンカ!?」


 ピアノに顔を伏せた私に、沢里が駆け寄る。呼吸を整えているところを見られたくないのに、背に置かれた手には安心してしまう。


「大丈夫か? お前、それ――――ひょっとして、『息もれ』か?」


 やはり沢里には分かってしまうようだ。私は諦めて目を閉じる。


 『息もれ』。それは声とともに息がもれだし、声量が削られて息が続かなくなってしまう歌い方。


 ウイスパーボイスと言えば聞こえはいいが、それを売りにしない限り、歌い手にとって致命的な声の出し方である。人によってはボイストレーニングで矯正するほどだ。


 そう、私は人と歌うと酷い息もれを起こしてしまう。


 一人で歌う時は全く気にならないのに、人と合わせるだけで呼吸がおかしくなってしまうのだ。同じ【linK】の曲でも、サビだけで息が続かない。


 それは中学の時、全国合唱コンクールの舞台で初めて表れた『バグ』だった。


「バグってるんだ……私。おかしいよね。【linK】の時は全然平気なのに。人と合わせると突然息もれするの。びっくりさせてごめん」


「謝るなよ。でも、そうか……だから人と歌わないって言ってたんだな」


 次第に息が整ってくる。沢里には情けない姿を見せてばかりだ。背中を撫でる沢里に礼を言って、上を向き二回深呼吸する。


 苦しくなったらまず深呼吸。息もれで呼吸ができなくなる私を見た柾輝くんに言われたことだ。このクセが出始めてから柾輝くんに息もれを治すトレーニングに付き合ってもらっていたが、しばらく様子を見た後、無理をする必要はないと判断されてしまった。


 ゆっくり直せばいい、それまで一人で歌えばいい。それが【linK】を始めるきっかけでもあったのだ。


「な、リンカ。少し外の空気吸いに行こう」


 息が落ち着いた頃、沢里の気の遣うような提案に乗り近所のコンビニまで歩くことにした。

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