<29・Alubatro>

 ミスティックアースの成り立ちについては、まだ現在の技術で解明されていないことが多い。

 ただ、いくつかの宗教では、異世界からやってきた神様が作り上げたものということにはなっている。科学派と魔法派で、その性質や結論は大きく違ってはくるが。

 例えば、魔法派の総本山であるジェファニー王国ではこう伝えられている。異世界からやってきた偉大な魔法使いが、この世界を創造した――と。

 その男神は、異世界から救い出してきた自らの弟子たちと一緒だった。彼等は世界が滅ぶ瞬間、ギリギリのところで魔法使いの手によって救出され、何もないまっさらなミスティックアースに辿りついたのだというのだ。

 彼等の故郷が滅んだ理由は、故郷の世界で大きな戦争が起きたからだった。科学の暴走により世界のあちこちに爆弾を落とされ、環境が汚染され、神様と弟子たちはやむなくそこから逃れてきたのだという。

 神様は言ったという。自分達は、故郷の人々の犠牲を無駄にしてはならない。彼等の死に報いるためにも、新しい世界を創った暁には過ちを繰り返さないようにしなさい、と。


『人は、科学からも魔法からも完全に手を離して生きることはできません。過ぎたる力は、必ず世界に滅びを齎します。あの戦争を、けして忘れてはなりません。友が焼かれて苦しむ声を、道端で手足を失ってもがく民衆を、泣きながら母親を探す子供の声を、人を殺すことに慣れてしまった兵士の悲しみを。我々は、絶対に忘れず、後の教訓にしなければならないのです』


 過ぎた力は人を滅ぼす――ゆえに、自分達の子孫には、正しくそれを監視し、自制することを覚えさせなさいと言ったのだそうだ。ようは、これから作る人々の監視者としての特別な役目を、自らの弟子たちに与えたというわけである。現在、王族や貴族とされている者達は、この監視者の末裔ということになっているわけだ。

 彼等は魔法の力で、何もなかったミスティックアースに海を作り、陸を作り、植物を、動物を、人を作った。そして子孫たちは神と先祖の意思を守り、人々が暴走しないように見守り続けることになったという。

 ところが、文明が栄えはじめたある時。

 人々がいくつかの国に別れ、争いを始めるようになってしまった。しかも、ある国の科学者が異世界の扉をこじ開け、悪魔を召喚することに成功してしまう。過ぎた力によって科学者はその場で悪魔たちに食われたが、使役する者がいなくなった悪魔は暴走し、国を問わず人々を脅かすようになってしまった。

 その時呼び出された悪魔のうちの一柱が、アルバトロだったのである。他にもカエサリ、ザクラ、ジェコフスキーなどの様々な悪魔が野に放たれて災厄をまき散らすことになった。

 最終的には、それらの悪魔を神の弟子たちの子孫が、命をかけて倒し、悪魔の世界に追い返してゲートを封印することに成功する。


『悪魔を呼び寄せたのは、人の心の闇である。戦争で、自分達と違う考えの者を滅ぼしたい、どれほど残酷に殺してもかまわないという恐ろしい悪意が、科学の手引きによって悪魔を呼びだしてしまったのだ。我々はこれを、大きな教訓としなければならない』


 神の使徒たちの言葉に、科学によって大きな戦争をしようとしていた者達は反省し、以降は使徒たちの指示に従って慎ましく手を取り合って生活するようになった。

 しかし、悪魔は人の心の隙間にするりと入り込んでくるもの。人々が神の教えを忘れて過ぎた力を手に入れようとしたり、あるいは大きな戦争で人を傷つけようとした時は、また悪魔が現れて大いなる災いを齎すであろう――。


「……と、ここまでが、この世界の神話。そうだよな、ジャクリーン?」


 彼方は、リンジーたちから聞いた神話をかいつまんで目の前の少女に話した。

 場所は、ロイド侯爵家の屋敷の庭。

 アルバトロを呼びだそうとしているのが、本当にジャクリーンかどうか。そしてもしそうならば目的は何なのか。いい加減、きちんと探らなければいけない――そう思った彼方は、放課後帰宅すると同時にジャクリーンを問い詰めることにしたのである。無論、危険があるのは承知。ルイスたちには、自分が話をするということはきちんと伝えてあるし、今日は屋敷の外で待機して貰っている。ちなみに、リンジーは学校にいてもらっていた。魔方陣の監視をする役目が必要だからという名目だが、実際のところは彼にまだ本当のことを伝えられていないからというのが大きい。

 卑怯だとわかっていたが、今彼方が本物のジャクリーンでないことを伝えたら、間違いなく大きなショックを受けるだろう。もう少し落ち着いてからにするべきだ、という彼方の判断だった。無論、落ち着いてから、なんて時が来るのかどうかも定かではないが。


「アルバトロっていうのは、その中でも巨大で、かつ残酷な悪魔として知られた存在だ。……千年前の研究でも、そのあまりの残虐性から呼びだされた悪魔の一つに同じ名前がつけられた。神話に登場したアルバトロとそっくりだったってのもあるけど」


 このへんは全部、今日リンジーたちから聞いたばかりの知識である。まあ、ジャクリーンが知らないはずはないとは思うが。

 ちなみに、今語った神話はあくまで“ジェファニー王国”に伝わるものである。科学派の国には、当然これとはまったく異なる話となっている。正確には、魔法派と化学派の立場が入れ替わっていることがほとんど言うべきか。この世界に最初にやってきた神様は魔法使いではなく科学者で、悪魔を呼びだそうとしたのは禁断の魔法に手を染めた魔法使いということになっている。なんというか、お互い都合が良いもんだと思わなくもないが。


「悪魔召喚は、あまりにもリスクが高い。そして、千年くらい前にはその研究によって町がいくつも消し飛んだって話だ。だから、現在法律では悪魔の召喚は禁止されている、そうだろ?」

「ええ、そうね。だから?」

「……学校に、その悪魔……アルバトロを召喚するためっぽい魔方陣が作られているのが分かった。しかも、夜中にシャドウステップを用いるっていう、わかりにくい形で。誰かが、アルバトロを召喚しようとしているんだ」


 悪魔を呼ぶ、つまりイビルゲートという世界に繋ぐためには“動画”の魔方陣を用いなければいけない。実行犯はシャドウステップというモンスターを用いることでそれを成し遂げようとした。


『動画の魔方陣を使っていても、悪魔召喚以外の目的である可能性もゼロではなかったんですけどね。……体育祭の日から、今日までの調査で分かった情報を照らし合わせてみても、やはりアルバトロの魔方陣だと考えるのが妥当なんです』


 リンジーはやや青い顔で、彼方に言った。


『テニスコート周辺にしか魔方陣がまだ出現していない、と僕達は思っていました。だから当初はそちらの聞き込みだけメインに行っていたし、勘違いもあった。テニスコートのあたりから、じわじわと魔方陣が広がっていっている……だから、もう少しばかり猶予があると思ったんです。でも、そうじゃなかった。僕達は大きな思い過ごしをしていました。魔方陣の進行速度は、もっとずっと速いものだったんです』


 シャドウステップ達の軌道から見るに。

 敷地をぐるりと取り囲む、大きな円。それに重なる四角形が一つ。それから、テニスコート付近、つまり西側の隅で小さな円が一つに十個の“動点”。これだけでは、まだ確実に悪魔を召喚しようとしている魔方陣だとは断言できなかった。

 が、ここに体育祭でリンジーが見たカジライチョウの木の周辺のデータが加わる。何故か時間は昼の二時頃であったが、とにかくシャドウステップが出現していたのは間違いなかった。木の後ろで、振り子のように動く動点。木の上から落下する二つの点。それから、彼いわくしばらく観察していると木の周辺を四体のシャドウステップが、やや複数の軌道を描きながらぐるぐるとまわり始めたという。これは、木の周辺に“多重線の円”を描いていることを示しているそうだ。一度魔方陣に取り込まれた魔力を、このポイントでぐるぐると回してかきまぜ、性質を変化させるという意味があるのだという。

 体育祭からの一カ月で、さらに状況は進んだ。そしてはっきりとした。

 他のポイントでも、時間差でシャドウステップが出現していたこと。ただし、数が少なかったことと、分かりづらい場所にいたので気づいた人間が少なかったことから発覚が遅れたのである。例えば、シャドウステップは影のモンスターだ。建物の影の部分で蠢いていても、すぐに見つけられないことが多いのである。


「時間差で、少しずつ魔方陣を出現させていったんだ。だから先生達も全体像を掴むのが遅れてる。……多分、出現した魔方陣が全部そろった時、スイッチが入って全部の魔方陣が一気に稼働する仕組みなんじゃないか、ってカレンが言ってたよ。その時、学校全体を儀式場として、あの場所に悪魔・アルバトロが召喚されるんだと」


 ジャクリーンは、興味もなさそうに髪を掻き上げている。その姿が、かえって彼方に焦りを抱かせた。

 自分の所業がバレた焦りも見えなければ、そのような大悪魔が呼ばれようとしていることへの驚きも興奮も見えない。


「……おいジャクリーン、お前、何でここまで聞いて無反応なんだよ。全然驚く様子もなければ、怖がる様子もないのは何でなんだ。学校に、悪魔が呼びだされるかもしれないんだぞ?呼び出された悪魔が何をするかわかったもんじゃない。そうなったら、多分学校が潰されるだけじゃすまないんだぞ、わかってるのか!?」


 苛立ち交じりに彼方が尋ねれば、ジャクリーンは“大きな声出さないでよ”と肩をすくめた。


「それで、わたくしにどうしてほしいのかしら、貴方は?わたくしの悪魔の召喚を止めろとでも?それとも、わたくしが悪魔を召喚しようとしている人間だと疑っているということなんですの?」

「お前のその反応見てると、疑いたくもなると思うんだけど?実際、魔方陣を作ってるっぽいお前の姿が目撃されてるし、魔方陣からはお前と同じ氷属性の魔力が検知されてるんだぜ?」

「それだけでわたくしが犯人と決め付けるのは、少々根拠が弱いのではなくて?」

「……そうだな、物的証拠は何もない。でも、自分が無関係だったら少なからず驚いたり焦ったりすると思うんだけどな。この家だって学校から滅茶苦茶離れてるわけじゃないんだぜ?巻き込まれてもいいのかよ?それとも、巻き込まれない自信があるとでも?」


 今だから思うのだ。ジャクリーンは、果たして本当に“自分の代わりに騎士を集めさせて、卒業試験をクリアする”ためだけに自分をこの世界に召喚したのか?とひょっとしたら、他にも大きな目的があったのではないかと。


「……俺は、お前が言った言葉を忘れてないんだぜ」


 彼方は、ジャクリーンを睨みつける。


「お前は、恐怖政治を肯定している。力ある者に皆が従えばいい、力ある者に社会性なんか必要ないと。……悪魔ってのは、お前が言う最も分かりやすくて強大な力なんじゃないのか?」




『学校も、それ以外の場所もみんなそう。行く必要があるから、行くの。わたくしが学びたい勉強は全て家の中でできますわ。そして、社会性なんて必要だとは思いませんの。必要なのは……圧倒的な、力』




 違うなら、違うと言って欲しかった。

 いくら彼女があくどい性格だとしても。無関係な人をたくさん殺しても構わないなんて、そんな風に思うほど人として終わっているわけではないと。


「……ふふ」


 やがて、ジャクリーンは。心底楽しそうに笑って、彼方に告げたのである。


「……いいでしょう。貴方に見せてあげるわ、面白いものを」

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