背理に抗う天秤-10-
「――お父さん……お母さん……?」
僕の背後からぺたぺたと床を鳴らして現れたのは、
近寄った末に漸く二人の死を正面から受け止めたのであろう。少女は壊れた人形の如く「お父さん、お母さん」と同じ語句を反復していく。悍ましい情景に臆することなく、両親に向けて覚束無い足取りで歩みを進める彼女の
「……お、お嬢さん。それ以上近付いちゃ危ないよ……?」
胃の内容物を吐き切ってなおも胃酸が込み上げる。ひくつく口端から垂れる唾液を拭い、息を弾ませながら僕は彼女を引き止めた。飽くまで、未だ被害者達を貪る敵手にバレないよう小さなトーンで。いつ
しかし懸命に近寄るなと説得する声すら届かないのか、少女の歩みは留まることを知らない。遂に両親を殺害した相手と肩を並べて遺体に縋り付くと、彼女は泥のような血に塗れることを厭うことなく、か弱く
異形の魔物に恐れることも、惨状を呈する光景に怖気付くこともない少女の心は、最早壊れてしまっていたのであろう。
少女の隣で、遺体の中からブチブチと何か千切るように臓物を荒らしている
倫理を逸脱した行為に僕は思わずカッとなるが、少女は実親の残骸とも言えるその臓器を丁寧に受け取る。健気にそれらを掻き抱く姿は見るに忍びないものであった。
「ハチ、敵前で何をぼやっとしてる? 早く始末しろ。然もなくば対象が逃げるぞ」
いつの間にか背後に佇んでいたレンさんが色のない声で命じる。――そうだ。この悪魔の如き所業を為す人類の天敵を逸早く粛清しなければ。そう使命感のようなものに突き動かされるようにして、隠していた鉤爪を表出させる。
しかし脳の隙間に僅かな違和感が残った。いつからだ? いつからレンさんは後ろにいた? いつから彼はこの惨劇を目の当たりにしながらその悪魔的行為を黙殺していたんだ? 恐る恐る振り返りながら疑問符を浮かべる僕。その表情の真意を悟ったレンさんが無情に告げた。「奴の討伐を自分に任せろと言ったのは、誰でもなくお前自身だろう?」と。つまり、最後に手を下すのは僕の役割で、他の三人はそれを補佐することはあれど、決定打となる一撃は与えないよう意図的に動いていたということだ。
確かに思い返して見れば、僕以外の三人が、対象を仕留める隙はいくらでもあった。三人が
死者を出すという屈辱感や敗北感を身を以て学ぶ。否、学ばされたのだろう。一切の疑いもなくそう考えられるのは、僕が考えるより真実というものが残酷であることをどことなく理解しているから。
討伐任務において、最優先事項は飽くまで目標の抹殺。遂行内容に人命救助は含まれず、救助活動については現場担当の者が判断する。――ルカさんの座学で耳に
僕の教育云々など関係なく被害者を助けてくれれば良かったのに、なんて恨み言を言える立場でもない。しかし、目の前で人の死を刮目するという経験を早いうちからさせて置いた方が良いかもしれない、という歪な優しさなんて、求めてはいなかった。教育のために被害者の命すら犠牲にするとは、倫理観の欠片もないではないか。彼らの大きく欠如した道徳心を前にして、本来あるべき道徳意識が軍隊においては不要な品なのだろうかと、思わず窮する。
せめて。せめてもの敵討ちとして、少女のために戦わなくては――。教育と称した犠牲者の発生を防げられなかった僕には、彼女のために
己の両膝をバシッと叩き、喝を入れる。その後、すっくと立ち上がり
「――死ね」
自分の動きに無駄があったかと言えば、なかったと思う。無論、レンさん達に比較すればまだまだ洗練された動きではなく未熟なものではあるだろうが。ただ、目的を果たさんとする意思だけは強く揺るぎないものであった。――だが。
「なっ、届かない!?」
攻撃の一手は掠りもせず、
「待て」
レンさんが僕の腕を掴んで引き留める。何か策でもあるのだろうかと、若干の期待は抱いたものの、僕は彼の言うことを素直に聞けなかった。何故なら
容認してしまえば、彼ら第一部隊と同様僕まで正常なモラルを捨て去ることとなる。これまで一軍人として育成されては来たが、それだけは捨てては行けないと直感的にそう悟った。まるで「不要な感情を排除せよ」とする命令を脳内が全否定するように。
僕は「逃げる前に仕留めないと、新たな被害者がまた増える。離して下さい!」と身を捩り、何としてでも敵を追おうとする。その身体はやけに頑なだ。
テオさんから処置を受ける時に聞いた、僕の発言力に逆らえない魔力が宿るという仮説通り、腕を掴むレンさんの手の力が緩んだ。好機とばかりに身を乗り出したその時、僕の無謀な企てを食い止めたのは、ルカさんとティムさんであった。
「暗闇の中での戦闘はまだ教えてないでしょう!? 死にに行くつもりですか?」
「街灯もないこんな片田舎の真夜中で、単独で戦闘できるほどお前は成長してない」
二人の声にハッとする。少女のための両親の敵討ちだと、押し付けがましい正義感を振り翳して、周囲が全く見えなくなるとは、軍人としてまだまだ甘い。途端に現実に引き戻された感覚に陥るも、折角戦地に出たと言うのに自分は全くの役立たずではないかと、虚しさが立ち込める。守れなかった――その敗北感が占める心中で、僕は走り去る
そこでふと気付く。僕がまだ未熟故、街灯の一切ない屋外夜戦への参与が推奨されないのであれば、僕以外の者達で敵を追い、掃討すれば良いではないかと。そう進言すれば、返ってくるのは残酷な仮説だった。
「仮に、両親を助けられなかった俺達に向けて、少女が報復にも似た復讐心を抱いていたとして、突発的に攻撃を仕掛けてきた場合、ハチ――お前には決して
それでも三人いる精鋭部隊のうち、「誰かしら単独行動を取り
状況的に見て、僕の失敗が全てを決したと言っても過言ではない。悲鳴の発信源に気付いた時、レンさんたちの助言も仰がずに、勝手に行動してリビングに押し入ったことが浅はかな行為だったとしか思えない。取り返しの付かない結末に、僕は少女の顔を見ることができなかった。
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