九、スイート・コラプス

第18話

 透流さんと無事に仲直りをすることができたその夜、昔の夢を見た。


 中学校の音楽室で、私は合唱部のメンバーと一緒に歌っている。


 コンクールに向けて厳しい練習を共に乗り越えてきた仲間たち。


 ようやく手にした全国合唱コンクールの出場権に、皆意気揚々としていた。



『俺と付き合ってほしい』


『ごめん……私は、』


 そのやりとりが地獄の始まりだった。


 ▽


「いらっしゃい、あがって」


「おじゃましまっす!」


 今日は言っておいたとおり一週間で音を取り終えたという沢里を私の部屋に招いた。


 今日は午前で授業が終わる日だったので、家に帰って昼食をとり、色々な準備をしてから沢里に来てもらった。一緒に帰ったりランチをともにしたりするとまたアンチのカンに触る可能性がある。


 アンチの言いなりになるつもりは更々ないが、避けられる問題は避けようということにした。私の中では、だが。


 私が先輩たちに絡まれてからと言うものの、沢里は周りの目を気にして大胆な行動を控えるようになった。


 土井ちゃんとの会話に割って入ることもなくなり正直ほっとしている。


 ただし、話しかける頻度が減ったというだけで、生温かい目で見守られていることには変わりはない。授業中常に後頭部に刺さる視線にももう慣れた。たまに振り返るとゴールデンレトリバーがへにゃりと笑っているのだ。


 今のところ先輩たちや美奈からの追加攻撃は受けていないので、この調子で日々を過ごしたいところだ。


 普段から使っている電子ピアノとパソコン、集音マイク等々を沢里用にセッティングしていると、沢里は物珍しそうにキョロキョロと部屋を見回している。


「いつもここでレコーディングしてるのか?」


「ああ、うん。まあレコーディングなんて大層なものじゃないけど。声も音もここで入れてるよ」


「ここで【linK】の曲が生まれるんだな……!」


 女子の部屋に入った感想がそれか。思うところもあるが仕方がない。私の部屋には電子ピアノとパソコン台を兼ねたローテーブル、楽譜で溢れる本棚くらいしかない。


 発声練習をしてから、沢里のパートを確認する。メロディーを彩る低音が柔らかに耳を打った。


「まさかこんなに仕上げてくるとは……」


「えっへっへ」


 ピアノに合わせて音のブレを確認してみても沢里の歌は言うことなしで素直に感心してしまう。きっとたくさん練習したのだろう。本人は褒められて嬉しそうにしている。


「問題なさそうだね。じゃあ録音の準備するからちょっと待ってて」


「あ、その間本棚の楽譜見ててもいい?」


「どうぞー」


 持ってきたタブレットの電源を入れ、ヘッドホンと集音マイクの準備をする。


 普段から大がかりなセットは使っていない。部屋の隅についたてで作ったスペースに、椅子をひとつ置いた簡易的なものだ。


 柾輝くんの部屋のように本格的なレコーディングができるわけでもないが、編集すると意外となんとかなってしまう。


「へえ、リンカは合唱部だったのか?」


 セッティングが終わろうという時に、不意に沢里が言う。


 その手には中学時代に所属していた合唱部で使っていた楽譜集があった。私はざわつく心を無視して「うん」とだけ答える。


「じゃあリンカが前に一緒に歌ってた相手は合唱の人たちのことだったんだな」


 そっけない返事にも関わらず沢里はふにゃふにゃと顔面を緩ませた。私は思わず眉を寄せる。


「な、なんでそんなに嬉しそうなの?」


「え? それは、うん」


 珍しく沢里が言いよどんでいる。いつもは聞いていないことまでぺらぺらと喋っているというのに。少しの沈黙の後、沢里は穏やかに、そして静かに切り出した。


「……リンカ、この前言ってたよな。本当のリンカはただの暗いやつだって。でさ、俺にも本当の俺がいるんだけど、実はめちゃくちゃ気色悪いやつでさ」


「気色悪い?」


 沢里のイメージとは真逆の言葉だ。爽やかで気のいい性格をしているというのに、一体どこが気色悪いというのか。首を傾げると沢里はなぜかとても困ったように笑う。


「リンカが俺じゃない別の誰かと楽しそうに歌ってるところ、見たくない」


「へ……?」


 思わぬ言葉に脳の処理が遅れる。間抜けな顔をしているであろう私を見ずに、斜め下に目をやりながら沢里は続けた。


「リンカが本当の自分を見せてくれたの、嬉しかったよ。で、ずっと考えてた。そういう俺はどうなんだって。前に言ったよな。憧れてるって。でも最近――」


 そこで一旦、沢里が息を吐く。


「ちょっと憧れすぎておかしくなってる」


 一瞬呼吸が止まった。沢里はいつの間にか真剣な表情になっていて、その目は私の目をしっかりと捉えている。


「それは……」


「だからまあ、前に一緒に歌ってたやつっていうのが気になってて。でも部活ならいいんだ! 合唱なら大勢で歌ってる中の、誰か一人が特別ってわけでもないだろ? はい、リンカに気色悪いって言われる前に自己申告!」


「痛っ!」


 ばしばしと背中を叩かれ、流れる空気が元に戻る。

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