第3話 かって そのに

おじいちゃん


ぼくは、どういうわけか

おじいちゃん に かわいがられます。



   あおもり の おじいちゃん



あおもり の おじいちゃんは

こくてつ の 車掌さん。


白い制服で かっこよく

寝台列車に 乗って。


でも 定年 の あと すぐに しんでしまいました。


おなじ、車掌の おじさんにきくと よくあるそうです(このおじさんも)。


ぼくも こくてつ に なろうかなと おもっていました。

べつに しんでも いいし。


しんだら どうなるか わからないし。


「しんだら みんなに あえなくなるのよ」と、おばちゃんがいいましたが


おとな は みんな かってなので あいたくないから ちょうどいいか、と

おもいました。






おおおかやま



しょうがっこうは とおかったです。

にゅうがくしき の ひ 



いっしょに きた はは で すら つかれてしまいました。


ちかい がっこう に いれてくれない しやくしょ が へんです。




せんろ を わたって いると 


とうきょう いき の ぶるーとれいん が とおくにみえて。



ふみきり が なるまで みてました。




はは も まってくれました。




あおもり から うえの まで・・・・きた れっしゃと

にてる れっしゃ。



おじさん の 乗る・・・列車。


なんとなく、なつかしくなりました。


でも あおもり の おばあちゃんは いじわるなので

そこにいきたくないなあ。なんて おもいました。





れっしゃ を みおくって 

ぼく は しょうがっこうに いきました。



校門 に ちかい 1年生のクラスは8組。


僕は1組でした。


一番、校門に近く。


便所も近い。 でも 臭いは来ませんでした。


2年生からは 鉄筋の校舎なので

スイセン だそうです。



1年生は木造の ふるい 校舎で

むかし、そこは・・・お墓だったそうです。



なのか、便所の中が まっくら。


きんかくしのなかも まっくら。 怖くて 入ったことはありませんでした。

おっこちたら 死ぬのかな。



なんて、思いました。





1組の担任は、30くらいの・・・黒い髪がばさばさで

化粧っけのない、そばかすだらけの うりざね顔 、ぱーま。せみろんぐ。

毛玉のかーでぃがん。よれよれスカート。


みけんに しわのある・・天地茂と 誰かがうわさするくらいの・・・


ほんとにおんなかなぁ、なんて思うような。



でも、この幸子せんせいも、じつは・・・おとうさんが先生で

5年の主任。



いやいや、先生をさせられていたことが あとでわかりました。


ちちの かって なんですね。


かわいそうなせんせい、だと・・・あとでわかりました。



いたわってあげたらよかったのですが・・・・。






ききのがし 





いつだったか・・・・このせんせいと ぎろん をして

まかしてしまったことがありました。



 たいくつ な じかん・・・・・


僕は、線路の方をみていました。



幸子が なにかいいましたけど きいていません。


ちょうど 機関車が通っていたから。




幸子は怒りました。「たっていなさい」 



10時ころでしたから、給食もたべられず

たたされていました。



幸子がみていないときに こっそりと

友達が とっておいてくれた

パンと牛乳を たべましたけど。


もともと、給食は こどもじみていて

あまり 好きではありませんでした。




それから・・・・。



ごご1時。


みんなはかえります。


僕だけ たたされています。




幸子は「もうしません、といえば かえしてあげます」




僕は「ききのがし は だれでもあります。もうしない、とはいえません」





幸子は、ききのがしました(笑)「いま、なんて?」



僕は「先生も、ききのがしましたね。もうしません、といえますか?」



幸子は、怒り狂いました(笑)僕のほっぺたを、なんどもはたきました。



「父兄をよびます!」と、廊下に飛び出していきました。








しばらくして・・・ちちは かっこよく

クラウン・スーパーサルーンで校庭に乗り込みました。

濃い緑のメタリック、4ドアです。


横浜55

ま 59-25



でした。




ちちと、幸子、それと 幸子のおとうさんセンセが

面談。



いきさつを知り、チチは「息子は悪くない。帰ります。感情的になり体罰を与えたのは

不祥事では?警察を呼びますよ」



そのあたりは、さすがに・・・政治家をめざしていた、だけのことはあるようです(^^;




幸子のお父さんは、あわてて、教頭先生を呼んで。



教頭先生は、いい人でした。後に組合専従になる方なので

リベラリストだったようです。


平謝り。



幸子だけは謝りません。


ちち は 「詫び状をかきなさい」



そんなものを書いたら、体罰を認めたことになるので・・・・教頭先生も


「まあ、2度とさせませんから」



ちち は「息子は 2度とするな 」と 誓うのは無理だ と言った。


妥当だと思う。 ひとには、できごころもある。


だから、誓約文でもいいが」




・・・・そのあたりは、さすがに政治家をめざしていた・・・(くどいか)。





僕は無罪放免。ただ、なぐられて痛いのですが

ちち も 金品をゆするようなことはせず(・・・そこは政治・・・もういいか)。



クラウンに乗って帰りました。



60年代ですから、まだまだ戦後。そんなこともあった時代です。


みんな「勝手」のせいです。



自分勝手に決めてはいけない。 そういうことがまだ、できていない頃。

’65年ころの お話でした。



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