<27・Disaster>
体育祭当日。朝一で見たジャクリーンの顔は、やや暗かった。何か心配事でもあるかのように。
好きな人のことを心配するのは当然だ。リンジーが声をかけると、彼女は苦笑いをして“何でもないよ”と言った。
『私のことは気にするなって。それより、リンジーも今日のダンスとムカデ競争がんばるんだぞ?怪我しないようにな!』
彼女にとって、きっと自分は弟のようなものなんだろうな、なんてことをなんとなく思っている。今ほど、己の小柄な体躯と童顔が恨めしかったことはない。最初の最初で醜態を晒して助けられてしまったというのも大きいのだろう。正直、悔しくてたまらない。彼女が助けてくれたからこそ彼女を好きになったのに――本当は自分が彼女を助けたいのにそれができないという、もどかしさ。
何かを秘密にされている、のは感じている。
カレンに屋上に呼びだされて、何か話をしていたらしいこと。その現場にルイスも居合わせたらしいことは知っている。シャドウダンスの群れがどうやら、それそのものが悪魔を呼びだす魔方陣かもしれないことも。リンジーも、その魔方陣の種類を調べるために一緒に調査してきたので、そこまでは知っているのだ。
でも多分。“それだけ”ではない。ジャクリーンと、ルイスとカレン。彼女たちだけで、何か大きな隠し事をしていると感じるのである。ほぼ、自分の直感のようなもので根拠は無いけれど。
――僕は、そんなに頼りないかな。前よりずっと……安定して魔法が使えるようになったつもりなんだけど、それでも駄目なのかな。
学校のグラウンド。所定の位置に座って、リンジーはスタート地点に立つジャクリーンを見た。彼女とルイスとカレンは、クラス代表として選抜リレーに出るメンバーだ。
リンジーがそこに入ってないのは当然である。自分は運動神経も悪いし、足も遅い。とても、クラスで俊敏性が高いメンバーだけが入れるリレーメンバーに選ばれるはずもない。というか、リンジー自身運動そのものが好きではないので、その立場への執着もないというのが本当のところだ。
そう、何も、リレーで走りたかったわけではない。
それなのにこうして同じ場所で並んでいる彼等を見ると、疎外感を覚えてしまうのだから人間というのは我儘なものである。自分も一緒にあそこにいたかった、なんて。練習もしてないのに何を言っているのやら。
「今回は何組が勝つのかなー」
「去年は拮抗してて全然読めなかったけど、今年は流石にあいつのクラスだろ」
「ジャクリーン?」
「そうそう、練習で走ってるの見たけど、圧倒的だったぜ。女子でもあんなに速く走れるやついるんだなーって思ったもん。つか、夏休み前まであんなに足速かったか?」
「魔法の回路が変わって、それと同時に体全体の魔力の流れが変わったのが原因じゃないか?みたいなこと言ってたなあ。うーん神秘」
「走る姿めっちゃかっこよかった。すげえ悪女だって言われてたのに、最近はすごい人気者だし」
「そりゃそうだよ。この間、僕落とし物届けてもらったし」
「俺、隣のクラスなのに名前覚えて貰ってたな。ちょっとうれしかった」
「人間って、変われるもんなんだなあ」
待機している生徒達の間から、噂する声が聞こえてくる。人間は、変われるもの。確かに、ジャクリーンは誰よりそれを体現しているだろう。夏休み前までは考えたこともなかった。確かに彼女は元々美人だったけれど。夏休み前の方が、魔法のスキルを含めた成績は間違いなく良かったけれど。それでもいつも貴族でない人間や、魔法が得意ではない人間を見下している印象にあったからである。
自分が一番できて、他の奴らはみんな自分より下。何故そうなってしまったのかと思うほど、途方もなくプライドが高い人だという印象だった。どうしてそうなってしまったのかまったくわからないけれど。
それが、今では毎日笑顔でクラスメート達と話して、誰かが困っていたら真っ先に飛んでいく。確かに魔法は不得意になったけれど、未だに一部の初級魔法しか使えなくて先生には呆れられているけれど。きっとリンジー以外も思っているだろう――今のジャクリーンの方がずっと良い、と。
何故なら今の彼女は、何をするにも一生懸命だから。仲間の一人一人に、体当たりで向き合ってくれるから。そもそももしジャクリーンが自分を助けてくれなかったら、リンジーだって未だにまともに友達の一人もできなかったことだろう。
「いけええええええええええええええええ!」
レースはどんどん進んでいく。ジャクリーンはアンカーだ。ルイスから流れるようにバトンを受け取り、彼女は長い髪をなびかせて走り始める。わあっと歓声が上がった。まさに圧倒的だ。他のクラスはみんな男子がアンカーで、彼女がバトンを受け取った時には三位。前の二人とは大きく引き離されていたのに、見ているうちにぐんぐんと距離をつめていくのである。
「ジャクリーンすげええええええええ!」
「いけいけいけいけいけ!」
「頑張ってジャクリーンさーん!」
「かっこいいいぞおおおおお!」
リンジーたちのクラスだけではない、他の学年の生徒などからも応援の声が飛ぶ。彼女がこの二カ月で積み上げた実績であり、信頼の結果だった。ただ足が速いだけでは、ここまでみんなに声援を送られるようなことなどなかっただろう。
――ああ、本当にかっこいいな。
女性だけれど、けして屈強な体格ではないけれど、強い魔法もないけれど。
それでも彼女は、リンジーにとってヒーローだった。強い力などなくても、人は勇気一つでヒーローになれるのだ。まさに、彼女の姿は自分達にそれを証明してくれている。
――だから、僕は貴女が好き。
きっと、ルイスもジャクリーンが好きで。ひょっとしたらカレンもそうなのかもしれなくて。自分なんかに勝ち目があるとはまったく思っていないけれど。
それでもこの気持ちだけは、けして捨てないでおこうと思ったのだ。生まれて初めて知った、とても貴重で、とても綺麗で、とても苦しい気持ちだから。
そう思うからこそ、できれば隠し事なんかしないで欲しいし、もっともっとジャクリーンのことを知りたいと思うのだけれど。それは、それこそリンジーがもっとジャクリーンの信頼を勝ち取る努力をするべきことなのだろう。あるいは、彼女のことをもっと知ろうとする勇気が必要に違いない。
まだ、弟のようにしか思われていなさそうな自分だけれど、いつかきっと。
――ん……?
ジャクリーンが一位でテープを切った。歓声を上げようとしたその瞬間、リンジーは視界をよぎったものに気づいて固まる。
現在自分達がリレーを行っているのは、グラウンドの北東のあたりである。非常にグラウンドそのものが広いため、自分達は競技が行われる場所に随時椅子を持って移動し、場所取りをして応援をするということになっていた。それぞれのクラスが“客席取り”をしていいということになっていいスペースが指定されているのだ。無論、体育祭なので生徒達の親や親戚、地域の人といった外部の者達も見に来ている。彼等にも当然、客席スペースが与えられている。
ダンスをやる時は、ダンスが行われる特設ステージの周辺をぐるっと囲むように客席エリアが設けられているし、今みたいなリレーの場合はトラックの周辺に用意されているといった仕組みだ。
つまり、現在北東の“トラックゾーン”の近くにリンジーを含めたクラスメートのほとんどがおり、リンジーはそこから南の方に向かって席を置いて見学していたわけなのだが。
――今、何か……。
グランドの真南のあたりには、一つ大きなカジライチョウの木がある。よくワルガキどもが上に登って(中学生だからこそやらかすのだ)先生達に叱られている、樹齢百年は超えそうな大きな木だ。秋になると葉が鮮やかな黄色になり、非常に美しい紅葉を見せてくれるのである。春には可愛らしい白い花がつき、まるでレモンのような爽やかな匂いを届けてくれるのだ。
現在は黄色の葉もやや落ちてきて、少し淋しくなってきた頃である。もうすぐ全てが落葉して、レクリエーションの時間でも使ってみんなで落ち葉を掃除することになるのだろう。その大樹の奥に、何やら黒い影が蠢いたように見えたのだ。
――まさか……!
思わずそちらを注視していると、そいつは木陰からうにょり、と姿を現した。正確には、まるでかくれんぼでもするかのように、頭を出しては周囲を見回し、一度引っ込んではまた頭を出すということを繰り返しているのである。
何も知らなければ、またお化けだと思ったかもしれない。しかし、今の自分には知識がある。あれは、どう見てもシャドウステップだ。思わず時計を確認する。時刻は、丁度二時。まだとても、夕方と呼ばれるような時間帯ではない。この学校で出没したシャドウステップについてずっと調査を続けてきたが、一番出現率が高いテニスコートでさえ本格的に大量発生するのは深夜になってからだった。夕方では、タイミングが合えば時々見かける程度。他の場所にいたっては、もっと目撃情報が少なかった。恐らく、シャドウステップを使った魔方陣が、テニスコート近辺から徐々に広がっていっている状態だったのだと思われる。魔方陣の特定が遅れているのはそのためだった。
そして、あのモンスターは自然発生するものではない。誰かが召喚魔法を使わなければ、学校に出るはずもない。ということは、アレも魔方陣を創ろうとしているのと同じ者の仕業と考えるのが妥当だが。
――なんで、まだ昼間なのに……!
そうこうしているうちにも木の上から飛び降りる新手が現れた。その二匹は飛び降りて、また登ってを繰り返している。明らかに、他のシャドウステップたちと同じように、指定された動きを繰り返しているようだった。
――どういうことだ、なんで……!?
とりあえず、ジャクリーンたちに報告しなければ。リンジーは足早に席を立ったのだった。
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