背理に抗う天秤-6-

 二件目に訪れた犯行現場でも、杏病原体プラルメソーシの試薬反応が見られたため、犯行は侵蝕者イローダーによるものと断定できた。こちらの現場では生存者が一名確認されており、僕達四人は揃って生存者の入院する病院に向けて動き出す。


 現場から最も近い病院の個室には、僕と同年代の生き残りの少年――南橋伊織みなはしいおりが窓の外の景色をぼーっと眺めながらベッドに横たわっていた。挨拶もそこそこに済ませ、犯行当時の詳細を聞くと、彼は会話を拒絶するでも想起に竦み上がるでもなく、これまでの生い立ちを興奮気味に語り始めた。


「僕の父親と母親はね、僕のことをサンドバッグか何かと勘違いしてたのか、鬱憤が溜まると何かと殴りつけてくるクソ野郎共だった」


 そう意気揚々に独白する彼もまた、家庭内暴力の被害者だった。家族から人間扱いされない辛さは経験者でもない限り知り得ない感覚だが、状況を察するにその身体的及び精神的苦痛は想像を絶するものと思える。サンドバッグにされる――つまり打撃の標的にされる行為は、普通に考えても悪感情しか抱けないのに、自らの子供をそう扱う人間の心情など全く理解に及ばない。

 子供やパートナーに手を挙げる大人達が殺害対象になっている犯罪件数を数えればこそ、所謂いわゆる虐待・DVとも言うべき非道な行いを為す存在の豊富さが浮き彫りになる。一見平和に見えていた世界が存外蒼然とした家庭情勢を築いていると喝破して、軽く眩暈がするのは、世間は何不自由なく生活している人間が多数を占めるものと存外に楽観視していたからだ。


 初手から真正直に虐待の仔細を語られるとは思わなかったが、今回の騒動が他者に加害した者が死に、被害を受けた者が生き延びる。そういった法則の下で成り立っている犯罪であることから、最初に立てた仮説が正しかったものなのだと、論理的帰結に到達する。


「それがどうだ、あのクソ野郎共は悪魔の化身にち殺されやがった。そう、奴らは頭蓋を斧でち割られ、内臓を食い荒らされる無様な最期を迎えたんだ。勿論悪魔のような光景に吐き気はしたが、あの時の僕は素晴らしく胸の空く思いをしたのさ」


 高らかに嗤う伊織いおりの身体には、青痣や火傷、蚯蚓みみず腫れのような痕が病衣の隙間から見え隠れしていた。両親に良いように嬲られ、彼らに復讐を遂げたいほどの恨み辛みを抱えていた中、突如として現れた侵蝕者イローダーは彼にとっての救世主とも言えよう。実の親が死んだと言うのにここまで晴れやかに嘲笑う様は、通常の生活を送ってきた人間からすれば極めて奇異そのもの。

 ただ、顔は満面の笑みを浮かべているにも拘らず、彼自身も無意識のうちに一筋の涙を流している辺り、両親との死別は彼にとって間違いなく悲哀や虚無という心模様を反映していただろうことは明らかだった。


「長かったサンドバッグ人生が終わった。終わった、はずなのに……。どうして! こんなに胸が苦しいんだ!!」


 嘔吐えづきながら泣きじゃくる姿は、言葉では親の死を嬉しいと雄弁に語りつつも実際は親を亡くした悲しみに打ち拉がれる、たった一人のどこにでもいる少年だった。

 僕達は泣き荒ぶ少年を一人残して、病室を後にした。親しい者を亡くした悲しみを癒す最大の薬は、過ぎ去っていく時間だけだ。下手な慰めは返って反感を買う。それを知っているからこそ、僕達はこれ以上彼に干渉しないよう静かにその場を離れたのである。


 そして三件目の犯行現場。ここでも杏病原体プラルメソーシの試薬反応が検出される。一体今回の侵蝕者イローダーは何件の事件に関わっているんだと頭が痛くなる反面、アシュラム区域だけでこれほどまで多くの加害行動を振るっている人間が潜んでいることに絶句する。

 本件でも生存者が一名いたが、生存者は女性――木津園香きづそのかで、交際相手の男性――三國正典みくにまさのりが犠牲になったという。詳細を問えば、園香そのか正典まさのりから俗に言うDVを受けていた様子であったが、パートナー亡き後未だ彼に好意を寄せている彼女は嗚咽混じりに現場の情景を語った。


「化物です。この世のものとは思えない化物が、私の最愛の彼を、殺しました」


 自らを虐げた両親の不幸を嘲りつつも無意識に嘆く極端な感情のブレを見せる少年もいれば、ただ純粋に自らを虐げたパートナーの不幸に気を病む女性もいる。虐待側への報復は気分が晴れるものと当然のように認識していたが、現状は千差万別の反応に溢れ返っている。全ての人間が表面的に美しい復讐劇のようにも見える殺人事件を、真正面から享受できていないことを考えればこそ、今回の一連の侵蝕者イローダーによる犯行は看過できないものであった。

 木津園香きづそのかに聴取に対する協力の感謝を述べて、病室のドアを閉めたその途端、部屋の中から彼女の堪えきれなかった号泣する声が扉越しに聞こえて来た。ただ純粋に人の死を喜べるほど、人間の感情がそう単純に作られてはいないことを思い知らされる。そんな一日であった。


「ここまでで分かったことを纏めよう」


 レンさんがパンと両手を叩いて空気を引き締める。僕と彼の部下二人は静かに頷くと、レンさんの言葉の続きを待った。


「犯人はヒト型侵蝕者イローダーであり、変異前虐待・DV・虐めの類いを受けていたことから、自分と同様の境遇にある人間を助けることを目的として、加害者側に私怨的な感情を抱いた末の殺害を続けている――と言うのが今回の調査で得た犯人像だが……」


 三件の被害者・近隣住民達から掻き集めた情報を集約した結果、導かれた解がこれだ。それでも遅かれ早かれ皆何処かでこの答えに辿り着いていたであろうことは明白。レンさんは侵蝕者イローダーの特性を見透かした結論を導くが、話はそこで終了とならず、まだその先には続きがあった。


「――喜べ諸君。深山みやま家からそう遠くない位置に、娘に虐待をしているとの噂が立つ男が住む家屋があるそうだ」


 大方次の標的になるであろう話題に上がった家庭の絞り込み。虐待が横行する一つの家庭を見張る――それが次に課せられた僕達の課題であろう。

 生存者達の涙を忘れられないが故に、同じ結末を招かないよう今後一人の被害者も出さないこと。僕の目標はそこに定まりつつあった。

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