首輪に従う黒狗-10-

 厚い期待を無碍にされて、「糞狸め」と小さな声で悪感情を燻らせる少佐を見れば、なるほどK-9sケーナインズという部隊が如何に扱き使われているかという点を克明に理解できた。少佐自身やはりこうなるかと小さな期待を諦め、苦い顔で「承知致しました」とだけ承諾したが、ここまで来ても【ハチの密偵スパイ活動】に支障が出ないかだけは、しっかりと確認を取った。軍人たるもの、記憶を失ってなお、僕が軍のために活躍できる場がきちんと設けられているか、問い質したかったのだろう。


「ハチの内部調査と言っても、我々の通常任務は各個部隊が単独行動する場合が圧倒的に多く、現存する各九部隊との接触自体が難しい。閣下の言うところの任務遂行は極めて困難に思われますが、そこについてはどのようにお考えで?」


「任務発行に僕が一枚噛むよ。それで各部隊との長期合同任務を用意しよう。各地で広大な紛争制圧が依頼されたり、街中に潜む大量の侵蝕者イローダーの殲滅依頼が届いていたりと、合同で戦線に立とうと思えば取り掛かれる任務など腐るほどあるだろう。ものは考えようだよ、少佐」


 そこまで順当に手配されているのであれば、最早お手上げだ。そう言わんばかりに泣く泣く僕の保護係を受諾した少佐は、あんなに保護係を嫌がっていた割にいざ保護係に決まったとなったら、即座に手の平を返した。僕の訓練に割く時間が、一分一秒でも惜しいのだと、早急に訓練に取り掛かりたいと申し出る。少佐自身が答えられるものなら質問は後ほど自身で済ませ、今は桐生きりゅう氏に聞くべきことのみを選別しろと、暗にずいと急かしてくる。与えられた一ヶ月の猶予が如何に短いものかを物語るように、あまり感情を表に出さない少佐から焦りを感じられるほど、切迫感が漂う。


 少佐が急く気持ちは十分に理解しているが、あと二つだけ、僕は桐生きりゅう氏に聞きたいことがある。何かと言えば、それは無論【どうやって僕が少佐の私室に侵入したか】と【どうして僕が記憶喪失であることを総本部が認知できなかったのか】だ。監視官総括役たるもの、監視していた身からすれば、僕がどんな動きをしていたかが丸見えだったはず。そして総本部からの伝達で僕が密偵スパイと明かされた中、何故総本部は僕の状態を把握していなかったのかを、監視官総括役ならば知り得たことなのである。


「ああ。それに関してだが、ルベルロイデ少佐の私室近辺と室内の監視記録が、丁度一ヶ月前から破損していてね。バックアップも綺麗に消去されていて、破損データのサルベージは極めて困難。少佐自身もラナンキュラの遠征任務に赴いていたから我々監視官も監視の必要性なしと判断してしまい、復旧が後回しにされたのかもしれないが、実際に復旧したのがついさっきなんだ。だからハチ、君がいつ・どこから・どうやって侵入したかは掴めない。まあ何にしろ、記憶喪失前過去の君は総本部勤めの密偵スパイを任されるほどの監査役だから、こんな監視を掻い潜るなんてもしかしたら造作ないのかもしれないけれど。と言う訳で、君の発現状況に関する情報を我々は持ち得ない。というのが実情だ。また、君の状態について総本部が詳細を把握していなかったのは、任務が君個人に与えられたものだったためか、伝達役が備わっていなかった点に起因するものと考えられるね」


 まさかの事実解明ならずに一驚を喫する。過去の自分が凄腕の密偵スパイだったとは考えにくいが、現実がそう物語っている以上は、監視システムに何らかのクラッキングを施して侵入したのであろう。今やこんなにポンコツに成り下がったというのに、どこにそんな頭脳型な要素があったのか謎である。また、僕の状態を一切把握していない総本部の問題も、伝達系統が上手く機能していなかったために生じた失点なのだと。まあ隠密作戦を遂行する役回り上、伝達役を備えることができないのは常識の範疇であるのだが。これ以上の思考は無意味と判断し、ひとまず聞きたいこととやらを聞き終える。


「少佐。聞きたいこと、終わりましたよ。桐生きりゅうさんもありがとうございました。自分の処遇が固まっただけでも職務の進捗は大きいです。現状貴方に聞くべきことはもうないので、お忙しいとは存じますが、また折を見て何か聞きたいことが発生した場合には、内偵結果のご報告と兼ねてお時間を頂戴するかもしれません」


 少佐と桐生きりゅう氏にそう告げながら、心中では「そうか、もう訓練を始めなければならないのか」と気構える。それが猛烈なものであると推測して少々気が滅入るのは必然であろう。生まれてこの方肉体労働と無縁だった気がするのも相俟って、短期間ではあるが、この一ヶ月を乗り切れる自信がないというのが本音だった。


「分かった。部隊は全部で十あるからね、合同任務を一つずつこなしていく段階で報告を兼ねた質疑応答の時間を改めて準備しよう。僕の方も、今回は緊急で君と立ち会うことになったけど、これから重役会議の予定が入っていてね。話はここまでにした方が良さそうだ」


「では閣下! 小官のラナンキュラ遠征任務のご報告の詳細は、後に提出する報告書をご査収下さい。また、並びにハチの処遇決定につきましても、貴重なお時間を頂戴し、感謝の念に堪えません」


 少佐が「これにて失礼!」とでも言わんばかりの敬礼をするので、慣れないながらも見様見真似で僕もそれに倣う。桐生きりゅう氏は軽く頷いた後、来月の予定を示した。


「本日より三十日後、ハチの任務遂行の一環として、トゥールオルン少佐率いる第二部隊と一週間の長期合同任務を用意する。それまでにハチ、君は死なない実力を身に付けるように。あと、今の君の負傷部位の治療に第十部隊所属・クンツロール少佐の無償治療を手配した。訓練を始める前に、先にそちらに立ち寄るといいよ。彼は全国屈指の一流ドクターだ。その程度の傷なら完璧に処置してくれるだろう。それと、君の記憶喪失についても何か有益な情報が得られるかもしれない。その点についても彼に相談してみるといい」


「……はい、Xデーまでには訓練を怠らず、生き残る実力を身に付けるがために善処します。治療についても感謝申し上げます。すぐに治療を受けて訓練に励む所存です。それと僕のこの記憶喪失についても、実りのある医学的な知見がないかクンツロール少佐に直接確認してみますね。では、一旦失礼します。ご報告はまた後日」


 そうして、怒涛の情報交錯の末、僕達二人は絢爛な執務室を後にした。

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