<32・Birthday>
「は、離せ!離せよ!」
「せっかく捕まえた生贄を、離せと言われて離す馬鹿がいると思いますの?」
黒い幹は、いくつもの細い蔦が巻きついたような形状になっていた。ぎりぎりと両手両足を締め上げられ、彼方はまったく身動きが取れない。すぐ隣で、ジャクリーンがにやにやと笑いながらこちらを見ている。
「貴方はよくやってくださいましたわ。わたくしの身代わりを果たし、騎士を三人も集めてくれた。……でも、それはあくまで悪魔を召喚する方法を見つけられなかった時の保険と時間稼ぎにすぎませんの。騎士の顔ぶれも見たところ、どいつもこいつも我が強くて洗脳の魔法が効きにくそうな奴らばかりですしね」
「お前っ……!」
その言葉で察してしまった。もし、悪魔の召喚が卒業までに成し遂げられなかったら。その上で、彼方が彼女に言われるがままルイスたちと卒業試験をクリアしていたら。彼女はそれと同時に、三人に洗脳の魔法をかけるつもりだったのだということが。
『そう。それと、契約書は魔法で作って書くから、本人の名前同士で結ばれるもんじゃない。例えば俺とお前がここで契約書を結んで、お前が契約書に本名を書こうがジャクリーンの名前を書こうが関係ないんだ。俺の姫はお前で、お前の騎士は俺ってことになる。つまり、ジャクリーンが後でそれを乗っ取るためには、最終的にあいつが自分の手で全てバラして、俺とお前の契約を破棄させて自分と結び直させなくちゃいけないんだ』
疑問ではあったのだ。一体どうやって、ジャクリーンが、最終的に自分から騎士を奪うつもりであるのか。少なくともルイスとカレンは、彼方の正体を知った上で協力してくれているし、ジャクリーン本人には少なからず反発がある。騙された!とショックを受けて彼方から離反する可能性があったリンジーはともかく、あとの二人を説得して姫を鞍替えさせるのは相当難しいのではと思っていたのだけれど。
まさか本当に、洗脳の魔法を使って無理やり契約を破棄させるつもりであったとは。いや、人を洗脳できる魔法の存在を知ったのがたった今なので、そのようなことを予想できたはずもないのだけれど。
「悪魔を召喚できる魔法を見つけて実行できたら、もう貴方は用済みというわけ。そしてここまで来たら、替え玉もわたくしの正体も隠しておく意味なんてない。むしろ、大々的に喧伝して、わたくしの力を知らしめるべきなのですわ」
つう、と幹に飲み込まれて身動きできない彼方の顎を撫でてジャクリーンは言う。
「まあ、ここまで働いてくれたことに感謝しないでもないですし。悪魔との通信を行うための魔方陣……の生贄にした奴らよりは、苦しまないで死なせてあげる。そのままじわじわと生命力を吸い取られて、悪魔の供物となるのが良いですわ」
「俺の魔力なんか大したことないって、お前だって知ってんだろうが」
「生命力、は魔力とは似て異なるもの。魔法使いでない人間であっても全てが持ち得るものですわ。貴方は魔力はスカスカだけど、生命力には充分すぎるほど溢れている様子。悪魔にとっては、充分なほどご馳走でしょう。その生命力を餌に、悪魔を呼び寄せて使役しようというわけ。……ふふふ、わたくしはこの世で初めて、悪魔を使いこなした最強の魔女となるの。今までわたくしを馬鹿にしてきた全てのゴミどもが、わたくしにひれ伏す世の中になるのですわ……!」
酔いしれるように謳うジャクリーン。冗談じゃねえ、と彼方は歯を喰いしばった。大量殺戮兵器の餌にされて死ぬなんざまっぴらごめんである。なんとかして、この状況を打破する方法はないものだろうか。
「ジャクリーンさん!!」
「!!」
聞き覚えのある声がした。見れば、リンジーが校舎の中から飛び出してくる。そして、戸惑ったように“二人のジャクリーン”を見ていた。
ああ、最悪のタイミングで――そう思ったのは一瞬である。確かに、前々に自分の正体をきちんとリンジーに話しておかなかったのは己のミスだ。だが、今はそんなこと言っている場合じゃない。嫌われてもいいが、その件の解決は悪魔とジャクリーンをなんとかしてからにするべきだ。
「リンジー、俺のことはいいから逃げろ!こいつ、マジで悪魔を呼びだすつもりだ!」
彼方が叫んだことで、囚われている方が“自分が知っているジャクリーン”の方だと気づいたのだろう。困惑したように足を止めるリンジー。それを見て、ジャクリーンは高々と笑い声を上げた。
「ああ、そうでしたわね!お前はまだ、こいつの正体を知らなかったんですものね!ねえどんな気持ち?夏休み後から、学校に通っていたのがわたくしの替え玉で、しかも男だって知らされて!お前は偽物をジャクリーンと信じて慕っていたんですのよ、ねえどんな気持ち?」
「全部お前の差し金だろうが、ジャクリーン……!」
「確かにお前を学校に送り込んだのはわたくしですけど、元の世界に帰るために私の言いなりになったのはどこの誰であったかしら?ふふふ、こいつは異世界の一般人のサンドウ・カナタ。わたくしと同じ顔だからってすっかり騙されちゃって、貴方も可哀想にね?」
リンジーの顔色が、みるみる青ざめていく。なんでこいつは、平然と人を騙して傷つけるようなことを言えるのか。彼方は歯を食いしばる。
全部、自分のせいだ。
自分が、最初の日にこいつの頼みなんかを聴かなければ。せめて、リンジーにももっと早く本当のことを話していれば!
「リンジー……ごめん。ずっと、ウソついててごめん。俺、本当はジャクリーンじゃないし、この世界の人間でもないし、男なんだ」
まるで、心臓をきりきりと締め上げられるよう。苦痛に拳を握りしめながら、リンジーに向かって叫ぶ。
「俺のことを嫌いになってくれたならそれでいい!どっちにしろ、さっさとここから逃げてくれ!自分のことは、自分でなんとかするから!」
「か……カナタ、さん……」
真っ青になって固まっているリンジーの後ろから、走ってくる者達が見えた。どうやら、ルイスとカレンが屋敷の近くから全力疾走して戻ってきてくれたらしい。
夕焼けの空が、どんどん黒く淀んだ雲で覆われていく。ついには渦を巻き、ゴロゴロと雷の音を響かせ始めた。さながら、悪魔の召喚を祝うように。
***
よりにもよってこのタイミングかよ、と思うしかなかった。息を切らして学校に戻った瞬間、見えたのはグラウンドの中央に聳える真っ黒な大樹と、それに体の半分を飲みこまれた状態になっている彼方。その隣で、にやにやと笑っているジャクリーン。そして、それらを呆然と見ているリンジーの姿であったのだから。
「リンジー!」
「あ、る、ルイス、さん……」
リンジーが青ざめた顔で、振り返る。
「じゃ、ジャクリーンさんが、偽物で……男で、異世界人だって言われて、それで……何がなんだか。る、ルイスさんは、知ってたんですか?」
もっと早くバラしておけばよかった、なんていうのは結果論だ。自分達の誰もが、こんなに早く状況が動くだなんて予想していなかったのだから。
リンジーの動揺も当然だし、それこそ怒りが自分や彼方に向いてもおかしくはない。わかっていたが、今はそれを詳しく説明して説得していられる状況でもないのだ。
「あとで、全部話す。お前の誹りは全部受けるから、今は堪えてくれ。まずは悪魔の召喚を止めることだ。それから偽ジャクリーン……カナタのことも俺様は助けたい。あの状態で、魔方陣の中心にくくられてるともなれば、嫌な予感しかしねえ。リンジー、何か知らないか!?」
知識に関しては、やはりリンジーの右に出る者はいない。少年は動揺した目でそれでもどうにか絞り出すように“さっき”と口を開いた。
「あの本物のジャクリーンさん?が……悪魔を呼ぶための生贄だと言っていました。カナタさんの生命エネルギーを餌に、悪魔を召喚するのだと」
「アルバトロって、そういう方法で呼びだすもんなのか?」
「基本的に、悪魔は気まぐれな生物だとされているんです。そもそも、地球人とは根本的な力量や“格”が違うから、いくら魔方陣をセッティングしてきちんと手順を踏んで召喚しようとしても来ない時は来ないらしくて。だから、悪魔が来たくなるような餌を用意したらしい……って、僅かに残っている記録にはあったと。実際、他の召喚魔法でも似たような方法はありますから、間違ってないかと。大抵、ネズミとか猿とかを使うので、人間を使うなんて例は聞いたことがないんですが……」
「ちっ……ろくなことにならないのは間違いないらしいな」
あのまま悪魔が召喚されたら、真っ先にカナタが絶命しそうだ。本人は必死で逃れようともがいているが、黒い幹にしっかり固定されてしまっているのかうまくいっていないらしい。
「る、ルイス!お前ら、もういいから遠くに逃げろ!こいつは俺がなんとかするから……!」
彼方が向こうで叫んでいるが、無視だ。この期に及んで、自分達だけ逃げるなどあり得ない。彼を真正面から睨みつけ、ルイスは叫ぶ。
「お前は俺様が、必ず助けてやる。今更一人で何もかも背負おうとしてんじゃねえ。姫を見捨てて逃げる騎士がどこにいるってんだ!」
「正論だな」
すぐ傍で、カレンが頷いた。
「まだ、悪魔は完全に呼び出されていない。なら打つ手はあるはず。やるべきことは三つだ。一つ目、悪魔の断片が一部でもこの世界に入り込んできたら、片っ端から追い返すこと。アルバトロの規模だと、指や髪といった、体の一部分から少しずつこの世界に呼びこまれていく可能性が高い。そいつを見つけたら、片っ端から魔法で叩いて追い返す」
「できるのか、そんなこと」
「もちろん、怯ませて一時的に引っ込めるくらいの効果しかないだろう。あくまでそれは一時しのぎだ。そして、一時しのぎをしているうちに……二つ目、召喚の魔方陣を壊す方法を考える」
説明している間にも、グラウンド中にシャドウステップの群れがわらわらと溢れ始めている。今まで見たのと同じように、ぐるぐると無作為に回ったり、転がったり、走り回ったりとやりたい放題だ。あれら全てが魔方陣を形成する一部だと思うと実にうんざりさせられる。
「シャドウステップ本体を攻撃するのは相当難しいから、シャドウステップを召喚している魔方陣を探して壊すのがいいだろう。問題は、その召喚魔法の陣が学校内にあるという確証がないことと、恐らく複数あるだろいうということ。一つ二つ壊しても、恐らく魔方陣そのものに大きな影響は出ない。そして三つ目は、カナタを助けること。カナタの囚われている樹木が、イビルゲートと現世を繋ぐ中継点のようになっていると見た。そこからカナタの生命エネルギーを送り込んで餌にしている。ならば、カナタを助けることができれば悪魔の召喚を防ぐことができるかもしれないし、場合によっては魔力を逆にイビルゲートに注ぎ込んで門を封じることも可能かもしれない」
「……おい、聴いたかカナタ!」
この距離なら、話は聞こえているはず。ルイスはカナタに向かって叫んだ。
「お前も、その樹木をぶっ壊す方法とか、何か考えろ!黙って囚われてるようなお姫様じゃねえだろ!」
「ルイス……!」
ルイスの言葉に、彼方はこくりと頷いた。大丈夫。まだ、自分達は誰も絶望に負けたりしてはいない。
「ルイス!カレン!リンジー!」
ぱたぱたと走ってくる足音がした。見ればイザベルが、ジェマや他の数名のクラスメート達を引き連れてこっちに来ているではないか。どうやら、まだ学校に残っていたらしい。
「委員会で残ってたら、なんか大変なことになってるっぽいんだけど!悪魔召喚とか聞こえたけど、マジなわけ!?」
「マジだ。あっちの、あくどい顔をした方のジャクリーンがやらかしてる」
「うわ、ほんとだ。ジャクリーンが二人いる……どういうこと!?」
混乱するメンバーたちに、ルイスはかいつまんで状況を説明した。木に囚われている方が、夏休み後のジャクリーンであること。悪魔を呼びだしているのが、その前のジャクリーンであること。
何故二人いるのか、を詳しく話している暇はない。今、自分が伝えるべきこと、それは。
「あっちの捕まってるジャクリーン……カナタを助けて、悪魔召喚を食い止めたい。お前ら、手を貸してくれ……!」
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