第5話

 先ほど聞いたばかりのその台詞に、私はげっそりとしながら首を振る。


「えー嘘。だっていきなり仲良さそうじゃん」


「でも凛夏は全然知らないんだって」


「ふーん?」


 土井ちゃんがフォローしてくれるが、美奈は腑に落ちないらしい。たまご焼きを飲みこむのに必死な私をじっと見つめてくる。


「なんだ、友達なら取り持ってもらおうと思ったのに」


「え……もう好きになったの? 早くない?」


「実はね、別高の子に聞いたんだけど」


 美奈はその派手な顔を私たちに寄せて、声を潜めて言った。


「沢里くん、有名人の息子なんだって。イケメンだし、お近づきになりたいじゃん?」


 それは果たして「好きになったの?」という問いかけに対する答えになるのだろうか。


 複雑な顔をしているであろう私のポニーテールをつついて美奈は去って行った。


「なにしに来たんだろ」


「さあ、でも美奈の言うことが本当だったら……」


 ミニトマトを頬張る私を、土井ちゃんがじっと見つめる。首を傾げると土井ちゃんは呆れたようにため息を吐いた。


「凛夏、ちょっと大変かもね」


「なにが?」


「美奈みたいなミーハーに、目を付けられるかもってこと。なんか派手な先輩たちとつるんでるらしいし。気を付けてよね」


「ミーハー?」


 それを言うなら当の沢里だって【linK】に対してかなりミーハーではないだろうか。


 ファンだのなんだの言って、今思えば思い切り手も握られていた。


 有名人だか芸能人だかの息子だと言うがソースもはっきりとしていない情報を鵜呑みにする気にもなれない。雰囲気だけで判断されて噂が一人歩きしている可能性だってある。


「あんまり気にしないでおくよ」


「そだね。あ、そういえば【linK】の新曲まだかなー」


 そう、そんなことよりも新曲を完成させなければ。土井ちゃんをはじめ多くの人が【linK】の新曲を楽しみにしてくれている。


「多分、まだかかるんじゃないかな」


 本人が余計なことを考えているから。



 ▽


 放課後、茜日の射すレンガ通りを歩く。私の通う高校は過去に貿易で栄えた港町の片隅にある。登下校中の風景には古い洋風の街灯やモザイクタイルの壁が自然と入ってくる。


 そんな都会でもなく田舎でもない雰囲気が気に入っていた。


 わずかな潮の香りを吸い込んで、ぼんやりと一人帰り路を行くこの時間は多くのフレーズが浮かんでくる時間でもある。


 トン、トン、トン、


 指で拍をとり、ハミングをしながら音を乗せる。この調子だと新曲は来週にでも仕上がりそうだ。


 ――邪魔が入らなければの話だけれど。


 透流さんに勉強を教わる時間が惜しい。その時間があれば曲作りが進む。


 しかし学生の本分と言える学業を疎かにすると音楽そのものを取り上げられてしまうかもしれない。


「好きなことをさせてほしい」


 その一言があの家族の前ではどうしても言えなかった。柾輝くんのように自由になりたいと言ったら、母はどんな顔をするだろうか。実の父のように音楽の道に進みたいと言ったら、義父はどう思うだろうか。


 ふとポケットの中でスマホが震えていることに気付く。着信の相手は柾輝くんだ。私は急いで画面をタップする。


「柾輝くんーーーどうしようーーー!!」


「あーうるせー!」


 やっと相談相手と話ができる。私は文字どおり柾輝くんに泣きついた。


 【linK】のことが転校生にバレたことをスマホ越しに打ち明ける。


 柾輝くんはうるせーうるせー言いながらも聞いてくれた。


 そして一通り私がしゃべり終わった後に口を開く。


「つまり声とほくろの位置でバレたのか。よほど拡大しないとお前の小指のほくろは見えないだろ。世の中にはそういうの見てる奴もいるってことだ。気を付けろよ」


「うん……」


「しかしまあそいつは耳がいいんだな。この界隈だと、絶対音感や相対音感、人の声の聞き分けに長けている奴は珍しくないけど。今回は運が悪かったな。口止めはしたのかよ?」


「し……てない」


「はあ?」


 口止めどころか話したければ話せばいいとまで言った。柾輝くんが呆れているのが伝わってくる。


「顔バレはしたくないんだろ? 変なアンチにとつられても困るしな。口止めはしろ。分かったな」


「うん」


 柾輝くんの言葉は不思議だ。どれだけきつく言われてもすとんと胸に落ちる。


 それはきっと、本当の私をちゃんと見てくれているからだと思う。


 だから私もなんでも話せてしまう。


 柾輝くんだけが私の理解者で、本当の家族なのだ。


 通話を終えるといつの間にか胸がすっきりしていた。この状態なら透流さんとの勉強も頑張れそうだ。


 レンガ道をローファーで軽く跳ねる。夕日が薄い雲の隙間を通り抜け、いくつもの光のシャワーのように降り注いでいた。


 あ、いい感じ。


 頭の中で音と歌詞が重なる。普段使っていない脳の機能が動き始めるような感覚。


 【linK】の一番いい状態になりかけていたその時、遠くの波の音をかき消すような大音量が近づいてきた。


「リンカーーーー!!」


 空気が揺れるほどの大声は、間違いなく私の名前を呼んでいた。


 ドップラー効果。音は空気の振動回数で音程が変わるという。


 虚空を見つめながらそんなことを考えているうちに、声の持ち主――沢里があっという間に眼前に現れた。


「はあっはあっ。ごめんおまたせ!」


「はい?」


 まるで私との待ち合わせに遅れたように詫びる沢里。もちろんそんな約束をした覚えはない。肩で息をしながら手を合わせる理由の見当もつかない。


 しかし沢里に遅れて数人の女子がこちらに向かって駆けてくるのを見て、ピンときてしまう。


 関わりたくない。そう思いきびすを返そうとした瞬間に、その動きを予知していたかのように沢里に腕を掴まれる。

 

 はなして、という私の懇願は追い付いたキラキラ系女子三人組の声にかき消された。全員うちの高校の制服を着ているが見たことがないので先輩かもしれない。


「沢里くん足速―い」


「ねーカラオケ行こうよっ」


「てかその子だれ?」


 三人に矢継ぎ早に迫られる沢里に腕を掴まれたままの私は、なすすべもなく成り行きを見守る。ひしひしとした嫌な予感にさいなまれながら。

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