第17話
「ああ。彼がバンドを始める前に、彼の父――つまり僕の幼馴染は亡くなってしまってね。幼馴染は売れないミュージシャンだったんだけれど、僕はそいつの弾く下手くそなギターがずっと忘れられなくて……音楽をやっていた父親と同じ道を進もうとしている彼を見ていると、思い出すんだ。まあ歌は彼の方が断然上手いんだけどね」
どこかで聞いたことのある話だ。懐かしむように宙を見る義父が思っている相手を、私はよく知っている気がする。
父は音楽が大好きだったけれど、ギターは少し下手だった。それでも何度も何度も弾くものだから、クセのある音が脳内にこびりついて離れないのだ。
ずっと忘れられない音。きっと義父と私は出会う前から同じ音を聞いていた。
「だから応援してるんですね」
「そう。そしていつか彼がメジャーデビューしたら、『僕はデビューする前からのファンだぞ』って言って回るんだ。君たちも趣味は大切にね、やりたいことを諦めてはいけないよ」
「……だってさ。よかったな、リンカ」
鼻の奥がつんとするのを誤魔化すためにカツを口いっぱいに頬張る。甘口のソースがサクサクの衣に染みて奇跡のような旨味を引き立てている。
なぜ知ろうとしなかったのだろう。私たちには会話が足りなすぎた。義父は私のことを疎んではいなかったし、むしろ同じ趣味を持っていた。
そして、同じ人のことを昔から好きな仲間だったのだ。
「透流も男だから凛夏ちゃんに殴られたってどうってことないさ。気に喰わなかったらどんどんやっちゃって構わない」
「いや、それは……」
「いいんだよ。そうやってゆっくり、家族になっていけばいいんだから」
家族になる。その難しさを私はこの一年ずっと味わってきた。変わってしまった母の顔色を伺い、透流さんと柾輝くんを比べてはため息ばかりついていた。
義父はそんな私のことをちゃんと分かっていたのだ。その上で、ゆっくりでいいと言ってくれる。大した会話もせずにいた、可愛げのかけらもない義理の娘に。
「おとうさん、多分私もそのバンド大好き」
食べ終えた串を見つめながらぽつりとそう呟く。義父は黙ってビールを飲んで微笑んでいた。
それからは三人並んで音楽の話をして過ごした。まるで家にいる時とは別人のようにはしゃぐ義父とバンドの話で盛り上がる沢里。なぜだか二人がずっと昔の父と柾輝くんと重なって、また目頭が熱くなる。
私たち本当の家族みたい。そう言ったら二人はどんな顔をするだろうか。
私はきっと、今日の串カツの味を一生忘れないだろう。
▽
「ごちそうさまでした!」
「すまないね夕飯前に付き合ってもらっちゃって。おうちの人に怒られないかな」
「うち放任なんで問題ないっす! めしもまだ食えますし」
「沢里、今日はありがとう。本当に」
「気にすんなって。じゃあリンカ、また明日」
人生で一番おいしかった串カツを食べた後、自転車で颯爽と駆けていく沢里を見送り義父と家に帰る。
玄関で母が待ち構えているのが気配で分かり、思わず義父の背中に隠れる。
「ただいま帰ったよ」
「凛夏! ……って、あなたも一緒だったの? おかえりなさい」
「ああ、少し飲んで帰るって連絡した後にたまたま会ってね。一緒に串カツ食べてきたんだ。ね、凛夏ちゃん」
「う、うん……」
戸を開けると思ったとおり仁王立ちの母が鬼の形相で怒鳴りつけてきたが、義父の顔を見て一瞬トーンダウンする。おずおずと顔を出してただいまを言うと、母は私の頭からつま先までじっとりと睨み付けて言った。
「お父さんと一緒だったからいいものを。連絡くらいしなさい! 夕飯作ってあったんだからね」
「ごめんなさい」
「透流はいるかな? 呼んできてもらえるかい」
「え? ええ。部屋にいるけど」
義父の言葉に母は首を傾げている。どうやら私たちになにが起こったか知らないらしい。心もとなくなって玄関に突っ立っていると、義父に背中を押される。
しばらくリビングで待っていると階段を下りる音が響いてきて、気の重さで心臓が潰れそうになった。
義父はソファで野球中継を観ていて、テレビからわっと歓声が上がったと同時にガチャリとリビングの扉が開く。
「父さん、呼んだ?」
そこには眼鏡を外した透流さんの姿があった。義父に話しかけた後、ダイニング席につく私に気付いて目を丸くする。
「凛夏ちゃんが話したいことがあるそうだよ」
「ああ……そう」
「あの、透流さん。さっきは殴ってごめんなさい!」
間延びさせても仕方がない。私は思い切って頭を下げた。沢里に涙を止めてもらい、義父に謝るお膳立てをしてもらったのだ。逃げるわけにはいかない。
「殴った!?」
ぎゅっと目をつぶっていると、まず聞こえてきたのは母の大声だった。信じられないとでも言うように私に詰め寄ってくる。
「どういうことなの凛夏!? なに考えてるのよ!」
「お母さん、」
「どうしてあんたはそうなの? 家に馴染もうという気がないの!? なにが不満なのよ!」
「君は下がっていなさい」
「あなたっ……!」
私を責め立てる母を義父が制する。透流さんの視線を真正面から受け止めながら、私は話続けた。
「あの日一緒にいた人は私の実の兄です。私が無理に押しかけてご飯に連れて行ってもらったんです。泣いてたのはちょっと色々な悩みがあって……」
「え……」
目を見開く透流さんと母。
「凛夏あなた、柾輝と会っているの」
「うん。私にとって柾輝くんは大切な家族だから」
こくりと頷いてそう言うと母はそれっきり黙り込んでしまう。
「……こちらこそすまなかった。凛夏ちゃんの大切な人のこと悪く言った」
「透流さん、」
「いつか僕も君の悩みを聞ける兄になれるかな」
そんな透流さんの呟きに、以前なら「それは無理無理絶対に無理!」なんて心の中で叫んでいたかもしれない。
けれど私は変わった。家族のことを知ろうとしなかった自分を、今は後悔している。
私は透流さんの目を見て頷いた。遮られるものがなくない透流さんの瞳。それが暖かい義父の瞳によく似ていることに、私は出会って一年経った今ようやく気付いたのだった。
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