<30・Jacqueline>

 幼い頃には、ジャクリーンは悟っていた。自分は選ばれた人間なのだ、と。

 家族はみんな、ジャクリーンの美しさを褒め讃えた。実際、周囲を見回しても自分より容色に優れた人間は、男女ともに存在しなかったのは事実。侯爵家という立場にはあまり納得がいっていなかったが(侯爵ということは、貴族としては上位であっても最終的に王様になれるわけではないからである)それだけである。勉強も、魔法も、ちょっと教わればすぐに自分のモノにすることができた。周りには、自分よりずっと愚鈍で愚劣な連中ばかり。きっと己は、彼等を正しく優れた方向に導くために生まれてきたのだと、かつてはそう思っていたのである。


――だって、そうじゃなければ説明がつかないわ。


 馬鹿馬鹿しい政治。

 馬鹿馬鹿しい芸術。

 馬鹿馬鹿しい風習。

 馬鹿馬鹿しい人間。

 自分は彼等を改革する存在。そう考えなければ、説明がつかなかった。なんせジャクリーンには、物心ついた時から自分以外の者達が“ゴミ”にしか見えなかったからである。家族や召使い達さえ例外ではない。ただ、彼等はジャクリーンの価値をわかっているだけ、まだマシなゴミだった。


――そうじゃないゴミも、たくさんいる。仕方ないことよね。馬鹿は、自分が馬鹿だということにも気づけないのだから。


 小学校時代は、本当に呆れるような馬鹿ばかりしかいなかった。誰もがジャクリーンの高度な意見や頭脳についてくることができなかったのだから。

 教員も教員だ。何故、ブスな女にブスと言ってはいけない?何故、知恵遅れの男に馬鹿と言ってはいけない?何故、クラスメイトが描いた下手くそな写生の絵を、ヘタクソだと正直に教えてやってはいけない?何故、自分の悪い噂を流した女の髪を、魔法で燃やしてやったらこっちが悪いことになる?

 自分は己を理解しないゴミどもを、それ相応に扱ってやっただけだ。なのに、教師が注意してくるのはいつも自分ばかりだった。


『ジャクリーン……。確かに、貴女はとても魔法も勉強もできるけれど、でもけして完璧なニンゲンじゃないわ。スポーツとか、コミュニケーションとか、できないことだってたくさんある。それは、人間としてごくごく普通のことよ。そう、貴女も普通の人間の一人なの。クラスメイトのみんなと同じ。だから、もっと対等な目線に立たなくてはいけないわ。何故、みんなのことを当たり前のように見下さなければいけないの?相手が何を言ったら傷つくのかとか、そういうことを考えられないの?相手の嫌がるようなことを言ったら駄目でしょう?』

『わたくしが、あんな奴らと同じ“普通の人間”ですって?馬鹿にするのもほどがありますわ』

『ジャクリーン……!』

『そもそも、何故あいつらの気持ちなんてものを考えなければいけないの?あいつらは弱者よ。弱者は強者の顔色を窺うべきだけど、何故強者が弱者を慮るようなことをしてやらなければいけないの?あいつらがわたくしに合わせて、わたくしの空気を読んで正しい評価をすればそれでいいこと。そうすれば、わたくしだってあいつらのことを少しは気にしてあげようって気持ちにもなるのに、それさえ出来ないんだからあっちが悪いでしょう?』

『…………』


 いつか、環境は変わると思っていた。

 自分が強い力を、優れた力を見せつけ続ければ、いつかどいつもこいつもジャクリーンの価値に気づくはずだと。そうすれば、皆が当然のようにジャクリーンを崇拝し、何もかもジャクリーンの思い通りの動く世界が出来上がるはずだと。

 しかし、その世界はいつまで経っても訪れなかった。

 中学に入ってすぐ知らされた卒業試験の内容。まさか、騎士なんてものを集めなければいけないなんて、夢にも思っていなかった。いや、既に知っていた者は知っていたのかもしれないが、己ならばどんな試験だろうとクリアできるという自信があったためリサーチしなかったのである。

 小学校からの顔見知りは軒並みジャクリーンを避けたが、中等部からの編入生や同じクラスになったことのない者達はまだチャンスがあるはずだった。ジャクリーンは今まで通り、己の“長所”を見せつけて騎士を集めようとしたのである。実際、最初はうまくいっていたはずだったのだ。己に声をかけてきた騎士候補たちが、軒並み“姫”を満足させることもできず、奴隷に徹することもできない腑抜けであったこと以外は。


――ふざけんじゃないわよ……!


 何故、どうしてうまくいかない。自分は選ばれた存在なのに。誰よりも魔力が高く、誰よりも美しいのに。

 気づけば候補が見つからないまま、三年生になってしまった。最近では、みんなひそひそと噂するばかりでろくにジャクリーンに近づいてくることさえない始末。

 なんとかしなければと思った屋敷、唯一声をかけてきたのがあのルイス・アーチャーだった。


『よう、ジャクリーン。お前相変わらず孤立してんだな。いい加減、自分がやってることが間違ってるってわかったか?いつも俺らを、ゴミでも見るような眼で見下しやがってよ。姫とか騎士とか言っても結局対等だ。チームのリーダーとチームメイトってだけの関係だ。それなのに、今までいろんな奴を奴隷扱いで切り捨てやがって。ジョシュアもボブも、お前なんかに近づいたせいであんな怪我しやがってよ』


 ジョシュア、ボブ。誰だったっけ、と思ったが(自分から離れていった騎士候補の名前なんか憶えてるはずもない)その様子からして、ルイスの友人達だったのだろう。そういえば、自分が頼んだミッションをこなせずに怪我をしたり、心を病んで不登校になった奴も何人かいたような気がする。弱いクズめ、としか思わなかったのでそのまま放置しておいたが。


『お前だって卒業したいんだろ。もうあいつらみたいな犠牲者を出さないためにも、誰かがお前の手綱を握っておく必要があると判断した。お前に才能があるのも事実だしな。今までのことを謝って、みんなときちんと“仲間になる”って言うんなら……俺様がお前の騎士になってやってもいいぜ?』

『……はあ!?』


 ルイス・アーチャー。容姿だけ見れば一級品だった。俺様キャラだが、実際その態度に見合うだけの成績、運動神経、魔法の実力がある。クラスの中で数少ない、“他のゴミよりちょっとましなゴミ”と認めてやってもいいと思っていた人間だった。一度ジャクリーンの誘いを断ってはいるが、まあツンデレ気味の性格からして素直に受けられなかったのだと目をつぶってやってもいいだろう。

 だが、今回の話だけはいただけない。

 何故、自分がゴミどもに謝らなければいけないのか?何故、何も間違っていない自分が態度を改めないといけないのか?逆だろう、お前こそこのジャクリーン・ロイドに土下座して、“騎士にしてください”と頼み込むべき立場だろうというのに!


『ふざけないでくださる!?誰が、お前達みたいなゴミどもの仲間になるものですか!!』

『ゴミ、だと……?』

『ええ、そうよ!そもそも、ジョシュアとかボブって誰のこと?捨てたゴミのことなんか、わたくしが覚えているとでも思って?』

『おい……!』


 ルイスの目が、どんどん険しいものになっていく。――許せなかった。少しだけ、ほんの少しだけ気になる男子だった彼が。自分に正しく仕える意思もなく、監視するために“仕方なく”“騎士になってやってもいい”などと言ってきたことが。


『ええ、ゴミよ!お前達はみんな、わたくしにを尊敬し仕えることにしか価値がないゴミゴミゴミ!どうしてみんなひれ伏さないの?わたくしに合せないの?わたくしは何も間違っていないわ、間違っているのはお前達の方よ!』


 それが、一学期の終わりに教室であった出来事。とっくにマイナスだった関係がさらに悪化したことは自分でもわかったが、やはり己が悪いとはまったく思えなかった。なんとかして、騎士を無理やり集める方法はないものか。いや。


――むしろ、本当に大事なことは、騎士集めなんかじゃないのでは?わたくしを侮辱し、ここまで貶めた連中に分からせてやることこそ重要なのではないかしら?


 ある夜、夢を見た。

 コウモリのような翼を持つ真っ黒な悪魔が、逃げ惑う人々を踏み潰していく夢だ。悪魔の体は、王宮の宮殿の倍はありそうなほどに巨大だった。その体躯からすれば、道を逃げていく人々など蟻も同然である。手ですくい上げ、つまんで口の中に入れて噛み砕き。あるいは、数十人をまとめて手の中に握り、ぎゅうぎゅうと肉団子のように丸めて潰して適当に放り投げる。建物の中に隠れる者達は、建物ごと瓦礫に潰し。隙間に逃げ込む者達は生きたまま火を吐いて焼き殺すということを繰り返していた。

 これは、何かの天啓だ。ジャクリーンはその圧倒的力に感動しながら思ったのである。この力が欲しい。この圧倒的な力があれば、それを見せつけてやれば、きっとクズどもは自分を王どころか神として崇めるようになるはずだ、と。


――問題は、そのためには時間が必要だということ。あんなくだらない学校なんかに、通っている暇はなくってよ。


 もうクラスメートたちに、僅かばかりも気を使ってやるつもりがない。そんな時間も、心もまったくもって勿体ない。ただの勉強や魔法なら家で家庭教師に教えて貰えばいいこと。それ以外の全ての時間を、悪魔を呼びだす魔法の研究に費やすのが最も効率的である。


『お父様、お母様。もうわたくしが、あの学校に通う意味はありませんわ』


 とはいえいくらジャクリーンとはいえど、悪魔の魔法を蘇らせる事が出来る保証はなかった。なんせ、千年も前に失われた秘術なのだから。

 同時に、学校を退学になるなんて汚点はプライドが許さない。きちんとした申請なく学校に長期で来なくなれば、中学校といえど退学にされてしまうのがセント・ジェファニー学園である。

 よって、悪魔を召喚させられなかった場合も見越して、学校には替え玉を通わせて卒業試験をクリアさせることにした。だが、そのためにはさすがに家族の協力が必要不可欠となる。替え玉を家で囲い、監視する体制が必要なのだから。


『よって、わたくしの代わりに騎士を集めさせる替え玉を、異世界から呼んで来ようと思いますの。異世界人ならこちらの世界に戸籍もないから、足がつく心配もないでしょう?』

『じゃ、ジャクリーン……お前が一学期に、心底傷ついたことはわかる。でも、だからって替え玉を通わせるなんて……バレたら確実に退学になってしまうんだぞ?由緒正しきロイド家の娘がそのようなことになったら……』

『バレないように、わたくしそっくりの替え玉を用意すればいいだけですわ』

『で、でも。契約上、騎士たちはその替え玉に仕えることになるわけで。卒業後、それを破棄してジャクリーンについてくれるかどうかは……」

『洗脳の魔法でもなんでも使って、無理矢理契約破棄させればいいだけでしょう?何を迷ってますの』


 だが、ジャクリーンにあれだけ甘かったはずの両親がここにきて渋った。家の名誉や、王国への忠誠心やらがよほど邪魔しているということらしい。

 仕方ない。ジャクリーンは諦めて、魔法を使うことにしたのである。


『家族には、できればこれからも……本心からのわたくしの信者でいてほしかったのですけど。仕方ないですわね』


 ジャクリーンは、両親や召使たちを洗脳し、その意識の一部を書き替えたのだった。

 普段は普通に仕事や生活を行い、有事の際は――ジャクリーンの頼みを一切断らないように。替え玉も、違法行為も、何もかもに罪悪感がなくなるように、と。 

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