第3話
その後のことは焦り過ぎてほとんど覚えていない。
ただ授業終了と同時に満面の笑みを浮かべる彼を引きずるように無人の教室へと飛び込んだ。
「な、なななんて言った?」
「【linK】!!」
「なっ……!?」
ぱあーっと太陽のような笑顔を見せる転校生の彼は、先程の言葉をまた言った。
いや、落ち着け。私の名前は
「ネットシンガーの【linK】だろ?」
やっぱりそっちの【linK】だった!
私はがくりと膝から崩れ落ちた。
なぜ彼は私を知っている?
破顔したまま私の顔を覗き込んでくる彼に、たまらず後ずさる。
「あの、俺っ――ファンです!! すごく、声が好きで! あっ曲も好きで! 俺耳がいいから声聞いてすぐに分かったんだ。あんたは【linK】だ、間違いない!」
後ずさっても後ずさっても覆いかぶさるように追いかけてくる目の前の男に私は完全に気持ちで負けてしまっていた。
「ひ、ひとちがいです」
「違わない! 絶対に【linK】だ!」
その自信満々の態度に頭を抱える。
耳がいい? それだけで私が【linK】だと分かったと言うのか。
「はい、消しゴム。落ちたよ」だけで? 本当に?
今起こっていることが信じられず、なにか言いたいのに言葉が出ない。口をぱくぱくとしているとまた手を取られる。
「あと、ここ。小指にほくろがある。【linK】と同じだ」
もはや完敗だった。配信時にほくろを気にした事なんてなかった。
消しゴムを拾ったあの一瞬、声と手を見て彼は私を見抜いたのだ。
「あ、あなたは……一体」
「俺は
がっしりと両肩を掴まれ、とんでもなくキラキラとした顔でとんでもないことを言われた私は、襲いくる頭痛に耐えることしかできなかった。
「ゆ、ユニット……?」
くらくらする頭を押さえながら立ち上がり、目の前の転校生――沢里初春を改めて眺める。
首が痛い。私は平凡な身長のはずだ。小柄ではない。
なのに彼と目を合わせようとすると見上げなければいけない。
背が高い、そして体格もいい。
それでも威圧感があまりないのは爽やかな短髪と笑顔のせいかもしれない。
目尻を下げて笑うので田舎のおばあちゃんの家で飼われているゴールデンレトリバーに見えてしまう。
見えないはずの尻尾がぱたぱたと左右に揺れている気がする。
へにゃりと音が出そうな顔を、私は慌てて手のひらで押しやり遠ざけた。
「ユニットなんて組まないしそもそも私は【linK】じゃないから!」
「頼むよ! せめて一回だけでも。あっバックコーラスでいいから!」
「いーやー!」
両手をつっぱってもビクともしない。
ゾンビみたいに迫ってくる巨躯に私は軽く、いやかなり混乱していた。
ゴールデンレトリバーのゾンビに襲われるなんて誰が経験したことある?
あまりの不運さにじんわりと涙がにじむ。
最悪だ。【linK】の正体もバレて、おまけにユニットなんて訳の分からないことを迫られるなんて。
「だから違うって言ってるじゃん!」
「っ……じゃあ! 【linK】じゃないっていうならクラスの皆に言ってもいいよな?」
「え?」
「ほくろのこと」
ぎくりと肩が跳ねた。
ほくろの位置は誤魔化せない。よく見たら誰にだって分かってしまう。
ふと土井ちゃんの顔が脳裏によぎる。きっと嫌われる、がっかりされる。
嫌なイメージに思わず片手で小指を覆うと、それに気付いた沢里はしょんぼりと眉を下げた。
「ごめん、脅すつもりじゃなかった。でも本当のことを教えてほしい。……【linK】、だよな?」
こちらの顔色を伺うように問われる。
私はしばらく呼吸を止め、大きく息を吐いた。もう認めざるを得ない。
「……だったらなんなの」
「一緒に歌いたい」
思いもよらずストレートな頼み事に呆気にとられる。
ユニットだのコーラスだのは意味が分からなかったが、彼の望みをようやく理解した。
けれど私の心は動かない。
「嫌よ」
「ええっ!!」
「私はもう誰とも歌わない」
「もう……ってことは前に誰かと歌ってたのか?」
「う」
思い切り断ったはずがカウンターをくらう。
「関係ないでしょ。ほくろのことは……言いたいなら言えばいい」
「【linK】、」
そう突き放すと捨てられた子犬のような目をする。
私は確信した。この人はほくろのことは言わない。そういうことができない人だと。
そのまま黙って教室を出ると「俺は諦めないから!」なんで声が聞こえてきた。
多分今日は運勢最悪の日だったんだろう。
トン、トン、トン、
頭の中でリズムが鳴る。
それは扉を叩く音に似ていた。
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