第10話

「だめだ」


「え!?」


「言っただろ、お前の背中を押すって。優しく押すとでも思ったか? お前が前に進むために、俺はもうお前の動画には協力しない」


「なななな」


「俺じゃない、別の奴に頼め」


 話の流れからして柾輝くんの言う別の奴は一人しかいない。気紛れに声を合わせた、私に一歩を踏み出させた彼のこと。


 背中を押すどころか突き放されるとは思わずぽかんと口を開けたまま放心する。


「どうしてそんなこと言うの?」


 これまでの【linK】の音楽は柾輝くんなしでは成り立たなかった。たくさん相談して、アドバイスをもらって、私は勝手に二人で作っている気持ちになっていた。なのに、柾輝くんはもう【linK】のことはどうでもよくなってしまったのか。じんわりと視界がにじむ。


「凛夏、俺はな」


「――凛夏ちゃん? こんな時間になにしてるんだ」


 神妙な柾輝くんの声に被さるように、背後から聞き慣れた声がした。


 驚いて振り向き見上げると、なぜかそこには怪訝な顔をした透流さんが立っているではないか。


 私の体はピシリと硬直する。心の中では幽霊を見たかのように「で、出たーーー!!」と泣き叫んでいるが、当の透流さんの目線は私ではなく柾輝くんに注がれていた。


「……失礼ですがあなたは?」


「そういうあんたはなんだよ」


 場の空気が一気に重くなる。私を挟んでにらみ合う二人に混乱が極まる。


 この二人は面識がなかっただろうか? なかったかもしれない。一応戸籍上の繋がりはあるはずだが母の再婚時柾輝くんはもう家を出ていた。それから一度も母と会っていないことを考えると、柾輝くんと透流さんは正真正銘今現在が初対面ということになる。


 そして私の予想では、お互い合わないタイプだ。


「僕は凛夏の義兄あにです。こんな時間に義妹いもうととなにを?」


「…………あーそういうこと」


 じろりと透流さんが柾輝くんを睨み付ける。柾輝くんはなにかを察したように頭に手をやり、伝票片手に席を立った。


「あ、あのっ透流さん! この人は私の――っ」


 不意に言葉に詰まる。もしも透流さんに私たち兄妹が会っていることを母に言いつけられてしまったら? そしてまた母と柾輝くんの仲が拗れてしまったら?


 どう言えば正解なのか。なんと言えばこの場を治められる? ぐるぐると思考する頭にぽんと柾輝くんの手が乗った。


「んじゃ、連れまわして悪かったな」


「あ……」


 透流さんを一瞥して柾輝くんは背を向ける。伸ばした手はするりとかわされ、その背中はあっという間に見えなくなってしまった。


 本当のことを言えなかった。突然のことだったとはいえ、柾輝くんをまるで悪者のようにしてしまった。後悔がどっと襲いかかってくる。


「凛夏ちゃん、どういうことかは家で聞こう。――凛夏ちゃん?」


 透流さんの冷たく厳しい声よりも胸を刺すのは、柾輝くんに突き放され、突き放してしまったという事実。


 引っ込んだと思っていた涙が一粒、ぼろりと零れた。


 酷い顔だ。目は充血してまぶたが重い。むくみを取るために蒸しタオルを目の上に乗せる。一晩泣き通すなんて初めてだった。嫌な思い出しかない中学時代でも夜は電源が切れるように眠れたのに。


 身支度をしなければ。今日もまた一日が始まる。


 柾輝くんという支えを失ったとたんに、こんなにも揺らぐ自分が信じられない。


 あの晩、ファミレスを出た後涙が止まらなくなってしまった私は透流さんの追及を受ける前に部屋に閉じこもった。


 透流さんはたまたま通りかかって私を見つけて店に入ったとか、夜に一人で出歩くなとか色々言っていたが全くどうでもいい。


 勝手に部屋に入らないと言う暗黙のルール上、透流さんからは逃げ切れている。


 どうやら柾輝くんといたことは両親に黙っていてくれてはいるようで、母は私の泣きはらした目を不思議そう眺めてきた。


「どうしたの?」


「昨日泣けるドラマいっき見しちゃって」


 適当な言い訳をして家を出た。


 柾輝くんのことを兄だと言えなかったことを酷く後悔している。あの時母に責められることを考えて言葉が出なかったのだ。結局私は自分を守った。柾輝くんを悪者にして。柾輝くんからメッセージの返信が来ないのも自業自得だった。


 授業中もずっとそのことばかりが頭の中を支配し、なにも手につかない。沢里にじゃれつかれては適当な相槌を打ち、土井ちゃんに顔色が悪いと指摘されてはその度に黙って頷いた。


 そして、悪いことは続くものだ。

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