首輪に従う黒狗-9-

「ハチ、君の奥底には軍人としての確固たる記憶が眠っている。訓練と同時にそれが呼び起こされる可能性もぜろではない。ただ、長期に渡ってそれを喚起させるのも一種の手かもしれないが、軍はその選択肢を取るほど寛恕でもない。さっきも言ったが、どの軍だって有益性のないものを内部に置いておくほどの余裕はないのさ。むしろより一層の戦力を求めるくらいには常に戦力強化に飢えていてね。徴兵する段階まで国民に軍への協力を強いてはいないし、困窮もしていないものの、志願兵の募集自体は日々行われているほどなんだよ」


K-9sケーナインズという最強の歩兵部隊を抱えていてなお、僕のような微々たる兵力まで必要とするほどの戦力的不足が生じていると?」


「その通り。戦力の損失は一瞬だが、補充と教育はそれなりの時間を要する。故に、不測の事態に備えた戦力拡大は常に、早急に、必要ということだ」


 拙い。非常に拙い。このままでは鬼畜訓練という一ヶ月の期間限定地獄を見ることになりそうだ。少佐も新兵育成経験がないというし、あの拷問染みた暴力沙汰を経験しているからこそただでは済まされないような気もする。「何とか上手いこと後方に回してもらえないだろうか」と思索するものの、後方勤務を希望したとて、その暁には「軍人として軍のために前衛で戦う意思がないのか」と意志薄弱な軍兵として誤解され、結局不都合しか生じないだろう。


「それにね、ハチ。戦闘技術は頭脳で覚えるものではない、身体が勝手に覚えていくものさ。数をこなせばこなすほど技術は進歩する伸び代のあるものなんだ。だから物覚えの善し悪しは関係ない」


 桐生きりゅう氏が言いたいのは、要は【習うより慣れよ】ということであろう。そんなこと始めから分かっていると胸中で反発し、耳障りな戯言だと悪態を吐く。辞めだ。最早良い子ちゃん振るのは無意味。「軍のため? 知ったことかそんなもの」と一蹴してやろうと啖呵を切る勢いであったが、続け様に振るう桐生きりゅう氏の弁舌に敗北するまで、大して時間は必要としなかった。


「ハチ、君は一つ失念しているようだから言わせてもらうが、君とて記憶喪失にこうなる前は軍隊の一員だったんだよ。一軍人として弱音や脱落が一切許容されない――そういう軍人気質が君の骨身にも染みついているはずだ。それに、記憶喪失自体は突然の一大事ではあるものの、未だ君の退役手続きが正式に為されていない上に、未だ君の元締めたる総本部は君の任務放棄を許可していない。つまり、君に選択肢はないんだ。万が一、君が軍人であることを否定したがったとしても、無駄だ。金銭の譲受なしに軍が身元を保護してくれるとでも思ったかい? 己が保護してもらうに値する人間と考えるのであれば、【保護してもらう代償に己の戦力を軍へと供与する】というのが、ここでは合理的だと考えるべきではないかね?」


 正論も正論。記憶喪失とはいえ元が軍人であったのなら、きちんとした退役手続きの下、軍を去るのが【立つ鳥跡を濁さず】ってやつだろう。その手続きが全くできていない上、任務発行の取り消しも為されていないとなると、総本部は僕の記憶喪失に関する一連の情報を握っておらず、今もなお任務継続可能と判断しているに違いない。そんな中途半端な状況下で軍から逃げ出せるほど、軍の掟は甘くはない。少なくとも兵役期限に到達した者、或いは傷病により兵役に堪え忍ぶ見込みがない者を除いては、特例で軍を退くことなど通常できやしない。そう考えれば、僕は退役対象から外れて然り。

 また、軍人であった頃の記憶がなかったのだから兵役不可能と豪語して任務を放り出すなど、分別のある人間がすることではない。仮に軍部の人間ではなく本物の身元不明の保護対象だったとしても、この桐生真澄きりゅうますみという男がただ単純に金銭譲受の生じない対象者を無償で保護するはずもない。戦力として育て上げ、身元保護と引き換えに代償を払わせる腹積もりであることも予見し得たことなのだ。無論、ギブ&テイクとして身辺の安全を約束する代わりに戦力を提供させるという理論は、正しく合理的であろう。

 完敗だ。桐生きりゅう氏の言っていることは正しいし、僕の言っていることはただの子供の我儘だと痛感する。あまりに不条理な現実を突きつけられた僕には、言葉をなくして立ち尽くす他、為す術がなかった。


「閣下、確かに小官はハチを鍛え上げえることに了承自体は致しましたが、如何せんハチは侵蝕者イローダー殲滅戦の実戦経験が乏しく、例え模擬戦シミュレーションで戦闘技術を培うにしても実戦に比較すれば経験値は雲泥の差。故に、訓練期間のハチの成長には限界があると存じます。実際に彼と共同戦線を張れば『彼の経過観察フォローアップ後方支援バックアップ攻守援護カバーリングなどが強いられる我々第一部隊の戦力摩耗も甚だしく関与する』というのが、小官の申し上げる愚見でございます。その点を想定した上で第一部隊の任務配分の削減が為されることは、閣下の思し召しに適うのでしょうか?」


 呆然とする僕の隣で、少佐はまだ食い下がっている。

 確かに僕が第一部隊に配備されれば、他の部隊員は平時の戦闘に加えて【ハチ】のバックアップが必須となる――即ちダブルタスクの同時進行が強要されるであろう。敵方の動きに合わせ自身の動きを操作した上で、僕に万が一がないよう常に状況確認も怠ってはいけない。これは活動と精神の摩耗性が高いと思われる。この観点から、少佐は部隊の消耗を避けようとして、抑々そもそも部隊に課される任務の削減を申し出たのであろう。だが――。


「少佐、何の冗談だい? 危機回避リスクヘッジのための血晶刃ブロッジ虚飾面フェイスレスがあって、更に侵蝕者イローダーとの戦闘後には、杏病原体プラルメソーシの侵蝕因子を無力化する緩衝材の散布援護があるんじゃないか。一般軍人を保護援助しながらの戦闘など、今までに何度も経験しているはずじゃないのかね? それを今更出来ないなんて、言わせる訳ない。部隊の消耗性などハチの加入程度で考慮はしないし、任務量の低減も今後ないと考えていい。ハチを一ヶ月である程度の形に仕上げて、実戦で形を成せば、全て丸く収まるではないか」


 戦力を何より重視する桐生きりゅう氏が、そう簡単に首を縦に振ることはなかった。完全な記憶喪失に陥り無力と化した僕でさえも戦力として己の軍に加えたいと申すのだから、主力部隊たるK-9sケーナインズの活動縮小が絶対に有り得ないと切り捨てるのは、当然ながら目に見えていたことだ。

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