七、サムシングニュー・サムシングバッド

第13話

「じゃあこれ、音取れたら教えて。録音するから。できれば一週間くらいで」


 そう言ってコピーした楽譜を渡すと沢里は思い切り首を傾げた。


「リンカは歌わないのか?」


「もちろん歌うよ。でも録音は別々でして、後から編集ソフトで合成するの」


 柾輝くんともそうやってきたのでなにも疑問に思ったことはない。しかし沢里は途端にむむっと口をへの字に歪ませてしまう。


「一緒に歌……」


「わない」


「ううー!」


 典型的な顔文字のような顔で悔しさをアピールしているが、私も私でそこを譲るつもりはない。


 ――というより、歌える自信がまだないのだ。声を合わせようとしたらきっとまた止まってしまう。息ができなくなってしまう。


「これまでのコーラスの人ともそうだったのか?」


「うん」


「コーラスめちゃくちゃ上手いよな。【linK】の曲聴いてていつも思ってたんだ。あ、もちろんリンカも上手いけど。……今さらだけど本当に俺でいいのかな。いつもの人に怒られない? 確か、Masakiって人だっけ」


 【linK】のファンを名乗るだけあって、動画のクレジットに載せている柾輝くんの名もしっかりチェック済みらしい。特にそこを突っ込むことなく頷く。


「大丈夫。むしろ今回、コーラス断られちゃってさ。困ってたんだ。本当に」


「……なにかあったのか?」


 語気が落ち込んでしまう。沢里の遠慮がちな問いに、指のテーピングを眺めながら答える。


「今までの【linK】はずっとMasaki――柾輝くんに支えられていたの。曲のことはもちろん、それこそ動画の作り方も配信の仕方も……全部柾輝くんに教わった。コーラスだって頼めば引き受けてくれてた。なのにもう動画には協力しないって言われちゃった」


 考えれば考えるほど悲しみが波のように押し寄せてきて、私は練習室の隅で膝を抱えて顔を伏せる。


「Masakiさんはリンカにとって……特別な人なんだな」


「……うん」


「心細い?」


 こくりとひとつ頷く。沢里は「そっか」とだけ返し、深く考え込むようにしばらく黙って楽譜を眺めていた。


 そしてなにを思ったか突然どたばたと隅で小さくなる私に駆け寄って、がっしりと両肩に手を乗せてくる。


「俺――頑張るよ。Masakiさんくらい上手く歌えるようになって、リンカを安心させるから。だから、その、元気出せって!」


「うわ、分かった分かったから!」


 柾輝くんくらい上手くとは大きく出たものだ。がくがくと肩を揺さぶられながら、沢里の手が大きいことに気付く。これだけ指が長かったらオクターブも楽々届くだろう。


 羨ましいと伝えるとぎょっとした顔でこちらを見てくる。


「俺の方がリンカのこと羨ましいと思ってるに決まってるだろ!」


「一体なにに張り合ってるのよ」


「あと正直言ってMasakiさんも羨ましいです……」


「リンカに頼りにされてて」なんてしょんぼりとしながら言うものだから、私は思わず声を出して笑ってしまった。



 ▽


「ここの訳が間違ってるよ。be動詞が省略されてるから気を付けて」


「はい」


「スペルミスが中々なくならないな」


「すみません」


「あとこの前の男の話だけど」


「ぶっ」


 相変わらず気の重い透流さんとの勉強中、唐突にぶち込まれたのはだんまりを決め込んでいたファミレスでの出来事の話だった。


 あれから一週間、できるだけ透流さんと二人になるのを避けていたこともあり追及を受けずにいられたが、それもここまでのようだ。


 私はがくりと肩を落として、襲いくる罵詈雑言に耐える心構えをする。しかし待っていたのは以外にも平静な声だった。


「人の交友関係に口を出すつもりはないけれど」


「はあ……」


「夜に一人で繁華街に行くのは良くない」


「はい……」


「外食がしたかったら僕に声をかけるように」


「いやそれは結構です」と心の中で断りを入れつつ、透流さんの様子に違和感を抱く。


 両親の目を盗んで夜出歩き、年上の派手な男と食事をしていたなんて透流さんの嫌がりそうなことだ。


 てっきり長時間責め立てられるかと思いきや、むしろ口調がいつもより優しい気がする。


「お母さんには黙っていてくれますか」


「もうしないと約束するなら」


 さらになんと信じられないことに、母にも黙っていてくれるという。私の言い訳を聞くだけ聞いたらチクられるに違いないと覚悟さえ決めていたというのに。


「あのう、もしかして体調でも悪いんですか?」


 いつものちくちくねちねち嫌味のフルコースはどうしちゃったんだ。品切れか? 


 私の言わんとすることを察したらしい透流さんは盛大にため息を吐いた。


「泣いていただろう、君」


「あ」


「その……つまり、あの時凛夏ちゃんは……振られたんだろう? あいつに」


 コツーンと綺麗な音を立てて、私の手からペンが転がり落ちた。

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