第3話


「わたしね、この観覧車が見える病院に、ずっと入院してたの。同じ病気の友達と一緒に、病室の窓から眺めて、いつか一緒に乗りたいねって、話してたんだ」


 七の数字がでかでかと書かれたピンク色の観覧車に乗り込み、向かい合わせに座ったとたん、少女がしんみりと口を開いた。


「不治の病って言われてたんだよ。それなのに、どうしてかな。わたしだけ自然に治ったの。それで、退院した。良かったねっていろんな人に言われたけど、喜んでいいのか、わからなかった。だって、友達は退院できないのに」


 二人を載せた箱がゆっくりと上昇し、窓の外の風景が徐々に下へ流れる。

 建物の屋根や高く伸びた木の枝が消え、よく晴れた青空が視界を占めた。


「でも、わたしは死んだ」

 ぽつりと落とされた言葉に、青年は窓から少女へと視線を移す。


「悲しかったけど、嬉しかった。代わりに友達が退院できるって、わかったから」

 その目と同じ色の空を眺めて、彼女は淡く微笑んでいた。


 不意にこちらを振り向き、少女は、ポップコーンを取ってきた時のように、いたずらめいた笑みを浮かべた。パーカーのポケットに片手を突っ込み、もう片方の手で胸元の青いプレートを握りながら、


「ねえ、ゲームしない?」

 唐突な提案を繰り出す。


「ゲーム?」

「無言ゲームだよ。今から一言も喋っちゃだめなの。いいでしょ?」


 賛成も反対もせず、青年は肩をすくめて小首を傾げる。

 それを了承と捉えたのか、少女は「スタート」と小さくつぶやいて、パーカーのポケットから手を出した。


 その手には一通の封書が握られていた。


 青年に差し出し、少女は「受け取って」と言わんばかりの目つきをする。

 しばし無言で眺め、青年は、身を乗り出してそれを受け取った。


 ブロック体のアルファベットで綴られた宛名と、鉛筆で走り書きされた筆記体が表面に記されていた。

『お願い。何も聞かないで、この宛先に手紙を届けてください。私は死神に見張られ、生きている人と連絡を取ることは禁じられている。こっそりお願いします』


 ところどころ崩れて読みづらい筆記体に目を通し、視線を上げると、少女が固唾を呑んでこちらの様子を窺っている。組んだ両手の中に青いプレートを強く握り込み、瞬きもせずにじっと見つめてくる。


 青年は再び封書に目を落とした。

 宛先は、とある病院だ。入院していたという場所なのだろう。受取人の名に姓はなく、ただ「キリエへ」と書かれている。

 微かにため息を漏らし、青年は自身のコートのポケットに手を突っ込んだ。


 そして少女からもらったのとよく似た、一通の封書を取り出した。


 無言のまま差し出されたそれを見て、少女は首を傾げながらも受け取る。

 そして息を呑んだ。

 まず目についたのは、「宛て所に尋ねあたりません」の赤い印。

 宛先住所の下には、サーシャという少女の名が記されていた。裏側には、ひっかき傷のような線がいくつも組み合わされた「キリエ」のサイン。


「これ……!」

 何か言いかけ、はっとして口をつぐむ少女に、青年はおもむろに告げた。


「無言ゲ―ムの必要はない。その発信器はマイクも含めて、全機能を停止させた」


 少女が目を丸くし、青いプレートと青年を見比べる。

「ど……どういうこと?」

「元々俺は、あんたに用がある人間ということだ。猫を助けたことであんたは俺を、用を頼みやすい人間だと判断したようだがな。お陰で接触が容易になった」


 胸元に収まる猫の喉を指先で撫でながら、青年は淡々と続ける。

「あんたに接触した理由は二つだ。俺が所属する組織の任務にのっとって、本人の了解を得た上で身柄を確保するため。それと個人的な用件のため」


 軽く顎を上げて少女の手の中の手紙を示し、彼は黒い瞳をふと陰らせた。

「……妹が書いたその手紙を、あんたに渡すためだ」


 目をみはり、青年の顔を凝視した少女は、そこに親友の面影を見つけて、声にならない叫びを上げた。

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