背理に抗う天秤-8-
日を改めた翌日の夜。
巧みに宵闇に紛れる
少し離れた位置から「父親に暴力を振るわれたか」と、苦い面持ちで
扉越しに聞こえてくる会話からすれば、確かに彼女自
ここまでを切り取って見れば父親たる
言ってしまえば、彼も幾ら努力しても自己を承認されない社会における一人の被害者なのかもしれない。否、中々昇進しない彼を小馬鹿にする周囲の人間達と、彼らに爪弾きにされた社会の被害者と言える。
複雑に
実らない努力を嘲笑する社会の被害者たる父親。その気晴らしの標的となった母娘――そして自己防衛を完成させるために娘の庇護を捨て去って娘に手を上げる母親と、両親の愛情を只管に求めて全てを甘受する娘。無情にも、真の被害者たる娘を除いて、二人の被害者は命を落とす危険性に曝される。
誰も求めちゃいないド三流のシナリオ。決して完成させてはいけない一つの物語。
森の中から
「いた……」
咄嗟に口をついて出た小さな言葉にレンさんは鋭敏に反応する。「方位は」と単調に尋ねるレンさんに「ここから北北東、でしょうか? あ、あっち、あっちです!」と指を指して、宵闇の中を蠢く人類の宿敵の居場所を示す。僕の示した方向を向いて「お手柄だ」と鼻を鳴らすレンさんは、
「ティム。俺が出すレーザーポインターを追え。その先に奴がいる」
「……ちょ、え?」
思わずレンさんの居る後方を振り返る。レーザーポインターなんてそんな至極明晰な方法で相手の位置を明示したら、相手側も照準を絞られていることに勘付いて悪い方向にことが運んでしまうではないか。当然の懸案事項が先立ち、懐に無線を仕舞いながらポインターを出したレンさんの行動を制止しようとするが――。
「あれ、――見え、ない……?」
そう。ポインターの光線が一筋も見えないのだ。通常ならば赤なり緑なりの斑点が浮き出るように目に入るはずのそれが、全く見えない。レンさんともあろう人間が、誤って電池切れの器具を用意するという線は薄い。電力不足による光源の弱化が根元にあれば、点滅した光が顕著に現れるだろうから、その類いとも考えにくい。ならば何を根拠にポインターを追えと彼は部下達に指示したのか。
そんな疑問を払拭すべく、もう一度目を凝らして薄らと見えたのは、仄暗い黒にも似た微かな赤い一閃。「何だこれは?」と光の筋の先を追い駆ければ、その先には先ほど見付けた
「通常緑色レーザー光が五三二ナノメートル、赤色レーザー光が六三五ナノメートル或いは六五〇ナノメートルの波長を示す。五五五ナノメートルが最も人間の目が捉えやすい波長とされてはいるが、どれも可視光のため、人間の視覚に捕捉される光線に違いはない。だが、今俺が発しているポインターの波長は約八〇〇ナノメートルでな。一般に【赤外線】と呼ばれるもので、一般人の可視光線である波長の三八〇~七八〇ナノメートルから逸脱したものであるが故に、通常人には視覚的な捕捉は難しいものとなる」
「つまり、視力が秀でた人種にしか見えない光……ってことですか」
「その通り。現状視覚情報に特化した人種は俺とティムの二人。二人を分断して正面と裏口それぞれの玄関を見張るよう配置すれば、位置情報の共有は滞りなく済むってことだ」
赤外線――人間の目では補足できぬ光。にも拘らず、僕の目には
一般人と比較して大幅に増強された治癒能力に加えて、視覚の特化が見られている。それは正しく、自分が人間という枠組みから外れた存在として確立されていくような、そんな感覚があった。
「その赤外線とやらがどうやら僕にも見えるみたいなんですけど、これって一体どういうことなんでしょうか? 薄暗く赤い微かな光線が、レンさんの手元から
「――は?」
レンさんが絶句すると共に僕に振り向く。然も「何故お前にそんな能力がある?」と言いたげな緊迫感であったが、僕としても「何故自分にこんな能力が備わっているのか」と声高に尋ねたいところであった。
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