脅迫のミルク粥

 俺が宮廷料理人になって一年後、デリツィオーゾ城は陥落した。悪名高い隣国の暴君テオバルドが、突如軍勢を率いて城下を侵略したのだ。

 俺は料理人だから、政治の話はわからねえ。隣国できな臭い動きがあるとは皆知っていた、が、まさかいきなり攻めてはこないだろうと誰もが思っていた。デリツィオーゾと周辺国との関係は良好で、長く続いた平和を突然乱すような真似は誰もしないだろうと、近隣国の皆が思っていた。

 だが、何がどうなったのかは知らねえが、とにかくテオバルドは攻めてきた。

 とんでもない速さだった。伝令が国境侵略の一報を持ってきたのは、確か朝だったはずだが、その日の夕方にはもう郊外で戦いになっていた。城壁が突破されたのは、夜半だった。

 俺を含めた厨房の人間は、メイドたちと共に城の中庭に逃れた。だがすぐに敵兵がなだれ込んできた。首に剣を突きつけられ、手枷をはめられ、城外に連れ出されてみれば、外は明るかった。赤々と、街が燃えていた。

 目をぎらつかせた敵兵が、捕らえたメイドたちを天幕へ引きずっていく。引き立てられる俺の背後で、女たちの悲鳴とすすり泣きが、いくつも重なって聞こえていた。

 俺が連れていかれた先はテオバルドの本陣だった。小太りの身体に獣じみた目を光らせて、奴は俺を見た。


「おまえが、料理人ラウルか」


 俺は黙っていた。こいつに名乗る名など持ち合わせていない。だが陪臣の一人が、そのとおりでございます、と答えやがった。


「そうかそうか。デリツィオーゾの美食の粋、ぜひとも食してみたいものよ」

「……誰が貴様なんざに」


 全ての力を目に籠めてにらみつければ、テオバルドは嗜虐的に笑った。ねばつく視線から、剥き出しの欲望が絡みついてくる。振り切るように、俺は低い声で言った。


「俺はデリツィオーゾの料理人だ。デリツィオーゾを焼いた奴になど、指一本も動かしてやる謂れはねえ」

「ほう?」


 テオバルドは舌なめずりをした。獣じみた仕草が、思い知らせてくる。俺はいま、こいつの欲望の対象なのだと。

 押し倒されて服を剥がれて、力づくで奪われるような類の欲じゃねえ。だが抗う術もねえ。手を動かさないでいることはできる、だが、こいつはあらゆる手を尽くして、自分の欲のために俺を働かせようとしてくるだろう。そうなった時、俺はどこまで抗い続けられるのか。


「ならば教えてやるほかあるまい。デリツィオーゾなどという街は、もうないのだとな」


 テオバルドが高く笑う。

 どこまで続くかはわからねえ。だが、「抵抗し続けること」以外の道は、俺に残されていなかった。




 三日後、フェルディナンド国王陛下と、囚われていた王族の全員が処刑された。

 公開処刑の日、テオバルドの配下は俺を広場の最前列へ連れて行った。開けた石畳の真ん中に、粗末な麻服を着せられた陛下が立っていた。毎日目を細め、俺の作る皿を嬉しそうに平らげていたお顔は、今や見る影もなく泥と垢に汚れていた。

 ひざまずかされた陛下の首に、大斧が振り下ろされた。俺はとっさに目を閉じた。見てはいけない、気がした。

 ……以来、テオバルドはしつこく俺に迫ってくる。儂に料理を作れ、天才料理人の腕前を見せろ、と。

 冗談じゃない。百人並の舌とはいえ、王宮の人々は少なくとも俺の客だった。客も、厨房も、「店」も、全部めちゃくちゃにした奴になど、麦一粒さえ料理してやる気はねえ。

 そう何度伝えてもテオバルドは諦めない。数日おきに使者を寄越し、捕虜となった俺を「説得」しにくる。

 だが無駄だ。何を言われようが、俺が折れることはねえ。




 今日も牢の扉が開いた。筋骨たくましい牢番がずかずか入ってくる。


「何の用だ」


 俺の問いはいつも通り無視された。牢番は俺を強引に寝床から起こし、そのまま外へ連れ出す。また説得という名の脅迫だろう。しつけえな。何度来ても、俺の答えは同じだってのに。

 俺が連行された先は石塔の一室だった。冷たい石壁の中、珍しくテオバルド本人が護衛を従え、革張りの椅子に座っている。

 その傍ら、一人の男が手枷をはめられ、簡素な木の椅子でうなだれていた。

 俺のよく知る姿だった。


「レナート……!」


 呼べばレナートは顔を起こした。

 すっかり頬がこけた顔から、肌の艶がすっかり失われている。身体に見える傷や痣は、手当てをされた様子もない。


「お前が儂の誘いを頑なに拒むのでな。この者に協力してもらうことにした」


 どういう意味だ。


「ここ十日ほど、この者には薄いミルク粥しか与えておらん。このままでは衰弱して死を待つばかりであろうなあ……そこでお前に相談がある」


 テオバルドは、おそろしく嗜虐的な笑みを浮かべた。


「ラウルよ、儂とこの者に料理を作れ。同じものを二皿だ。どちらをどちらが食べるかはわからん、毒を盛ろうとは考えるなよ……そしてお前が断るなら、もはやこの者に食事は与えぬ」

「断りなさい、ラウル」


 毅然としたレナートの声は、しかし、ひどくかすれていた。


「私の命などもういらない。ですがあなたの料理が、陛下の仇を楽しませるのは耐えられない……!」

「お前が断れば、この者は飢えて死ぬぞ。どうする」


 握りしめた拳が震える。デリツィオーゾ陥落の日、敵兵の天幕から聞こえていた女たちの悲鳴が、なぜか耳に蘇った。

 レナートを見殺しにするか。それともレナートの目の前で、俺自身の手で、侵略者の獣欲を満たしてやるか。いずれかを選べと、こいつは言っている。

 この男はどこまで卑劣なのか。そして、俺はどうすればいいのか――

 一瞬の後、頭に天啓がひらめいた。

 辛い。だが俺にできることは、きっともうこれしか残されてねえ。


「……条件を飲もう。料理、作ってやるよ。あんたとレナートと、そして俺のためにな」

「ラウル!」


 悲鳴のようなレナートの声を、俺は無視した。


「俺からも条件を出す。作るのは三皿……あんたとレナート、加えて俺の分だ。作る料理と食材は俺が決める。食材調達の間、俺は自由に動かせてもらう。それでいいか」

「構わんが、逃げればこの者の首は落ちるぞ」

「逃げねえよ」


 俺はレナートを振り向き、笑った。


「なあに心配すんな。必ず、お前が満足する最高の料理を作ってやるよ」

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