六、Just The Two of Us

第11話

「ねえあなたが五十嵐さんだよね?」


「美奈に名前聞いたんだ。沢里くんといつも一緒にいる子誰って聞いたら教えてくれたよ」


「ちょっとうちらと話そうよ」


 静かな中庭で土井ちゃんとお弁当を広げていると、三人分の声が頭上から降ってくる。見るとどこかで会ったことがある気がする三人の先輩がじっと私を見ていた。


 ぼんやりとする頭ではどこで会ったか思い出せない。同じクラスの美奈の知り合いだろうか。そんなことを考えているうちに土井ちゃんがキリッとした表情で答える。


「あの、なんの用でしょう? 今日この子体調悪いんで無理です」


「少しでいいから」


「具合悪いなら支えてあげる」


「ていうかあんたには関係ないから」


 たたみかけるように言う先輩たちに腕を掴まれた私はそのまま中庭の木陰に引きずり込まれてしまった。


「でさ、沢里くんと付き合ってるの?」


 クヌギの木に押し付けられるように三人に迫られる。そこで私はようやく思い出した。目の前の彼女たちは、沢里が逃げるために私をダシに使った時の先輩だ。


「美奈に聞いたんだけど、なんか沢里くんに気に入られてるくせに邪険に扱ってるって話じゃん。調子のってるよね」


「別にそんなんじゃ……」


 美奈。同じクラスの派手な顔が脳裏に浮かぶ。沢里にお近づきになりたいと言っていたが、要は私を快く思っていなかったらしい。


「そうじゃないならさ、今日うちら放課後遊びに行くんだけど、沢里くん誘ってきてよ」


「あの、本当に仲良くないし気に入られてもいないんで」


「嘘つくなよ!」


 名前も知らない先輩の一人に強く肩を押される。その勢いで背後の木に背中を打ち付け、私はたまらずむせてしゃがみこんだ。


「うっ」


「あんだけ見せつけといてなにが仲よくないって? 生意気ー」


 トドメと言わんばかりに別の先輩の手がしゃがんだ背を突き飛ばし、私の体はあっけなく地面に転がった。


 今日の私は絶不調だ。泣きすぎて頭が痛いし、寝不足で頭もぼんやりする。それに加えて謎の言いがかりをつけられ地面に転がされては、もう立ち上がる気力は残っていなかった。


「もう沢里くんに近づくなよ」


「――ねえこいつ動かないんだけど。もうよくない?」


「なんか体調悪いとか言ってたしやばいよ」


 うつ伏せになったままピクリとも動かない私を気味が悪いと思ったのか、先輩たちの声は遠ざかって行った。


 さわさわと緑の揺れる音と地面に踊る木漏れ日の中、私は目を閉じた。


 土の匂いをこんなに近くで感じたのはいつ以来だろう。


 父がまだ生きていた頃、泥だらけになりながら公園ではしゃいでいた記憶が蘇る。


 父は私たちが遊ぶ姿を見つめながら、よくギターを弾いていた。少し切なくて、おしゃれなコードを。


 こんな時でも音は降ってくる。思考回路とは別の領域で、音楽が構築されていく。


 父の好きだったコードはなんという名前だっただろうか。音は思い出せるのに、言葉が出てこない。


「凛夏!」


 世界が反転する。悲痛な声で名前を呼ばれのろのろと顔を上げると、目に涙をいっぱいにためた土井ちゃんの顔のどアップが映る。


「ごめん遅くなって。急いで呼びに行ったんだけど一歩遅かった、ごめんね」


 ぺしゃりと打ち捨てられたままの私の体をやんわりと起こしながら、土井ちゃんはなぜか謝っていた。土井ちゃんはなにも悪くない。そう言おうとしてもうひとつの人影に気付く。


「リンカ……」


「あ」


 呆然と私の有り様を見降ろしているのは、見たことのない顔をした沢里だった。


 土井ちゃんが急いで呼びに行った相手が沢里だったのだろう。当事者を連れ出してくるとはなんとも土井ちゃんらしい。


 もしも沢里の登場がもう少し早かったら一体どうなっていたのか。


 なぜだかそっちの方が恐ろしい展開になっていたような気がする。黙ったまま沢里から視線を外して、むしろこれでよかったのだと無理矢理自分に言い聞かせた。


「顔すりむいてる。保健室行こうよ、ね?」


「大丈夫。転んだだけ」


 心配そうな土井ちゃんの手を借りて立ち上がる。その瞬間、ぴりっとした痛みが右手に走った。


 あ、やばい。どきりと心臓が跳ねる。おそるおそる自分の右手を見ると、中指の爪が割れて血がにじんでいた。


「凛夏、爪が……」


 最悪だ、指をやってしまうなんて。ピアノを弾くのに支障が出ることは顔を怪我するよりもショックが大きい。ため息を吐いて割れた爪を見つめる。すると同じ部分に強烈な視線を感じた。


「それ…………」


 思わず体が固まった。沢里が無表情で私の手を見つめていたからだ。いや、無表情ならばまだよかった。瞬きひとつせず目を見開き、口を引き結んでいる。色々な感情が混ぜこぜになり処理落ちしてしまったような、はっきり言って恐ろしい表情だ。


 私は息を飲み右手を後ろに隠した。


「だ、大丈夫だから」


「誰にやられた?」


「し、知らない人」


「………………」


 反応がないのがさらに恐ろしい。


 とにかく昼休みが終わる前にと土井ちゃんに引きずられて保健室に行くことになった。



 ▽


 結局割れた中指は絆創膏の上からテーピングで固定してもらったが、やはり鍵盤は叩きづらいだろう。


 沢里は保健室でも押し黙ったまま、普段の調子からは考えられないほど静かで不気味だった。責任を感じているとしたって様子がおかしい。


 午後の授業を受けながらどうしてこんなことになってしまったのか考える。


 今もじっと斜め後ろの席に座っている、沢里の人気を低く見積もり過ぎていた。


 沢里の関心を引くだけで癇に障る人間がいるのだ。


 私はちらりと美奈の後姿を見る。


 ネットシンガーをやっているとアンチがわくこともある。暴言を書き込まれたり、馬鹿にされたり。けれどそれらの声をかき消すフォロワーのコメントのおかげで今まで続けられている。


 気持ちの面では【linK】のアンチに慣れてしまっていたが、現実では怪我という実害を被った。


 もう沢里に近づかない方がいいのか。そもそも自ら寄って行った覚えはないのだから、避けるしかないのだが。それではアンチの思うつぼではないだろうか。沢里も勝手に避けられては傷つくのでは?


 どうすればいいか分からない。誰かに意見を聞きたい。けれど、


 ――柾輝くんには頼れない。


 ここで真っ先に兄の顔が浮かんでくるあたり、私は甘ったれで、だから突き放されて当然なのだ。


 アンチも曲作りも自分の力でなんとかするしかない。結局のところ私には【linK】しかないのだから。


 授業終了のチャイムが鳴る。物足りない単音。もっともっと音がほしい。音楽のこと以外なにも考えられなくなるくらいに、脳内を満たしてほしい。


 父の弾いていたコードはまだ思い出せない。

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