背理に抗う天秤-9-
沈黙が僕達の間を隙間なく通過していく。異常な能力を持つ僕という存在への疑惑がぐるぐると渦巻いていく中で、どちらとも疑念を確信へと移行できぬまま時だけが過ぎ去っていく。お互いに言葉を発することなく過ぎていく時間が何だか途轍もなく長く感じられたのは、二人が互いから視線を逸らさなかったからであろう。
そんな静寂な空間を打破したのは、ティムさんからの無線通信であった。ザザっと少しノイズの入った音がした後、慣れ親しんだティムさんの低めのバリトンボイスが、墨を落とした闇に吸い込まれていくように浸潤していく。
「……隊長、隊長? 対象が現場に突入するまであと僅かしかないが、まだ突撃命令は下りないか?」
焦ったような声色を耳にした途端、その身は一挙に現実へ引っ張られる。レンさんと僕の絡み合っていた視線が、双方咄嗟に
レンさんはこの話はまた今度にしようと言わんばかりに目配せをし、ティムさんの通信に直ぐ様応答した。
「諸君、待たせたな。突撃の時間だ! 」
号令と同時に第一部隊の面々が森の中から一斉に飛び出し、殲滅対象たる
あと十メートルほどでその体躯を鉤爪で掻き切れる段階まで差し掛かったところ。このままのスピードでいけば、間違いなくその背面から致命傷を与えられるであろう状況下で。事態は一変した。
悲鳴が反響する段階で、漸く弾かれたかの如く視界が元通りになり、身体も金縛りから解かれる。「不思議な感覚に襲われたのは一体何だったのだろう」などと考えている余裕なんてなかった。ただ只管に絶叫の根元を辿る。たった数秒のロスタイムにも拘わらず、胸の内を暗澹が占拠するような嫌な予感を覚えたのだ。
リビングの方向からだろうか。男女の叫び声と共に、食器の割れる音、壁床に物が衝突する音が鳴り止まない。「こっちに来るな、化物!」と威嚇する怒号や「いやよ、誰か助けて!」と懇願する喚声が飛び交っている。じわじわ迫り来る
正しく犯行が起きているであろう現場を明確化するように声々が沸き上がる。その拠点へと向けて、僕はレンさん達の傍を離れ一人急行する。扉を開け放ったその瞬間、目に映るのは今正に
「待っ――!!」
――伸ばした手は虚しくも空を切る。声を掛ける間もなく、鈍い音がした。
二人の身体は、まだ死んだことを受け止めきれないといった風にビクビクと動いていた。浅瀬に打ち上げられた魚が活発に
「うっ、……おええ……」
人が死ぬ様を初めて目にして、拒絶反応を示す僕の身体は、無造作にガスマスクを外して嘔吐していた。
想定外の動きに着いていけなかった、など言い訳にもならない。咄嗟の判断ミスが二人の死を招いたのだ。言葉の通じる相手ではないことを理解していたのなら、声を掛けるなんてことをせずにそのまま攻撃を仕掛けていれば良かったのに。そんなタラレバが脳裏を過っていく。
血飛沫で染まったカーペットにへたり込み、二人の内臓を食い荒らしながら遺体を損壊していく
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