練兵に倣う灰滅-11-

「今日から到頭実践訓練ですね。担当はティモシーに変わりますが頑張りましょう」


「ルークの座学で学んだことを中心にして鍛えていくから、復習にもなるはずだ」


 座学が始まって四日目を迎えた決戦の朝、ルカさんとティムさんの二人が横並びで意気揚々と声を掛けてきた。決してこの日を心待ちにしていた訳ではなく、むしろこの日を迎えてしまったことへの悲壮感の方が強く顕現している。これは今までのような安全な講習の閉幕に対する哀愁と、危険を伴う講習の開幕に対する憂愁である。緊張の面持ちで執務室に足を踏み入れて「第一部隊の皆さん、おはようございます。本日も一日、宜しくお願いします」と朝の基本的挨拶をした後、思わず深い溜息を吐いた。

 気落ちする中眼前に出されたのは、模擬の血晶刃ブロッジ。これからこれを用いて、戦闘の入門講座を受けるのであろう。座学はある種の得意分野だったのか、各種新たな情報を脳内にインプットするのは、それほど苦でなかった。だが、まともに鍛えていない身体で、果たして実演的アウトプットをこなせるかどうか。そこが重要であった。元来体育会系ではないこの身体で、ティムさんの実践訓練にどこまで着いていけるものか。心配でしかない。


「心配するな。お前が運動を苦手としているということは既に聞き及んでいる。元々初心者向けの習得コースでもあるから、お前のペースでじっくり成長していけばいいさ。俺の言う通りに学べていりゃ、一ヶ月後には死なないレベルに到達している算段だ」


「いや、でも僕元々インドア派なんで動くのには滅法弱くて。ティムさんの用意する訓練について行ける気もしないですし心配でしかないんですけど、……この教練では具体的に何をするんですか?」


「基本的な訓練スケジュールは、午前はストレッチ・アップ・筋トレ、午後から戦闘技術の習得における模擬戦、だな。休憩は俺との鬼事をしてもらう。時間は朝八時~夜二十時までの十二時間、みっちり行う」


 長時間拘束に倦怠しつつもこれも生存率の向上のためと自らを奮い立たせる。実際の戦闘では常に死と隣り合わせになることから、何よりも経験値の積み重ねが自身の生死を左右するだろうことは明白であった。鍛錬を繰り返し、より精度の高い動きで死線を潜る。これは死地へ赴く条件として必須のものである。故に長時間拘束がどうのだとか訓練内容が重厚過ぎるだとか、そんな戯言は許されない。生き延びたいのであれば郷に従え、と言う訳である。死活問題を目前にしながらも何とか課題に食らい付いていってやる、という気概は据わっていた。


「訓練を始めるにあたって、まずは模擬戦闘訓練室シミュレーションルームに案内する」


 そう言って案内されたのは、体育館のように徒広だだっぴろい空間であった。一切の窓がなく、全く日差しが差し込まない室内は、無機質な蛍光灯だけで明かりが灯り、一見随分と索漠としている。ジムのような機材が置いてある訳でもないそれは、最早言葉通りのトレーニングルームとも言い難い。「何もない」と言っても過言ではない室内の光景を見て、またもや何を鍛える場なのだろうかと新たな疑念が沸々と湧き上がる。

 懐疑的になる己を他所よそに、不意に「俺に倣え」とばかりにティムさんがストレッチを始めるので、慌てて僕もそれに倣う。あらゆる個所を解す準備運動の段階で「病み上がりにまた怪我なんてされちゃ堪らんからな。しっかり柔軟しておけ」と忠言するティムさん。確かに肉離れなどを生じて訓練に支障を出すのだけは避けたいところだ。僕は見様見真似で全身の筋肉を解き解しつつ、彼からの戒めをしっかりと受け止める。適切なアドバイスに感謝しながら筋肉を緩徐に解していると、凝り固まっていた筋肉に血流が行き届くような、そんな温かい感じがした。


 その後はアップが始まった。約一時間の流しではあったが、普段運動をしていない僕にとってはハードなロードワークであり、走り切る頃は息も絶え絶えになっていた。軽い流しと侮ることなかれ、シャトルランという終わりの見えない走り込みである。

 シャトルランの結果はおよそ八十五。軍人的な持続力に太鼓判は押せない極平均的なレベル。しかしこの結果にげるでもなく、今後の伸び代に期待して僕はこれからの訓練に取り組むこととした。無論ティムさんも挑戦していたが、最早あれは人間業ではない。二百四十七回過ぎたところで測定終了になるだなんて知らない事実だった。最大数を完遂してもなお涼しげな顔をしているというのが、人間離れした種族由来の平常運転なのだろうかと、体力オバケがデフォルトとされる第一部隊の面々を、遥か遠い存在に感じた。


「平均的な数値ではあるが、植物状態からの回復後、両足の銃創の処置後という面を考慮すると、上々の結果ではあるな」


 この訓練で二百四十七回を軽々と越えられるようになることが基礎体力作りとして必須項目だという。あまりのハードルの高さに眩暈がするが、生存戦略上は問題ないので文句など言う暇もあるまい。トレーニングノートに今日のシャトルランの記録を残し、十分身体が温まった後、僕達は筋力トレーニングに着手することとなった。


 ただの筋トレとは異なり、突然模擬戦闘訓練室シミュレーションルームの床が反転して、筋トレ機材が室内に一挙に勢揃いした。あまりの機材の多さは、枚挙にいとまがない。ボディビルダーなどが愛用するような大規模ジムを模した清潔感ある光景は、画像でしか見たことのない、筋肉愛好家にとっての桃源郷だ。生まれてこの方、碌に筋肉を鍛えたことのない僕ですら知っているような機材もあれば、使い方さえ見当もつかない機材が犇めき合う。 あんぐりと口を開けていると、ティムさんは物凄く良い笑顔で「どれからにする?」と尋ねてくるが、無論どれも嫌である。だがそうも言っていられない。辛そうなものほど後回しにすると危険な匂いがしそうだったので、まずはベンチプレスとやらから手を付けることにした。


 結果的に、ティムさんが僕の専属トレーナーとしてずっと付きっ切りで見てくれていたからこそ、何とかやり切った。しかし、そうして全ての筋トレが終わる頃には、僕は小鹿のようにプルプルと足を震わせた情けない姿になっていた。

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