「ちょっといい?」

 昼食後食堂から教室に戻るために、山から降りてくる春風を感じる校舎外の渡り廊下を仲の良いクラスメイト三人と話しながら歩いていた操は、高校一年生にして生まれて初めて「呼び出し」というものを体験していた。

「放課後、話したいことがあるから、またここに来て欲しいんだけど」

「えっと……」

三崎みさき万里まり、です。一応、同じクラスなんだけど」

 操と同じクラスの相手――万里は、物静かそうな少女だった。栗色の肩くらいまで伸びている髪を、二本のそれぞれ色違いのデフォルメされた動物のチャームがついたヘアゴムを使ってサイドテールにまとめている。見た目はギャルっぽくて明るいが、操はそう言った集団の中で見たことはない。印象的なのはデニールの高いストッキングと終礼後に颯爽と帰る姿で、学校にいるときも誰か仲のいい友達と仲良く話しているところは見たことがなく、見かけるときはいつも無表情なのだ。

 そんな万里が、珍しく操に話しかけてきたと思ったら、それは放課後の呼び出しだった。

「それは知ってるよ。……俺に用事? あの三人の誰かじゃなくて?」

「うん。玉乃井君に」

 これが現実だと受け入れられずに、操は先に教室に歩いている三人を指さしながら問い返す。しかし万里はしっかりと操の名前を呼んだので、勘違いや人違いではないのだろう。

「わ、かりました。残っときます」

「ありがと。じゃあ、またあとで」

 彼女いない歴と年齢が同じ操にとって、初めての経験であり、動揺しながら歯切れ悪く返事をする。

 お礼を言うと髪を揺らして小走りで去る万里とすれ違うようにして、イツメンの三人が戻ってきた。

「遅いと思ったらあの寡黙で儚い系女子の三崎万里にナンパか? 年がら年中趣味に没頭して他人にあまり興味を示さない操にも、遂に春が来ちゃった?」

 イツメンの中の男子で操の親友の鍬森くわもり玻璃はるが、放心している操の肩を抱いて大げさに横に振る。

「わかるよぉ。あの不思議な雰囲気、男にはたまんねぇよなぁ」

「……かも」

「なんて?」

「春、来ちゃうかも」

「……え?」

 操の肯定が予想外だったらしく、今度は玻璃が呆気にとられる。

「みさっち、好きな人いたの!?」

 代わりにイツメンの女子の一人、操のことを「みさっち」と呼ぶ茶髪の外はねがチャームポイントな金橋かねはしが驚いて操を揺さぶりながら驚く。

「操くん、いつもあんなにヒーローのことしか考えてないのに!?」

 同じくイツメンの女子、黒髪低めのツインテの高折たかおりもそれに続く。

「べ、別に好きじゃないし! っていうか今初めて話したし!」

 操は必死に否定するが、恋バナモードに入った女子を止めることができなかった。操の返事を聞かずに話が先に進んで行く。

「今の一瞬で一目惚れしたのかな? みさっち、女の子に対する耐性なさそうだもんね」

「金橋は失礼だな。耐性が別にないわけじゃないし。それに今回は逆」

「逆ってどういうことだ、操」

 玻璃が正気に戻って尋ねてくる。今まで色恋沙汰に縁がなかった操に対して、困惑しているようだった。

「呼び出されたんだよ。放課後に話したいことがあるって」

「「あー」」

「女子二人は何だよその反応! まさかあの操にもモテ期が……」

「三人ともだよ、失礼だな! 俺を何だと思ってるんだ!」

 操は散々好き放題に言われて、少し拗ねた様子を見せる。そんな操の跳ねている黒い癖っ毛をわしゃわしゃと、玻璃が撫でまわす。

「悪気は無いんだぜ? でもいつも休日に放送してる戦隊ヒーローの話ばっかするし」

「イベント? に毎日行かなきゃ、とか言って操くんだけ予定合わないこと多いし」

「みさっち、進路希望調査にヒーローって書いてたもんね」

「あーそれ。操、ヒーローって多分給料出ないぜ? 生活していけるのかお兄さん心配だよ?」

「そ、そこまでいわなくても……」

 痛いところを突かれて、操は萎縮してしまう。

「そんなみさっちに恋愛なんて、ねぇ?」

「操、ヒーローのことになると周り見えなくなるからなぁ。人間関係が上手くいくのか、俺は心配だよ」

「ほんと、いつもお世話になっております……」

 痛いところを突かれて体力がもうない操は、乾燥わかめのごとくしおしおになっていた。

「私は操くんと何回か一緒に行ったイベントとかで、ヒーローっていうコンテンツの魅力は理解し始めてきたけど、そこまで熱中できるのはほんとにすごい。尊敬する」

「高折……!」

「こら。そうやって甘くするから、みさっちはいつまで経ってもこうなんだぞ? それに、今はヒーローより三崎さんのことでしょ」

 操いじりに満足した三人は、今回の話題の本題に戻る。

「みさっち、三崎万里はやめといたほうがいいよ?」

「うん。女子の間で、街で大人の男の人と会いまくってるって噂だよ? ご飯奢ったりしてもらってるとか」

「ほぇぇ。それは初めて聞いた。俺や操じゃそういう話は聞かないもんな」

「うん、初耳。でも、そんな人には見えなかったけどな」

「あらあら、恋は盲目ってやつです?」

「操くん、女子って都合悪いところは見せないものだから、気を付けた方がいいよ?」

「女子のあんたらが言うなよ。……でも俺も賛成だ。よりによってヒーローズづくめの操に声をかけるなんて、ちょっと怪しい気がする」

「そうなのかなぁ。……おい鍬森。何気にひどいこと言わなかったか」

 操は万里に対して悪い印象は抱いていなかった。もちろん、盲目になっているわけではなく。

「まぁ、今日の放課後話してみて考えるよ」

「みさっち、告白されても絶対その場で返事しちゃだめだからね!」

「操くん流されやすいんだから、気を付けてね」

 操は女子二人の過保護な心配を受けながら、午後の授業を受けるべくみんなで教室へと戻っていった。


 放課後、相変わらずイツメンの過保護を受けながら、操は呼び出された場所へと向かっていた。万里の方は、相変わらず終礼が終わった次の瞬間には教室から姿を消していた。

「話したいことって、やっぱりこ、告白とかなのかな……」

 操は生まれてこの方、女子たちとそのような話をしたことがない。ほとんどの女子(だけでなく男子もなのだが)は、操のヒーローの話について行けず、操に至ってはヒーロー以外の流行に疎いため会話があまり続かないのだ。だからいつも仲良くしてくれている玻璃たちには感謝している。

「みんなには気をつけろって言われたけど、告白されちゃったらどうしよう」

 色恋沙汰に縁がないとはいえど、操だって彼女が欲しいと思ったことはある。街中でカップルを見かけるたびに羨ましいと思うくらいには、年相応の感性を持っているけれど、ヒーローの二の次になってしまうだけなのだ。

「かといって初めて話す人と付き合うのは、流石に相手にも悪いかな」

 そう思いつつも、操は呼び出された時の万里の顔を思い浮かべていた。心なしか緊張していたような気もするし、走り去っていくときも照れたり慌てたりしていた気がしてくる。

「……でも、可愛かったよな」

 そんなことを考えて渡り廊下に向かうと、万里が自販機の横でイヤホンをしながら携帯で何やら文字を打ち込んでいた。片手をブレザーのポケットに入れ、少し鼻歌交じりで首揺らしながらリズムを取っている。

 その横顔に、操は思わず目を奪われた。風に揺られているサイドテールから見えるブロンド色の瞳は、差し込む夕日によって美しく光っている。少しもちっとしたように見える頬が、少し赤く見えるのも夕日のせいだろうか。やがて何かを感じたかのように顔を上げ、そして操と目が合った。

「あ」

 その時初めて、操は自分が万里のことを見つめていたことに気づいた。思わず紅潮した顔を逸らすが、万里はイヤホンを外して操のほうに歩いてくる。

「なんだ、もう来てたんだ」

「う、うん。ごめん」

「なに謝ってんの? 変なの」

 思わず謝った操を見て、万里はくすりと笑う。操と同じ高さで笑うその笑顔すらも、操の眼には可愛らしく映った。

「そんなことより、話って」

「あぁそうだった。玉乃井君にね、聞きたいことがあるんだ」

 操が問うと、万里はかしこまって本題へと入っていく。そのスピード感に操は置いて行かれそうになり、慌てて思考をめぐらす。聞きたいこととは、好きな人や恋人の有無なのか。気を利かせて「君のこと可愛いと思うよ」とか言った方がいいのだろうか。自分の頭の記憶領域で参考になりそうなものを探すが、どれもヒーロー作品のことばかりで恋愛の役に立ちそうなものはなかった。

 静かな戦いをしている操に、万里は問いかけた。

「玉乃井君、ヒーローに詳しいってほんと?」

「……ヒーロー?」

「うん。クラスで玉乃井君が一番詳しいって聞いたんだけど」

 正確にはそう話している人たちの会話を聞いたんだけどね、と想定していた斜め上の質問をする万里に、操は一瞬固まる。しかし、ヒーローのことをまさに考えていたところであり、水を得た乾燥わかめのように活き活きと操の舌が回りだした。

「少なくともこの学校の誰よりもヒーローを愛してるとは思うよ! 将来はヒーローになろうと思ってるし! それで、何が聞きたいの!」

 眼をこれでもかというくらいに光らせて鼻息を荒くし、万里の手を取って話し始める。

「これから作品見始める人? だったら一個前のシリーズがまさにヒーローの王道って感じでおすすめかなぁ。今やってるやつは去年の大人気ドラマと同じ脚本の人が作ってて、すごくシナリオが面白いんだ! あとは」

「そういうのはいいから」

 流れが強い場所に置かれた水車のように勢いよく回る操の口は、手を振り払いながら放たれた万里の一言によって、閉ざされる。

「でもヒーローについて聞きたいって……」

「うん。でもそういうのじゃないの」

 万里は自由になった手で携帯を操作し、何か動画を見せようとした。

 しかしそれは、スピーカーから流れた放送に阻まれる。キンコンカンコンで始まるいつものアナウンスではなく、緊急事態を知らせる警報だった。

『学校にいる生徒は直ちに二階以上の教室に避難してください』

「っ! 行こう、三崎さん!」

「ちょ、ちょっと待って……!」

 操はすぐに万里の手を引いて、渡り廊下から校舎に入り、階段を駆け上がる。最上階である四階まで登り、すぐ近くの視聴覚室へ駆け込む。そこでは教師と生徒何人かがニュース番組で、今起こっている事態の中継を見ていた。映し出されていたのは、操たちの高校の近くだった。



 ***



「なんということでしょう! 推定五メートルほどの巨大な天狗がいます!」

 リポーターが、ヘリコプターで上空から眺めてありのままの事態を報道している。

 背中に大きな三対六枚の羽根と、高いというよりも長いという表現が似合う立派な鼻を持つ人型の何かが、学校近くの山道を悠々と歩いていた。その電柱よりも太い足は、一つ歩むごとに金属同士の擦れる音がしている。その姿をよく見れば体中が機械の残骸のような部品でひしめいていて、まるでメカをつぎはぎしてつくったキメラのような生物だった。

 生物、と形容したもののこれは果たして生きているのだろうか。どちらかと言うと、地球外生命体が攻めて来るタイプのパニック映画の敵の機械兵器のように見える。しかし胸部から少し見えている不気味な緑色の光は、心臓のごとく脈動して大きな図体を動かしていた。

 そんな不気味な天狗の前に、五つの影が降り立つのをカメラは捉えている。

「出たな、! 街には一歩も入らせん!」

 天狗のことを「機獣」と呼び高らかに宣言したのは、五人の中心に立つ赤いマントと特撮のヒーロースーツらしき物に身を包んだ人だ。同じく青、緑、黄、桃色のマントを纏っているもいる。さしずめ戦隊ヒーローのレッド、ブルー、グリーン、イエロー、ピンクといったところだろう。

 レッドの掛け声に続いて、他の四人は戦闘態勢に入る。

「行くぞ!」

 レッドを先頭に、五人は一斉に天狗に向かって突っ込んでいく。それを見た天狗は片膝立ちをして、六枚の羽根を盾にして防御姿勢を取る。しかしそれは無意味に終わる。先陣を切ったブルー、グリーン、ピンクの三人が天狗とすれ違いざまに、それぞれ一対ずつ羽根を砕いてしまったのだ。後に続くイエローは、下からアッパーを食らわせる。どう考えても、人間がキリンよりも大きい生き物を拳一つで攻撃するのは無謀だろう。しかし天狗の体は、アッパーを食らって上空にいるヘリコプターに届く勢いで浮かび上がった。その先には、拳を構えるレッドの姿が。その拳は炎を纏っていて、天狗の拳と同じくらいの大きさになっている。程なくしてその拳は、天狗の心臓部に吸い込まれるように炎を放った。まともに攻撃を受けた天狗の体は真っ黒になって飛び散り、天狗退治を果たした五人だけがカメラの枠に残っていた。



 ***



 中継に映し出された一部始終を見ていた操は、興奮で鼻から蒸気機関車のごとく湯気を出す勢いで叫んだ。

「すっっっっげぇぇぇぇぇぇ!」

「……うっるさい」

 隣で一緒に見ていた万里は操の大声に耳をふさいだが、そんな事お構いなしに操は語り始める。

「あれがこの街のヒーローだよ! 映像作品じゃなくて本物の! いやぁ、やっぱ何度見てもかっこいいなぁ! やっぱレッドのとどめの一撃は最高だね!」

「ただお膳立てしてもらってるだけじゃないの?」

「違うんだよ三崎さん。あれは五人ならではの連携なんだ。四人が相手の防御崩してから確実に仕留める戦法なんだよ! それからそれから」

「あーはい、わかった。語りたいのはわかったから、一旦外に出よ。もうみんな帰っちゃったよ」

「え?」

 万里の指摘であたりを見渡すと、同じ教室にいたはずの何人かの生徒と教師はもういなかった。緊急事態の放送も終わり、下校を促す音楽が流れている。

「ごめん。はしゃぎ過ぎたかも……」

「別にいいけど」

「あ、最後にヒーローのインタビューだけ聞かせて!」

「……別に良くなかったかも」

 まだ中継されているテレビの画面のむこうでは、赤マントがマイクに向かってこう言っていた。

『まだ他の機獣は街にも現れるかもしれない。機獣たちは生物――つまり命を狙う習性があるので、見かけたらすぐに俺たちに連絡してくれ。俺たちとの約束だ』


 操と万里は学校から出て、陽が沈んだ通学路をどちらからともなく一緒に歩く。操はまだヒーローへの感動の余韻に浸っていた。

「いやぁ、やっぱりすごかったなぁ」

「もうそれしか言ってないじゃん」

「だって本当のことだし。インタビューの最後の気遣いも流石だよね。街に現れても俺たちがいれば大丈夫、って言ってるみたいで」

「そう? 私には、手に負えなくなってきて街への侵入を許しちゃうかも、って思えたけど」

「なんでそんなマイナスなこと言うのさ。三崎さんだって、ヒーローに興味があるから、何か知りたいことがあったんじゃないの?」

「興味と言うか私のは別に……。まぁないと言ったら嘘になるのかもだけど」

「でしょでしょ? どうしてヒーローを好きになったの? 何が知りたいの?」

 学校のある山道から商店街まで降りてきたあたりで、操の問いに万里の足が止まる。彼女の表情は、街灯のせいか陰っているように見えた。

「好きじゃないよ」

「……え?」

「私はね、世界で一番ヒーローが嫌いなんだ」

「どういう、こと?」

「そのまんまの意味だよ。……もう帰るね? 私の知りたいこと、玉乃井君は知らなそうだから」

 ばいばい、とそのまま操を置いて帰ろうとする。が、すぐに「わっ」という驚きの声と共にその足を止めることになる。

 ヒーローが嫌いという自分では考えられない意見を告げられ放心していた操も、その声を聴いて我に返る。

「どうしたの、三崎さん」

「……これ、なに?」

 万里が進もうとした先の道が、真っ黒に染まっていた。よく見るとそれらはごそごそと動いていて、街灯が反射して光っているものが見える。

「何かの、目……?」

 それは、カラスたちの群れであった。数えきれないほどのカラスが、ある一本の路地を囲んでいる。

「何かを狙ってるのかな」

「……ちょっと覗いてみる?」

「えぇ、めんどくさいよ……」

「でも、カラスってスズメとか小さい鳥の雛を襲ったりするっていうじゃん。もしそうだったら助けてあげたい、みたいな」

「もしかして、思ってたより玉乃井君のヒーロー像って小さい……?」

「い、今は! こういう小さいことしかできないかもだけど、いずれは大きなものも守りたいっていうか……」

 あまり乗り気ではない万里に、もじもじしながらもなんとか説得を試みる。放課後に万里のことを振り回してしまった手前強く出られない操だったが、下を向きながらも自分の意思は曲げなかった。

「でもそう言うのって、食物連鎖? 的なのだから、私たちが干渉しない方が自然のままじゃん? それを邪魔するのって、ただの玉乃井くんのエゴじゃない?」

「うぐっ……。そう言われるとそうなのかもしれないけど、でもほら、同じ鳥類だから共食いはダメだと思うといいますか、助けられるなら助けたいなといいますか……」

「……さっきから語尾がずっと弱いけど、本気で思ってるの?」

「ほ、本気だよ!」

 心の内を問われ、やっと顔を上げて食い気味に応えると、微笑んでる万里の顔が目に入ってくる。責められてるように感じていた操は、ただ万里の次の言葉を待つしかできなかった。

「……ごめん、からかいすぎた。私はいいと思うよ、そういうの」

「三崎さん……!」

「じゃ、行こっか。ヒーロー未満さん」

「えぇ、未満って……。せめて見習いとかにしてよ」

「いいから行くよー」

 万里と操はカラスの群れを何とか掻き分けて、路地の方へ進む。近づくと、にゃあというか細く助けを呼ぶような鳴き声が聞こえてきた。

「三崎さん。これ、子猫が狙われてるんだ!」

「うん。助けよう!」

 二人は駆け出す。狭い路地に入るとカラスの群れが上空から様子を見て、攻撃するように滑空し嘴でつつこうとしている。その目的地には、二匹の子猫が金色の屋根のようなものに隠れていた。

「子猫たちが隠れてるあれ、なんだろ」

「屋根にしては、見た目が金属すぎるよね。この街一帯じゃそんな建物なんてないし」

「あ、今動いた」

「えぇ? 玉乃井君の気のせいじゃない?」

「いいや絶対動いたって。ほら、また!」

「うわまじだ。ロボット? ……あ」

「どうかした?」

「多分どこかで見たことある」

「まさか。三崎さんの気のせいでしょ」

 屋根のように見えたのはの翼で、身を挺して子猫のことを守っていた。どれだけの時間守っていたのだろうか、その身体はぼろぼろになっている。

「そんなことより、助けた方がいいんじゃない?」

「そ、そうかも。でも、三崎さんカラス追い払らう方法知ってる?」

「大きい音を出す、だって。まとめサイトで」

「わ、わー」

「……ふざけてる?」

「わぁぁぁ!」

「もっと!」

「わぁぁぁぁぁぁ!」

「うんっ! いい近所迷惑だね!」

「そんな言い方ないでしょ! 三崎さんが言わせたんじゃん!」

 どれだけ大きな声を出しても、カラスの群れはびくともしない。

「三崎さんも一緒にやってよ。そしたら効果あるかも」

「やだよ恥ずかしい」

「それを俺にやらせてたんだけど!?」

「それに女の子に大声出させるとかどうかと思うけど」

「それは……そう、かもしれないけど」

「あ、なんかいい感じの鉄パイプあるじゃん。一回やってみよっと」

 万里の言葉に振り回されてテンションが置いてけぼりな操は、万里が路地の脇で拾った鉄パイプを振りかぶって地面に叩きつけるのを眺めていた。金属の擦れる音が、耳にキーンとした痛みとなって走る。パイプを手に持っていた万里は衝撃が肘に来たらしく、パイプを投げ捨てて弱々しくさすっている。

「腕いったぁ……」

「すごい音したけど、大丈夫そう……? カラスたちはどうなったか、な」

 耳を抑えながら前方を向くと、無数の光がこちらを向いていることに気づく。それは全て、先ほど見た街灯が反射しているカラスたちの目であった。

「やばいやばい、なんかめっちゃ注目されてる!」

「やったじゃん。猫ちゃんたちこれで守れたね」

「そうだけど! 俺たちが代わりに狙われてるよ!」

「え? ……きゃっ!」

 標的を変えたカラスが一羽、万里目がけて突進してきた。操は万里を抱き寄せるようにして、カラスの攻撃を避けさせる。

「危なかったね」

「う、うん。ありがと。……あの、手。もういいから」

「あっ。ご、ごめん……」

「ううん、こっちこそ……」

 しかしたくさんいるカラスのうち、たった一羽の攻撃をかわしただけだ。カラスの群れは次々と上空に飛び立ち、操たちを見下ろしながら攻撃態勢に入っている。中でも、群れの先頭を飛んでいる、他のよりも一回り大きいトサカを持つカラスが、殺気を発して睨んでいるようだった。

「……俺が足止めするから、三崎さんは逃げて」

「おぉ、今のヒーローっぽい」

「ふふん。伊達にヒーロー目指してないからね」

「なんか格闘技とかやってるの?」

「いいや? 強いて言うなら、百獣の王とか霊長類最強の倒し方の動画を見てる」

「全然ヒーローっぽくなかった……」

「だってヒーローって怪人とか怪獣とかと戦うから、格闘技よりそっちのがいいかなって」

「へぇ。カラスの倒し方は?」

「それはぁ、そのぉ、ほら。攻撃をひらりと躱して、嘴を掴んだらこっちのもんよ」

「さっきの攻撃見てできると思う?」

「……ごめんなさい、無理です」

 軽口を叩いている二人に待っていられなかったのか、トサカのカラスが低空飛行で足払いしてくる。そのまま旋回して転んだ二人に向かって、突進してきた。

「危ない!」

「っ! 玉乃井君!?」

 操は、転がって万里の盾になろうと前に出た。嘴で突かれるのか、翼で打たれるのか、足の爪で引っかかれるのか。どの道ろくなことにはならなそうだと、操は目を瞑る。

「……あれ?」

 いつまで経っても覚悟した痛みが来ない。恐る恐る目を開けた操の視界は、金色で染まった。

「これ、猫たちを守っていたロボット……?」

「私たちを守ってくれた……?」

 長い尻尾を持ち、かつて恐竜と共に生息したという翼竜を彷彿とさせる金色に輝く機械のボディが、カラスの突貫をはじき返したらしい。その胸部には、脈打つひし形の赤い光が操の目に止まる。

「この光り方、どこかでみたような……」

 操の思考は、金色の機械の竜――機竜の咆哮にかき消された。背丈が操たちと同じくらいの機竜だが、翼を広げて身体を大きく見せて威嚇している。その圧に押されたのか、カラスの群れは動きを止めた。

「今だ!」

 隙ができたカラスに、操は先ほど万里が落としたパイプを拾ってトサカのカラスに向かって投げつける。それは見事な放物線を描いて、ガコンという鈍い音と共にとさかに当たって、曲がった。

「が、がこん?」

「なんか、トサカ曲がってダサくなったね」

 やがてトサカが曲がったカラスは、まるでメンタルを折られたかのように、群れを率いてどこかへ飛んで行ってしまった。

「助かった、のかな」

「うん。そうみたい」

「みんな無事で良かったぁ」

 二人と機竜一匹は、安堵したように顔を見合わせる。機竜はカラスを追い払ってくれた操に猫撫で声を出して、頭を撫でてほしそうに頭を擦りつけようとする。

「……いや、良くないよ! そいつ、どうみても機獣じゃん!」

 自分に迫りくる頭を避けて、距離を取る。機竜の胸の光は、今日ヒーローが戦っていた天狗の機獣のものと酷似していたのだ。

 操がファイティングポーズを取ると、機竜はしょんぼりと頭を下げて、代わりに万里に甘えだした。

「結構可愛いね、こいつ」

「いやいや、なに可愛がってんのさ。機獣は人を襲うんだよ? ヒーローに連絡しなきゃ!」

 守られていた子猫二匹も機竜の足に体をこすりつけて甘えている様子を見て、操は困惑する。

「私たちの命を助けてくれじゃない。そこまで警戒する必要ないと思うけど」

「でも、機獣はヒーローの敵だし」

「“命を奪う機獣”は、じゃない?」

「それは……」

「猫ちゃんたちのことも、私たちのことも守ってくれたじゃん。きっと、命を守る機獣なんだよ」

 ねー、と万里が同意を求めると、言葉を理解しているかのように機竜は返事をした。

「ヒーローに連絡しちゃったら、命を守ってくれるこの子でもきっと殺されちゃう。そんなの私は見過ごせないよ」

 万里の言うことも一理あった。操だって、優しい生き物を見殺しにするのは気分が悪くなる。

「決めた。私、この子を匿うことにするよ。玉乃井君はどうする?」

「匿うって……」

 それでも、ヒーローに憧れている操は、機獣を匿うというヒーローへの裏切りのような行為をする気にはなれなかった。

「それなら、機獣のことはヒーローに連絡して事情を話せば、わかってくれるよ。無害な機獣だから保護してくれるって」

「それはないよ」

 操がひねり出した自分の中での折衷案は、食い気味に否定する。

「この子のこと、やっぱりどこかで見たことあるなって思ってたんだけど、思い出したの、この動画だ」

 万里が差し出してきた携帯の画面を見ると、夜の空を飛ぶ金色の光と、それを追うヒーローの五つの色の光があった。

「これは……?」

「昨日の夜の出来事。街に機獣――てかこの子だね。が現れて、ヒーローがそれを倒そうとしている動画」

 機竜は真っ直ぐ空を飛んで逃げ、ヒーローは建物の上を跳躍して追いかけている。しばらくしてヒーローたちが攻撃を始めると、機竜の飛び方がぐねぐねと曲がり始めヒーローの攻撃をすべて受けて、夜の街に落ちていった。まるで、街に被害を出さないために自分から攻撃に当たったように。

「き、昨日?」

「やっぱり知らなかったんだね」

「やっぱり?」

「これが私が今日聞きたかったことなんだ。昨日のことについて」

「でもでも、こんなのニュースでやってなかったよ」

「うん。だからこれは、多分ヒーローが隠蔽してるんだよ」

「隠蔽。なんでそんなことを……?」

「わからない。でも今日この子を見て確信したのは、この子は無害な機獣で、それなのにヒーローに狙われてるってこと。そして、ヒーローは何か隠蔽しなきゃいけない裏があること」

「ヒーローに、裏なんて。そんなの……」

「あるわけない、って思う?」

 消えそうな操の言葉を、万里が続けた。

「玉乃井君は、ニュースで報道されたりする表の顔しか見ていないんじゃない?」

「……」

「でも私は、。だから裏があるくせに、自分たちこそが正義だって顔をしているヒーローが、世界で一番嫌いなんだ」

 操は、自分はヒーローのことを誰よりも知ろうとしていた。知ったつもりでいた。それが夢だったから。しかし今、自分の知らなかった世界を知って、操は困惑していた。

「……三崎さんの言い分はわかったけど。でも、自分がどうすればいいかわからないや」

「そうだよね。なんか、ごめん」

 二人の間に今までにない気まずい空気が流れる。

「俺、今日は帰るよ」

「うん。とりあえず、この子を匿うのは私一人でやるよ。あ、ヒーローには言わないでよね」

「それは約束する。……じゃ、また明日」

「うん、また」

 操が歩く夜も更けてきた路地は、カラスがいた時よりも暗くて飲み込まれそうだった。





 翌日の朝、寝不足の操は机でつぶれていた。

「よぉ操。随分寝不足っぽいけど、昨日一日で何かあったわけじゃないよな!? 昨日は何があったんだ!?」

「……あぁ、鍬森か。別に何って言われても。ずっとヒーローのことについて考えてたよ」

「なんだよ、いつも通りじゃん」

 昨日帰宅した後、今まで自分が知らなかったヒーローについて、操はずっと考えていた。自分の夢を、改めて見つめなおしていた。

「ヒーローのことじゃなくて、昨日の呼び出しのことだよ。ね? 高折」

「うん。告白されたの?」

 金橋と高折も集まってきて、イツメンが集まる。

「あー。もう機獣が出たとかで、それどころじゃなくなっちゃってさー」

「それニュースで見た。操くん大丈夫だった?」

「うん。それよりも中継で映っていたヒーローが最高だったね」

「変わらないねぇ、みさっちは」

「まぁ、将来の夢がヒーローですから」

 そう言いながらも、操は自分の夢に自信が無くなっていた。

 万里が知るヒーローの裏の部分。それを信じることは出来ないけれど、万里が嘘をついているようにも見えない。

「三崎さんは、何を知っているんだろう……」

 その日の授業中、操はもやもやしながら万里の横顔を見つめていた。万里が帰った終礼後も、操は放心状態で万里の席越しに窓の外を眺める。その視線を遮るように玻璃がやってきた。

「操、高折がパフェ食べ放題行きたいらしいんだけど行く?」

「パフェ?」

「うん。なんかお店がなんかのヒーローとコラボして」

「行きます」

「るらしい。……って、お前ヒーローに関して反応速すぎだろ」

「そんなものを見つけるなんて、お主天才か?」

「いえいえ。これくらいのリサーチ、できて当然です。……いや見つけたのは高折だけどな」

 玻璃の誘いに二つ返事で了承したとき、窓から山の方へ向かっている万里の姿が目に入る。

(きっとあの機獣のところに行くんだ)

 昨日の出来事を思い出す。機獣から守ってくれたヒーローと、とさかのカラスの群れから守ってくれた金色の機竜。本来敵同士であるはずのヒーローと機竜へのイメージが自分の中で重なり、混乱する。

「操? 聞いてる?」

「……ごめん、やっぱパフェ行けない!」

「え?」

 操は玻璃に告げて、すぐに荷物を持って教室から駆け出した。万里と、それから機竜と、直接会って話さないとすっきりしない気がしたから。自分の中で、決心がつかない気がしたから。

「……あとで高折に謝れよー」

 そんな玻瑠の声は、操には届かなかった。


 学校を出て山道の方を見ると、遠くに万里の姿が見えた。

「一本道で助かった……。商店街だと目立つから移動させたのかな」

 昨日金色の機獣と会ったのは街の中だったので、匿う場所としては適さない。そのため機獣の発生が報道されて人があまり来ない山の方を選んだのだろう。

 山を越えるための一本道の道路を走って追いかけると、先を歩く万里が曲がって茂みの中へ姿を消す。

「なんか脇道あったっけな」

 急いで追いかけてその場所に着くと、茂みの先には道のようなものは見当たらなかった。いや、よく目を凝らして足元だけ見ると、犬や狸が歩くような狭いスペースがあったが、これを道と言っていいものだろうか。

「……獣道通るしかないのかよ! まぁ匿うってくらいだし、これくらいわかりにくくないとね!」

 操はやけになって、荷物が引っ掛からないようにしながら四つん這いになって進む。いくら長袖長ズボンの制服を着ているとはいえ、生地が薄いため膝が擦れて痛かった。

 しばらく進むと獣道が少し開けて、操でも立てる場所に出るとそこは、山を流れる川の上の垂直な崖で、山道と言うより山肌だった。

 崖の下の川辺に万里が歩いている。そこまで辿り着くには、山肌をしばらく歩かなければいけないようだった。

 慎重に、一歩ずつ足場を確かめていく操。

「わっ!」

 だが、寝不足のせいか足元が来るって転んでしまった。

 操は崖の外に放り出された。川に着水できれば何とか助かるかもしれないが、川までの距離はだいぶあり、操の下には岩場か川辺の砂利しか見えない。

 せめて何とか受け身を取ろうと、重力を感じながら体をよじった操は、思っていたよりも早く地面を得た。

「地面じゃない。これは……」

 金色の、大きな金属のような板。操が着地したのは、機竜の背中だった。

 機竜は操を助けられたことに喜んだのか一声嬉しそうに鳴き、そのまま旋回して川辺に下ろしてくれた。

「お前……。また、助けてくれたのか……?」

「誰かに見つかったのかと思ったら、なんだ。玉乃井君じゃん。来るなら言ってくれれば良かったのに」

 機竜の着地した場所にいた万里は、機竜の背中から降りてきた操に気づく。

「連絡先知らないし……。ていうか、こいつめっちゃでかくなってない!?」

「そうなの。昨日の夜私が帰るときは、そんなことなかったんだけどね」

 操が機竜を最後に見たのは、自分と同じくらいの体長だったはずだ。今では操を軽々と背中に乗せられるくらいに大きくなっていた。昨日中継で見た天狗と同じくらいに感じられ、操は思わず圧倒される。

「この大きさになると、やっぱり機獣なんだなって」

「私も思った。でも中身は変わってないよ。メショとシュフォも怖がらないし」

「め……、しゅ……。な、なんて?」

 万里は足元を歩いていた二匹の子猫を両手にそれぞれ抱きかかえる。

「子猫たちの名前。アメショだからメショと、スコティッシュフォールドだからシュフォ」

「……本気?」

「いや名前に本気とか、本気じゃないとかないけど。……え、何。不満?」

「いやいやいやいや、素敵な名前だと思うなー!」

 機竜と子猫が仲良くじゃれ合っている間に、操は万里に疑問を投げかける。

「こんな大きくなっちゃったら、隠すの大変なんじゃない?」

「それは大丈夫。ちょっと奥にね、すごい大きい洞窟があったの」

「へぇ、こんな大きい体も隠せちゃうんだ」

「うん。そこからなるべく外に出ないように言ってたんだけど、玉乃井君の危険を察知して飛び出してきちゃったみたいだね」

「偶然じゃなくて、本当にただ助けてくれたのか……」

 操が機竜の方を見ると、暖かい陽気にあてられて昼寝を始めた子猫二匹を、尻尾で器用に寝かしつけていた。

「昨日も助けてくれたじゃん。まだ疑ってたの?」

「それはそうなんだけど。やっぱ機獣となると、怖いなって。……ほら、ああいうの見ると」

 操が指さしたのは、機竜が川面を見つめているところ。首を水面に近づけると、一瞬のうちに泳いでいた魚を捕えて丸飲みしていた。

「あれはただの食事でしょ。……確かに狩りって見てて怖いけどさ。私たちは襲われてないし」

「でも俺はまだ、信じきれないよ」

「そうかねぇ? ちょっと大きい犬だと思うけど」

「ちょっとにしては大きすぎるかな……」

 魚を食べ終わったのか、浅瀬で水遊びを始めている。水しぶきを高くあげて鳴きながらアピールして来る様は、犬とは思えなくてもペットを見守っているのと同じ気持ちにはなった。

「……三崎さんのさ。ヒーローが嫌いな理由、詳しく聞いてもいい?」

「別にいいけど。玉乃井君、良い気分にはならないと思うよ?」

「それでもいいんだ。俺が今まで知らなかったことを知ってから、色々考えたいと思って」

「そっか」

 万里は川辺の大きな石に腰かけて、ストッキングを脱ぎ始める。

「うわぁ! 急に何やってるの三崎さん!」

「何って。別に川なんだし、普通でしょ」

「そうかもしれないけどさぁ!」

 普段見ることのない万里の素足が川につかる様にドギマギしている。そんな操をよそに、万里は足をぱたぱたさせながら話し始めた。

「初めてこの街にヒーローが現れた日、あるじゃん。『機獣騒動』って呼ばれてるやつ」

「うん」

 それは操もよく知っている出来事だった。突如として機獣が現れ街で暴れて、これまた突如現れたヒーローが街を守った日。

「その日、『機獣騒動』に巻き込まれて、年の離れたお姉ちゃんが私の目の前で死んじゃって。私はその後に救助されて無事だったんだけど」

「そう、だったんだ……」

「……それなのに、慰霊碑にお姉ちゃんの名前が彫られてないんだ」

「え……」

『機獣騒動』の慰霊碑には、五人の犠牲者の名前が刻まれている。機獣が現れてから、ヒーローが街に来るまでの数十分で死んでしまった人たち。街のヒーローが出した犠牲者は、これが最初で最後だった。

「確かに機獣に襲われたんだよ。でも、お姉ちゃんの死は機獣とは関係ない、って言われてさ」

「……それが、ヒーローの裏の顔?」

「うん。自分たちが救えなかった人の死を機獣と関係ないことにして、平和を守りましたよってドヤ顔してるから、ヒーローが嫌いなの。どうしてそんなことをするのかを確かめたくって、最近は色々調べたりもしてる」

「それで昨日みたいな、表に出ていない動画持ってたんだ」

「同じようにヒーローに不信感を持ってる記者さんがいてね。協力してもらってるの」

「……あ、大人の男の人と会ってるって噂はもしかして」

「噂?」

「うん。三崎さんがたくさんの男の人と会って、ご飯を奢ってもらってるって」

「あー……。教室でなんか言ってる人いたかもね、私は気にしてなかったけど。それは記者の人たちのことかも。最近も情報交換したし」

 本人の前で悪い噂の話をしてしまい、操は少しの間黙ってしまう。

 やがて、辛い過去を打ち明けてもらったお返しというわけではないけれど、操も自分の過去について話し始めた。

「……俺も、『機獣騒動』に巻き込まれてさ」

「うん」

「俺はその時にヒーローに命を助けられて、それからヒーローに憧れるようになったんだ。……みんなそうだと思ってた」

 機獣を倒し、街を救った英雄。みんなが命を救われて、ヒーローを認めたと思っていた。

「でも、三崎さんみたいに、そうじゃない人もいるんだね。なんか複雑」

「まぁ街に出る被害とか負傷者を出さないのはすごいと思うし、感謝はしてる。私たちなんかじゃ機獣は倒せないし」

 二人がしんみりと過去の話をしていると、にゃーとメショの鳴きながら万里たちの足元に歩いてきた。

「どうしたの、メショ。……あれ、シュフォと一緒じゃないの?」

「あっ! 三崎さん、あれ!」

「ちょっと、どこ行くの!」

 操は川に流されている小さな影を見つけると、何も考えずに川へ飛び込んだ。そのまま川の沖の方まで水をかいて、溺れかけているシュフォを抱きかかえる。水面からすくい上げてやると、シュフォは苦しそうにしながらも命の危機はなさそうだった。

「良かった……」

「玉乃井君! 良くない!」

「え? ……あ」

 万里の声で、操は自分の状況を理解し始めた。川底にぎりぎり足が届かず、ましてや子猫を抱えているので、ただ早い川の流れに流されているだけだった。制服を着たままというのもあって身動きが自由に取れず、流されているうちに操の体は沈んでいく。

(やばい、溺れる……!)

 シュフォの所に行くときは、川の流れに乗って浮いているだけで何とかなった。しかし、川辺まで戻るには水流に逆らって泳がなきゃいけない。操はそんな芸当ができるほど水泳が得意だと、お世辞にも言えなかった。

「これ!」

 万里がロープを投げてくれるが、届かない。それどころか、肺に水が入り苦しくなってきた操はいよいよ焦り、周りの音も聞こえなくなってきた。

(俺は、子猫一匹すら救えないまま、ここで死ぬのか……)

 自分の弱さ、無力さを実感し操の視界は暗くなっていく。

 そんな音も光も無くなろうとしている操の世界の片隅に、水しぶきが見えた。大きな金色の口が自分へまっすぐ向かってくる。それは操をくわえると、シュフォごと川辺へ放り投げた。

「いったぁ!」

 落ちた衝撃で咳き込みながら体内に入った水を吐き出して、なんとか一命をとりとめた。

「玉乃井君大丈夫!?」

「し、死ぬかと思ったし、食われるかと思った……」

 自分のもとに走ってくる万里の姿を見て、だんだんと冷静さを取り戻してきた操は、事実を確認する。

「また、あの子に助けられたの……?」

「うん。ほら、あれ……あれ?」

 万里が川の方を指さすと、そこには溺れて暴れている機竜の姿が。

「いやお前も泳げないのかよ!」

「突っ込んでる場合じゃないよ! 多分あの体長なら足はつくと思うけど、勢いよく飛び込んで行ったから、水を飲んでパニックになっちゃってるんだ! 助けないと!」

「う、うん!」

 今度は万里と共に、再びロープを投げて機竜にくわえさせて、顔を水面に出させる。

「落ち着いて! 足でしっかり立って!」

 そう呼びかけてしばらくすると、自分の足が付くことを理解したのか暴れるのをやめた。それどころかドヤ顔をするように高らかに鳴き、翼を広げた。その動作による水しぶきが、イルカショーの水かけ――よりもむしろシャチの水かけくらいの勢いで操と万里を襲う。当然避ける間もなく、二人は頭からほんの一瞬の豪雨を体験することになった。

「……ぷ。はははっ!」

「何笑ってんの、玉乃井君。私まで濡れてシャレにならないんだけど。……ふふっ。あははは!」

「だって三崎さん、めっちゃびしょ濡れなんだもん」

 笑いあいながら、川から上がってくる機竜を出迎える。

「自分が泳げないのに後先考えず飛び込むなんて、バカだなぁ」

「それ、ブーメランだよ」

「うぐっ。ま、みんな無事だったからいいじゃない。何度も助けてくれてありがとね」

 操がお礼を言うと、機竜は褒めてほしそうに頭を操の方に差し出した。少し戸惑いながらも操が頭を撫でてやると、喜んだように鳴き、もっとやってとせがむように押し付けてきた。

「こらこら、押すなって」

「玉乃井君ともすっかりなかよしだね」

「うん。……俺、こいつを匿うの手伝うよ」

「あら。私は助かるけれど、いいの?」

「こいつが害がないのはもう十分この身で体感したよ」

「でも、玉乃井君はヒーローに保護してもらうべきって言ってたけど」

「そのことなんだけど。俺はまだ、ヒーローはちゃんと事情を話せばわかってくれると思ってる。でもそれと同時に、三崎さんが言ってることも嘘じゃないと思ってる。だからヒーローは三崎さんが思ってるような悪者じゃない、機竜のことを話せば殺したりしないって納得するまで、俺がヒーローの代理としてこいつを見張るってことで。どう?」

「なるほど。それが玉乃井君的落としどころってわけね。いいんじゃない?」

 操は機竜の頭を撫でながら、万里と真っ直ぐに向き合う。

「お姉さんの真相を明らかにして、ヒーローの潔白も証明する。それを目的にしよう」

「うん。これからよろしく」

 お互いびしょ濡れなまま握手を交わし、そこにタイミングよく機竜と子猫二匹も鳴いた。傾き始めてきた太陽が川面に反射し、二人と三匹を明るく照らし出した。

「そういえば、機竜にも名前つけたの?」

「うん、つけたよ」

「……聞いてもいい?」

「なによ今の間。この子の名前はアル」

「おぉ、思ったよりちゃんとしたいい名前だった」

「思ったよりって何。不満?」

「ごめんごめん。それで、名前の由来は?」

「翼竜のケツァルコアトルスに似てるから、アル」

「同じ名付け方でも、いい名前になることなんてあるんだ……」

 アルと呼ばれると、機竜は一声鳴いた。もうすでに自分の名前だと認識しているようだ。

「ところで、なんでケツなんたらなの? プテラノドンの方が有名じゃない?」

「全然違う! プテラノドンはこんなに体大きくないし、プテラノドンの特徴であるとさかがないもの」

「あ、三崎さん恐竜とか詳しいんだ」

「うん、好きだよ。ほら、髪留めも恐竜でしょ?」

 サイドテールを思い切り揺らし、二つの髪留めを見せてくる。何かの動物のデフォルメだとは思っていたが、まさか恐竜だったとは。

 一切わからなかった、という言葉を胸にしまい、操は話題を変える。

「お姉さんのことは、他に知ってる人いるの?」

「んー、当時お姉ちゃんの恋人だった人くらいかな」

「あ、そうなんだ」

「……まぁこんな暗い話、人にするものでもないからね。秘密にしといてね」

 万里はウインクしながら右手の人差し指を口に当てる。初めて話した時もそうだったが、意識して見ると万里は操の目にとても美しく見えた。今の万里は水を頭から被った後なので、水も滴る良い女性といった風である。操はうなじにはりつく髪の毛や体のラインが少しわかりやすくなった制服を、頬を赤らめながら横目でちらちらと見てしまう。

(二人だけの秘密……。なんかドキドキする……!)

「どしたの、急に顔赤くなって。風邪ひいた?」

「い、いやっ! 大丈夫、何でもないよ!」

「そう? ならいいけど」

 変なのと言いながら、万里はスカートを絞っている。その動作も、操には刺激が強かった。

「改めて、これからよろしくね。操君」

「み!?」

「? どした?」

「なんでもないです……。よろしくお願いします……」

「なんで急に敬語なの。変なの」

 追い打ちをかけるように名前呼びをされた操は、さらに頬を赤らめる。操と万里は、毎日放課後に洞窟に行って機竜ことアルの様子を見に行くことになったのだった。

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