バージョン2 (7950字・2022/12/02~2023/01/28) ※「フィンディルの感想 #102」対象

惑乱のグリフォンソテー

「完璧だ。なんという美味」


 白髪の客は、食後酒のグラスを置いて息を吐いた。


「全て素晴らしかったが、特に仔グリフォンのソテーが絶品だ。甘いベリーソースに絡む柔らかな肉と脂……ここまでの旨さは初めてだ」

「恐れ入ります」


 俺は深々と頭を下げつつ、内心で舌を出した。

 当たり前だ、この「天才料理人」ラウル様の料理だ。知ってて大枚はたいたんだろう、代金分は満足させてやるよ。

 純白のクロスがかかったテーブルから、ウェイターが空のグラスとデザート皿を下げていく。客人は白いあごひげを撫でつつ、名残惜しそうに食器たちを見送った。瞼に埋もれそうな細めた目、肉付きのいいふっくらした頬、緩んだ口元……「幸せ」が老人であるなら、こんな見た目をしているんだろう。胃袋が膨れた客は満足、懐が膨れた俺も満足。関わった者は皆笑顔、誰も文句のつけようがない、まったく最高の商売だ。

 客人の目が、テーブルの向かいに立つ俺に向けられた。


「ラウル殿、儂だけの料理人になる気はないかな。給金は望むだけ出す」

「ありがたいですが、専属のお誘いはすべてお断りしてますんで」


 うわべだけの笑顔を貼り付け、答える。

 冗談じゃねえ、誰かの子飼いになんてなるかよ。朝も晩も同じ相手の同じ反応なんざ、考えただけでうんざりだ。この「最高の」商売を、捨てる気もねえしな。

 と、その時、客の隣に座っていた若い男が立ち上がった。深緑のベストをかっちり着込み、癖のない黒髪を肩のあたりで揃えた、いかにも「固そうな」手合いだ。


「主、少しよろしいでしょうか」

「どうしたレナート」

「あの料理人と話がしたく」


 白髪男が食べる時、必ず先に口をつけていた毒見役だ。毒を想定するなんざ正直無礼だと思っているが、お偉いさん相手だとしょうがねえから目をつぶってる。ったく、腰巾着が何の用だ。

 毒見役は俺の手を引き、個室の外へ引っ張っていった。扉を固く閉め、唇を俺の耳に近づける。


「お料理、流石でしたね。特には絶品でした」


 心臓がすっと冷える。

 俺は一つ息を吐き、作り笑いを整え直した。大丈夫、バレてるわけがねえ。下味とソースで癖を消してあれば、下処理済の仔グリフォンと仔羊に、素人がわかるほどの違いはねえんだ。


、お気に召したなら幸いですよ」


 言えば、毒見役の目つきが険しくなった。


「脂の多いグリフォンでしたね? 空を飛ぶ生き物にしては、肉質もいささか柔らかく」

「子供はそんなものですよ」

「グリフォンは子供も肉を食べます。肉食獣の臭みが完全に消えていましたね?」

「お褒めどうも。俺を誰だと思ってます?」


 毒見役が鋭い笑みを浮かべた。


「デリツィオーゾ城下が誇る天才料理人ラウル。どんな食材も、魔法のように美味に変える才覚の持ち主。だから食材偽装もばれないと思われたのでしょうが」


 毒見役は、己が首元の細い鎖を引いた。現れたペンダントトップに、見慣れた紋章――我らが国王フェルディナンド陛下の紋が彫ってある。


「お忍びとはいえ、国王陛下を騙した罪は重いですよ。『神の舌』の名、料理人であればご存知でしょう」


 全身から血の気が引く。

 確かに聞いたことはある。陛下のところに、おそろしく鋭い味覚を持った天才毒見人がいると。その舌はどのような毒も薬も見分けると。だが食材までとは。

 凍りついていると、毒見役はなおも囁きかけてきた。


「陛下の言葉を繰り返します。あなた、陛下の専属料理人――つまり宮廷料理人になる気はありませんか。今以上の収入と身分は保証します。それに」


 毒見役は俺の目を正面から見据えた。


「羊とグリフォンの区別もつかない凡人たちのために、あなたは料理を作り続けるおつもりですか?」


 毒見役は口角を持ち上げ、己の唇を一舐めした。

 否の答えを想定していない、勝ち誇った笑いだった。

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